せつな編 第3話

 もうそろそろ頃合いかな、と思って、刹那と木乃香がいる部屋に入った。
 部屋の中は俺の思っていた以上の惨状で、部屋にあったもののほとんどが破壊されていた。
 家具で破壊されていなかったものはベッドくらいで、そのベッドですらも足の一本に深い切り傷が入っていた。

 まったくもう、これを修理するのは誰がやるのだと思っているのだろうか。

「……何のようだ」

 部屋のちょうど真ん中で佇んでいた刹那が振り返った。
 手には渡しておいた木刀があり、その木刀にはちらと見ただけでわかる歪んだ気が纏っている。
 これで叩ききられたら痛いだろうなあ、と思いつつ、肩を落として気安げな口調で答えた。

「いや、そろそろ例のアレをしようかと思ってね」

 刹那は承知したとばかりに頷いた。
 その場から右に二歩動くと、さっきまで暴力を振るわれていた木乃香が見えた。
 壮絶な暴力があったはずだが、その外傷はそれほどでもない。
 ただ体に無数の浅い切り傷や、痣が浮かんでいるだけだ。
 刹那が本気を出したのならば、人間を一撃で塵も残さず消し飛ばすことができることを考えれば、
 軽い方だといえるだろう。
 言うなれば、かすっただけで致命傷を受ける対戦車ライフルで
 膝に擦り傷をつくるだけにとどめているようなもんだ。

 しかし、神鳴流の技の真価は、肉体の傷ではない。
 木乃香の体の奥底に眠っていた膨大な魔力……これがほとんど消し飛んでいる。
 刹那の気の籠もった木刀が、ざくざくと魔力を切り刻み、吹き飛ばしてしまったのだ。
 時間が経てば外気から魔力を取り入れることによって復活するだろうが、
 今の木乃香は、魔力攻撃に対する耐性が限りなくゼロに落ちている。

「そうか、では、手はず通りに頼む」

 刹那の言葉に甘んじて、地面に力なく横たわっている木乃香の元へと足を向ける。
 木乃香は、裂けて血が溢れている唇を微かに震わせ、小声でひたすら刹那に謝っていた。
 あの、心優しい……っつっても俺は資料やのどか達の話での印象しか知らないが……
 木乃香は、肉親の犯した罪に対しての自責の念に対する謝罪だけしか言っていないわけではなかった。
 木乃香の光を失い、虚ろになった瞳には、圧倒的な暴力に対する屈服があった。
 刹那によって与えられた暴力は、きっと俺の想像しているもの以上だったのだろう。
 ただただ自分の肉体の損傷を拒むことが理由での謝罪の言葉があった。

 つまり、木乃香は心の苦しみよりも体の苦しみの方が辛く感じられたということだ。
 そういう人間は、責め苦から逃れられるのならばどんなことでもするだろう。
 そして、概してそういう人間の囚われている感情は、恐怖。
 その恐怖の出所は絶望だ。

 エドのいにっきを取り出して、念のために条件を満たしているかどうかを確認する。

 特性『絶望』の条件はもちろん、信頼値もたっぷりと溜まっていた。
 例のごとく俺の血が混ざった朱肉を取り出し、抵抗しない木乃香の手を取り、拇印を押させる。
 赤く染まった木乃香の指紋は、すうっと消え、契約暗示が無事に埋め込まれたことがわかった。

 ふう、これで一段落付いた。
 この任務を与えられたときはどうなることかと思ったが、
 なんとか最大の山場は越えられた。
 ターゲットはまだ残っているものの、最大の難関を越えた今となってはそれほど大変ではないだろう。
 一応、エヴァンなんとかとかもリストに乗っていたが、あれは別に手出ししなくてもいい相手だった。

 流石の俺でもリストの優先順位の繰り上げをされたら、組織からの脱退を本気で考える。
 どっちの方が生存確率が高いかを考えれば……まだ逃げた方が分があるような気がする。

 ……あー、今はそんなことを考えるのはよそう。
 とにかく、任務達成。
 刹那と木乃香の両方を手中に収めることが出来たんだ。
 ここは素直に喜んで楽しもう。

「よし、パーフェクトだ」
「洗脳は、ちゃんと出来たのか?」
「ああ、ばっちりだ」

 背後からひょいと顔を出した刹那が声をかけてきた。
 俺の作った疑似人格はうまく働いていたようだ。
 この後すぐに消し去ってしまうのに、わざわざ普通に返答してしまった。
 思わず、笑いがこみ上げ、口の端から漏れてしまった。

「……何を笑っている」

 刹那が険悪な目で俺を睨んできた。
 復讐の鬼と化している……本当に『化している』刹那にとって、
 俺は協力者という立ち位置だが、好感を抱かれているわけじゃない。

「いやいや、お前のおかげでちゃんと目的を達成できて、よかったって思ってるんだよ」
「ふん、お前の目的が何であろうと、私には関係ない」

 さて、そろそろ頃合いかな。

 俺は手をぱんと叩いた。
 叩くと同時に手の表面に薄く纏っていた魔力が弾け、一定の信号となって辺りにまき散らされる。
 それは、刹那の頭にも直撃し、薄く存在していた疑似人格を引っぺがした。

 刹那の顔が一瞬にして赤から青に変化し、段々と震えていた。
 もう既に、刹那は本来の人格を取り戻し、体の自由も一部戻っているはずだ。
 一部っていっても、俺に向かって攻撃をしかけられない、といった制限がかかっているだけで、
 その他のことは普通に行える。
 だから、実質、自由の身で、その場で震えるだけで動かなかった。

 本当に取り返しのつかないことをやってしまった人間は、その場で動けなくなるようだ。
 この後、何をやろうとも挽回することのできず、自己を保つレベルのものを喪失してしまう人間は、
 本当に身動きが取れなくなる。

 今、エドのいにっきを覗くことは出来ない。

 割と平然としているように見えるが、人の心を覗くと言う行為は覗く本人にも負担を強いることなのだ。
 覗きと露出は表裏一体のものらしいが、アーティファクトを用いて他人の心を覗く行為もまた、
 自分の心を守る壁を薄くするものらしい。

 流石の俺も、今、エドのいにっきを開いて刹那の心を覗こうとは思えない。
 契約暗示を結んだときよりも遙かに深い闇が露出していることが明らかだからだ。
 刹那は四肢をぶるぶる振るわせ、やがて立っていられなくなったのか、膝をついた。
 唇は真っ青になり、顔をややうつむき加減にして、振動といっていいほど震えている。

 俺は持ってきた杖を構え、木乃香に向けて治癒の魔法を用いた。
 浅い切り傷と痣しかないため、治癒は比較的簡単に済んだ。
 もちろん、それは外面だけであり、中の魔力は未だに治っていないし、
 精神もまた、何もしなければ崩壊してしまうようなものになっている。

 魔力はともかく、精神に対してはあれこれ手を入れる必要がある。
 とりあえず、体を起こそうと手を触れたそのときだった。

「こ、このちゃんにっ、触れるなぁああぁぁぁぁっ!!」

 刹那が跳ねるように立ち上がり、手に持っていた木刀を振り上げた。
 俺としては、あーあ、やっちまった、という反応しか返せない。

「い、いやああああっ! もうぶたないでぇぇぇぇぇっ!!」

 俺はただ軽く振り向いただけだったが、木刀を振り上げ、怒声を挙げる刹那に木乃香は大きく反応した。
 悲鳴を上げ、涙を流し、近くにいた俺にはっしと抱きついてきた。

 振り下ろされた木刀は、俺の体の数センチ手前で止まる。
 もちろん、刹那が予期した動きではなく、ただ単純に『俺に攻撃できない』という暗示が聞いているだけだ。
 無意識化で筋肉がセーブされて、俺に攻撃が当たらない。

 しかしまあ、それよりもショックなことが木乃香の態度だろう。

「あーあ、泣かせちゃった」
「う……っ」

 感情に流されるままの突発的行動であったがために、
 俺の言葉に反論することせず、刹那は声を詰まらせた。
 よく見たら、目尻に涙が浮かび、悲痛な表情を浮かべている。

「よしよし、いい子だ。俺が刹那から守ってやるから、な?
 落ち着いて、息をゆっくり吸え」

 木乃香は涙で顔をぐしゅぐしゅにして、俺を見た。
 俺の言うことを聞いて、ゆっくり息を吸ったり吐いたりする。
 それでもまだ恐怖で体が引きつっているので、深呼吸もどこかぎこちない。

 こっとはこれで問題ないみたいだが、刹那の方は立ち位置をどうするのか迷っているようだった。
 木乃香と同じように泣いているのだが、俺を憎む気持ちもあるようで、睨みながら泣いているそんな感じだった。

 とりあえず、俺一人では、この二人を両方構ったまま動きを取るのは面倒臭いので、
 ぱんぱんと手を叩いた。

 今回は単純に音を聞きつけて、ドアの外に待機していたゆえとのどかが入ってきた。

「のどか、木乃香を頼む」
「はい、春原さん」

 さっきたっぷりかわいがってやったから、ほにゃっとした笑顔を浮かべてのどかは木乃香を支えた。
 耳元で安心させるように声をかけ、自分の来ていたブレザーを脱いで木乃香に着せている。

「さて、刹那、少し、お話しようか」
「……何が、お話しようかッ、だ!」

 俺がセーブしなければ、怒りにまかせて攻撃しかねない勢いだった。
 今まではその反応を楽しんでいたものの、木乃香をのどかに託した今となっては容赦するわけにはいかない。

「やれやれ、まだお前は自分の置かれた立場というものをわかっていないようだな」
「ふざけるなッ! 私にあんなことをさせておきながらッ! 生きて帰れると思うなッ!」
「黙れよ」

 刹那は口をつぐんだ。
 まだまだ俺に向けての怒りは発散していないようで、口の中でもごもごやっているが声にはならない。

「さて、静かになったところで、お前が今置かれている状況及びこれからどう振る舞えばいいのか、
 軽くレクチャーしてやる。守るべき基本的なルールもな。
 感謝しろよ、普段ならこういうことはしないが、お前は馬鹿っぽいからな」

 涙を流しながら睨んでくる刹那に向かって更に言葉を続ける。

「まず、お前はもはや俺の手中にある。
 精神も、肉体も、記憶でさえも俺のものだ。
 お前は俺に逆らうことはできない。
 逆らいたい、と思ったとしても、実際に行動に移ることはできない。
 それっぽいことは出来るかもしれないが、お前が出来ることは、俺にとって無害である範囲内でのことだけだ。
 本当に俺に害を及ぼす可能性のある反逆はすることができない」

 ゆっくり息を吸った。
 別に俺が緊張しているわけではないが、
 馬鹿っぽい刹那が俺の言った言葉を理解するためには、一瞬の空白が必要だと思ったからだ。
 もちろん、今言っただけで全てが理解できたとは思わないが。

 なんか手持ちぶさたにしていたゆえがいたので、手を伸ばしてこっちに引き寄せた。
 ベッドに座り、膝の上にゆえを無理矢理載せる。
 ゆえはいきなり引っ張られて驚いたのか、いやいや、と逃れようとしたが、
 軽く抱きしめてやったら、すぐに落ち着いた。

「お前に出来ることは、まあ、俺の機嫌を伺うことだな。
 俺が望むであろう行動を自分で考えて、自分で実行することだ。
 それが最も賢明な判断っていえる。
 まあ、さっきみたいな地獄が見たいんなら、別だけどな」

 ゆえの体をまさぐりながら言う。
 さんざんいじくった経験が生きて、ゆえのどこが弱いかは完全に把握している。
 その場所になるべく触れないように、かといって全く見当違いの部位を触るわけでもなく、
 うまい具合にいじくりまわす。

「んっ……あっ……」

 ゆえは切なげに声を漏らし、俺にすがるように抱きついてくる。
 首元に軽く吸い付かれ、愛しさがこみ上げてきたが、ここはぐっと我慢した。

「それでまあ、俺の機嫌をとるためには、こういうことをする必要があるってわけだ」

 膝の上に座っているゆえの膝の裏に手を伸ばし、そのまま大きく上げた。
 足が大きく開かれているわけだが、まだスカートがあるから下着が見えるほどではない。

「ほら、ゆえ」
「……う……う……本当に、やる、ですか?」

 事前に打ち合わせをしていなかったが、ゆえは俺の意図するところを理解したらしい。
 とはいえ、理解できるのと実行するのはまた別。
 流石に恥ずかしいらしく、頬を染めて、俺に尋ねてきた。

 俺に言わせれば、何を今更、と言いたいところだが、
 そんなことを言っても何の得もない。
 刹那に知らしめるためにも、もちろんゆえの教育のためにも、もっとちゃんとした言葉で言うべきだろう。

「ゆえ、俺は賢い女は好きだが、ただ頭が回るだけの女は嫌いだ。
 賢い女は回る頭の使いどきを知っている。ただ頭が回るだけの女は余計なことにしか使わない。
 さて……ゆえ、お前は少なくとも俺の意図を理解できるほどの力がある。
 では、お前はどっちだ? 賢い女か? それともただ頭が回るだけの女か?」
「う……うう……」

 目尻に涙を浮かべながらも、ゆえはしぶしぶといった様子で自分のスカートの裾をつまんだ。
 ゆっくりゆっくりとその裾を持ち上げ、その下にあるものを刹那に見せつけようとしている。

 ……流石に今度はおむつではない。
 おむつをつけたままこんなことをさせたら、刹那にあらぬ誤解を抱かせてしまう可能性がある。
 いや、どこが誤解なんだよ、とのツッコミもあるだろうが、
 おむつを許されるのはゆえだけなのだ。
 のどかや木乃香、あるいは刹那がおむつをつけているところを想像しても、まずピンとこない。
 しかし、見た目が幼く、下が早いゆえだと、数十年来身につけているかのようなフィット感がある。

 ……。

 まあ、おむつ談義なんてのはどうでもいい。
 問題は、そろそろゆえはスカートを完全にまくり上げたというところだ。

「よし、ゆえ、よくやった。
 お前は十分賢い女だよ。
 ああ、お前は俺の期待に応えてくれた。
 合格だ、これ以上、俺は何も言わない、よくやったな」

 ゆえが顔だけこちらに向けた。
 俺は励ましながら、ただ目で訴えた。
 表面上は、そう装っているが、俺はゆえにさらなる無言の注文を出していた。

 何度も何度もゆえの体を堪能し、ゆえも俺の体を楽しんだのだから、
 ゆえは俺のことをもっと知っているはずだ。

 ゆえは、ううう、と唸りながら、俺の耳元に口を近づけて、小声で囁いた。

「ご……ご褒美、いっぱい……くれるですか?」
「何のことだかわからないが、お前が頑張ってくれた分だけ、俺もそれにこたえることは確かだな」

 ゆえは半泣きになりながらも、持ち上げていたスカートの端を口にくわえた。
 今まで使っていた手をスカートがまくれた下に持って行った。
 もぞもぞと俺の太もものあたりにゆえの手が当たる感触がある。

「……ッ」

 ゆえは耳まで真っ赤にしたまま、何かを抜き取った。

 ……そういえばゆえのは紐パンだったな。



 ……え? 下着ごしのオナニーじゃないのか?

「……ッ……んッ!!」

 ぬちぬちという小さな水音が聞こえる。
 その音に合わせて、ゆえが微かに左右に揺れる。

 マジか。

 俺の想像していたものは下着ごしのオナニーだったのだが、
 ゆえはそれの更に上を行って、自分で自分の下着を抜き取って、オナニーを始めた。

 くっ、くそッ!
 それなら俺も見たかったッ!
 が、この角度からじゃうまく見えないし、覗きみようとしたら刹那に俺の滑稽な姿が見られてしまう。
 鏡、鏡、と思ったが、この部屋にはないから……前はあったが刹那に粉々にされているから……
 魔法でもってくることはできない。
 のどかに部屋の外から取ってきて貰おうにも、のどかは木乃香の方に手を取られている。

 刹那はゆえの痴態に目を見張っていた。
 それを見ると、なんだか猛烈に腹が立ってきた。
 俺のゆえが、まだ本当の意味で俺の女になっていない刹那に痴態を見せているのだ。
 やらせたのは俺だが、俺ですら見たいと思うものを俺が見れずに、刹那が見ていることが気にくわない。

 思わず顔が強ばるのをなんとか抑えながら、ゆえの膝の裏を支えていた手を下ろした。

 ゆえは目に涙を浮かべ、顔を赤らめながら、口を開いた。

「ご、ご褒美……」
「ああ、俺の想像以上のことをやってくれた。
 のどかが嫉妬で半日は口をきいてくれなくなるくらい、たっぷりご褒美をやるよ」

 ゆえをおろして、立ち上がる。

「さて、わかったかな? 刹那、口をきいてもいいぞ」

 刹那は渋い顔をして、吐き捨てるように小声で言った。

「……下衆が」
「ゲス、ゲスか。
 その言葉は、ゆえに何度も聞かされたし、その意味も教え込まれたよ」

 俺はゆえに向かって振り返った。
 するとゆえは、そっぽを向いて口を尖らせていた。

「うるさいですよ……この下衆」
「言ったな。後でたっぷりいじめてやるから覚悟しとけよ、ゆえ」

 ゆえの「ゲス」は、俺に向かって敵意ある言葉ではなくなっていた。
 以前は俺を侮蔑する言葉だったが、そういうたびにいじめていた。
 だが、段々と肉欲に溺れ、いじめられることに快感を感じるマゾの才が開花していくと、
 ゲスと俺に言うと、余計にいじめてもらえる、と学習していったのだ。

 だから、「今日はいつもよりたくさんいじめてほしい」という合図として、ゲスという言葉を使うようになっていた。

「まあ、俺がゲスだの卑劣漢だの人でなしだのは言われなくてもわかっているし、
 言われたところで直そうとも思わないから、そんな言葉を聞く必要はない。
 本当だったら、そんな言葉を吐くことがどんなことかを思い知らせてやるつもりで、
 お前に木乃香を何発か殴らせようかと思ったが……ま、ゆえが想像以上のことをしてくれて、
 俺の気分がすこぶるいいときだったからな、勘弁してやる。
 ゆえに感謝しとけよ」

 もちろん、嘘である。
 本当はいらついているのだが、だからといって苛烈なことをやらせても面白くない。
 もうちょっと抵抗心のあるような形で刹那を従わせ、後で徹底的に叩き折ってやるのが俺の好みだ。

 だから、俺のくすぶる感情を抑えつけて言った。

「それで、お前は何ができるんだ、刹那?」

 刹那は悔しそうに歯を食いしばっていた。
 俺の暗示には逆らえないということは知っているはずだ。
 もし逆らえるならば、木乃香をあんなにぼろぼろにする前に暗示から脱することが出来ただろう。

「……お嬢様は、どうなる?」
「どうなるも何も……なるようになるさ。
 物覚えよさそうな子だから、ひょっとしたらお前より順応するの早いかもな」
「……お嬢様には手を出すな。全て私が受ける」

 あー、こういうパターンに来たのね。
 予想できたけど、面倒くさい。

「俺がお前の提案を受けることのメリットは何なんだよ。
 というか、なんでお前そんな偉そうなわけ?
 さっきの俺の話聞いてなかった? ここでは俺が上、お前が下なんだぞ」

 刹那はその場に膝を突いて頭を地面にこすりつけた。

「頼むッ! お嬢様に手を出さないでくれッ!」

 刹那は刹那なりに木乃香を守ろうとしているらしい。
 その気持ちはよくわかるが、だからといって容赦するような男だったら、
 最初からこんなことはしていない。
 全くの無駄な行為だ。

「土下座したことは評価してやってもいいが、その願いは聞き届けられないな」
「なんでもするッ! どんなことを私にしてもいい、だからッ、だから、お嬢様はッ! お嬢様だけはッ!」
「勘違いしているようだが、俺はもう既にお前になんでもさせることができるし、
 どんなことだってすることが出来る。そもそも取引になっていない。
 情に訴えようとしているんなら、よそでやってくれ、時間の無駄だ」

 これだけ言っても刹那は理解しようとはしなかった。
 俺の足にとりすがり、ズボンを引っ張ってでも懇願する。

「頼む……このちゃんだけは……」

 なんともうざったい。
 聞き分けのないやつは嫌いだ。

「……最初に木乃香を犯して、無駄だということを見せつけるか」
「!! やっ、やめろッ!!」
「いいや、やめないね」

 俺がそう言い終えるや否や、刹那は弾けるように立ち上がり、
 木乃香に向かって飛びかかっていった。

 が、木乃香はまだショックから立ち直っていない。

「い、いやあああああッ!!」

 のどかを盾にするように飛び退く。
 そのせいか、刹那がとらえたのは木乃香ではなく、のどかの方だった。

「お嬢様ッ!」

 右腕の中に捕まえたのは木乃香ではなくのどか。
 それに気づいたときにはもう遅く、木乃香はさっさと俺の背後に隠れていた。
 流石に刹那も、暗示を埋め込んだ俺を相手に勝てるとは思わなかったのか飛びかかってこなかった。

 ただ、のどかの首に腕を回している。

「お、お嬢様をはなせッ! さもないと、こいつの首をへし折るぞ」

 今度は人質をとっての脅迫ときた。
 まさに悪役って感じだ。
 ……まあ、俺も人質をとっていたが、俺は元々悪役だから問題ない。

 もちろん、心配することは何もない。
 こういう事態を想定して、既に刹那にはセーブがかかっている。
 のどかに傷を付けることはできないし、言うまでもなく殺すことなんて不可能だ。

 とはいえ、腹が立たないかというとそんなわけはない。
 むしろ、さっきのゆえのことも合わせて、はらわたが煮えくり返りそうな気持ちになっている。

「のどか、俺を信頼しているか?」
「だ、黙れッ! はやく、お嬢様をはなせ!」

 はなせ、っつっても俺が木乃香を捕まえているわけじゃない。
 むしろ木乃香の方が俺の服の裾を掴んで離さない。

 のどかは俺の問いかけに首を縦に振ることで答えた。

「じゃあ、刹那を適当に突き飛ばしてこっちにこい」

 そう指示すると、のどかは自分の首にかけられた腕を掴んだ。
 そしてそれを終点に到着したときのジェットコースターのレバーのように、
 自分の首から離すと、そのまま刹那に体当たりをぶちかまし、俺の元へと走ってきた。

「春原さん、なんとか、逃げられましたー」

 のどかはなんともないかのように言っているが、刹那の方はショックを受けているようだった。
 刹那は裏の世界の住人の中でも手練れであり、一般人ののどかの腕力ではとても太刀打ちできるようなものではない。
 ひとえに俺の暗示というものがあったからこそ逃げられたのだ。

 あまりの呆気なくやられてしまったことに、ショックを受けているのかもしれない。
 地面に倒れ込んだまま、立ち上がらない。

 ふつふつと怒りの感情が心の奥底からわき上がってきた。
 刹那が暴れることは想定済みだったが、俺の女に手を出したのは許せない。
 刹那は木乃香を救おうとしたのであり、のどかを捕まえたの飽くまで事故だろうが、
 そんなことは関係ない。

「……それで、お前に出来ることは一体なんなんだよ、刹那」

 普通なら、木乃香と一緒にただ可愛がってやるだけだったが、
 こうも煽られてしまっては過激にならざるを得ない。
 とはいえ、まだ何にも考えていないわけだが、まあ、啖呵を切っておくぐらいはいいだろう。

「俺の女に手を出したことをあがなうためには、相当なことをしなきゃならんぞ」

 そうだな……刹那は既に大切なものを自分の手で失う苦しみを感じた。
 なら、今度は大切なものを他人に奪われる苦しみを感じてもいいかもしれない。
 普通に木乃香を俺のいいなりにしてやるのなら、やることは変わらない。
 それなりの趣向を凝らす必要がある。
 そうだな……暗示で誤認させる必要があるかもしれない。
 もっと深く、大きな喪失感を味合わせるための誤認が……。

 段々と頭の中でシナリオが構築されていく。
 さっきゆえに色々なことをさせた体験が起爆剤だったようで、
 また新しい考えが浮かんできた。

「さて、刹那」

 俺は地面に伏せたまま、悔しそうな表情で俺を睨んでいる刹那に目線を合わせた。
 つとめて笑顔を浮かべるようにしようとしたが、別に笑顔を浮かべる必要性なんてないことに気が付いた。

「もし、自分がもっと違う体だったらどうなったか……なんて人生を、体験したくはないか?」
「どういう……意味だ?」
「何、ちょっとした余興をしようってことさ」

 指をぱちんと鳴らすと、刹那はその場にぐったりと倒れた。
 音を聞きつけた、のどかやゆえ、そして木乃香もその場に倒れ伏した。

 さてさて、思いついたアイディアを形にするには、大がかりな催眠が必要だ。
 まず最初に、紙に暗示の概略を書いて、必要なものを詰める作業をしなけりゃな。

 ま、二時間もあれば準備は完了するだろう。