人生堂々巡り 聖獣シナリオ

 たまに前回の人生をうまく思い出せずに召喚されるときがある。
 全くの無垢だった『初回』のときのように、今まで経験してきた記憶が全く無い状態でトリステイン魔法学院に現れる。
 その回は、とても楽しいのだが、終わった後、全ての記憶が蘇るととてつもなく死にたくなる。
 「ああ、いい人生を送ったなあ」と逝ったのに、良くも悪くも『平凡』な人生だったときのショックはひとしおだ。
 あまりの感情の落差についていけずに、召喚直後に塔から身投げコースはもはや定番といえる。

 ただ、今回はちょっと違った。
 記憶が曖昧だ、といっても、ほとんど覚えている。
 前回の人生の最後が、どんなものだったかが、中々思い出せないだけだ。

 

 

 

「あ……あの、サイト様? だ、大丈夫ですか?」

 物思いにふけっていたせいか、目の前の少女を不安がらせてしまったようだ。
 いかんいかん、と思いながらも、前回の人生のラストがどんなものだったかを思い出そうとするのはやめない。

「いや、大丈夫。ちょっと考え事をしていただけだ」
「そ、そうですか、すいません、邪魔、しちゃいました」
「別にいい」

 首を大きく持ち上げて、月の二つある空に目を向けて考えていたおかげか、段々と思い出してきた。
 確か、俺は前回、トリスタニアのマフィアのボスになったんだ。
 カジノを牛耳り、金と暴力に物を言わせ、貴族からは金をむしり取り、平民からは金をむしり取った。
 ガンダールヴという腕っ節に、養ってきた組織掌握術でライバルを蹴落とし、トリスタニアの裏の世界の頂点にまで上り詰めた。
 そして、その最後は……。

 うん、脇腹に短刀をぶっさされて死んだんだ。
 さて、下手人は俺に破滅させられた平民か、それともライバルの組織の鉄砲玉か。
 今となってはそれを知るのは難しいし、知ったところでどうにかなるわけじゃない。
 知りたくなったら、もう一度あの人生を再現してやればいい。
 そこで、カチ込みにきたやつをとっつかまえて吐かせれば、はっきりするだろう。

 が、今回はそれが出来なさそうだった。
 所謂、『人生リセット』の中でも、シチュエーションが普段とは異なる『特殊回』だったからだ。
 しかも、今回は中々のレアケース。
 ルイズ以外の人間に召喚されたとか、ルイズに召喚されたけど俺の体に右足と右腕が何故か無かったとか、そんなちゃちい変化ではない。

 慣れない体感覚を動かすと、背中の翼がゆっくりと動いた。
 なるほど、この筋肉を動かすと、羽が動くのか、とまた一つ学習しながら、俺の足下にいるルイズを見た。

「今日はもう帰りなさい」
「はっ、はい! わ、わかりましたっ!」

 ルイズは一礼をすると、逃げるようにすたこらさっさと退散してしまった。
 そりゃあ無理はないだろう。
 大貴族の末女として生まれ、プライドとコンプレックスの塊であるルイズにも頭の上がらない人間がいる。
 両親姉妹と王女様、それと新たに俺という存在が加わった。

 すっかり長くなってしまった首を動かし、自分の体を見た。

 白銀に輝く鱗がびっしりついている。
 いや、別に俺がマグロなんかの大型回遊魚と添い寝をしたわけじゃなく、鱗は鱗でも自前の鱗だ。

 首の長さまで含めればざっと三十メイル超の大型のドラゴンだ。
 所謂韻竜とか言われる種族らしく、その種族の中でも体が大きく、見事な鱗を纏っている。
 自画自賛になってしまうが、すごくイカしている。

 気がついたときには、トリステイン魔法学院はあちらこちらで悲鳴やらなにやらが飛び交い大変だった。
 聖獣が召喚された、とコルベールは腰を抜かすし、ルイズは気絶するし、俺が一番驚きたいのに外野ばかり大騒ぎしていた。

 すったもんだをしているうちに夜になり、とりあえず足下で色々と五月蠅いやつらを追い払うために、召喚された直後だから眠い云々と言って追い払った。
 一声不機嫌さを醸し出せば、周りの連中は有無も言わず散ってくれるのは、聖獣……本当に聖獣なのかどうかはわからないが……としての特権の一つだろう。

 最後まで残っていた召喚主のルイズも立ち去り、ようやく一人になれた。
 ここは学園の外だから、学園の中庭とは違い、人目を気にすることはしなくてもいい。

「さてと……」

 さっき気がついた『翼の動かし方』を再現してみる。
 最初は弱々しく翼が動いていただけだが、感覚に慣れるとどんどん力強く羽ばたくことができた。
 それと同時に、多分翼を動かすことによって生じた魔力が足場となって、ふわりと体が浮いた。
 フライの魔法とはまた少し違った浮遊感に身を任せ、段々と高度を上げていく。
 最初はふらふらと姿勢を保つことができなかったが、五分も滞空していれば自然と制御方法がわかってくる。

 中々、乙なものだった。
 空を飛ぶこと自体は初めてじゃないが、こうやって自前の翼で空を飛ぶのは初めてだ。
 心地よい感覚に身を任せていると、どこからともなく青い竜がやってきた。

「るーるる、るーるる」

 歌うように鳴きながら、俺の飛行に合わせて飛んでくる。
 なんだか生意気だな、と思いつつも、彼女の飛行の仕方を見て真似しながら、合わせる。

 

 三十分ほど、即席な上、飛んでいるのが二人……二人? いや、二体かな? 二体の編隊飛行をし続けた。
 そこに縛るものは何もなく、本当に自由だった。
 重力にすら囚われない時間がここまで心地いいものだったとは知らなかった。
 いや、決して無重力がいい、って言っているワケじゃない。
 無重力はそれはそれで非常に居心地が悪いものだからだ。

 とまあ、なんだか色々とセンチメンタルなことを考えていた。
 が、不意に別のことも頭の中によぎった。

 今回の俺は所謂『聖獣』とか呼ばれる存在になるんだろう。
 少なくとも見た目は白銀の鱗を纏った美しい竜だ。
 体の中に渦巻く力も、相当なものになっている。
 多分、今回の方針として、割り当てられた役割を演じるつもりだが……本当に聖獣としてだけの行為しかできないものだろうか。

 俺の意思通りに動かない体ってのはたまに遭遇する。
 元になる人間の意思が残ったまま、俺の意思が召喚されてしまったとかそんなところだが、ごく稀によくわからない規制がかかっているときがある。
 目当ての女性を落として、見事にゴールイン、ベッドの前でさあどうぞ、というときになると何故か体が止まる。
 何故かどの相手でもいざ性行為に挑もうか、と思うと俺の意思に反して全くからだが動かなくなるときがあった。
 どういう原理でそうなっているのかわからないが、ごく稀にそういった特殊回が存在する。

 だから、今回もそうかもしれないと思った。
 とはいえ、この現象は極めて目に見づらいものであり、見極める方法なんてない。
 ただ単純に、『とりあえずやってみる』というのが、後々、意中の女性に背後から刺される、などという悲劇を回避するための手段でもある。
 今回は聖獣なんてけったいな代物になっている特別な特殊回なので、とりあえず調べておこう。

「?」

 ぐおお、と高度をあげ、スピードを上げて青い竜の上へと飛ぶ。
 青い竜は俺との空のかけっこを楽しんでおり、ツーといえばカーという動きを望んでいた。
 なので、予測していたところに俺の姿がなくなっていたことに気づいて、首を左右に振り、俺がどこにいるか探していた。
 そんな青い竜の上に、俺は思いっきり飛びかかった。

 

 

 

「んー……もう朝か」

 何戦か後に、青い竜からちょっとした魔法を教わった。
 貴重な経験ではあったものの、長いこと慣れ親しんでいた肉体が恋しくなったので、人間に変身する魔法を使った。
 銀色の鱗はなくなり、肌色の皮膚がかわりに肉と骨を包み、二本の腕と二本の足を持った体だ。

 当然のことながら、人間に変身する魔法はあっても、服を出現させる魔法はなかったので裸である。
 といっても、服を出現させる魔法はそもそも今回に限っては不要なものだったので、問題ない。

 俺の身近にいる傾向が強い人の中ではやや平均値より上の肉体を敷き布団にしたまま微睡んでいた。
 瞼を貫通する強い光が意識を呼び起こしてくる。

 人の姿をとっていても中身は大型のドラゴンなので、疲れなんて全く感じていない。
 が、肉体的には確かに疲労していないものの、気分的に気怠さを感じていたい。
 より簡単に言えば、情事の後の一時を長く味わいたいだけだ。
 とはいえ、この心地よい感覚を無理矢理打ち切って、後ろ髪を引っ張られる気持ちになるのも悪くはない。

 のそのそと体を起こそうとすると、ぐいと体を引っ張られた。
 首の後ろに回された手が、思いの外、力が強く、起こそうとした体がまた落ちる。
 と同時に、俺の口の中を不作法で無遠慮なものが潜り込んできた。
 それはとても乱暴で、たおやかさなどこれっぽっちもなかったが、俺はそれに答えてやった。

「んっ、ふっ……これ、好きぃ」

 どこか寝ぼけているような呂律の回らない言葉を、これまたしまらない声でつぶやいた。
 芝がついた青い髪をぼさぼさにして、ちょっと頭がかわいそうに見える、にへらっとした笑顔を見せてきた。

「こぉんな気持ちいいことがあったなんて知らなかったわ。 お姉様に教えてあげようっと」
「いや、それはやめておいた方がいい」

 面倒臭いことになること請け合いだ。
 それに、教えるのは、俺がしたいことでもあるし。

 

 ……。

 

 あ、やば。
 人形態でなく、竜形態であの華奢なタバサを組み伏す想像を一瞬してしまった。
 しかもそれがものすごく扇情的で、興奮する絵で浮かび上がってきたので始末に負えない。
 考えてしまったら、実行せざるを得ないじゃないか。
 まあ、今すぐってわけにはいかんだろうが。

 再び元気を取り戻してしまったモノを、目の前の女がぎゅっと握りしめてきた。
 握力で痛い……と言いたいところだが、竜になったことによる肉体の強靱さの上昇はこんなところにも影響があったらしい。

 それが良かったか悪かったか。
 薬を使わず精力倍増になったのはよかったことだが、この辿々しい手つきからもたらされる痛みはそれはそれで乙なものだ。

「ふふっ、また元気になったのねー」

 まだまだ世間知らずの面が強く、すれていない無垢な笑顔を浮かべている。
 彼女を抱いた過去の人生の、色々なシーンがハイライトで思い出す。
 幸せに満ちたときもあったし、不幸しか無かったときもある。

 今回は、離ればなれになった後、再開した場所が娼館だったということはないだろう。
 少なくとも、そうはならないように最低限の努力はするつもりだ。
 何、やることはシンプルだ。
 とりあえず、まず手始めに、自制心というものを見せつけようか。

「いや、そろそろ帰る」
「えー、まだまだやろうよっ!」
「腹減った」

 同時に、きゅるきゅると音が鳴った。
 どうやら目の前の女もそのことを思い出したのか、お腹を触れた後、あははっ、と笑った。

 くきくき、と首を動かした後、体を上げた。
 今度は引き留められることはなく、真っ直ぐ立てた。

 陽光に照らされた全裸の男、というのは絵にならない。
 別に筋肉隆々というわけではないし、美形というわけでもない。

 脇に巨大なものが落ちた跡が残る草原の中で、思いっきり足を動かした。
 風が体を切るものの、丸出しのモノがぷらんぷらんと揺れるから、尚更に絵にならない。
 ただ、軽く踏み切って飛び跳ねた一瞬後、銀色のドラゴンになって空に羽ばたくのはちょっと絵になったかもしれない。

 空高いところで見る陽光は、確かに輝いていた。
 空の上の山吹色の大気の中を、何度か旋回を繰り返していたら、青い竜も後を追ってきた。

「んー、綺麗だねっ」
「そうだな」

 俺もそう思っていたので同意したら、青い竜はけたけたと笑った。
 何がそんなにおかしいのか、と聞いたら、青い竜はこう答えた。

「お日様のことじゃないよ。
 お日様の光で、あなたがきらきらぴかぴかしているのがきれいなのね」

 一瞬呆気にとられたモノの、自分の姿を見直してみると、確かに陽光の光を銀色の鱗が反射して、きらきらと光っていた。
 朝焼けの黄色味のある光が、黄金のように見えて……。

 なんだか急に気恥ずかしくなって、学院に向かって飛び始めた。
 青い竜は俺に聞こえるような声でけたけた笑いながら、俺よりも小さい体を擦りつけるように飛行してきた。

 

 

 

 ……。

「ごめん、ごめんね、サイト……」

 自分で自分の肉体が致命傷を負ったことがわかった。
 多分、ルイズのエクスプロージョンの直撃を受けたんだろう。
 傷だらけの銀の鱗と肌には痛みがないことから考えると、ルイズはこれまでにないほどの集中力でもって、俺の心臓を正確に消滅させたことが推測される。
 いやはやすごく成長したもんだ。
 謎の追尾性能を持つ地対空ミサイルの直撃を受けても、精々破片が腹に食い込む程度だったのに、虚無の魔法は一発で致命傷を与えてきた。
 ピンポイントに心臓を消滅させる正確性もさることながら、魔法に抵抗力の強い鱗を貫通してのエクスプロージョンの発動は相当な魔力コントロールが必要 だったはずだ。

 完全に油断していた。
 今回に限って言えば、ルイズがまさか俺を殺すはずがない、と信じ切ってしまったからだ。
 少なくとも、俺は聖獣と呼ばれるに足る振る舞いをしてきたし、ルイズには忠誠を示してきた。
 だから、やられるはずがない、と。

 ルイズがシャットダウンしてきた感情が、使い魔のルーンを通して伝わってきた。
 そこには深い悲しみと、悔恨の思いに溢れている。
 口を動かして何かを言おうとしたら、声の替わりに大量の血液があふれ出てきた。
 どうやら心臓に加え、肺も損傷しているようだ。

『いや、いいんだ、ルイズ』

 気管が血で溢れてしまったから、致し方なく発声ではなく使い魔のルーンを通して声を掛けた。

『事情はわかった。
 俺が死ななきゃ結局のところ元の木阿弥だというのなら、死ぬのが筋ってもんだろう』
「だけどっ、だけど……あなたはこの世界を救ったじゃない」

 心臓を消滅させられても、無駄に生命力溢れるドラゴンと呼ばれる生物は中々死なない。
 苦しくて苦しくてしょうがないのに、楽になれないというのは非常に辛い。
 とはいえ、これよりも辛くて惨めな死は沢山経験してきたし、最後に俺が殺される理由と悲しむ人がいるなら、むしろ恵まれている方だ。

 幾重にもかけられた守護魔法があるにもかかわらず、最後にはぼろぼろになってしまったルイズは、ぼろぼろと涙を流しながら、俺の頬にそっと触れた。

「なんで、あなたが死ななきゃいけないの……」
『他のやつらもみんな死んだ。俺だけ生き残るわけにもいかないだろ』
「あなたは、生き残ったじゃないッ! 最後の最後まで戦い続けて生き残ったんじゃない!
 絶望的な撤退戦で味方を助けるために命を散らしたヴィンダールヴも、異世界人から鹵獲したキノコ雲爆弾で鉄のゲートを破壊したミョズニトニルンも、戦い の中で死んだけど、あなたは……最後の最後まで……生き残ったのに……」

 どうしようもないことに対する怒りと悲しみを感じる。
 他の使い魔は、名誉ある死だったのに、俺が戦いの中で死ななかったので、自分の手で殺さなければならなかった、ということにショックを受けている。
 やらねばならないことは承知していた、が、承知していることと納得することは全く別物だ。
 ルイズは実際に口に出した言葉以上に、心の中で絶叫し、精神の崩壊寸前までに至っている。

 非常に情けない話だが、こういった状況に陥ったことは何度もあるが、それでも尚、このときにルイズにかける言葉は見つけられていない。
 ただただ、気にするな、俺のことは忘れろ、以上に適切な言葉はわからない。

 どうせ次があるし、とか、次の回は平凡な回になるのかな? だったら塔から即落ちコース確定だな、とかそういった感情はシャットダウンしながら、今俺の 感じている感情をそのままルイズに送信した。
 より一層ルイズの泣き声が大きくなっただけのような気もしないでもないが、まあ何もしないよりかはマシだろう。

 段々と頭の中が霞がかり、世界が白くなってきた。
 最後の力を振り絞り、首を上げた。

 全く、今回は世界は地獄になってしまった。
 ゲルマニアの首都は消滅したあげく、未だ重大な放射能汚染状態にあるし、トリステインは国家そのものが崩壊してしまった。
 アルビオンは突然出現した鉄のゲートからやってきた日本語ではない地球語をしゃべる人間達に資源を掘り尽くされ、土地そのものを浮遊させている風石の量 が激減して、数年か数十年後には落下する有様だ。
 他の国も似たり寄ったりで、まあ、以前のような状態に戻るのには長い年月が必要だろう。
 もちろん、元に戻らないものもたくさんある。

 ごぼごぼと口からあふれ出た血が、ルイズに降りかかった。
 ルイズは血まみれになりながらも、決して俺から目を背けようとはしない。

 言いたいことはたくさんあったが、残念ながらもう言うことは出来ない。
 気管に詰まった血を全てはき出すまでの時間が足りないからだ。
 だから精一杯、半分くらい次の回に足をつっこんでいる心で、ひたすら念じることしか出来ない。

『少し、疲れた。
 思えば、聖獣だのなんだの言われていたけど、戦うことしかしてなかったな』

 何故か笑いがこみ上げてきたが、口から血がぶしゅぶしゅとはじけ飛ぶだけで笑えなかった。

『うん、少し、疲れたから、悪いが先に眠らせてもらう。
 何、目が覚めたらまた会えるし』

 そろそろ首を上げている力もなくなった。
 ルイズを下敷きにしないように、首を地面に横たわらせる。

『おやすみ、と言ってくれ、ルイズ』

 キザっぽいとは思うが、今この状況で気障っぽく振る舞わなければ、いつキザっぽい振る舞いをしたらいいのか。

「……おやすみなさい、サイト」

 泣くことしかしていなかった血まみれのルイズは、俺の最後の頼みを聞いてくれた。
 それがあれば、今回の人生は満たされたものだったと言うに足る。

 俺は何も見えなくなった目を、瞼で覆った。

 

 

 

「あんた、誰?」

 突き抜けるような青い空、桃色のブロンド、眠くなるようなお決まりの台詞。
 瞼を動かし、目で世界を見回す。
 なんだ今回は平凡な回か、とため息を漏らしつつ体を起こす。

「あ、ちょっと、あんた、どこいくの!」

 火の塔だよ、と言うのにも飽きた。
 胸の奥で渦巻く感情を処理するには、これが一番なのだ。

 いい人生を送った後は、とてつもない感情が生じる。
 ただし、それに涙を流すことができない。
 今まで何度も何度もいい人生を送った結果、この感情の高ぶりに慣れてしまっているからだ。
 慣れてしまって涙を流すことができないことが、とてつもなく悲しい。
 この悲しみはいつまで経っても慣れなくて、この悲しみを消すためには、何の変哲のないつまらない人生を送って、上書きするしかない。

「待ちなさいってば!」

 ふと、気まぐれに振り返ってみた。
 すると、何か違和感が。

 

 周りの人間のほとんどが見慣れた顔はなかった。
 流石に何度も何度もやり続けた結果、見たことのない顔はなかったが、見慣れた顔ではない。
 どういうことか、と考えて見て、ルイズにも何か違和感があることに気がついた。
 主に胸が……いつも通りふくらみかけ、という感じではあるものの、それでもいささかルイズらしからぬ自己主張があるような、ないような……。

「……カトレア?」
「私の名前を知ってるの?」

 少し目を見開いた。
 確かに、カトレアだ。
 だが、大体のカトレアはこんな格好をしていない。
 大抵、俺が普通通りに召喚された回では、もう少し年上だったはずだ。
 となると、カトレアが俺を召喚するときのルイズと同じくらいの年齢のときなわけであり……。

 

 ふと、前回の人生で、ルイズを庇って凶弾に倒れたカトレアの姿がよぎった。
 普通、前回以前の人生に『引っ張られる』ってことはないんだが……。

「いや、まあ、有名だから……」
「無能で有名だって言うの?」

 カトレアはまるでルイズみたいな余裕の無さで、俺を睨んでいた。
 本当は火の塔から人生を終わらせるための、十秒もかからない旅をしたいんだが……もうちょっと、頑張ってみようかと思った。