ある日突然、世界中で異変が起こった。
悪魔や天使、妖怪や妖精などといった今まで空想上の生き物とされていたもの達が一斉に出現したのだ。
何が原因なのかはわかっていない。
一見それらしい説が学会では唱えられているらしいが、有力な説でも証明されるに至っては居ない。
こことは違う世界に生息していたのに、気が付いたら突然こちらの世界に来ていた、
と出現した生き物のうち、言葉の通じるものは口を揃えてそう言った。
思ったよりも世界での混乱は無かった。
むしろ不自然なほど人類は相手のことを受け入れていた。
宗教的な問題で戦争でも起きるのかと、異変直後に脅える人達もいたが、戦争らしい戦争も起きなかった。
彼らが、あまりにも人間くさかった、ということもあるだろう。
背中に白い鳥の翼があり、頭の上にわっかを付けている種族を俗に天使と呼んでいるが、
彼らが特別な存在かというと別にそういうこともない。
中には花咲か天使テンテン君みたいな、神聖さが皆無でむしろ下劣なやつもいる。
悪魔も同じようなもので、近隣の住民とコミュニケーションを図るために、
地区のボランティア活動に積極的に参加し、おばちゃん達と談笑していたりするものもいる。
妖怪には悪戯好きの種族もいるが、それもさしたる脅威ではなかった。
落とし穴を掘ったりするが、落ちた人間が怪我をしないように深さを調節していたり、
柔らかいクッションを置いていたりする。
そしてその悪戯の埋め合わせとして、ゴミ拾いやら手伝いやらを行ったりしているものがほとんどだ。
河童は相撲が好きだが、負けた人間のしりこだまを抜いたりしないし、
逆に相撲で勝った人間は褒め称え、きゅうりを送ったりしている。
人間側は、法整備に多少のもたつきを見せたものの、
法律が整っていない状態でも、自然と彼らと共存することが出来た。
人口急増による食糧問題、環境問題も懸念されるほどのものではなかった。
出現した生き物の中には不思議な能力を持つものがおり、荒れ果てた地を蘇らせ、
汚染された土壌や水、空気を浄化し、木々に多くの実をつけさせたり、そういったことが出来るものが積極的に人間に協力した。
特筆すべきは『魔力』というもので、これは万能エネルギーとして用いられるようになった。
魔力を提供するものが若干精神に疲労を覚えるだけで、二酸化炭素や他の物質を排出しない、
それでいて石油などの資源すら必要としない完全なるクリーンエネルギーだった。
一方、彼らが出現して、困ったこともあった。
それは土地問題だ。
食料問題や環境問題は悪化するどころか消失してしまったが、土地問題ばかりはどうしようもない。
オーストラリアのような土地が余っている国にはさしたる問題ではなかったが、
ただでさえ狭い島国なのに人口が一億人以上いる日本では深刻すぎる問題だった。
彼らが住むための住居を建設することは、とてもではないが無理だ。
では、一体どうすればいいのか、というところで出た案が、居候案だった。
簡単に言えば、もう既にある住居に彼らを居候させることによって一時しのぎをする、という苦肉の策だった。
ちなみにかの異変のことを『ボヘミアン・ラプソディー現象』もしくは『ウンガロ現象』と呼ぶらしい。
日本の主に若年層が真っ先にそう呼び出し、それが定着して、今では世界で通用する言葉になっている。
何故日本の若年層がそのような名称で呼ぶようになったのか、俺は知らない。
ちなみに、異変で出現したものの総称は国によって違い、日本では主に『神』と呼ばれている。
八百万の神様がいるんだから神でいいだろ的な流れなので、特定の宗教の人達はまた違う言い方を用いているらしい。
ゆっくりと意識が覚醒していく。
睡眠という液体の中から思考がぽっかりと顔を出し、ついで肉体の感覚が蘇っていく。
腹の上に何か重いものが乗っていることに気付いて、体をよじってどかそうとすると、
腹の上に乗っているものの方が先にしゅるしゅると音を立ててどいてくれた。
目を開き、体を起こす。
頭を掻きつつ、欠伸をして、布団の中から這い出した。
隣に寝ている下半身が鱗に覆われている女に布団をかけ直して、寝室を出る。
トイレを済ませ、Yシャツに袖を通し、ネクタイを手にしたところで、今日が休日だということを思い出した。
時計を見る。
まだ六時だ、休日の朝には早すぎる。
Yシャツを脱ぎ、ネクタイを床に放り投げて、再び寝室に戻ろうとしたときだった。
「あら? 八神さん、お早いですね」
褐色の肌に長い耳の女が声を掛けてきた。
彼女も今起きてきたばかりのようで、銀色の髪が若干乱れ、眠そうな目をしている。
「今日が休みだったってことを忘れてた」
彼女は少し笑い、顔を近づけて唇を合わせてきた。
嬉しいスキンシップだが、今はその欲よりも睡眠欲の方が勝っている。
いつものように舌と舌を合わせることなく、ただ触れるだけに留めておいた。
彼女はそれに不満を感じたわけではないような笑みを浮かべ、言った。
「コーヒー淹れますから、顔を洗ってきてください」
「あ、いや、これから二度寝しようと……」
が、俺の答えを聞く前に彼女はさっさと台所へと行ってしまった。
今のは間違った選択だったようだ。
俺の部屋には日本で最も多い数の神が住んでいる。
人間と神との間には相性というものが存在している。
意味もなく好かれる人間がいれば、逆に一緒に生活をすることが不可能な人間もいる。
俺は人類の中でも希に見るほど、神との相性がいい人間らしい。
親父の血筋で先祖が犬神だった、という話を聞いたことがあるから、ひょっとしたらそのせいかもしれない。
親父も祖父ももうこの世にいないため、比較することは出来ないが、多分そうなんだろう。
それはおいといて、俺は神と相性が良すぎる人間だ。
放っておけば、無尽蔵にそこら中の神が引き寄せられて部屋に集まってきてしまう。
そのまんまにしておくと、治安の問題やらなにやらで大きな問題になるため、
厳選なる抽選で選ばれた神と、あと個人的な関わりを持った神と同居している。
政府が助成金を出してくれて、一介のサラリーマンには分不相応な広さの部屋借りることが出来ているものの、
一月に一柱のペースで政府は神を送りつけてくるからいずれは一杯になってしまうだろう。
そうなるとまた引っ越しをしなきゃならない。
ああ、面倒だ。
正直なところを言うとまだ眠かった。
今日は休みだからと昨日の夜に少し頑張りすぎてしまったのだ。
全身倦怠感に包まれており、数秒でも瞼を降ろすとそのまま眠ってしまうかもしれない。
「はい、どうぞ」
そんな俺にコーヒーが差し出された。
コールタールみたいな濃いやつだ。
軽く口に含むと、地獄のようにうんたらかんたら、人のようにうんたらかんたら。
「サンキュ」
ともあれ、巨大なハンマーで頭をぶっ叩かれたかのような感じで目を覚ますことができた。
多分嫌がらせなんだろうが、コーヒーを差し出してきてくれた神に感謝する。
「どういたしまして」
彼女はそのまま俺に背中を見せて、台所に立って朝食の準備に取りかかった。
一旦完全に目が覚めたものの、ただ座っているだけだとまたもや眠気が襲いかかってくる。
テレビでも見ようかと思ったが、こんな朝早くにテレビをつけたら、まだ眠っている最中のヤツが起きてきてしまうかもしれない。
中には寝起きがよくないやつもいるので、下手に起こして八つ当たりされたらたまったもんじゃない。
背後からドアの開く音が聞こえた。
振り向かずとも誰が出てきたのか分かる。
移動するたびに、シュッシュと鱗がこすれる音が聞こえるのだから。
「ヤーガミン、おはよー」
「ヤガミンって言うのやめろ」
出てきたのはラミっさんだ。
下半身が蛇、上半身が美女の神で『ラミア』とかそんな感じの名前がついている。
彼女には人間にとっての名前というものがなく、ラミっさんと呼んでいる。
昨夜同衾した相手でもある。
「それにしてもまだ早いぞ。もう少し寝てても問題ないぞ」
「ヤガミンがいない布団は寒いんだもん」
「ヤガミンは止めろ」
ラミっさんは低血圧ってわけじゃないが、寝起きがよくないタイプだ。
蛇だからなのか、それとも持って生まれた性質なのか。
神の中にも強い、弱いという概念が存在する。
大抵、持っている魔力が多いか少ないかで判断するのだが、俺の家に居るのはみんな強い神ばかりだ。
俺の部屋の居住権は恩賞みたいなもので、抽選権を獲得するだけでも、社会に多大に貢献していないと出来ない。
そして持っている魔力が多ければ多いほど、社会に貢献できるんだとか。
とにかくラミっさんはかなり強い神なので、重役出勤をしても文句を言われないらしい。
なので、いつもは俺が出勤するときには眠っている。
家主である俺はそんなこと出来ないというのに……なんだか悔しい。
そんなラミっさんがこんな早くに起きてくるのは珍しいと言えた。
早寝早起きに目覚めた、というわけではないらしいが。
「ヤガミンも、なんでこんなに早く起きたの?」
ラミっさんは蛇特有の動きで俺の膝の上に乗ってきた。
人の上半身を捻り、蛇の下半身を巻き付かせ、密着して耳元で甘く囁いてくる。
「平日だと思っていたんだよ」
ヤガミンと呼ぶのは、いくら言っても直さないようなので、もう構わないことにした。
ラミっさんの手が俺の肌の上を這う。
止めさせると怒るので、黙って我慢するしかない。
「ん、コーヒーがあるじゃない」
ラミっさんは俺の目の前に置いてあったコーヒーカップを取った。
わざと俺の飲み口に舌を這わせ、軽く口に含んで、思いっきり渋い顔を浮かべた。
「苦ッ……」
ダークエルフと呼ばれる種類の神……スターニャが、半ば嫌がらせで淹れた特濃コーヒーはラミっさんの舌には合わなかったようだ。
思いっきりしかめっつらを浮かべて、コーヒーカップをテーブルの上に置く。
「よくこんなもの飲めるわねぇ。口直し口直しっと」
「こ、こら、舐めるのはよせ!」
「イーヤ」
俺の首筋をぺろぺろと舐め始めた。
流石にこれはこそばゆい。
我慢ならないと、振りほどこうとすると、台所から凄い形相で睨んでくるダークエルフのスターニャがいた。
神達に好かれるというのは、恩恵も多いが、気苦労も多い。
神にも当然ながら色々な種類がいて、気のいいやつもいれば、ノリの悪いのもいる。
開放的なものもいれば、閉鎖的なのもいて、当然ながら嫉妬してくるのもいる。
ここに住んでいる神達が俺を綱にして年中綱引きやっているような状態だ。
その綱引きでどっちが勝とうと一番貧乏くじを引くのは、いつも俺だ。
首筋から鎖骨にかけて舐めまくっていたラミっさんを引きはがし、台所のスターニャのところまで行った。
ツンとそっぽを向いて拗ねた様子のスターニャを、背後から抱きしめる。
「……今、朝食の準備をしているんですから、邪魔なさらないでください」
片手を伸ばして、コンロの火を止めた。
ダークエルフなんて邪悪な種族のイメージが強いらしいが、実はそうではない。
少なくともスターニャは真面目で礼儀正しい……嫉妬深いが。
ハイエルフなる種族も存在して、それも俺の部屋にいる。
ハイエルフといっても、灰色のエルフというわけではなく、普通のエルフの上位種らしい。
普通のエルフより魔力が多いだけの普通のエルフなんだが。
ファンタジーの世界ではダークエルフとハイエルフは対立種である設定が多いらしい。
が、俺の部屋にいる二人は対立種どころか、仲良し二人組になっている。
そういえば、本屋からファンタジー小説やSF小説が消えて久しくなるのを思い出した。
現実がフィクションに追いついてしまったため、誰も見向きをしなくなったらしい。
早川書房涙目、と誰かが言っていたな。
俺とラミっさんが仲良くしていたことに拗ねていたスターニャも、
キスを一つしてやると調子のいいことに体重をこちらにゆだねてきた。
潤んだ瞳をこちらに向け、物欲しげに訴えている。
銀色の髪の感触が手に残り、薄目の胸を通して体温が伝わってくる。
はてさて、これからどうしようか。
目玉焼きの焼けるじゅーじゅーという音のせいか、空腹感を思い出してしまった。
スターニャに構っていると確実に朝食を食べるのが遅くなるし、
空きっ腹を抱えながら一運動しなきゃならなくなる。
だがここまでしといてやっぱりしない、というのはマズイ。限りなくマズイ。
いっそ何もしなかった方が数段マシだったろう。
しゃーない、我慢するか、毎度のことだ、と思ったとき、背後からラミっさんが迫ってきた。
「ヤーガミン。何してるのー?」
空気読め、とは言えない。
空気読んだ上で尚、やっているのだから。
ただ、ラミっさんが刺されないことだけを願っておこう。
「今日はスターニャの日じゃないでしょー」
「ラミっさんの日でもないけどな」
「んもう、ヤガミンのいけずー」
「はは、こやつめ」
完全にやる気が削がれてしまった。
もっともスターニャの方もそうらしく、ラミっさんを睨みつつ、俺の腕の中から抜け出してしまった。
「ん、スターニャ、悪いな」
誰も見ていなかったら……というかラミっさんが見ていなかったら、
手を出してもよかったんだが、今回はそうはいかなかった。
朝食の準備を再開しようとしていたスターニャに、せめてものお詫びをせねば。
スターニャの顎を人差し指で引き寄せ、驚いた様子のスターニャに口づけをした。
スターニャの長い耳もとで、そっと囁く。
「スターニャの日に埋め合わせするからな」
スターニャはそれで一応の納得をしてくれたようで、顔を赤く染めながら、こくんと頷いた。
照れ隠しなのかどうかわからないが、素早く跳ねるように動き、大型の冷蔵庫を開いて中の物を物色しはじめた。
その物音に気付いたのか、冷凍庫の扉が微かに開く。
中の雪女が寝返りでも打ったらしい。
雪女は自身の体をある程度自由に変化できる。
とはいえ、冷凍庫は窮屈だろうが、あいつが外に出てるとこの部屋は真冬の朝のような気候になってしまう。
そうなるとラミっさんを初め、寒さに弱い神がぶちぎれて乱闘を始め、その仲裁として俺がてんてこ舞いにならなきゃならない。
こればっかりはどうしようもないし、本人もこんな窮屈な目に合って尚、俺の部屋に留まることを選択した。
微かに開いた扉はすぐに内側から閉められた。
再び食卓に座る前に、スターニャが冷蔵庫から取り出した食品の品目を見て、
今日もまた朝にしては濃密すぎる食事を取らないといけないことを、悟ってしまった。
神に好かれる体質、というのは難儀なものだ。
好かれない体質の連中からはうらやましがられているが、
毎日神経を大根下ろしですり下ろしているかのような生活を強いられている。
家の中では家の中にいる神が、我先にと俺の関心を買おうと擦り寄ってきたり、わざと拗ねたりしているし、
家の外にいると、無数に寄ってくる。
警察の『神』対策課という部門の人がバックアップしてくれるもの、それでもやはり疲れる。
食事の前にトイレにでも行こうかと思って、戸開くと、閉じた便器の上に人形が置いてあった。
小さい女の子向けの着せ替え人形で、二本ある足の間にもう一本足がある。
『私、リカちゃん、一緒に遊びましょ』
「おい、フェアリー達、こいつを片づけろ」
こんなのにいちいち構ってられない。
フェアリーの巣の方から、俺の声とともに無数の妖精達が飛んでくる。
彼女らも俺の家の住民だ。
魔力は少ないが、家事なんかを率先してやってくれるため、俺の家に住む資格を得た。
「わーい、リカちゃんだリカちゃんだ!」
「足が三本あるよー! 綱引きしよ、綱引き!」
『ちょっ、まっ、やめ、やめなさいよあんたたち! そんなとこ引っ張られるとちぎれるッ! ちぎれるってば!』
あっという間に三本足のリカちゃん人形はフェアリー達に群がられ、持ち上げられて運ばれていった。
よく見てみるとトイレの小窓の網が破られている。
ネズミ一匹がぎりぎり入れるような穴で、恐らくこの網を破って入ってきたのだろう。
小さい神が入ってこないように特別に作られた網を破るなんて相当苦労したんだろうが、
フォローする気には全くなれない。
遠くでリカちゃん人形の悲鳴が聞こえる。
窓からぽいと捨てられたんだろう。
……せめて足がちぎれなかったことだけは心配しておいてやろう。
まあ、あの種の神は多少体がバラバラになろうとも問題ないだろうがな。
やれやれどっこいしょ、と便器に座ろうとしたとき、フェアリーが一匹残っているのに気が付いた。
彼女は俺と目を合わせると恥ずかしそうに空中でもじもじしていたが、小さな声で言った。
「か、紙……お切りしましょうか?」
「いらん。とっとと出てってくれ」
フェアリーにしては珍しいほど恥ずかしがり屋の彼女で、俺にこんなことを切り出すのに相当な勇気を使ったんだろう。
が、このトイレという空間は、狭いけれども唯一俺が一人になれる聖域だ。
例えフェアリーといえど、侵入を許すわけにはいかない。
やたら重い朝食を終えて、ソファーで休んだ。
起きてきた神が集まって、俺を取り囲んでいる。
人型のものから、小型のものまで、多種多様な神がひっついてくる。
ラミっさんもスターニャも一緒だ。
うざったいにも程があるが、邪魔だ、どけ、と言ったところでどくような神じゃない。
彼女らは政府から俺の体に触れる権限を得ているのだから。
本当に俺が嫌なことは流石にしてこないが。
膝の上には一匹の猫が寝ている。
といっても本物の猫ではない、神だ。
所謂猫娘というヤツ。
猫娘、と一言でいってもその種類は多い。
行灯の油を舐めているようなものもいれば、猫人間みたいなそんなのもいる。
うちにいるのは、普通の猫に変化できる、猫の耳と尻尾を持った体操服とブルマーを着た少女型猫娘だ。
発狂しているとしか思えない格好の猫娘だが、やはり力は強い。
俺の膝の上という特等席に寝て、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
今日は彼女の日なので、誰も文句をいう神はいない。
羨ましそうに見ている神はいるが。
と、突然電話が鳴った。
猫娘は不満げに立ち上がり、ととっと音を立てて地面に着地する。
俺が一歩歩くたびにちょろちょろと寄ってきて、歩くのに非常に邪魔だ。
受話器を取って、耳に当てる。
「はい、八神ですが」
『私、メリーさん。今駅前に……』
嫌な予感がしていたが、まさにその通りだった。
受話器を電話に戻し、横に備え付けてある、プッシュボタンの一切ない電話を取る。
「もしもし、メリーさんから電話があったんですが」
こちらから名乗ることはしないし、向こう側の声も聞かない。
無駄だからだ。
日本で最も神に愛されている俺は、何かと神絡みでトラブルに合いやすい。
であるために、警察の『神』対策課への専用直通回線が家につけれている。
多い日には、数十回も電話をするので、向こうもこちらも互いに分かっているのだ。
電話をかけるとき、かけられるときは互いに事情を察している。
『はいはい、メリーさんね。で、どこにいるって言ってた?』
「駅前……多分、次はうちの地区の一丁目あたりじゃないかな」
電話を受け取った人の声を聞いて、ナッコさんだとわかった。
ナッコさんは俺の幼なじみというやつで、普通の人間だ。
夏子という名前があるが、昔からの付き合いでナツコではなくナッコと呼んでいる。
『神』対策課に勤めており、何の因果か、彼女は俺の担当になっているらしい。
最も二十四時間電話の前にいることはできないので、他の人が電話に出ることもあるのだが。
『わかったわ、早速手を打ちます』
「いつも悪いね」
『これが仕事だもの。それに、あなたが悪いわけじゃないでしょ』
「今度何か奢ってやるよ」
『あなたと私の立場からいうと、そういうのはあまり喜ばしいものじゃないんだけど』
「個人的な付き合いで、だよ」
『例えそうであっても、今頃あなたの周りにいる方達に刺されるようなことはお断りだわ』
人並みの結婚というのは俺には出来ないようだ。
義母というレベルじゃない姑達が大量にいるのだから、普通の人間の精神には耐えられまい。
例え、神と結婚したとしても……法律上では神との結婚は出来る、今のところ前例はないが……
いかに強い力を持った神とはいえ、徒党を組まれたらどうしようもないだろう。
ま、神と結婚する気はさらさら無いんだが。
ナッコさんとの電話を切り、再びソファーに座る。
面白くもないテレビを見て、無為に時間を潰す。
膝の上にはさっきの猫は乗っておらず、代わりにネコミミをつけた少女が頭を乗せて、気持ちよさそうにしている。
軽く頭を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らして、機嫌がいいことをアピールしてくる。
なんだかんだいって猫娘の日は楽でいい。
ゆとりがあるというか、俺にくつろぎの時間をくれる。
みんながみんなこうであったらいいのに、と思うが、それは適わないわけで。
再び電話が鳴り響いた。
今度は専用直通回線の方の電話だ。
取るとナッコさんが出た。
『配置、終わったわよ。メリーさんは通常は不可視状態にあるから……』
「電話をかけてくるときだけその姿を見せる、だろ。
メリーさんに自宅に迫られそうになったのは一度や二度じゃない、わかってるよ。
電話がかかってきたら……」
ちょうどそのとき、普通の電話が鳴り始めた。
「知らせればいいんだろ。ちょうど今電話がかかってきた」
『ん、わかったわ。……ちょっと待っててね』
数秒の間を置いて、再びナッコさんが言った。
『オーケー、受話器を取って頂戴、姿を見せた瞬間に御用だからね』
「はいはい」
既に持っている受話器を首に引っかけ、普通の電話の受話器を受け取る。
猫娘が満面の笑みを見せて渡してくれた。
『私、メリーさん。今、一丁目に……あー、すいません、「神」対策課の者ですが。
ちょっとお話を聞かせてもらっていいですか?』
メリーさんの声の後に、男の人の声が聞こえてきた。
どうやら捕まえることに成功したらしい。
声が遠いのでよく聞こえないが、数人の警官に囲まれているらしく、ざわざわとしている。
『八神 雄さんですよね?』
「あー、はい、そうです。お仕事、お疲れ様です」
電話を成功させてしまうとメリーさんは再び不可視状態になるので、携帯電話をもぎ取ったようだ。
二、三、定例の決まり事をしてから、通話を終了した。
今日はもう既に二回、神の襲来があったわけだ。
全盛期に比べ、かなり減っているとはいえ、俺はあとどのくらい耐えればいいのだろう。
神は、今も尚、世界中で少しずつ増加している。
ウンガロ現象は、あと数年の間続くと言われている。
そろそろいい加減うんざりというか、最初の一ヶ月でげんなりなんだが。
はあ、と溜息をついていると、俺を見上げる二つの金色の瞳に気が付いた。
目と目が合うと、向こうはすっと細くなり、うにゃーんと一声鳴いた。
ろろろと喉をならしつつ、その喉を俺の服の裾にすりつけてごしごししはじめる。
邪魔なことこの上ないので、袖を引く。
猫娘は喉をこすりつけられないことに不満の意を表してきたので、変わりに頭を撫でてやった。
気持ちよさそうに目を細め、頭を手になすりつけようとぐりぐりしてくる。
その場でずっと立ってるのもなんなので、再びソファーに座り、猫形態に変化した猫娘を膝に乗せて撫でているときだった。
来訪者を告げるベルが鳴った。
うちは同居人がめっさ多いため、ベルにもいくつか種類がある。
宅配や回覧板などのものから、俺宛、何かと知り合いの多いラミっさん宛……と、全部音が違うモノになっている。
今回鳴ったのは俺宛のものだった。
ここの家主は俺であるものの、実のところ俺宛の来客は少ない。
前はそれなりに部屋に呼ぶ友人なんてのもいたが、
今ではうちの神達が「早く帰れ」オーラを発しまくるので誰も来なくなってしまったのだ。
「なんか今日は邪魔が入りっぱなしだなー」
猫娘の首筋を撫でつつ言った。
うちの猫娘は俺に優しく、まあ気にすんなよ、と言うかのようににゃあと鳴いて、膝から降りた。
四足で着地し、玄関へ赴く俺の背後をアヒルのおもちゃのようについてきた。
「はいはい、どなたですか、と」
玄関の戸を開けた。
ここは魔力を使ったセキュリティがあり、それが中々高性能なのだ。
神に好かれる人間というのは、その地域にとって有益な存在となる。
力を持つ神は、魔力供給の他にも多くの方面で使い道があるらしい。
何かと物騒な世の中、俺を拐かしてやろう、と考える不逞の輩がいないとは限らない。
そのため、万全なセキュリティーが用意されているのだ。
魔力を用いたバリアーのようなものがこの建物一帯に張られており、
俺に対して害意を持つものは誰も入ることが出来ないようになっているらしい。
まあそれでなくとも、強力な神に囲まれた俺に手を出そうなんていう命知らずはいないだろうがな。
「……あれ? いな、い?」
玄関の外には何もいない……と思ったら上着の裾を引っ張られた。
視線を下に向けると、俺の腰ほどの高さしかないおかっぱ頭の少女がいた。
くりくりした瞳で俺のことを見ている。
『神』だった。
所謂、座敷童と呼ばれる類のだろう。
和服を着ており、まるで空気であるかのように気配を感じることができない。
うちには政府の認可がないと入れないんだよ、と言おうとする前に、その子は無言で懐が一通の封筒を取り出して渡してきた。
俺が毎月見ている封筒で、政府が発行したもののようだった。
中身は見てないが、封筒には見慣れた役所の名前が書かれているので一目でわかった。
内容を見るのはもうウンザリしているので、玄関の靴箱の上に適当に放っておく。
戸を広く開いて、座敷童を招き入れ……ようとしたらもうとっくに入っていた。
興味深そうに家の中をきょろきょろ眺めながら奥に進んでいってる。
座敷童はそういう種類なのか、気配が何故か全く感じられない。
足音もなにも全く聞こえず、見ていないとそこにいるかどうかが全くわからないのだ。
なんというかまあ、これから少し心臓に悪い生活を送らされそうだな。
いや……うちはものすごくにぎやかだから、気配のしない座敷童は極めて影が薄い存在になるだけだろうな、多分。
「おい、こらこら、勝手に入ってくと危ないぞ、色々と」
座敷童はひょいと物置のドアを開けて入っていった。
物置には、薬箱やティッシュ箱の買い置き、古新聞なんかが積んである他にフェアリーの巣がある。
なんでまたそんなところに入り込もうと思ったのか……とにかく、勝手に動き回られて面倒事を起こされるのは困る。
座敷童を追いかけて物置の戸を開けると、案の定面倒事を起こしていた。
座敷童はふたのついた木の箱に上半身を突っ込んで、外に出ている足をばたつかせている。
箱はただの箱ではなく、歴とした神だ。
ドラクエでお馴染み、ミミックと呼ばれる種族で、欲の張った人間が箱を開けたらがぶりと噛みつかれる。
以前は侵入者用のトラップとして用いていたが、今となってはミミックに引っかかる間抜けはいないので物置に仕舞っておいたのだ。
座敷童は人間ではないが、うっかり開けたミミックに噛みつかれたようだ。
「それは食べるな、うちの新しい家族だから」
あまり頭がいいとは言い難いミミックではあるものの、犬並の知能はある。
俺がぽんぽんとふたを叩いてやると、ミミックは座敷童をくわえ込む力を緩めた。
座敷童の暴れている足を掴み、引っ張ると、ミミックの中から上半身が出てきた。
ミミックの唾液まみれであるものの、怪我などはなかったようだ。
怖かったのか、座敷童は細い目に涙を溜めて、俺の体に抱きついてきた。
軽く頭を叩いてやり、宥めてやる。
「はいはい、大丈夫だよ、もう大丈夫」
いつの間にか猫娘が来ていて、座敷童の背中をぽんぽんと叩いていた。
俺と目が合うと、嬉しそうにうにゃーんと鳴いて、またぽんぽんと座敷童の背中を叩いた。
座敷童はミミックの唾液まみれになり、そして俺もその座敷童に抱きつかれたため、服がべとべとになってしまった。
だから、風呂に入ろうと思ったわけで、ちょうどいいので猫娘も風呂にいれることにした。
「ふにゃーっ! ぶにゃーッ! にゃにゃにゃーッ!」
「ほらほら、年貢の納め時だよッ!」
俺一人で座敷童の面倒を見つつ、猫娘を風呂に入れるのは不可能なので、ここは一つ他の神に手伝って貰うことにした。
アメリアという名前のハイエルフだ。
スターニャと仲のいいエルフの上位種で、気っ風のいいお姉さんである。
年齢は不詳だが、そもそも人間とエルフの年を比較することは馬鹿馬鹿しいことなのでやめておく。
アメリアは透き通るかのような白い肌を惜しげもなく晒している。
今更恥ずかしがる間柄ではないが、これがスターニャだったらもうちょっと恥じらいというものを感じていただろう。
アメリアはお風呂椅子に座り、豪気に足と足を開いて、お風呂嫌だお風呂嫌だと暴れまくる猫娘を押さえつけて、泡だらけにして洗っている。
猫娘の風呂嫌いはこの家に住むものなら誰でも知っている。
毎回毎回、猫娘が暴れて騒ぎになるのだから、気付かない方がおかしいほどだ。
泡まみれのまま風呂場から逃げ出して、大捕物になったことだってある。
俺は頭に手ぬぐいなんかを置いて、膝の上に座敷童を座らせ、悠々と風呂を楽しんでいた。
座敷童は風呂好きのようで、少し熱めの風呂に文句も言わず入り、好きなようにリラックスしている。
「にやーっ、やっやっや、にゃああああああ!」
猫娘の断末魔と共に、手桶に入ったお湯が溢れる音がした。
何度かそれが繰り返されると、猫娘の声が消えた。
視線を向けてみると、ぐったりとした猫娘を抱えたアメリアが立っていた。
こちらからは風呂から見上げるような形なので……その、なんだ……本来隠すべき場所が惜しげもなく全開になっている。
「ほら、このバカ猫を洗ってやったよ」
「サンキュ」
アメリアが入るスペースを確保するために、少し寄った。
こんな大所帯であるがため、風呂は特別大きく作られている。
五人までなら同時に入っても、それほど窮屈ではない大きさだ。
アメリアの白い足が、風呂桶に張られたお湯にとぷんと浸かる。
そのまますりすりと、俺の近くに寄ってきて、そこで腰を下ろした。
直後、我に返った猫娘が絶叫して暴れ始めた。
耳がつんざけそうな高い音が発せられて、お湯がばしゃばしゃと跳ね上がる。
アメリアががっちり掴んでいたため、浴槽から逃げられないが、非常にうるさい。
「こら、このバカ猫、ちゃんと入れ!」
「ぶにゃにゃにゃにゃーん、にゃあああああああ!」
猫娘はアメリアの手を振りほどくことは不可能と悟ったのか、今度は逆方向に進んできた。
わっと俺に飛びかかり、体を猫に変化させて、俺の頭の上に乗り上げてきた。
「にゃああああッ!」
ここで終わり