楽しい時間というのはあっという間に過ぎるものだ。
ゆえを捕まえてから、早くも二週間が経過してしまった。
つまり、外の時間では十四時間が経過したことになる。
もう既に外は明るい時間になっているだろう。
のどかとゆえの身代わりは、東洋呪術師の式神がやってくれている。
麻帆良に潜入していたご同業の方を、ちょちょっと洗脳して働かせているのだ。
あっという間に洗脳されたヘボだとはいえ、
一応プロの呪術師が式神をモニタリングしつつ操作しているため、バレる危険性はあまりないと思う。
この程度のリスクなら、無視してもいいレベルだ。
俺がゆえとのどかを洗脳が終わっても尚水晶球に閉じこめているのは、
ただただ俺の享楽のためだけなので、さっさと帰せば、そのリスクすらも消せるんだが……。
まあ、いいじゃないか。
これくらいの役得がなけりゃ、次のこのかやら刹那の洗脳に対するストレスを緩和できない。
「……な、何を考えているんですか、頭がおかしいんじゃないですかっ!」
何度も何度も嬲られ、いじめられていたゆえは、昨日あれほど切なげに啼いたというのに、
強い口調で俺をののしってきた。
ここ最近、ほとんど全裸で過ごしていたのを見ていたので、制服姿を見るのがなんか新鮮に感じる。
「こ、この、変態野郎ッ!」
「変態」も「頭がおかしい」もそろそろ聞き飽きた台詞だ。
「その変態に何度も何度も愛してるって言いながら絶頂したのは誰だっけ?」とか言ってもいいんだが、
それはそれで言い飽きている。
様式美という観点で、言い飽きた台詞を吐くのも一興かもしれないが、
それを言うと、お約束を守るという理由でゆえを押し倒さなければならない。
それには少し時間的な余裕はない。
次の作戦決行は、外の時間で五時間後。
それまでに色々と手はずを整えなければならない。
何せ次のターゲットは、最難関であろう近衛このかだ。
最終チェックは厳重に行わなければならない。
「はいはい、そろそろ出るぞ、忘れ物はないか?」
「う……ぐぅ……」
完全に無視されたことを悟ると、ゆえは悔しそうに半眼で睨みながらスカートの裾を握りしめた。
下半身に感じる慣れない感触に戸惑っているのだろう。
それこそが先ほどゆえが俺のことを変態野郎とののしった台詞の理由だ。
しかし、ゆえには一番必要なものの一つだろう。
のどかの背中に手を回し、ぐっと近づける。
のどかはのどかで俺の腕をはっしと抱きついて、積極的に胸を押しつけるように身を寄せた。
エロいことやっている最中のゆえはそれはもう俺にべたべたで、
生まれて間もないの子犬みたいにくぅんくぅん鳴きながら、愛を求めてくるのだが、
普段はつんつんしており、俺との間に一メートルほどの距離をとっている。
なんでこんな風にしているかというと、言うまでもなく、この状態でいじめるのが癖になったからだ。
「ほら、来いよ」
ゆえに向けてあいている方の手を伸ばす。
ゆえは俺の手を真っ正面から見ず、体を横にしてから横目でちらちらとうかがっていた。
やや顔を赤らめると、求められているからしょうがなく……といった感じで近寄ってきた。
ゆえの脇から腕を通し、背中を支えるような形に手を置くと、
そのまま間髪おかずに手を下に動かした。
「ひゃっ!!」
スカートの中に手を突っ込み、その下にあるものに触れる。
柔らかいものの、布ではない感触が指先にある。
「や、やややや、やめるですっ!」
ただ単にお尻を触られた以上のとまどいを見せるゆえ。
泡を食って俺から逃れようとしたが、もちろん俺がお尻を掴んでいるから逃げられない。
掴んでいる指を緩めて、そっと表面をなぞる。
お尻のくぼみを見つけると、縦に走る線に合わせて、中指をぐりぐりと押しつける。
「あっ……ふぅ……」
ゆえのそんな声を聞きながら、水晶球から抜け出るための燐光が辺りを包んだ。
俺は一旦自室へと帰った。
次のターゲットは大物で、のどかやゆえをとっつかまえるのよりも遙かに難易度が高まる。
俺一人で一応作戦立案から、実行までの準備をしたが、
万が一のときを備えて、様々なバックアップを頼まなければならない。
「おっ、帰ってきたね、青少年」
なんだかよくわからないテンションの姐さんがいた。
まあ、事前に連絡をしておいたのだからいるのは当然なのだが。
「また一人落としたんだって? 快調みたいで結構!
私も褒められて、上からの報奨金が出て、ちょっとしたお小遣いもらっちゃったよ」
なんだかやたら顔が赤いと思ったら、床に日本酒の瓶が何本も転がっていた。
部屋が匂うかと思ったらこれが原因だったのか。
全く、この人は一体何を考えているんだ。
ここは一応、男子中学生の寮なんだっていうのに。
しかもどうせ、その報奨金ってのはこの人がピンハネして、俺には一銭も入ってこないんだろう。
「んで、矢継ぎ早に次のを堕とすんだって?」
「ええ……ターゲットナンバー.5ののどかとターゲットナンバー.1のゆえは、
ターゲットナンバー.3の近衛木乃香と仲が良く、それにまあ、思わぬ要素が入り交じって、
木乃香を現段階でも十分捕獲することは可能かと考えたからです。
それに際して、姐さんには、桜咲 刹那の方の注意を引いて貰おうかと思いまして」
「注意? あのハーフの子は、お嬢ちゃんの周りをうろちょろしているんだから、
いっぺんに捕まえちゃえば?」
相変わらず、姐さんは気楽に生きている。
確かに木乃香の洗脳をした後、常に張り付いているだろう桜咲刹那に俺の存在を気取られる可能性は高い。
けれども、それを実行できるほどの力は俺にはまだない。
木乃香を人質にして脅迫したとしても、あれはまず間違いなく俺を殺す。
一応、洗脳術師として人物鑑定眼を磨いてきた俺にはわかる。
アレはキれるタイプだ。
一度怒らせると、周りの被害を考えずに暴れまくる可能性が高い。
人質を取った、ということを聞かされた時点で、俺の命を取りに来る可能性も低くはない。
ニトログリセリンのようなもので、しっかりと石綿にしみこませるまでの手順をちゃんと行わなければ、
俺に待ち受けているのは死のみだ。
「……お嬢ちゃんとハーフの子をいっぺんにとらえることのできるチャンスは今だけよ」
納得していないような表情を出していたのか、姐さんが言った。
いや、実際には表情には出していなかったはずだ、そんなやすやすと感情を露わにするやわい訓練は受けていない。
「今はリスクを回避して、堅実な道を選ぶべきだと思いますがね」
「そうね、『だからこそ』いっぺんに捕まえる必要があるわ」
姐さんの言葉は俺にとって予想外だった。
普段のノリはアレだが、仕事が絡むときには決して意味のないことや全く理由のないことを言う人じゃない。
その真意を探るべく、思考を張り巡らせていく。
俺が木乃香だけを捕まえた場合……つまり俺の言う堅実な道を選んだ場合のリスクは、
刹那に木乃香を洗脳したことがバレることだ。
刹那は木乃香のことを常に遠巻きに護衛しているだけだが、
木乃香の些細な変化を読み取り、俺とのつながりを発見する可能性がある。
一方、刹那に手を出した場合……、やはり刹那は強敵だ。
『抜き身の刃』はチープな表現だが、まさにその通りの女だと言える。
柄を握っている人間以外は、誰も彼も迂闊に触ると怪我をする。
ハリネズミのような警戒心を抱き、いついかなるときにも戦う心構えが出来ている。
こういう人間が最もエドのいにっきの苦手とするタイプだ。
論理も何もあったものではなく、直感でもって思考を処理する。
いくら暗示の理屈を思考に埋め込もうとも、感情がそれを無視してしまうために、暗示もききにくい。
どちらの場合を選ぶかは、間接的に相手取るのと直接的に相手取るのの差だが、
それならまだ面と合って対決するよりかは、逃亡するまでの時間を少しでも稼げる方がいい。
こう考えるのが普通だ。
じゃ、なぜ姐さんは今の提言をしたのか。
何か俺の知らない情報を持っているのかもしれない。
「出し惜しみはやめてください。時間の浪費しかしませんから」
「何を言うのよ。これもあなたの信頼を得るための前置きよ。
……あのハーフの子は今、どうしようもなく、腑抜けてるのよ」
「……?」
「文字通り、本当にふにゃふにゃのへなへな。
タマちゃんは、あの子が修学旅行に行く前のときにしか見ていないだろうから無理もないけど、
今のあの子の頭の中にはお花が咲き乱れているのが一目でわかるわ」
「はあ……どういうことです?」
姐さんはふふんと笑って、手に持っていた瓶を床に落とした。
ごん、と音を立て、瓶がころころ転がる。
「幸せになっちゃったのよ」
「……はあ?」
「西の方にいる間者の情報によると、修学旅行で、
ホラ、ネギ・スプリングフィールドがドンパチやったって話があったじゃない」
その話はのどかやゆえからも聞いた。
ただ、二人ともことのあらましはあまり知らなかった。
西洋呪術協会で起こったクーデターにネギらのクラスが巻き込まれたという話だ。
いわば当事者といってもいい二人だったが、
のどかはクーデター側の西洋魔術師に石化させられ、ゆえは用を足していて最後のことは見ていなかったらしい。
「あのハーフとお嬢ちゃんの関係は良好とはいえなかったのよ。
けど、お互いが嫌いあっていたというわけではなくて、なんらかの誤解があって、
ハーフの子が遠慮する、という形で何年も接触していなかったらしいの」
これは知らない情報だ。
ゆえやのどかの話だと、そこまで明確なビジョンは見えてこなかった。
ただ単純に、木乃香と刹那の仲がよくなった程度の情報のみ得られた。
「けど、西洋呪術協会での騒動をきっかけに和解。
それがよっぽど嬉しかったのね。今やほとんど骨抜き状態。
あれほど『寄らば斬る』とばかりに殺気をばりばりだしていた子も、
一山いくらで売られているような凡庸な子になっちゃったってわけ」
姐さんの言うことは大体把握できた。
確かに資料によると刹那は烏族とのハーフということで、幼少時に差別を受けてきたらしい。
その鬱屈が晴れたのならば、その反動でそんな風になってしまうのは、あり得ないわけではないが……。
姐さんの情報網は俺の持っているものより遙かに上だ。
俺の方が麻帆良学園に放っているスリーパーは多いが、飽くまでそれは麻帆良学園にしかいない。
その点、姐さんは麻帆良学園だけでなく、色んなところに情報源を持っている。
能力が能力だから、自力で情報を集めることだって出来る。
だから、この姐さんの情報は疑うべくもないことなんだが……。
何せ自分の命がかかっていることだ。
必要以上に慎重に行かねばならないのは当然のことだし。
ただ、姐さんは少し刹那のことを過小評価しているような気がする。
今だって、凡庸な子と表現したが、丸くなることは決して悪いことではない。
そりゃ、洗脳する俺からすれば、刹那の異様なまでのあの気配の探り方がない方がずっと楽だ。
けれども、組織的に動くことが可能になったと解釈すれば、それはそれで非常に厄介でもある。
まあ、どうするにせよ、一旦、自分の目で確認してからの話になるだろう。
「……おっと」
尻が震えているかと思ったら、携帯電話が鳴っていた。
のどか達からの予定通りの連絡だ。
携帯電話を開き、メールをチェックすると、着信は二通。
のどかとゆえからだ。
……メールを送るのはどっちかでいい、と言ったら、二人ともから送られてきた。
『絶望』
のどかからのメールに書かれていたのはそれだけだった。
なるほどなるほど、これはまた珍しい。
ゆえのメールも同じかな、と思ったが、念のために開くと、
確かに『絶望』の文字が書かれていたが、その後にも数十文字続いていた。
どうやら何かの引用のようであり、文末にはゆえの解釈らしき文が混じっていた。
まさかと思ってのどかのメールを見直してみると、添付ファイルがついていた。
添付ファイルを開くと、それは画像ファイルで……どうやら携帯電話のカメラ機能を用いて撮影したものらしかった。
そこにはいどのえにっきが写っていた。
いどのえにっきには、先ほどの『絶望』の文字と
ゆえからのメールの引用文と同じ文章が羅列されていた。
「……なるほど、なるほどね」
『絶望』というのは言うまでもなく、近衛 木乃香の特性だ。
のどかとゆえの信頼値が高まったことと、いどのえにっきとエドのいにっきを複合的に用いることで、
特性のみを規定の信頼値に達する前に知ることに成功したのだ。
ちなみにこれは、ゆえの恥ずかしい記憶をエドのいにっきで引き出して、
いどのえにっきで読み取り、のどかとゆえとの三人で朗読会をやったときに思いついたことだ。
ゆえが昔に漠然と考えていた小説のちょっとどうかしている設定を
耳元で囁きながら抱いてやったら、マジ泣きして、すっごく楽しかったなあ。
今度、ゆえっぽい性格の子を捕まえたら、恒例行事にしよう。
……話はそれたが、この情報によって、刹那も同時にとらえることを決めた。
当初の計画とはずれるが、まあ、それの方が都合がいいからな。
ゆえやのどかのメールに待機するように返信を返すと、
何もかも見透かしていたかのような目で見ていた姐さんに顔を向けた。
「じゃ、姐さんには手はず通り陽動をやってください」
「剣豪相手にするときの援護はしなくていいの?」
「そっちはまあ、なんとかなりそうなんで……日和見の老人達の目をくらましていてくれるだけで大丈夫だと思います」
姐さんは満足そうに立ち上がると、ふらふらとした足取りで部屋の出口に寄りかかった。
「それじゃあ、頑張ってねー」
無邪気そうな笑顔を浮かべ、軽く手を振ると、姐さんはそのまますうっと消えていった。
いくら酔っぱらっているとはいえ、自分の任務に支障をきたすような人じゃないから、
俺の期待通りに……いや、俺の期待以上の結果をだしてくれるに違いない。
麻帆良学園の数カ所で、小型悪魔の破壊行動が行われた。
といっても、週に一回、どこかの組織から送りこまれた潜入工作員達が起こしている程度の規模だ。
すぐにも魔法先生や生徒達がやってきて鎮圧される程度だ。
そう、これは日常茶飯事なのだ。
どんなに異常なことが起きたとしても、それが日常であれば慣れてしまう。
ことに、ここは認識阻害魔法の拠点であり、関東最大の魔法使いの都市だ。
いかなる魔法使いといえど、非日常に対しての危機感を喪失してしまう。
わずかに監視の目がゆるみ、その最中は一人の男子中学生が何をしているか、なんてのはわからなくなってしまう。
更に、俺はこれでもか、とばかりに追加のチップを支払った。
欧州辺りから送られてきた潜入工作員の一人……もちろん、俺の所属している組織とは別の組織から派遣されてきたやつだ。
部下と偽って補給をするかのふりをして接近し、洗脳下に置いた。
契約暗示でもって、その潜入工作員を捨て駒として用いた。
ここ数ヶ月は、誰も潜入工作員は掴まっていない。
久しぶりの現行犯をとっつかまえることに成功して、学園のアホどもは久々に手柄を挙げられて幸せ。
俺は、そのすきに木乃香と刹那を捕まえて幸せ。
それで木乃香と刹那も俺に捕まえられて幸せ……とまあ、みんなが幸せになれるって寸法だ。
捨て駒には迷惑かもしれないが、そこは尊い犠牲ということで勘弁して貰うことにしよう。
俺が関わっていないところで行われているであろう作戦は今のところ成功していると言える。
姐さんからの連絡だと、捨て駒は学園側に掴まり、学園側は図書館島付近の警戒を行っていない。
状況は今のところ完璧……あとは俺がしくらなければいいわけだ。
図書館島の扉を刹那をくぐるのを確認してから、俺もゆっくり追いかける。
刹那は恐らく俺のことを気づいているだろう。
そんなことは問題にはならない。
いや、むしろ、俺はそのことを期待しているんだ。
刹那に対してはエドのいにっきにてメッセージを送った。
『近衛木乃香を攫った。私の指示に従え』とだ。
エドのいにっきを用いてのテレパシーだから、発信源は特定されない。
『誰かに知らせたら、近衛木乃香を即殺す』と送ったのが効いたのか、
緊張した面持ちで、刹那は俺の言うとおりに従った。
局所的なインテルファーオー(念話妨害)も行った。
携帯の電波をジャミングするのは流石に学園側にも悟られる可能性があったため、
ポケットに手を入れたりしたら、即座にエドのいにっきで警告を発した。
そんな気苦労を何度も何度もバームクーヘンみたいに重ねて、刹那は図書館島地下一階の階段を下がった。
俺もゆっくりついていく。
階段を下りきった後、刹那は消えていた。
気が付くと、俺の首もとに刹那の持っていた愛刀がかけられている。
「お嬢様を解放しろ、さもないと殺す」
刹那は冷たい声で言ったが、やはりどうしようもなく腑抜けだった。
その刃の先端からは、本物の殺気が出ていない。
やはり、本気で殺す気がなくなっている。
「ばっ、馬鹿ッ! 俺は麻帆良の魔法生徒だッ! お前を援護しにきたんだよッ!
破壊活動をしていた工作員を確保して、近衛木乃香の誘拐を察知したッ!
計画の一端が暴露されて、一番現場に近かった俺がバックアップとして来たんだよッ!」
実に流暢且つ『焦っている』ように言葉を連ねることが出来た。
こうなることを期待していたのだ。
土壇場且つわずかな時間しかないとき、敵味方の区別を付けるのはとても難しいことだ。
「な、何!?」
「この馬鹿野郎がッ! やつらはお前を監視してたんだぞ! 迂闊な行動取りやがって!
近衛木乃香が殺されるッ! 図書館島地下一階北部7−D本棚の隠し部屋にいる! 早く行けッ!」
刹那は俺の根拠のない話を信じた。
刀を下げると同時に俺を突き飛ばして、走り出す。
本当に腑抜けになったもんだ。
俺が何という名前で、どこに所属している魔法生徒なのかを一言も聞かなかった。
時間がなかったとしても、俺を気絶させてから向かうべきだ。
というか、そもそも俺に襲いかかったこと自体軽挙だった。
甘くなったことも確かだが、それよりも遙かに……潜在的な『恐怖』に犯されている。
近衛木乃香を失いたくない、という一心で、行動が軽挙になりすぎ、
尚かつ、やるべきことをやらずに走っていってしまった。
俺も走って、目的地点に走る。
ちょうど刹那が隠し扉を発見し、開いて中に入るときだった。
刹那が部屋に飛び込むように入ると同時に、扉が勢いよく閉まる。
神鳴流剣士の猛者相手に、真っ正面から勝負を挑むなんて無謀なことはしない。
トラップだ。
トラップ解除技術を持たない前衛剣士が、人間以外に対しての警戒心ゼロでつっこんでくれることを期待していたんだ。
刹那の飛び込んだ部屋には、これでもか、とトラップを仕掛けまくってある。
刹那の入室と同時に扉が閉まり、刹那の顔めがけて催涙スプレーが部屋の辺りから噴出する。
顔に向けての直撃は避けられない。
例え刹那がいかなる達人でも、全方向から迫り来る霧を回避することなど出来ない。
目に直撃すればしばらくの間視力を失うし、それを回避するために目を閉じるのならば、
それはそれで視力を奪えたことになる。
目はいいとしても、鼻や口、耳などの粘液からの浸透も無視出来ない。
次は部屋の壁に無数設置された小型魔法陣からのありとあらゆる種類のエクサルマティオーの連射。
平常時ならまだしも、麻痺効果もある催涙スプレーの直撃を受けた後なら、簡単に野太刀が吹っ飛ぶだろう。
更に、妖怪変化に対して効果の高い催眠ガスと人間に対して効果の高い催眠ガスが浴びせかけられる。
完全に手足をもがれる形になった刹那は、このままではいけない、と思って退却を考えるだろう。
力の入らない手足を使って背後の扉を探るが、何故か閉まっている。
それならば開いて外に出ようかとするだろう。
しかし、残念ながらこの扉のドアノブは……
「……金属製なんだよね」
俺は電撃の魔法でドアノブに電力を流し込む。
ドアノブが、がががと音を立てて上下に揺れたかと思うと、扉の向こうでドサッと倒れる音がした。
案外、うまくいくもんだな。
全裸の桜咲刹那に呪符を何枚も張り、しばらくの間目覚めさせないような状態にしてから、
俺は水晶球の中に入り込んだ。
物音を立てないように寝室に刹那を運び、手足を完全に拘束した後、そのまま床に転がして、
ゆっくり地下の書庫へと足を向ける。
書庫の扉を開くと、そこには本を積み上げてもくもくと読書に励む三人の姿があった。
「あっ!」
一斉に三人とも俺に目を向けた。
その代わり、口を開いたのは一人だった。
近衛木乃香だった。
「よかったぁ〜、もうここから出られへんかと思った〜」
俺の顔を見てほっとしたような表情を浮かべた。
ゆえやのどかが手はず通りコトを進めていたのなら、
三人はたまたま発見した隠し部屋に置いてあった、水晶球に触れてしまい、
この世界に来てしまった、という設定のはずだ。
作戦実行を命じてから、外の時間ではおおよそ三十分経過していたわけだから、
半日ここで過ごしていたことになる。
その間、中と外をつなぐゲートは開通していないわけで……いわば木乃香にとっては閉じこめられた、という風に見える。
俺がかけつける間、木乃香がパニックを起こさないようにと、のどか達はここで読書することを進めさせた。
「あ、すんまへん。ここに勝手に入ってしもうて。
なんか珍しいもんがあるなー、と思って、触っちゃって……」
「ん、ああ、いいよいいよ別に」
木乃香は俺に不法侵入を謝ってきた。
「というか、俺が君を呼んだんだしね」
「……はい?」
ぱちん、と指を鳴らすと、のどかとゆえが立ち上がり、おもむろに俺の背後に立った。
木乃香は何が起こっているのかまるでわからない、といった表情を浮かべ、俺たちを目を丸くして見ている。
「とりあえず、『絶望』してもらおうか」
「えっ……え?」
のどかとゆえは再びこのかの両脇に立つと、肩を持ち上げた。
無理矢理たたされた木乃香は、抵抗らしい抵抗も出来ずに、そのままずるずると引きずられていく。
一階の部屋に運び込まれ、ゆえとのどかによって無理矢理手足を縛り付けられているのを見ながら、
俺は再び刹那の寝ている部屋へと足を向けた。
「その前に、もう一人の方に『絶望』してもらうかね」
二人いっぺんを捕獲したことにより、当初考えていた洗脳プランとは大幅なずれが生じるだろう。
けれどもそのずれは、俺が最大限楽しむために産まれたものだ。
恐らく今回一番の大仕事が終わった。
のどかとゆえにも手伝って貰ったし、姐さんだって協力してくれた。
けれども、想像していたよりも遙かに楽に決着がついた。
よかったよかった。
さて、精一杯楽しむとするか。