レクイエムの牢獄

 この世界に生を受けてから、一度たりとも体感したことのない喪失感が下半身に広がっていた。
 私が長年求め続けていた『完全なる死』
 もはや二度と転生することも何もかもが無くなる、無、になる。
 この待ち望んだ状態になる直前にのみ、私は知性を取り戻した。
 コスモプロセッサを用いて、魔が神になる計画を潰したのが人間ならば、もう一つの願いを適えたのも人間。

 我が究極の魔体は崩壊を起こし、地球の重力に従って海へと落ちる。
 最後に放った砲撃は、神と魔の最高指導者達が防いでいた。

 それでいい。
 それでよかった。
 我が永遠の死が迎えられるのならば、人間といえど無意味な犠牲は出す必要がない。
 全てはこれでいい……。

『お前の罪を赦そう、アシュタロス』

 ああ……これで、逝ける……。
 やがて私の全ての肉体と霊体が崩壊し、この世界から『アシュタロス』という存在が完全に消え去るのを感じた。



 ……。

「はッ!」

 突然、瞼が開き、青い空が見えた。

「こ、ここは……? わ、私は完全なる死を迎えられたのではないのか!?」

 完全なる死を迎えられなかったようだ。
 でなければ、この私が目で何かを見ることも、言葉を発することも、思考することすら出来ないはずだ。

「何故だッ! 何故……!」

 体を起こし、天を仰いで絶叫する。

 何故、何故なんだ。
 私の罪を、赦してくれたのではないのか?
 ただ死にたい、という私の悲願を、何故達成させてくれない。

「……あの、大丈夫?」
「だいじょうぶ、おじたん」

 誰だ?
 この、私に声をかけてくるものは。
 あれほど大立ち回りをし、結局何もならなかった憐れな道化に声を掛けてくるものは誰なのだ?

 振り返ると、そこには、見たことのある顔があった。
 私を葬り去った人間の片割れと、それの親。
 しかし、何か様子が変だ。
 美神令子は、とても幼く、まだこの体に転生してから三年ほどしか経っていない。
 美智恵も、私と対峙したときよりも大分若い。

「美神……令子? どういうことだ?」
「え? 私の娘のことを知ってるんですか?」

 その瞬間だった。
 胸にものすごい衝撃が走り、私の体ははじき飛ばされた。
 肋骨が何本か折れ、心臓を何かが貫通し、すさまじい痛みが生じる。

「は、ハーピー!」

 美神美智恵の叫び声が聞こえる。
 ハーピー……部下にそんな名前のやつがいたような気がする。
 時間移動能力者を追わせた最中に姿を消したやつだ。

 目の前が朦朧として、焦点が結べない。
 体から力が抜け出て、動くことが出来ない。
 一体どういうことだ?
 魔神である私が、この程度の傷で死にかける……いや、死ぬだなんて……。

 苦しい。
 痛みに耐えられない。
 誰か……。



  アシュタロス 死亡。
  今回の死因 美神親子を狙っているハーピーにフェザーブリッドを誤射されて死亡。



「はッ!」

 私は……生きている?
 今のは一体……。

 今度はどこかの建物の中に、私はいた。
 目の前には、今度は私と関わりを持ったときの年齢の美神令子と、横島……それにもう一人の巫女の女がいた。
 その奥には私の知らぬ人間の女が一人、どうやら悪霊に肉体を乗っ取られているようだ。
 悪霊は老齢の男の形を作り、その力は下級悪魔に匹敵している。

『お前、名前は?』
「アシュタロスよ」

 え?

 な、何をしているのだ、こいつらは。

 悪霊に取り憑かれた女は、私の名を知ると原稿用紙にさらさらと何かを書き立てている。
 一体これはどういうことだ?
 私は死んだはずではなかったのか?
 転生して蘇らされたにしては、脈絡が無さ過ぎる。

 一体これは何なのだ?

「ぎゃあッ!」

 心臓が! 心臓が!



  アシュタロス 死亡
  今回の死因 安奈みらに取り憑いた淀川ランプが文学的表現でアシュタロスの死を執筆したために死亡。



「はッ!」

 ま、まただ……また私は生きている。
 何がどうなっているんだ?

 今度もまた建物の中……だが、少し様相が違う。
 なにやら研究所のように見えるが、それだけの施設のようには見えない。

「フォォォォォォ!」
「何だッ! こ、今度は何なんだッ!」

 鳥のような魔獣が、ステップを踏みながらこちらを睨んでいた。
 たしかこれは、ガルーダ。
 中級の魔物で、力はそれなりにある。
 しかし、私は魔神としての力を失っており、どうやら霊的にも物理的にも人間並みの戦闘力しか持ち合わせていないらしい。
 その私が、このガルーダに勝てる……だろうか?

「ケェェェェェェェ!」

 ガルーダは足をバネのように弾ませて、飛びかかってきた。
 体を全く動かすことができない。
 今の私にとっては目視することが精一杯のハイスピードで繰り出される跳び蹴りを、避けることができないッ!!

 だ、ダメだ……。



  アシュタロス 死亡。
  今回の死因 暴走したガルーダに首を刎ねられて死亡。



「はッ!」

 や、やった!
 こ、今度は元に戻った。
 私が究極の魔体を手に入れた日に違いない。

 感じる、コスモプロセッサの波動を感じる。
 コスモプロセッサは破壊されたが、私は元の世界に戻ってきたのだ。
 何度も死んでは生き返ることを繰り返したのは、一時的なもの、永久に続くわけではないのだ。
 痛みに対する肉体の耐性が低くなったあの状態で、あれが永遠に続くなどとは……考えたくもない。

 死ねないことは、最低最悪の牢獄かと思っていたが、私は愚かだった。
 最も幸福であることは、完全なる死を迎えることだと今でも思っている。
 そして最も不幸なことは、あの不完全な死の無限回廊にいることだと悟ることができた。
 あのような目に合うことに比べたら、ただ生き続けていることだけだとしてもどんなに幸せなことか!

「往生ぎわが悪いぜーッ!」

 なッ! なんだとッ! 横島だとッ!
 ま、まずい、こいつに殺されるッ……!?

「俺の手でとどめを――」

 だ、ダメだ!
 に、逃げなければ!
 撤退することは敗北ではない!

「待ちなさい、横島君! たとえ弱っていても一人の攻撃じゃ通用しないわ!
 これはワナかも――」
「ダメだ!! あの馬鹿、頭に血がのぼってる!!」
「やむを得ん! 援護する、目くらましぐらいにはなるかもしれん」

 ガウン!



  アシュタロス 死亡。
  今回の死因 西条に銀の弾丸で頭を撃ち抜かれて死亡。



「はッ!」

 ま、まただ!
 こ、今度はどこから来るんだ!

 わ、私は何回死ぬんだ!?
 次はど……どこから……い、いつ『襲って』くるんだ!?
 私はッ、私はッ!

「おじちゃん、どうしたの?」

 また子どもの美神令子だ!
 今度もまた、何かが私の心臓を貫くのか!?

「れ、れーこちゃん、勝手に歩いてっちゃダメじゃないッスか。
 ま、また、あのパイパーの野郎に襲われたのかと……ん? この変な格好したおっさん、誰?」

 よ、横島!

「わ、私のそばに近寄るなーッ!」

 ちゅらちゅらちゅらちゅらちゅららー……。

「ヘイッ」



  アシュタロス 死亡
  今回の死因 パイパーの笛の音で幼児化させられ、その後パイパーに引き裂かれて死亡。



「にしても、アシュタロスもわからんやっちゃなあ。
 本当に『終わる』っていうのがどういうことかわかっとらんから、あないなもんを望むやろなあ」
「この世界の『魂』は常に一定の数に決まってますしね。
 虫であれ動物であれ人間であれ、神や魔ですらも死ねば来世へと転生する。
 万物流転の法則に反することはありえない。
 『完全なる消滅』とはつまり魂を異世界へと飛ばすということです」
「決して出ることが出来ひん無限回廊に閉じこめられて……『終わり』がないことが『終わり』の世界か」
「ある意味では、アシュタロスの最大の罪は無知であったことですね」
「そやな……後始末が終わったら、一杯飲みに行こな、キーやん」
「……はい」



「はっ!」

 今度は、今度はどこだ。
 今度は……またコスモプロセッサか!

「ぽー」
「ぽー」
「ぽー」
「ぽー」
「ぽー」
「は、ハニワ兵!? ま、マズイ、ハニワ兵はマズイ!」



  アシュタロス 死亡。
  今回の死因 大量のハニワ兵に押しつぶされた後、自爆され死亡。



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