せつな編 第2話

 まだお眠り中の刹那を拘束椅子に座らせて、厳重に拘束した。
 今回は、ゆえを拘束したときとはワケが違うので、物理的な拘束以外にもやらなければならない。
 念には念を込めて、幾重にも複雑な魔法陣を描き、それらを発動させた。

 この魔法陣は、魔力的な真空状態を作り出すものだ。
 中には魔力が一切存在しないため、魔法の公使が一切出来なくなる。
 『気』も同じもので、いくら体内で気を練ったとしても、
 浸透圧の関係で体外に気が吸い出され、魔法陣の力で霧散させられる。
 いわば、この中ではどんな魔法使いや気の達人でも普通の人に成り下がるわけだ。

 刹那ですらもそれはかわらないはずだ。
 拘束椅子は、ゆえを拘束していたのとはまた違うもので、
 並の使い手が相手ならば、普通の状態でも破壊されない丈夫なものだ。
 刹那が烏族のハーフということで(烏族ってのは何なのか知らないが)念には念を込める必要がある。

 この魔法陣の中にいる状態だと、エドのいにっきで新たな命令を与えることはできないが、
 時限式の暗示を前もって埋め込んでおいた。
 準備は万端。
 あとは刹那を追いつめるだけで終わる。

 実のところ、刹那の特性は既に判明していた。
 木乃香の特性と同じく『絶望』だ。

 何故、判明したのかは、のどかのいどのえにっきによるところが大きい。
 俺がのどかに木乃香の特性を調べるように命令したさいに用いたいどのえにっきに、
 その特性の由来が書かれていたのだ。

 曰く「刹那に引っ張られた」とのこと。

 特性は、何も生まれたときに決定し、死ぬまで不変のものではない。
 最初は非常に柔軟で、何か切っ掛けがあればすぐに変化する。
 とはいえ、年を取るごとに特性は変わりにくくなり、成人でほぼ固定される。
 だいたい、落ち着いてくるのは思春期を過ぎてからで、
 女子中学生であるこいつらは、まだ、大きな出来事を体験することによって変化する可能性がある。
 ただ、エドのいにっきで契約暗示という深いくさびをうちこまれた場合、
 俺が何かをしない限り変化することは滅多にない。

 もちろん、何事に置いても例外は存在する。
 生まれつきである程度固定されている特性というのもあるわけで、
 それがゆえの『恥辱』だったりする。

 話を戻すと、木乃香と刹那の特性が一緒なのは、
 一方が一方の特性に引っ張られたことが原因だった。

 普通の人間が、鬱病を患っている人と接しているうちに自分も鬱病にかかってしまうことがあるように、
 特性も、他人を同じ特性にしてしまうものもある。

 それが『絶望』だ。

 絶望という特性は、それ自身が幸福である人間しかならない。
 なんだかちぐはぐであるように見えるだろうが、自分自身が心底絶望している人間ならば、
 これ以上絶望する余地はないからだ。
 幸福である人間が、転落してこそ、その落差が大きくなる。
 また、絶望を恐れるものは、過去に深い苦しみを味わったことがあるものだけだ。

 木乃香と刹那。
 どちらが最初に絶望の特性に変化し、どちらを引っ張ったのかはわかっている。
 刹那だ。
 木乃香は知らず知らずに刹那に足首を掴まれ、落ちるときには一緒、という運命を背負わされていたわけだ。




「……」

 刹那が目を覚ました。
 全裸で椅子に拘束されていることに素早く気づくと、俺をにらみつけた。

「貴様ッ、騙したなッ!」
「ああ、騙したとも。
 神鳴流剣士ってのは、呪術師を守る犬らしいが、本当に犬並の頭脳しか持ってなかったとはな。
 おかげで仕事がやりやすくて助かったぜ」

 木乃香にはまだ手を付けていない……というか、あの魔力モンスターは素の状態での洗脳が効かない。
 体に貯蓄されている魔力がエドのいにっきから発せられる魔力波動に対する防壁の役割をして、
 内部まで暗示を届かせなくしてしまうのだ。
 無理矢理押し切ろうとも、木乃香がその気になったら……そこまで木乃香に技量はないだろうが……
 エドのいにっきを介して反撃される可能性もある。
 今、刹那に対して使っている魔法陣も、容量オーバーが甚だしくて、
 貴重な薬剤やマジックアイテムが全て吹っ飛ぶだけで意味がない。

 そこで、神鳴流剣士にして、木乃香の親友である刹那をまず最初に洗脳し、
 その力を借りようって寸法だ。

 刹那への脅迫はなるべくゲスっぽく言うのがコツだ。
 そうすれば、木乃香に対する暴行の想像は、刹那にとって強力なものとなって抱かれるだろう。

「このちゃ……お嬢様に何をしたッ!」

 かつての刹那が放っていた殺気よりも遙かに強いものが俺に向けられた。
 しかし、口輪を嵌められた番犬の牙を、わざわざ恐がる馬鹿はいない。

「いやいや、お前のおかげで木乃香お嬢様を簡単に確保できたぜ。
 ありがとよ、役に立たない護衛さんよ」
「……何?」
「何にもない段階で、木乃香を誘拐しようってったって、そいつは難しいことだ。
 だから、餌で木乃香を釣って、攫ったってわけだよ」

 息を一つ吐いて、俺は俺が座る用に用意しておいた椅子を引っ張った。
 反対の向きに座って、背もたれに腕を載せ、その腕の上に顎を載せる。

「『お前の親友は預かった。返して貰いたかったら、一人で指定の場所に来い』ってな。
 この写真も添えてだ」

 そういって、胸ポケットから四つ折りにした写真を撮りだした。
 開いてから放ると、ひらひらとゆれながら、刹那の足下に落ちた。
 ちょうど刹那から見える地点に落ちている。

「……ッ!」

 写真には、刹那が写っていた。
 ただ、全裸で、自分で自分の秘裂を広げているシーンが写っている。
 顔は写っているが、気絶しているので当然目をつぶったまま。
 お腹あたりには、『助けて、木乃香お嬢様』と書かれた紙がある。

「お嬢様は本当によく指示に従ってくれたよ。
 誰にも知らせず、自分の身も顧みず、指示された場所に行き、そこに置かれた薬を指示通り飲み干した。
 これほど楽なターゲットは今まで経験したことがなかったな」

 玄人っぽく……もとい、本当に俺は玄人なんだが、まあ、それらしい言動を節々に見せつけた。

 説明するまでもないと思うが、実際には木乃香と刹那を確保したのはてんでバラバラにだ。
 時間から言えば木乃香の方を先に捕まえたのであり、刹那を餌にして捕まえたわけでもない。

 ここで重要なのは、刹那に『罪悪感』を植え付けることだ。
 自分の無力さ、浅はかさが引き金となって、
 真に大切な人に害を及ぼしてしまった、ということを知らしめなければならない。

「……お嬢様に指一本触れてみろ、絶対に貴様を殺してやる!」

 が、意外や意外、刹那は俺にかみつくことによって精神的な落ち込みを回避した。
 落ち込むことよりも、なんとか現状を回復させようとしているのだろう。

「残念だが、もう色んなところを触れた後だな」
「なん……だとっ」

 みるみるうちに刹那の顔が赤くなった。
 怒りに震え、体を揺すって椅子から体を引きはがそうとしているが、音すら立たない。

「最初はたっぷり薬を使ってやったからな。
 すごくかわいく鳴いてくれたぞ」
「こ、殺すッ! 絶対に殺すッ!」
「いやいや、こんな役得を得られたのは、全部、木乃香の無能な護衛のおかげだよ。
 ありがとうな、桜咲刹那」

 ぎりり、と歯を食いしばって、俺をにらみつけてきた。
 絶望よりか、怒りに我を忘れている状態のようだ。
 このままでは、絶望の特性条件がクリア出来ない可能性がある。

「で、だ。
 話は変わるが、今後のお前の処遇を決めかねている。
 木乃香を誘拐するときに餌として利用させてもらったが、
 誘拐が終わった今となっては、用はなくなったわけだからな。
 利用価値はないし、かといって迂闊に結界を解けるような相手ではない。
 さて、どうしようか、と思っているところだ」
「……くっ」

 刹那は目をそらした。
 しばらくの間、俺と刹那の間に沈黙が走る。

 いわば刹那に対して、人権を認めない、という宣告をしたわけだ。
 刹那にとっては、あまりよろしくない状況であるが、
 その状況でも自分が取れる最善の選択を取ろうと思考しているに違いない。

「……私を、好きに嬲ればいい」
「嬲れつったってなあ。お前を拘束椅子から離すわけにはいかねーし。
 かといって、その椅子につないだまま、イタすってわけにもいかんし。
 というか、お前、そういう趣味があるのか?」
「違うッ! ……くっ……。
 抵抗はしない。お前の言う通りにする。
 だから、お嬢様にはもう触るな」
「あー、なるほど、そういうことね。
 自分がお嬢様の身代わりになるっつってるのね。
 だけど、それは出来ないなあ。
 確かに今はもう木乃香に指一本触れることはできないからな」
「……何?」
「もう、出荷されちゃってるんだよ、これが」

 あえて出荷という言葉を使った。
 この言葉を使ったのは、含みがあるからだ。
 つまり所謂伏線ってやつだ。

「くっ……貴様は関西呪術協会のどの派閥のものだッ!
 長は既に組織の変革に着手している。貴様らの悪事が露見するのも時間の問題だぞ!」
「おおっと、まだまだ誤解しているぞ、桜咲刹那。
 俺は関西呪術協会の者じゃないし、それに雇われたような人間でもない。
 もっと別の組織に頼まれたモンだよ」
「……何?」
「お前は木乃香を、関西呪術協会の長の娘だとしか思っていないようだが、
 あの娘には社会的地位だけしか、親から受け継いでいるわけじゃないだろうが」

 刹那は俺を睨んでいる。
 睨みながらも、俺の真意を探ろうと必死に思案に暮れているようだった。
 刹那が先に俺が今から言う言葉を推測しようが、それとも俺が先に言おうが、
 俺は別に気にしない。

「魔力限界値だよ。
 あの娘は、過去の英雄サウザンドマスターに勝るほど強い魔力を持った人間だ。
 そこに利用価値を見いだした人が、俺の雇い主だったってわけだ」
「……また封印された鬼神を復活させるつもりなのか?」
「あん? 何それ」

 と、思わず口に出してしまったものの、そういえば関西呪術協会のドンパチで鬼神が召喚されたという話だったのを思い出した。
 そうか、封印されていた鬼神を召喚できたのは、木乃香の魔力を利用されたからなのか。
 言うまでもないが、普通そういったのは強力な術者が複数人集まって数日がかりにやるもんなわけで、
 流石にサラブレットは頭おかしいようなことを平然とやるから困る。

「そんなややこしいことはしないよ。
 もっとあいつらはシンプルなことをやろうとしていると思う。
 ずばり言うと、魔法の才能がある人間の子もまた、魔法の才能があるってことだ」

 流石の刹那も絶句した。
 顔がみるみる青くなり、まさか、とかそういった言葉をぼそぼそとつぶやいている。

「途方もなく時間がかかるが、この上なく堅実に行える、力の持った魔法使い量産法だな。
 今、木乃香は、貨物船の中に載せられて、中東の方の国に輸送されている。
 今頃、暗くてじめじめしたところに押し込められて、何十人もの屈強な男どもに乱暴に回されているだろうよ」

 刹那の手ががたがたと震えだした。
 刹那もまた、見ているはずだ。
 ネギみたいなぬるま湯の世界に生きてきた人間じゃない。
 人間の汚い姿も、裏の世界の後ろ暗い部分もまた見てきたはずだ。

 自分のしてしまった失態によって、木乃香が世界の暗闇に囚われ、
 まず二度と日の光を見ることが出来ない状態に陥ってしまった、ということが容易に想像できるはずなのだ。

「う……う、うそ、嘘だッ! 嘘をつくなッ!」
「嘘だと思いたいんならそう思ってればいい。
 お前が信じようが信じまいが知ったこっちゃない。
 俺にとって重要なことは、木乃香をうっぱらった礼金が、
 俺の懐にたんまりおさまっているってことだけだからな」
「あ……あああっ、ああああああっ、こ、このちゃ……このちゃんっ……」

 流石に辛い現実だったらしく、刹那は大粒の涙を流し始めた。
 自分のふがいなさを責めるように、このちゃんこのちゃんと言葉を繰り返している。

 もうこの時点で、特性『絶望』の条件は満たされたかもしれない。
 が、そうだとしても、俺はもう少し遊ぶつもりだった。

「わ、わたっ、わたしの、せいだっ! わたしがっ、浮かれているからっ!
 わたしがっ、しあわせになったから! このちゃんがっ、このちゃんがっ!!
 あああああっ、わたしは幸せになっちゃいけなかったんだっ!
 どうして、どうして! なんでこのちゃんがっ、なんでよりによってこのちゃんがっ!!」

 拘束椅子に座っていなければ、刹那は暴れ出していただろう。
 悲鳴じみた大声を張り上げて、自分を責めていた。

 木乃香が貨物船で輪姦されているんじゃなくて、
 すぐ下の階で、のどかとゆえに簀巻きにされて転がされているだけと知ったら、どう反応するんだろうか。

 思わず、笑いそうになるのをこらえながら、俺は鳴っていない携帯電話を取り出して耳に当てた。
 事務的な口調で、何も言わない携帯電話に対して返答を繰り返し、しぶしぶといった様子で刹那に近づいていく。

「ほら、お前の『このちゃん』から電話だってよ」
「……え?」

 真っ赤に腫らした目をこちらに向け、ぐずぐずと鼻をすすりながら刹那は不思議そうに見た。
 拘束椅子の中で、『暴れる』というより『身動き』といった方が正確に思える抵抗をやめている。

「お別れの挨拶だとよ」

 俺はそういって、どこにも通じていない携帯電話を刹那の耳に当てた。

 ここで刹那に植え込んでいた暗示が発動する。
 携帯電話を耳に当てられたとき、前もって設定しておいた会話が
 あたかも聞こえてくるかのように脳裏に浮かび上がってくる、という暗示だ。

「こ、このちゃん! このちゃん!」

 携帯電話からは何も聞こえてこない。
 が、刹那にとってはそうではない。

 少し涸れた声だが、確かに木乃香と判別できる声。
 妙な反響音に混じって、男のものらしき話し声なんかが混じっているはずだ。
 荒い息づかい、不意に途切れる言葉なんかが、電話の向こうで行われている行為を想像させるだろう。

「このちゃん、このちゃんっ!」

 相変わらずこの子は、このちゃん、としか言わない。
 俺が一生懸命考えて、木乃香の台詞を考えたというのにこれじゃあ台無しだ。
 とはいえ、他の言葉すら出せないのには、
 刹那に一定以上の精神的ショックを与えている証明でもあるのだから、まあ、よしとするか。

 俺の考えたシナリオなら、木乃香は刹那に謝っているはずだ。
 自分のせいでせっちゃんを巻き込んでしまった云々、私のことは心配しないで云々。
 そういった類のことを健気にも刹那に言う。
 しかし、その健気さこそが刹那にとって一番辛いもののはずだ。
 いっそ、ののしってくれた方がいいのに、とすら思えるようなそんな感じの。

「そんなことない、そんなことないよ、このちゃんッ!
 私が、悪いんだよ。このちゃんのことを守るって、誓ったのにっ!」

 しかしこの言葉にも木乃香は女神のごとき慈悲の気持ちを発して、全てを許すという。
 うちのことでずっと束縛していて、ごめんな、うちのことは忘れて、うちの分まで幸せになってな、等々。

 慈愛の心は刹那を傷つけ、同時に木乃香の諦観さが手遅れ感を醸し出す。
 みんなには優しくしてもらってん、とか、見え透いた嘘をつくのもご愛敬だ。
 もちろん、その後には複数の男達の笑い声が聞こえ、同時にゲスな野次まで飛ぶ。
 「あっ、まだ、まだだめ」という木乃香の嘆願も空しく、木乃香の声が途絶え、
 雑音が混じり、木乃香の苦しむような、喜ぶようなうめき声が響く。

「や、やめろぉっ! こ、このちゃんにひどいことするなぁっ!」

 刹那は泣きながら、やや幼児後退したかのような声を張り上げる。
 しかし、そんな魂を削らんばかりの必死の行為も、全く意味がない。

 しばらくした後、また再び木乃香の声が受話器から漏れる。
 今度は本当に息も切れ切れで、先ほどまでの荒々しい行為の余韻を残したような、
 やや甘い響きも声には混じっている。

 今ちょっと受話器を落として……なんか変な音が聞こえたかもしれんけど気にしないで、
 というあからさまな嘘から始まり、身内に向けてのお別れメッセージタイム。
 父親の詠春には体を気遣う言葉、祖父の近衛門には言うとおりにお見合いをしてたらよかったかも、ごめんね他。
 神楽坂アスナには無茶しないようにと、ネギには……情報不足で思い浮かばなかったから、適当なこと言わせておいた。
 そして、それぞれには「せっちゃんを責めないように」と付け加えていたのが涙をそそる。
 まあ、俺が考えた茶番だけど、涙はそそるよね。

 刹那はもはや言葉にもならない声で木乃香の言葉に相づちを打っていた。

 最後には、刹那に対してごめんね、ごめんね、を何度も何度も告げて、不意にブツッと切れる。

「う……う、うあああああああああっ!」

 わんわんと泣き始めた刹那から一歩離れて、俺はエドのいにっきを取り出した。
 さっと俺の血入り朱肉を刹那の指に押しつけると、同時に足の先で魔法陣の一部を消し、
 気取られぬスピードで刹那の指をエドのいにっきに押しつけた。

 特性『絶望』は条件を満たし、信頼値もきちんと基準値に達していた。
 どこが『信頼』されているんだよ、という風にも思えるが、
 信頼値というのは個人の特性の持つ方向の感情を高めることでもあがるのだ。
 だから、絶望を味合わせることによって信頼値があがるという、
 なんともちぐはぐな感じがしないでもないが、とにかく条件を満たせたってわけだ。

 ぱちん、と指を弾くと拘束椅子の拘束が全てほどけた。
 が、刹那は泣くのに必死で俺に襲いかかってこようともしない。

「はい、お疲れさん。お芝居はここまでだ」

 勢いにのってこのままいじめ続けようかとも思ったが、なんだか面倒くさくなってきた。
 さっさと次に移行しよう。

 用意しておいたタオルを、放って刹那に投げてよこす。
 部屋のクローゼットを開き、前もって用意しておいた麻帆良女子中等部の制服を確認する。

 振り向くまでもなく、刹那が飛びかからんとしているのがわかった。
 タオルを投げられたことで自分の拘束が解かれていることに気づいたのだろう。
 だが、俺の言葉を聞いているほどの理解力は取り戻せていなかったようだ。

「止まれ」

 そう告げて、振り向くと、姿勢を低くして俺に飛びかからんとしていた刹那がいた。
 右手に気を収束させて、貫き手の形をしている。
 ガチで殺しにこようとしていたらしい。
 まあ、それも無理はないか。

「どうだった? 俺の演技は」

 麻帆良女子中等部の制服ごとハンガーを掴み、ほい、とベッドの上に落とす。

「完璧に信じただろ?
 木乃香が、見知らぬ異国に売り飛ばされて、貨物船に乗せられているなんてちょっと悪質な嘘をな」
「……」

 刹那の目が大きく見開かれた。
 ガチで殺しにかかっているポーズのまま動いていないが、まあ、いい。

「詳しく説明することもできるが、そんなことをするのも面倒だ。
 まあ、座れや。立ったままだと、なんだしな」

 刹那は俺の言うとおり、さきほどまで拘束されていた椅子に座った。
 今度は拘束がなされておらず、物理的には身動きが出来る。
 けれども、あの鋼鉄の拘束具なんかよりも遙かに強力な縛りが、刹那に常にまとわりついている。

「まず、これを見ようか」

 これまた用意しておいたリモコンを操作して、またまた用意しておいたテレビの映像を映す。
 すると、下の部屋の全容が監視カメラを通じて見ることができた。
 三つ並んでいるベッドの真ん中で、木乃香が手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされて転がされている。

「これはリアルタイムの映像だ。すぐ下の階を映している。
 つまり、貨物船なんかに載せられちゃいないってわけだ。
 さっきの電話もフェイク。俺が作った偽物で、嘘っぱちだったってわけだよ。おわかり?」

 刹那は俺の言った言葉を聞いて理解はできたようだが、まだまだ怒り心頭であるのはお変わりでない。
 口を開かせても気の利いた台詞を言ってくれそうにもなかったので、まだ口を閉ざして貰っていることにした。

「ネタばらしをしたところで、自己紹介といこう。
 俺は春原タマ。麻帆良学園男子中等部三年のB組所属。そして、魔法使いだ」

 本題を切り出す前にインターバルを置く必要がある。
 契約暗示を植え付けた後なら、今刹那の胸中に渦巻く怒りや憎しみなんてのは一瞬で消すことが出来るが、
 そんなことをしたらおもいっくそ興が削がれる。
 自然な形で落ち着かせて、自然な形でまた新たな苦しみを味わって貰って、その変化を楽しみたい。

「最近腑抜けすぎるお前のシュークリームよりも中身が詰まっていない脳みそをどうにかさせろ、
 と、学園長に依頼されて、背筋がぞっとするような茶番を見せて、
 お前が就いている任務がどれほど重要なものかを教えてやらせる任務をしてた魔法生徒さ」

 もちろん、これも嘘だ。
 それなら第一、木乃香を誘拐する必要もないし、
 服を全部脱がして写真まで撮るような過激なことを学園長が許すわけがない。

 ただ、一瞬の幻の希望を見せてやることが大切なんだ。

「……言うまでもなく、今のは口から出任せだよ。
 本当は、麻帆良学園にやってきた潜入工作員の一人。
 任務は、特定人物の洗脳。まあ、つまり、お前と木乃香を俺の意のままに動くお人形に仕立てることだ」

 ぱちんと指を弾いた。

「このちゃんに触るなッ! 私がっ、私が許さない!」
「おお、怖い怖い。簡単にとっつかまった番犬が吼えているのを見ると、小便がちびりそうだ」

 さっき俺がついた嘘は、ある意味現実的でもあったらしい。
 今の刹那はかつての刹那を思い起こすような、そんな気迫がある。
 守りたいものを守るために、それ以外のものを全て捨て去る覚悟を秘めた目だ。
 黄金の精神、あるいは漆黒の意思と呼ばれるそれを持っている人間は、非常に強い。

 現段階では、俺の手のひらをはいずりまわるのがせいぜいだろうがな。

「このちゃんに『触るな』か。
 木乃香に触る役目はお前にやってもらおう」

 椅子の上から動かない刹那に近づき、人差し指を首のすぐ下に当てた。

「木乃香を洗脳するためには、木乃香の持つ膨大な魔力をどうにかしなければならない。
 また同時に激しい感情のぶれも必要だ。
 だから、その役割を、お前にやってもらう」
「何を、たくらんでいるッ!」
「俺がお前を謀ったように。
 俺がお前を洗脳するときに、精神を打ちのめしたように。
 お前が木乃香を地獄に引きずり落とすんだよ」

 意味もなく哄笑。
 狂気を孕んだ笑いは、刹那に不安を抱かせるはずだ。

 実際今の状況はすごく楽しい。
 すごく楽しいが……こういう風な笑いは俺のしょうにはあっていない。
 飽くまで演出の一環だ。

「シナリオは既に考えてある。
 関西呪術協会のスキャンダルだ。
 お前は、烏族と人間のハーフなんだよな。
 しかしお前は産まれてすぐに捨てられている。
 では、考えたことはないか。
 お前の親は一体どこにいるのか、お前の親は一体何故お前を捨てたのか、だ。
 お前の人間の親は近衛詠春、つまり近衛木乃香の父。
 そしてお前の烏族の親は、関西呪術協会の地下牢で衰弱死されていたのを発見された」
「な、何を、でっ、でたらめな!」
「でたらめだよ、その通りでたらめだ。
 これは飽くまで、近衛木乃香を絶望に突き落とすためのお芝居だ。
 近衛詠春は、表向きは人格者だが、裏では非情なサディストだった。
 お前の母親である烏族は、詠春に性のはけ口として幾度もなく拷問を受けた。
 やがて子を孕み、お前を産む。
 関西呪術協会の長である詠春は今まで幾多にも他の女との子を堕胎させてきたが、
 不意にある一つの考えを思いついた。
 お前の母親は大層美しく、またその子供も美しい女になるだろう、と。
 目の前にいる女の使い心地は最高だが、最近、少し使いすぎてしまったせいか、
 精神が破綻気味のうえ、味が落ちてしまった。
 ならば、これと同じ味を味わうために、子を産ませてみるも一興だと。
 よくよく考えてみれば、身寄りのない烏族のハーフの後ろ盾となってやることは、
 他の人間からも人格者と見られる一要因になるだろう、と。
 かといって、他人と必要以上仲良くならないように、圧力をかけて孤立させていた。
 そしてお前が初潮を迎えた日、嫌がるお前を無理矢理押し倒し、そのまま破瓜。
 誰かに言えば母親の命は無いぞ、と脅され、そのまま何度も何度も犯され続ける。
 憎い男の娘だが、彼女の護衛もしなければ詠春に母親を殺されてしまうため、
 本当は殺してやろうと何度も思いながらも、木乃香と仲の良い振り、護衛する振りを続けていた。
 そして、つい先日、お前は京都に帰ったとき、地下牢で母親が衰弱して死んでいるのを目撃した。
 もう何も遠慮することはない、お前は腹に覚悟を決め、詠春に対しての復讐を計画した。
 詠春本人を害することは難しい。
 現役を退いたものの、未だその剣の腕は健在な上、相手は関西呪術協会の長。
 狙うのは得策ではない……では代わりになるのは誰か?
 近衛木乃香だ。
 人非人の近衛詠春が溺愛する娘をいたぶることによって、復讐をすることにした。
 単独で行うのはいかに近衛木乃香に近いお前でも難しい。
 だから、俺を雇って木乃香を誘拐し、この隠れ家に閉じこめた。
 さあ、これから復讐だ。
 気のこもった木刀で、何度も何度も体を打ち据えて、罵倒し、昔年の恨みを晴らすときだ」
「ふ、ふざけるのも、いっ、いい加減にしろッ!
 そんなことはでたらめだッ! てんで話の筋は通っていない!」
「整合性なんてのはどうでもいいんだよ。
 この話を聞かされながら、お前に殴られれば、
 話が嘘が本当かなんてのは大して重要なことじゃない」

 俺の異様な迫力に押されてか、刹那は怖じ気づいていた。

「わ、私はこのちゃんをな、殴るなんてことに協力すると思ったのか!
 何をされようが、貴様の言うことなんて聞くわけがないだろうが!」
「何を言っている。もうお前の精神は俺の手の中にあるんだぜ」

 ぱん、と手を叩くと、刹那は立ち上がった。
 俺はベッドの上に置いてあった制服を持ち上げると、そのまま刹那に手渡す。

「ほら、着替えだ」
「……ああ、すまない」

 さきほどまで激昂していた刹那は制服を受け取り、その場で着始めた。
 床に落ちていたタオルで顔を拭き、涙と鼻水を拭う。
 目が腫れているのは治らないが、治す必要もない。
 母親の死に号泣していた、という設定で押し通すことができるからだ。

 制服を完全に着終わった刹那に、俺はまず初めに聞いた。

「近衛木乃香は、刹那にとってどういう存在なんだ?」
「……何を変なことを聞く。仕事を依頼するまえに説明しただろう。
 私の母の仇、悪鬼近衛詠春の娘……どれほど憎もうとも憎みきれない女だ」
「じゃあ、その木乃香を捕まえたわけだけど、これからどうするの?」
「しつこいな。それも説明しただろうが。
 今まで母と私が受けてきた近衛詠春に対しての恨みを受けて貰う。
 私のこの手で殴り、刻み、爪を剥いで、生き地獄を見せてやる」
「それはいい」

 暗示はきちんとかかっていることがわかった。
 そう、わかったのだ。
 俺だけでなく、刹那自身にもだ。

 エドのいにっきを開く。
 思考ページを見ると、そこには刹那のわめき声が記されていた。

 『やめてくれ、私にそんなことをさせないでくれ!
  頼む、私はどうなってもいい! だから、このちゃんには! このちゃんにはッ!』

 この他にもたくさんの文字が表示されている。
 よほど焦っているのか、文章として成り立っていないところ、
 読めない文字がぐちゃぐちゃと並んでいるところも数多い。

 エドのいにっきを閉じ、刹那の悲鳴から目をそらす。

「さあ、行こうか」
「ああ」

 俺と刹那は赴く。
 木乃香のいる部屋の扉を開くと、木乃香は刹那の姿を見て表情を明るくした。
 自分が誘拐されていることの自覚があったのか、刹那に救いを見たのだ。
 この後、自分がどんな目に遭うかもしれずに。

「じゃあ、刹那、後はご自由に。俺は部屋の外にいるから、なんかあったら呼べよ」
「ああ、手間をかけさせたな」
「なあに、これも仕事だ。
 それに、お前のことも嫌いじゃないしな」
「な、何を言ってる! あ、あっちへ行け!」

 顔を赤らめた刹那に目配せし、俺はそっと部屋の扉を閉めた。





 数分後、刹那の怒号と木乃香の悲鳴をBGMに、俺はのどかとゆえといちゃいちゃするのを楽しんだ。