のどか編 第1話

 図書館島。
 麻帆良学園の一つの目玉施設だ。
 湖に浮かぶ島の上にそびえる巨大図書館で、蔵書数は半端じゃない。
 しかし、地上に出ている施設なんてこの図書館島のごくごく一部でしかない。
 図書館島の本当の部分は地下なのだ。

 図書館島の地下には世界中のあらゆる本が集められて、
 奇書やら稀覯本なんかを狙う輩から守るために数多くのトラップが仕掛けられている。
 普通のダンジョン顔負けの地下保管庫なのだ。
 流石に学園長が悪のりしすぎだと思うんだが、まあ、そんなことはどうでもいい。

 そのダンジョン顔負けの地下保管庫を攻略すべく、図書館探検隊なる部活が存在する。
 そしてその図書館探検隊にターゲットである宮崎のどかが所属している。

 図書館島の中に気配を消して入りこみ、人のいない場所を探す。
 休日ということで、流石に人の気配は少なく、入り口から少し離れた本棚の影に隠れ、そっと呪文をつぶやいた。

「アデアット」

 財布の中にいれておいた仮契約カード……通称『パクティオーカード』を抜き取り、来たれ、とつぶやけば、
 古くさい日本風の本が一冊出現した。
 これが俺のアーティファクト。
 意識を集中して本を開くと、縦書きで図書館中の『声』が書かれる。

 そこで、さっさと文字をノートに書く。

『今日は早く帰らないといけない用事があった……のどかには悪いけど書き置きを残して、先に帰ろう』

 そんな感じの文章を、声の数だけ書きまくる。
 とにかくとにかく、書きまくる。
 腕が腱鞘炎になるんじゃないか、と思うくらい書きまくり、なんとか一人を除く人間の分だけ書いた。

 そして最後にターゲットに向かって、一文書いた。

『本を探すのに夢中でみんなが帰るのに気づかない』

 しばらくすると、どっと大量に図書館島の出口に人が向かっていった。
 それぞれ、テレビだのデートだの買い物だの、と帰る口実をつぶやいている。
 実にお気楽なもんだ。
 俺はこれからのるかそるかの大仕事をしなきゃならないというのに、普通の学生はなんにも考えてない。

 くそう、ねたましい、ねたましいぞ。
 俺より幸せそうにしているやつは全員死ねばいいのに。
 ああもう、巨大地震が起きてみんな死ねばいいのに。

 恨みの心が溢れてきそうだが、一回深呼吸をし、気持ちを整える。
 落ち着け、落ち着くんだ。
 今回の任務はとてもやばいので、下手を打てない。
 深く息を吸って落ち着けたら、結界を張る。
 これで多少の魔力の動きがあっても、感知されることはまずないだろう。
 そもそも図書館島は、世界樹を中心とした伏魔殿じみた魔力だまりの中でも強烈な魔力に満ち満ちた場所だ。
 麻帆良学園にあまりなじんでいない魔法使いがここに来たら、あまりに異質な空気に気分が悪くなること受けあいである。
 だから、結界を張らずとも少しくらいなら気づかれることはないのだが、念には念をいれる必要がある。

 適当に結界を張った後、なんか山のように積まれている置き手紙を処理する。
 これで万事オーケー。
 念のためにアーティファクトを用いて、辺りの生物の気配を探る……誰もいないな。

「アベアット」

 去れ、の一言でアーティファクトはカードに戻る。
 さっさと財布を取り出し、学生証の裏にパクティオーカードを押し込み、ターゲットの気配を探りながら、そっと近づく。

 いた。

 本棚を見上げて、何かをぶつぶつつぶやきながら歩いている。
 そういえば、さっき本を探すのに夢中で〜 という指示を書いたままだったっけ。

 タイミングを合わせ、そっと本棚の端から姿を見せる。

「きゃっ」
「おっと」

 ジャストタイミングでのどか嬢は俺にぶつかり、そのまま後ろに尻餅をついてしまった。
 俺は努めてナイスガイを装いながら、過剰になりすぎない程度にあわてる演技をしつつ、手を差し出す。

「ごめんごめん、今日はなんだか人がいないみたいだから、少し早足で歩いてた。大丈夫?」
「えっ、あ……ご、ごめんなさい。わ、私も、本を探してて、気づきませんでした……」

 のどかは顔を赤らめ、恥ずかしそうに、それでいてためらいの時間を少しおいてから、俺の差し出した手を取った。

「……ん? 君はもしかして……宮崎 のどかちゃんかな?」
「はい? そ、そうですけど」

 のどかは少し警戒したようだった。
 名簿の情報通り、彼女は人見知りが激しく、見知らぬ人間にはやや過剰に警戒心を抱くようだった。

「ちょうどよかった……っと。ごめんごめん、僕は……」

 少し辺りを見回して、人がいないかを確かめる……ふりをした。
 誰もいないことなんて知っている、だって俺が全員追い出したんだから。
 ただ、これから言う言葉の前にこれをやっておかないと、怪しまれる。
 目の前の彼女はアーティファクトに頼るといっても読心術師だ。
 下手に勘づかれた場合、相当酷い目に遭う。

「ネギ先生関連の関係者……って言えばわかるかな?」

 のどかはきょとんと僕を見た。
 確か、彼女は裏の世界の存在を知っているはずだ。
 それとも、彼女は案外頭の回転が遅いのか、と推測を出してみる。
 が、読心術のアーティファクトの主がそれほど思考能力の遅い相手だとは考えにくい。

 あまり不信感を与えることは色々と不都合なので、財布を取り出し、パクティオーカードを見せた。
 誰と仮契約をしているのかわからないが、アーティファクトを持っているのならばこれでわかるはずだ。

 本を開いて不敵な笑みを浮かべている、世にも美しい美少年が描かれたカードを見せる。
 ちょっと技巧をこらせて、指先でカードを弾き、人差し指のてっぺんでくるくると回して見せた。

「あっ……あの、魔法……使いの方、ですか?」
「うん、麻帆良学園で働いてる魔法使いの従者なんだ。
 君の先生のことは色々と噂になってるし、その従者になった君のことも結構噂になってるんだよ。
 本当は接触しちゃいけない、っていわれているんだけど、君のアーティファクトは僕のと結構似ているみたいだったからね。
 先輩として色々と教える必要があるかな、と思って、君に会いに来たんだ」

 よし、なめらかに言えた。
 多少大げさなような気がしないでもないが、演技もそこそこうまくいっているだろう。
 彼女はまだ魔法の存在を知ってから、それほど時間が経っていないだろうし、
 それならば若干身振り手振りが大げさな方がそれらしく見えるはずだ。

「アデアット」

 来たれの言葉と共に、カードが一冊の本になる。
 とても古くさく、本の端が日焼けして黄ばんでいるように見えるが、アーティファクトとしての機能は全く損なわれていない。

「ほら、ね? ここで立ち話もあれだし、座って話そうか」

 先導するような形で宮崎のどかを引き寄せる。
 まだまだ彼女は警戒心を失っていない。
 ただ、俺の人格がどうとか、そういうところで警戒心を抱いているのではなく、
 見知らぬ男性に慣れておらず、無意識に固くなってしまっているようだった。
 ここまでは、アーティファクトを使わずともわかる。
 というか、これぐらいわからないと、読心術師としても潜入工作員としても落第だ。

「あ、大丈夫。簡単な結界を張ったからね。
 ここら付近は人がよれないし、話も聞こえない。
 魔法の存在がバレるのは、ちょっと危険だからね」

 この言葉には、のどかは少し警戒心を高めた。
 が、黙っていて、途中で人がいないことに気づかれたときの方が危険だった。
 自分のアーティファクトを、図書館の机の上に置き、席について、のどかには向かいの席を勧める。

 軽く物理干渉の魔法を用いて、椅子を引いてすすめた。
 彼女はその些細な魔法に凄く驚いていた様子だが、それは良い方向の結果に落ち着いた。

「さて、まずは自己紹介をしようか。
 僕の名前は春原 タマ……オーケー、言いたいことは解る。
 ただ君が思っているだろう話題には触れないでくれ。
 自分の名前の滑稽さは自分自身がよくわかっているんだ」

 ここはくすくす笑いを期待しての滑稽な振る舞いだったのだが、
 のどかは顔を赤くして、すいません、と頭を下げた。
 俺に魔法で心を読まれたと思ったのか、それとも素の天然なのか……多分、後者だろう。

「そして、僕のアーティファクト『エドのいにっき』
 君のアーティファクトの話は少し聞いている。君のは『いどのえにっき』って言うらしいね。
 僕はずっと自分のアーティファクトの名前について悩んでいたんだ。
 何故『エド』なのか、『いにっき』というのは何なのか、ってね。
 でも君のアーティファクトの名前を聞いて解ったんだ。
 『エドのいにっき』は『いどのえにっき』というアーティファクトの模造ないしは同系統の下位互換版だっていうことにね」

 いや、これはホントマジそうだったみたいだ。
 うちの上司に『エドのいにっき』という名前のアーティファクトだと教えられ、それの名前の意味が全くわからなかった。
 まあ、使い方は解っていたから、意味不明な名前であっても使ってきたが、
 彼女の名簿に書かれていたアーティファクトの名前を聞いて初めて理解できた。
 『い』と『え』が別の場所に移っただけという、悪質なパロディーじみた名前なわけだし。

 もっとも、エドのいにっきはいどのえにっきと同系統であるものの、効果が少し違ったりするのだけれども。

「僕のアーティファクトは……数十メートル内の効果範囲に存在する全ての知的生物の思考を読むことができる。
 だけど、思考のごく表層しか読めない。
 例えば、よし相手の左側頭部を狙うハイキックを放とう、という風に対象が考えたとする。
 このアーティファクトには、よしキックしよう、としか書かれない。
 たくさんの人から思考が読めるけど、その分効力が低くて、少しの思考しか読めないってところだね」

 一部嘘が混じっている。
 流石にキックをしよう、としか読めないわけじゃない。
 いや、最初にこのアーティファクトを使い始めたときにはそれくらいしか読めなかったけど、
 習熟するとある程度深い情報まで掘り下げることが出来るようになった。
 それでも、彼女の『いどのえにっき』が一度に読める思考よりも遙かに少ないだろう。

「あと、字数制限もある。
 一人につき、一行……およそ二十文字程度の思考しか読むことができない。
 しかも、すぐに更新されちゃってうかうかしていると何が書いてあったのかわからなくなる」

 これは完全な嘘。
 一人につき一行、二十文字制限というのを自分で設定しているからだ。
 どうでもよさそうだが、自分の能力を必要以上に小さく見せて相手に侮らせる、というのは非常に重要だ。
 ガチで殴り合うような相手だと状況によっちゃ逆効果になるときもあるが、今回のような非戦闘員との手の内の晒し合いなら有利に働くことが大きい。

「ま、こんなとこかな。器用貧乏なアーティファクトだということは否めないよ。
 読心術としては君のアーティファクトの方がずっと優れている。
 僕の場合は、両親が魔法使いだったから、物心ついているころからこの世界にいたんだ。
 正直なところ、僕の魔法使いの才能はたいしたことない。
 アーティファクトの質っていうのは、魔法使いの才能に比例するから、
 君はきっと凄い実力を持った読心術師になれるよ」

 これも嘘だ。
 両親が魔法使いだったかなんて知らないし、
 魔法使いの才能も平均と比べれば高い位置にある。いや、ネギとか木乃香とかのサラブレットと比べられると困るけど。

 ある程度才能がなけりゃ、組織に拾われることなんてないし。
 まあ、魔法使いの才能があっても活きる職場についてなくて、俺涙目だけど。

 どんな人間でも、天賦の才が高い、と言われて喜ばない人間なんていない。
 ある程度、経験を積めばそれがお世辞だということがわかってくるだろうが、魔法の世界に入り立ての新入りならコロッとだまされる。

 今俺の目の前にあるエドのいにっきにも、のどかが喜んでいる心情をつづっている。
 それにつれ、俺に対する『信頼度』もぐんぐんとあがってきている。
 ある程度の暗示を与えていたとはいえ、上昇度は平均より高い。
 きっと、彼女が人を疑うことをあまりしない、純粋な人間だからだろう。
 アーティファクトに頼る読心術師ってのは、何故かこの手合いが多い。
 天然のテレパシストは屈折した性格になりやすいのと対照的なのを思い出す。

 『信頼度』
 催眠術を相手にかけるときには、非常に重要なものだったりする。
 ラポールとか業界用語ではいうらしいが、催眠をかける側とかけられる側に信頼関係を築いていると、催眠がかかりやすくなる。
 この世界にいる俺がいうのもなんだが……サンデーで掲載していたデスノートのパクリ漫画にそう書いてあった。
 まあ、あのパクリ漫画はラポールなんてすっとばして催眠をかけるとか、色々とぶっ飛んでたけど。

 このエドのいにっきによる洗脳もそれと同じで、信頼度というのは非常に重要なものだ。
 のどかに説明していない、エドのいにっきの効果として、暗示の刷り込みと思考の割り込みがある。
 エドのいにっきにペンですり込みたい暗示や割り込ませたい思考を書き込めば、暗示を受けたり、
 書かれた文章が自分の思考と誤認させられることが出来る。

 信頼度が高ければ高いほど、無茶な暗示や常識外の思考までも認識させることが出来るのだ。
 この学園で働いている魔法生徒のうち二人、もうすでに信頼度をマックスまで高めており、
 いざというとき、俺や俺の上の組織の命令に従うような暗示が埋め込まれている。

「ちょっと君のアーティファクトも見せて貰っていいかな?
 一応、僕も読心術師の端くれだからね。かの名高い『いどのえにっき』を手にとって見てみたいんだ」
「え、あ、い、いいですよー。んしょ……アデアット」

 のどかがカードを出して、来たれ、と唱えると西洋風の本が一冊現れた。

 正直なところ、いどのえにっきに興味がなかったというと嘘になる。
 読心術師というよりか、洗脳師というべき俺だが、人の心を扱っている分野で、このアーティファクトの存在に興味を持たないわけがない。
 名前を知られてしまえば、どんな精神防壁を築いたとしても意味もなく、効果範囲内ではえぐいほど心を抜き取られる。
 出し抜く方法がないわけではないが、精神魔法は数ある魔法の中でもかなり特殊な才能がないと使いこなせないし、
 出し抜こうと思うと自分自身の精神にも枷をはめなきゃならないから、非常に厄介な相手である。

 俺はのどかからいどのえにっきを受け取り、開いて眺めた。
 まだ誰の名前を挿入していないから、最初のページに使い方がのっているだけで、後は白紙だが……。
 手を触れる魔力の流れを感じる。
 今はまだいどのえにっきは、特定の一人の思考を読むことにしか用いられていないが、
 のどかの位階があがれば、文章や絵の量を減らすかわりに複数の相手から思考を読んだり、あるいは過去視までも可能にしてしまうだろう。

「うん、やっぱり凄いね。
 よかったら、使っているところも見てみたいんだけど……僕の思考を読んでみてもらえないかな?」

 いどのえにっきをのどかに返す。
 このアーティファクトは持ち主じゃないと使えないタイプのようで、俺が発動することはできない。
 もっとも、出来たとしても一般的なマナーとしてアウトなのでしないけど。

 そっと、俺はエドのいにっきのページの隙間に手を入れる。
 ぽち、と押すと、あらかじめ書かれていた俺に向けての暗示が発せられる。

 頭の中でぷつっと音がしたかと思うと、一瞬視界がホワイトアウトする。
 ストロボのように意識に切れ目が入り、長い混濁があったかと思うと、そこにいた俺は僕になった。

「え? い、いいんですか〜?」
「うん、構わないよ。僕も読心術師の端くれだしね。
 心を読まれるくらいなら気にしないよ」

 のどかちゃんはまだ人の心を読むことに戸惑っているようだった。
 まあ、数日前に魔法の存在を初めて知ってしまったんなら、人の心をあけすけに見る、ということは抵抗があるんだろう。
 僕も初めてこのアーティファクトを使ったときは戸惑ったものだ。

「え、えと……それじゃあ〜……『春原 タマ』さん」

 のどかちゃんが僕の名前を言った後、いどのえにっきが魔力が籠もる。
 思考を読まれている、という感覚は感じない。

 人間が何かを考えるとき、頭から魔力による波が発生するらしい。
 それはほとんど微弱な上、波のパターンが非常に複雑なため、普通に知覚するには特別な感覚を持つ必要があるのだけれども、
 読心術系のアーティファクトは波の受信機としての役割を果たす。

 のどかちゃんにはここらへんのところを魔法使いの弟子の先輩として教えておくべきだろうか。
 だけどまあ、初っぱなからこんなことを教えるのも何だし。

 僕は思考をコントロールし、のどかちゃんへの挨拶を頭の中に思い浮かべた。

『こんにちは、僕は春原 タマです。よろしくね』

 こんなところだろうか。
 ある程度訓練すれば、思考を表層と深層に分けることが出来る。
 無詠唱呪文やらなにやらを唱える魔法使いにとっては、基本的なスキルでもある。
 本気を出していどのえにっきを使われれば、思考を二分割したところで両方読まれること請け合いだろうが、
 とにかく今はこれで十分だ。

 それにしても、のどかちゃんかわいいなー、のどかちゃん。
 こんな後輩ができて嬉しい。
 読心術師ってのは数が少ないのに、こんなかわいい子が来てくれて、すんごく嬉しいなー。

「どう? どんな感じ? ちょっと見せて」

 のどかちゃんの背後から、そっと覗くようにいどのえにっきを見た。
 そこには、少女ちっくな絵でデフォルトされた僕の絵が踊り、『こんにちは、僕は春原 タマです。よろしくね』と書かれている。

 ……が、その後に『のどかちゃんかわいいなー、のどかちゃん、こんなかわいい子が来てくれて、すんごく嬉しいなー』と。

「げっ」

 反射的にいどのえにっきを閉じる。
 一歩下がって、恐る恐るのどかちゃんを見ると、彼女は顔を真っ赤に染めていた。

 背後から覗くようにいどのえにっきを見ていて、それを閉じた、ってことは、
 もうばっちり密着しているのであって……。

「ごめんなさいッ! べ、別にそんな変なことをしようだなんて、これっぽっちもなかったんですっ!
 ただただ、のどかちゃんがかわいいから、かわいいな、と考えちゃっただけで……許してくださいっ!」

 思わずその場で、土下座。
 頭を床にすりつけて、謝り倒す。
 自分でもちょっとやりすぎなんじゃないか、と思えなくもないけど、
 彼女に嫌われるくらいなら、多少やりすぎた方が遙かにマシだ。

「あ、あの……べ、別に気にしてませんから〜」

 のどかちゃんは、まだ顔が赤いのにもかかわらず、慰めようとしてくれた。
 その優しさに、思わず涙が出そうになったものの、なんとかぐっとこらえる。

「ありがとう、本当にごめんね。
 で、出来れば、いどのえにっきの効果を無くして貰えるかな?
 心の偽装が出来るかと思ったんだけど、ちょっと無理だったみたい」
「あ、はい〜」

 のどかちゃんがいどのえにっきをデフォルト状態に戻した。



 ……その瞬間、僕の頭の中が真っ白になった。

 俺の頭の中に存在していた疑似人格がその下に隠れていた人格に吸収されるのを感じた。
 宮崎のどかの持つアーティファクト、いどのえにっきの能力を煙に巻くため、
 俺のエドのいにっきで俺自身に対しての暗示を発動させて、嘘の人格を作り出した。
 今の人格のままでも、彼女のアーティファクトを煙にまくことが出来たかもしれないが、
 現実の人格とあまりに乖離した人格だけを見せることは、俺のアーティファクトの手助けを借りないと難しい。

 何はともあれ、結果は完全に成功。

 のどかは俺の嘘の人格を覗きみることだけで、邪心のない人間だと思いこんでいる。
 魔法のことも、人間の裏の顔も知らない人間をだますことは非常にたやすいことだ。

 まさに、計画通り、と笑いたくなってしまう。

「……あ?」

 のどかは俺の顔を見て、少し顔を青ざめさせた。
 俺も違和感を感じて、そっと額に手を触れる。

「げ……」

 指先に赤い液体がこびりついていた。
 さっき、床に頭をたたきつけた際に、傷ついたようだ。

 というか、わざと傷つけたんだが。

「あ、わ、私、ハンカチを濡らしてきますね〜」

 のどかは『ハンカチを濡らすために立ち去る』という選択肢を選び……いや、『選ばされ』て走っていってしまった。
 別に濡れていないハンカチで拭ってもいいだろうが、俺の与えた些末な暗示によって、ハンカチを濡らす選択をしたのだ。
 俺はのどかが立ち去ったのを確認すると、椅子にどっかと座り、額を拭うこともせず、エドのいにっきを開いた。

 宮崎のどか、と書かれた文字の下には、現在の信頼値が記されている。
 心の中を覗かせてやったおかげか、その値は普通の友人との関係よりも若干高い。

「はてさて……宮崎のどかの本性はどんなものか……」

 信頼値が高ければ深い暗示が与えられるようになる、というのは前述の通りだ。
 信頼値の高くなって得られる恩恵というものは、それだけではない。

 本人の特性が見えてくるのだ。
 どの方面でアプローチをしていけば、より高い信頼値が得られる行動になるのか、というのがはっきりとわかる。
 ただの『友人関係』ではそこで得られる信頼値には限界が存在する。
 その限界を超越するための条件なんかがあり、その条件を知るためにも一定の信頼値が必要となる。

 エドのいにっきが記す、宮崎のどかの特性は……。

「『恋愛』……またありきたりなところが来たな」

 要するに宮崎のどかを陥落させるためには恋愛感情を喚起させてやらねばならないということだ。
 女相手だと、なんでこうまた『恋愛』なんてのが多いもんかね。
 一番面倒くさい条件なんだけど。

『宮崎のどかに思い人はいるか?』

 さらさら、とペンを走らせ、検索を行う。
 過去の記憶検索、なんてのもエドのいにっきの能力の一つだ。
 もちろん、無条件というわけではない。

『います』

 なるほど、いるのか。
 ならば、少しはやりやすい。

『それは誰か?』
『あなたにこの情報の閲覧の権限はありません。信頼値を上げてください』

 情報の引き出しにも信頼値が依存する。
 情報の重要度や、その本人が誰にも知られたくないと思っているほど高い信頼値が必要になる。

 冷静になって、頭を働かせる。
 あののどかが思い人がいる、ということにたいしては別段不思議なことではない。
 思春期の女の子なんだから、一人か二人くらい好きな人がいてもおかしくない。
 ただ、よくよく考えてみると、のどかの立場を考えてみるとそれほど候補者がいないということがわかる。

『その人物は男か? 女か?』
『男』

 念のために確認を取る。
 女子中等部の学生だから、そういう関係だってある可能性は捨てきれない。
 まあ、後顧の憂いがなくなったところで。

『その人物の名前は高畑・T・タカミチか?』
『いいえ』
『ずばりネギ・スプリングフィールド?』
『あなたにこの情報の閲覧の権限はありません。信頼値を上げてください』

 これでほぼ確定したわけだ。
 具体的な人物名を出したとき、違う人物ならば『いいえ』と答える。
 『情報の閲覧の権限がない』というのは、そのことを言いたくないから……つまりずばりそうであるからだ。
 やはり、一番使えるのはアーティファクトではなく自分の頭。
 使い減りもしなければ、使ったところで相手にバレることはほぼない。

 とにもかくにも、洗脳のためのルートが見えてきた。
 今、のどかが抱いているネギに対しての恋心を、俺がいただいてしまえばいいのだ。
 その方が、一から面倒な手順を踏んで恋愛ごっこしなくてもいいし、第一恋心と恋心の衝突も防げる。

 ただ、相手がネギ・スプリングフィールドということが気がかりではある。
 あの化け物は、あまり敵にしたくはない。
 まだ九歳で、真面目な性格ということから、色恋沙汰というものにあまり関心はないはずだ。
 バレる危険性が低いとはいえ、あまり迂闊に動きすぎるのはリスクが高すぎる。
 ついてはその辺りを気をつけて、洗脳すべきか。

「大丈夫ですか〜?」

 のどかが戻ってきた。
 俺はそっとエドのいにっきを閉じ、ちょっと痛そうな表情を浮かべる。

 のどかが濡らしてきたハンカチを俺の額に優しく当て、血を拭き取る。
 俺はそれに対して、お礼として、子供用の杖を使っての簡単な魔法の実演をしてみせた。
 『プラクテ・ビギ・ナル』の始動キーを用いて……流石に俺本来の始動キーを使ってなんてみせない。
 あれから足がつくことだって考えられないことじゃないからだ。
 潜入工作員ともなれば、自分の始動キーを二つも三つも持っているが、意味もなく消費する必要はないからだ。

 簡単な治癒魔法ではあるものの、額の傷は一瞬で消え去る。
 俺の魔力は治癒魔法に向いていないため、多少のむずがゆさは残るが、問題はない。

 すごいですね〜、と素直に関心するのどかに対して、俺はにっこり笑顔を向けていった。

「実は、君に魔法を教えてあげようと思うんだ。
 魔法は覚え立てが肝心でね。今、魔法を扱う訓練をしておくと、後々すごく伸びたりするんだ。
 何、椅子に座ったまま、目を閉じて、リラックスするだけでいいんだけど……どうかな?」

 のどかは少し驚いた様子で、やや躊躇いがちに、お願いします、と頭を下げた。
 俺はそれを、心の中でほくそ笑みながら、眺めていた。