黒に近いほど濃い青から鮮やかな紅色にフラスコの中身の液体が変わるのを見届けると、大きく伸びをして、火を止めた。
数日かけて作り上げた魔法薬が完成したのだ。
あとは、この薬をテストして、その結果として出た数値をメモして、学会に送る資料をまとめれば終わりだ。
うーん、と唸って体を伸ばす。
腰の骨がコキコキと小気味よい音を鳴らし、心地よい。
ややサイズが大きすぎる白衣をたぐり寄せ、研究室の隅に置いてあるお気に入りの椅子にどっと座り込んだ。
「またハルケギニアの水魔法の歴史を二十年早めてしまった……」
以前では治療不可能とされていた、先天性の病理を取り除くことのできる治療薬だ。
本来ならば、今から七十年後に作製されるはずの治療薬である。
カトレアが患っていた病気が、これで治る。
まず、この薬単品をヴァリエール家に高額で売りつけよう。
何せ今回のこの薬を開発するのに、モンモランシ家が傾くどころかぶっつぶれてもおかしくない費用がかかった。
ただ、親の金には手を付けず、今まで作り上げてきた薬の方の売り上げでまかなったから実際に家が潰れることはない。
とはいえ、今の懐の状況が寂しいのもまた事実。
ヴァリエール家に薬と恩を売って得られる金とパトロンはすごく魅力的なものだ。
ついでに、カトレアさんにちょっかい出そうかね。
最近は研究に力を入れすぎていたせいで、女っ気が全くなかった。
ここいらでちょっと小休止をいれても罰は当たらないだろう。
「……――」
俺の個人的な研究室の前で何かを唱える女がいる。
カールがかかっている金髪で、おでこがキュートな女の子だ。
俺がこの世に生を受けてから、恐らく一番同じ時間を過ごしている子でもある。
「――!!」
段々と声量が大きくなっているが、その名で俺を呼ぶ限りそれに答えるつもりはない。
そのことをもう何年も前から言い続けている以上、新たに言うつもりもなければ、従うつもりもない。
「もう、――ったら! ――!! ――!! サイトッ!」
「……なんだい? 姉さんか。また奇妙な言葉を唱えているから、誰かと思った」
「奇妙な言葉って……お父様とお母様が考えてくださった名前なのよ、それなのになんでサイトなんて変な名前で呼ばなきゃ返事をしないの」
「もう絶縁しているんだから、自分の名前をどう決めようと自分の勝手だろ。
そもそも人の名前を、ただ血が繋がっているだけの人間が決めるなんて傲慢極まりないことだと思わんかね? ブラックジャック君」
姉さん……モンモランシーは、ため息を吐いて、何を言っているんだ、という風な目を向けてきた。
彼女の言いたいことはもっともだが、いちいちこちらの事情を説明するのも面倒くさいので、こうやって適当なことを言ってはぐらかしている。
俺の名はサイト。
何度死んでも、天国にも地獄にも行けず、このハルケギニアという名の牢獄に捕らわれたナイスガイだ。
今回の人生は、前回、ルイズを除くハルケギニアの全人類を殺して、人類の歴史を終焉に追い込んだせいなのか、
モンモランシ家の長男として生を受けてしまった。
ドットメイジであるとはいえ、魔法の才を受けて産まれたんだから、と水魔法を極めようとしたら、これがハマりにハマってしまった。
あまりにも長い時間を生きていたせいで、何をやるのにも新鮮みのない退屈さを味わっていたのだが、今やここ数十回……下手すると一桁代の人生レベルの充実さを感じている。
今でこそ、今まで俺が過去に体験してきた人生で見た、水魔法の発展をただなぞっているだけだが、
未知の部分に突入したら、どれほど楽しくなるのか、想像すらつかない。
火魔法、風魔法、土魔法と比較して、水魔法は例え魔法の才能が低くとも、大成しやすい。
特殊な材料と化学の知識があれば、水魔法は込められた魔力の量が少なくとも、飛躍的な効能を出すことを可能にしてくれる。
水魔法であれば結果さえ出せば、たとえドットメイジであっても学会の連中は受け入れてくれる。
「そんなことより、頼んでおいたものは持ってきた?」
「全く……、ほら、これ」
モンモランシー姉さんはマントを翻すと、懐から試験管を取り出した。
中には黄色い液体が入っており、ちゃんと蓋が閉じられている。
それを受け取ると、蓋を外し、一気に中の液体を煽った。
「ん、生き返る……今回はクコの実を入れたんだね。前回の渋さが抜けて、いい感じになってるよ」
水魔法で錬成される、失われた体力を回復する薬だ。
何日も完徹し、疲労した体に活力がみるみる蘇ってくる。
これでまた、研究に身が入るというものだ。
「体力回復剤くらい、自分で作れるでしょう?
アカデミーより優れた設備を整えているのに、なんで私に頼むのよ」
モンモランシー姉さんは口をとんがらせて言った。
不満そうに見えているものの、内心、俺がこの言葉に対しての反応を期待してのことだ。
「もちろん、モンモランシー姉さんのより何倍も効力のあるのを作ることだって出来るさ。
だけど、栄養剤を作るより、新たな理論の構築や、新薬の開発をした方が有意義なんだよ」
モンモランシー姉さんは露骨に落胆した顔を見せた。
俺はふっと笑みを漏らし、そっと手を姉さんの首下に滑り込ませる。
「あとは、たまには姉さんの顔が見たいってのもあるかな?」
姉さんは顔を伏せた。
手のひらに感じる体温と、耳が赤くなっているのを見て、顔が真っ赤になっていることが手に取るようにわかる。
もはやそんな間柄でもないのに、ちょっとからかうと面白いくらい反応をしてくれるのは、昔から全く変わらない。
「そんなこと言って……ここに他の女の子をたくさん連れ込んでいるって聞いたわよ」
「ここに? いや、ここに連れ込んだことは一度もないよ。
外の居住用スペースには何人も呼んだけど、この研究室に入れるのは姉さんだけだよ。
自分の不徳の致すところか、僕は敵が多いからね、信頼できない人は入れない。
つまり、僕の信頼している人は姉さん一人っきりってことさ」
ちょっと変わった弟を演じることも楽しいことの一つだ。
モンモランシーのことは前々から好ましく思っている人の一人だし、いい反応をしてくれるのでからかうことも実に面白い。
ほんのわずかに不快に思うことがあるものの、ここ最近感じたことのないほどの充実な人生を過ごしている。
前回も充実しているといえば充実していたが、次回以降に持ち越すことのできなかった充実の仕方だったし。
「……この前、ここでピンク色の髪の毛を見つけたんだけど?」
今日のモンモランシーは鋭かった。
思わぬ反撃と、水魔法の使い手らしい冷たい目でこちらをじっと見据えてくる。
いやいやしかし、こちらとて女性関係においては百戦錬磨を自負している。
笑顔が凍り付きそうになりつつも、それを阻止し、素早く言い訳を考える。
「いいところに気づいたね。
全く、姉さんに隠し事はできないな……これを見てよ」
言いよどむことなく、俺は体を翻し、先ほど完成させたばかりの魔法薬の入ったフラスコを持ち上げた。
「ヴァリエール家の次女が生まれつき不治の病を患っていることは知っているだろう?
水魔法の研究に一生を捧げている身としては、そんなことは見過ごせない、と思ってね。
かといって、カトレアさんの体を患っている病気を調べようっていっても、そんなことはできっこない。
無能の中でも割とマシだけどやっぱり無能な水魔法使いが彼女には付いている。
一見の僕が、『ちょっと薬作りたいんで、問診していいですか?』とか聞いても受け入れてくれるはずがない。
しょうがないから、ルイズちゃんに頼んで、何か手がかりになるかもしれない。
と、カトレアさんの髪の毛を貰ってきてもらったってわけだ。
ほとんど役には立たなかったけどね」
本当はルイズの髪の毛だった。
カトレアの症状なんて、調べるまでもなく全部知っているんだからな。
「そして、これがその治療薬。ついさっき完成したところ」
フラスコを持ち上げ、光に透かしてみる。
うん、これはいいものだ。
モンモランシーは疑いの強い目で見てきたが、軽くスルーして、椅子に座り込む。