エヴァ編 第1話


 腹が立つ。
 全く持って腹が立つ。

 失敗すれば即破滅なんていう任務は、これまでにいくつもこなしてきたが、今回ほどハードではなかった。
 少なくともそういった任務は、成功させることができれば破滅することはなかったからだ。

 今回は違う。
 失敗したらもちろん破滅、けれども、成功したとしても破滅。
 完全な八方塞がりだ。

 

 俺は魔法球の上に手を置いた。
 瞬時に視界がブレて、魔法球の中の作られた空間に移動する。
 空は雲一つない、忌々しいほどの晴天だった。

「お待ちしておりました、タマ様」

 到着地点の脇に控えていたアンドロイドが俺に声を掛けてきた。
 絡繰茶々丸とよく似た、それでいて中身の違うそれは、俺の上着を脱がそうとしたが、それを遮る。

 あのクソアマが作ったものには、出来る限り触れたくない。
 それが、暮らしを快適にするために作られた便利な家事ロボットだとしてもだ。

 強い風が俺の上着をかき乱し、ぱたぱたと音を立てさせる。
 魔法球の中は普通風なんて吹かないのだが、ここまでどでかいところだと例外はあるらしい。
 入り口と出口のための魔法陣は、高い塔の頂上にあった。

 塔のへりに立ち、魔法球全体をぐるりと見回す。
 青い空と、青い海と、そして氷の魔女が、ここにあった。

「……やれやれ」

 高級リゾート地と引けを取らない豪華さを持つこの魔法球の持ち主が、さっきから睨んできて困る。
 今、俺がいる塔を降り、十分ほど歩いた場所にいるのだが、そこから発せられる殺気で頭がくらくらしてきた。

 全く持って恐ろしい相手だ。
 どんな事情があっても敵対したくない相手なのに、何故、俺が制圧に向かわねばならないのか。
 ネギは、条件付きではあるもののヤツを独力で押さえ込んだ、という話を聞いたが、それは嘘だった、と思わざるを得ない。

「ふう」

 あれこれ考えてもしょうがない。
 頭を痛ませて、悩むのはもう既にさんざんやった。
 どうあがいても実行しなければならないのなら、実行するしかないだろう。

 アンドロイドの先導で、俺は塔を降りた。

 

 


 不純物が混じっていない白い砂だけで成り立つ砂浜に、それはいた。
 ビーチパラソルの下で、寝そべっている。

「やあ、どうも」

 小さな体に露出度の高い水着を着て、孤島で日光浴をしている少女が吸血鬼だと誰が思うだろうか。
 もしこれがフィクションの世界であるのならば、『日光浴をする吸血鬼』なんて相反する要素を敢えて一緒にすることで目を惹かせようとしているのだろう。
 奇をてらうことは悪いことじゃないが、場合によっては元々持ち合わせた良いところを失いかねないな。

「貴様なぞ、招いた覚えがないが?」
「飛び込み営業ってやつですよ」

 残念ながら、今俺の目の前に広がる光景はフィクションではない。
 虎やライオンなんて目ではないほどの危険な生物に、ゴムひもを売りつけるかごとき行為をしなければいけないのだ。

 今や、絶対に接触したくないと思っていたエヴァンジェリン・A・K・マグダウェルは俺に殺気を飛ばしてこない。
 とはいえ、それは楽観視できるものではない。
 ただ単に、俺が無差別に暴れまくる馬鹿でないと判断したためだろう。
 殺す前に話くらいは聞いてやるか、という態度を取ってくれただけで、俺への印象がいいものになったわけではない。

「確か、図書館島付近で活動しているネズミだったな」
「……よくご存じで」
「私に感謝しろよ。ジジイに告げ口していたら、お前は今頃五体不満足で麻帆良湾に浮かんでいたんだからな」

 さっきまでも十分びびっていたが、更に怖くなってきた。
 俺の隠遁術が誰も彼もを欺けるわけじゃない、と認識していたが、麻帆良の学園の長に比較的近しい人間にばれていたとは予想外だった。
 エヴァンジェリンの余裕そうな表情から察するに、俺がそこで何をやっていたのかも知っているようだ。

「それはどうも。さて、申し開きをさせてもらっていいですかね?」
「イヤだ、と言ったら?」
「俺も一応、虎の口の中に入る覚悟をしていたんでね」

 本当のところは土下座でもしたいところだが、土下座が誰も彼もに通用する手ではない。
 徹底抗戦する態度を見せる人が好かれるときもある。
 喧嘩腰で立ち向かえ、といっているわけではない。

「俺は超鈴音の使いですよ」
「超? お前は超の部下だったのか?」
「いやまあ、そういうわけではないんですが……。
 端的に言うと、強引なヘッドハンティングにされまして……」

 エヴァンジェリンは、ふん、と鼻を鳴らした。
 俺の言葉に嘘を感じなかったんだろう。

 ヘッドハンティングなどという生やさしい言葉を使ったが、実際には脅迫と言った方が適切なことをされた。
 どうやって作ったのかわからないが、俺が組織に対して裏切っている、という偽物の証拠をこれでもかと見せつけられた。
 どれもこれも精巧に作られており、張本人である俺ですら、ひょっとしたらやってしまったのか、と惑うくらいだった。
 安全策としていくつか考えていた作戦も全部潰され、俺は俺を守るはずの組織から身を守るため、超鈴音の部下まがいのことをやらざるを得なくなったわけ だ。

「超鈴音の要求は、麻帆良祭のとき、指定の時間に学園長を抑えることだそうだ。
 対価は、あんたの体についている呪いの解除。
 もし学園長が自発的に行動しなかった場合でも、この対価はきちんと支払うらしい」
「論外だな。議論の余地もない。貴様らが何をしようが構わないが、助力をするつもりはない」
「ああ、そうですか。まあ、それならしょうがないな。
 俺は単なるメッセンジャーボーイなんで、交渉事はしません。
 とりあえず、意向だけは超に伝えておきますんで」

 イヤだ、と言われてしまえば俺としては何にも出来ない。
 エヴァンジェリンを力ずくで言うことを聞かせる? そんなことが出来るヤツがどこにいるっていうんだ。
 少なくとも、俺には到底出来やしない。

「この魔法球の出口が開くのって、魔法球内の時間で何時ですかね?」
「日付が変更するときに五分だけ開く」
「んじゃ、それまで待たせてもらいますか」

 交渉決裂になったらそれ以上のことをやってやる義理はない。
 幸いなことに、エヴァンジェリンは俺のことを殺してやらなきゃ気が済まない、という態度ではないので、出来るだけ目に入らないところで待機していれば俺 の仕事は終わりだろう。

 と、思ったときだった。
 魔法球内の空間が歪む。

 青空に大きな穴が空いたかのように空間が大きく歪み、本来見えるはずのない魔法球の外が見える。

「ぐあっ!」

 日光浴をしていた吸血鬼が藻掻き苦しみ、痙攣する。
 彼女の小さな体の奥底で渦巻いていた強大な魔力が嘘みたいに消失する。
 同時に、彼女の傍らに置いてあった人形が突然動き出したかと思うと、俺にナイフを突きつけてきた。

『オイ、テメエ……』

 ナイフは俺の鼻先で止まり、がくん、と人形はその場に落ちた。
 エヴァンジェリンはマリオネットマスターと呼ばれていると聞く。
 この人形は恐らくエヴァンジェリンの人形の一つなんだろう。
 俺を殺そうとしてきたが、魔力切れで動けなくなったようだ。

 こんなことは聞かされていない。
 超鈴音は何かを企んでいると思っていたが、その通りだった。

 どうやったのかはわからないが、魔法球の包む結界が一部解除された。
 空に見える歪みは、結界の穴なんだろう。

 魔法球の結界に穴があいたことによって、麻帆良学園に施された結界の効力が魔法球の中に入り込み、エヴァンジェリンの魔力を奪いさったのだろう。
 となると、今はエヴァンジェリンは魔力を失った、ただの小娘というわけだ。

 このタイミングで、俺に、やれ、というのか。

「貴様、申し開きを聞いてやろう」

 だが、エヴァンジェリンは腐ってもエヴァンジェリンだ。
 学園結界の影響下であるのは、何も魔法球の結界に穴を開けるなんて大それたことをやらなくても十分に出来る。

 普段、学校生活を過ごしている中でも、エヴァンジェリンは魔力のない肉体で過ごしているのだから。
 それでも尚、賞金稼ぎ、あるいは逆恨みをした魔法使いに殺されていないのは、例え魔力がなかろうとも戦える能力があるからに過ぎない。

 目の前にいる吸血鬼は、目を爛々と輝かせ、魔力の伴わない貧弱な体を幽鬼のように揺らめかせて起きあがった。

 俺はそれに対し、両手を上げて、その場で震える膝を砂浜においた。

 

 

 

 俺の組織では、拷問に対する訓練はあまり行っていなかった。
 命の単価が恐ろしく安かったので、捕まりそうになったらとっとと自分で死ね、という意向だったからだ。
 とはいえ、死ぬことも出来ずに捕まるときだって十分あるので、一応それ用の訓練はされている。

 が、ぶっちゃけ、今回は超鈴音のせいなので、自殺はしなかったし、情報なんて全て吐きだしてやった。
 といっても、大した情報なんて持っていなかったので、ちょっと過酷な目に遭うことになってしまった。

『オメーモ災難ダッタナ』

 俺の肌を刃物で刻みつけた人形が言った。
 どうやら俺の決死の告白はどうにかこうにかエヴァンジェリンの胸に届いたようで、殺されることはなかった。

 ただ無事ってわけじゃない。
 このまま街に出歩いたら、五分と経たずにパトカーと救急車がすっ飛んでくる姿にされてしまった。

「そう思うなら、早く解いてくれ」

 俺は椅子に縛り付けられていた。
 気を抜くと、全身の傷口から血が吹き出る。
 魔力で血止めをしているからなんとか生きているだけであって、痛みや何かで気を失ったら、死にかねない。

『アイヨー』

 表情を崩さない人形は、さっきまで俺を斬りつけていたどでかい刃物を持ち上げて、俺の手足を縛る紐を斬った。
 手足が自由になったのはいいが、圧迫していた血流が戻ったので手足の指からどっと血が溢れてくる。

 気が狂いそうになるほど全身が痛いが、とにかく今は生きていることに感謝だ。
 更に治癒が困難な組織が傷つけられていないので、幸運だと言えるだろう。

「全く、俺も大概ついてないな。自分で治癒していいか?」
『ホレ、コレ使エ。言ットクガ、変ナ真似ハスルナヨ』

 人形は小さな杖を差し出してきた。
 子供用、というかほとんどおもちゃに等しい代物だが、そんなものでもないよりマシだ。
 杖を摘むと、爪を剥がされた指が痛むが、ここは我慢が肝要だ。

 比較的傷が多い部位を狙って、治癒魔法を打つ。
 この人形は流石はエヴァンジェリンの自律人形だけあって、刃物の使い方がうまい。
 俺の体に無数の切り傷を作ったが、傷の深さはどれもほとんど同じものだ。
 それでいて、痛みを最大限に引き出されたのだから、拷問のスペシャリストと言うべきだろう。

 どちらかというと『肉を斬る』という行為が好きであって、サディスティックな嗜好はあまりないらしい。
 俺が悲鳴を上げるたびに喜んではいたが、エヴァンジェリンに指示されたらすぐに刃物をおろした。
 オンオフの切り替えが早いのか、拷問が終わった今では俺に同情すらしている。

 そのせいか不思議とこいつに憎悪は抱かなかった。
 どちらかというと、俺の憎悪は超鈴音に向いていた。

 何をどう考えてあんな真似をしたのか全く分からない。
 この魔法球の結界に穴を開けたのは、超が設計したアンドロイド……茶々丸とかいうやつのコピー人形達らしい。
 基本的にエヴァンジェリンの魔力でもって活動しているそいつらを、一箇所に集めて特殊な魔法陣を書かせたんだとか。

 超鈴音は、俺を脅迫するほどの手腕を持ちながら、なんでまた俺にエヴァンジェリンの討伐なんかをやらせようと思ったのか。
 俺の実力がわけがわからないくらい過大評価されていたのか。
 そうだとしたら、とんだとばっちりだ。

 俺はすぐにエヴァンジェリンに無抵抗のまま捕縛され、超鈴音の手引きで造反したコピー人形達はエヴァンジェリンが再度コントロールを掌握したらしい。
 今では青空に浮かんだ空間の歪みは修復され、学園結界の力はこの魔法球の中に届かなくなった。

「ふう……」

 おおよそ体の傷は塞ぐことが出来た。
 自分で自分の体に治癒魔法をかけるのは、相当体力を消耗する。
 傷を塞いだところで、体から漏れだした血なんかは補充出来ない。
 頭がくらくらしていて、ちょっと気を抜くと貧血で気絶しそうになる。

 さて、俺の処遇はどうなるか、と。
 考えれば考えるほど絶望しかない。

 エヴァンジェリンが俺の普段の行動に気づいていて見逃していたようだが、一度捕まえたらわざわざ逃がす真似はしないだろう。
 もし万が一、学園に捕まったとき、対抗できる策は用意していたが、パクティオーカードを没収されているため、その策を使うことはできない。

『使イ終ワッタラ、返セヨ』
「ああ、悪い」

 手に持っていた杖を人形に返す。
 元々俺に杖を渡す義理なんてないのに、俺が傷だらけでいるのは辛かろうと配慮してくれたが、そのままちょっとした凶器になりうる杖を渡しっぱなしにする つもりはないらしい。
 もちろん、俺としては杖を手に入れたら抵抗しよう、なんてことはさらさら考えていなかったので、返すことに異存はない。

 一通り、傷は塞がった。
 あまり激しい運動をするとまた傷が開くだろうが、多分問題ないだろう。
 いつになったら、この魔法球のゲートが開いて外の世界に出られるようになるのかはまだわからないが、少なくともそれまではゆっくりとしていられるはず だ。

 相手がエヴァンジェリンだと抵抗する気も起きない。
 なにせ相手は生ける伝説、方や俺は孤立無援の潜入工作員。
 一般人にナイフ一本持たせて、ドラゴン狩ってこいと言う方が成功率が高そうだ。

 超鈴音に出会ってしまったことが俺の運の尽きだったわけだ。
 とはいえ、超鈴音に歯向かっていたら、俺は俺の組織によって粛正されていた。

「シャワーは借りられるか?」
『オメーモ、ナカナカ神経太イジャネェカ。サッキマデ拷問サレテタッテ言ウノニヨ』

 けたけた、と人形が笑う。
 痛みに耐える訓練は受けたし、なんにせよ、今回は俺が情報を守秘するつもりがさらさら無かった。
 拷問なんてかけられなくとも、超鈴音に関することなら何でも喋った。

 塞がっただけの傷口にお湯をかけたらさぞ痛むだろう。
 だが、今は血でべたついた体をとにかく清めたかった。

 一歩前に踏み出したとき、また、あの感覚が走った。
 人形がべしゃりと倒れる。

 その場に置いてあった白いタオルを取り、人形を持ち上げて、顔についた血を拭き取ってやった。

『悪イナ』
「いや、いいさ」

 人形をテーブルの上にちょこんと座らせてやる。
 超は懲りずにまた魔法球の結界に穴を開けたらしい。
 俺に一体何を期待しているのか知らないが、俺の能力でエヴァンジェリンと戦うなんて無謀が過ぎる。

 俺をさっき拷問していた人形も、この現象が俺の本意ではないとわかってくれている。
 だからこそ、特に何も言わなかった。

 不用意に動いてエヴァンジェリンに襲われるのも面倒だ。
 俺は俺がさっきまで座っていた椅子に座る。

「いざってときは俺は何もしていなかった、って証言してくれよ?」
『オオ、任セトケ』

 人形に証言台に立ってもらう約束は簡単に取り付けられた。
 後は、再びエヴァンジェリンが、この異変を解決してくれるのを待つだけでいい。

 

 そう思った矢先だった。
 なんだか膨大な魔力の奔流を感じたかと思うと、塔に大きな揺れが走った。

「おいおい、戦争でもやってるのか?」

 軽口を叩いてみたが、人形は乗ってこない。
 不審に思って人形を見てみると、どこかおかしい。

 学園結界の影響下では、エヴァンジェリンの魔力が枯渇している状態なのでろくに動けないのは知っている。
 だが、完全に意識が消えるわけではなく、話す程度のことは出来たはずだ。
 ただ、今現在、俺の目の前にある人形は、物言わず、瞳に生気が感じられない。

 そもそもよく考えてみたら、さっきの振動は何だったのか。
 最初はエヴァンジェリンが大規模魔法でも使ったのかと思ったが、魔法球の結界に穴があき、学園結界によってエヴァンジェリンの魔力が制限されている状況 下では、エヴァンジェリンは力を使えない。

 なんだか外が異様に静かになったが、不用意に動けない。

 しばらくすると外の廊下で誰かが歩いてくる音が聞こえた。
 心拍数が上がってきたがゆっくりと立ち上がり、さっき使った杖を隠し持つ。
 やがて、部屋のドアが開かれた。

「準備が整いました。タマ様……いえ、マスター」

 ドアを開いたのは、アンドロイド。
 この魔法球の中で働いていた有象無象のものではない。
 軽く自分の記憶を探ると、確か超が作り出したもののプロトタイプだった。
 ユニークネームが、確か「絡繰茶々丸」だったか。

「これも超の差し金か? いつの間に、アンドロイドの支配権まで持たされていることも?」
「超鈴音の差し金というものは確かにそうです。
 後者の問いは概ね合っていますが、私達はアンドロイドではなくガイノイドです」

 名称なんてどうでもよかった。
 ただ、この茶々丸の持っているものが問題だった。

「白樺の杭は用意してあるか?」
「白樺のペン軸を用意しております」

 茶々丸の手には、過去の世界における生命の源と思われていた臓器。
 所謂、吸血鬼の弱点だった。

 どうやってえぐり出したのかは知らない。
 だが、超はとんでもなくどえらいことを俺にさせたいらしい。

 どっくん、どっくん、と体から切り離されても尚拍動し、中に溜まった血を吐き出している心臓から目をそらす。
 学園結界の影響下であっても、空間が僅かに歪むほど濃密な魔力に包まれたそれは、俺に膝の震えを引き起こした。

「呪術の心得はございますか?」
「少しかじった程度だ」

 茶々丸とその後ろに控えるアイドロ……ガイノイド達は、みな冷たい目をしている。
 俺は、どことなくあの超鈴音に、その目が似ているな、と思った。

 

 

 

 頭が痛かった。
 増血剤と鉄分たっぷりの食事をしたとはいえ、体中の血が足りなかった。
 その上、不慣れな呪いを使い、その反動が俺の体を更にむしばんでいる。

 頭が割れそうなほどの痛みに苛まれながら、俺は最後の作業を終えた。

 魔法球の上空には、ネコのモチーフがついた衛星が浮いている。
 超が発明した、高出力レーザーを撃つ軍事衛星らしい。
 竜樹すらも一撃の下で屠る大出力を持つそれで、茶々丸はエヴァンジェリンを心臓だけにした。

 一回目の結界解放はフェイク。
 何も情報を与えずに俺にエヴァンジェリンと接触をさせ、刺客に見せる。
 裏ではステルス処理を行った、あの忌々しいスターデストロイヤーを運び込む。

 血のにおいでいい気分になったエヴァンジェリンに対して、再び魔法球結界に穴を開け、弱体化させたところで一撃必殺。
 超はうまく考えていた。

「……そんなに睨むな、頼むから」

 エヴァンジェリンは一瞬で灰になり、軍事衛星のエネルギー砲のトリガー役の茶々丸が灰から心臓を取り出す。
 取り出された心臓に、俺が白樺の木で作られたペン軸で呪いをかける。

 吸血鬼の唯一の弱点……弱点というよりか、唯一殺すことのできる臓器に、呪印を書き込む。
 流石に真祖の吸血鬼であろうと、この処置にはどうにもならなかったらしい。

 呪いの反射は、俺の苦痛の声がしみこんだ俺自身の血をエヴァンジェリンの心臓に注ぎ込むことによって防いだ。
 拷問を受けたときの血の再利用というやつだ。
 超がここまで計算にいれていたと考えると、とても腹が立つ。
 それと同時に、エヴァンジェリンを奸計で殺す人間に逆らう気も起きなくなってくる。

「俺だって本意じゃないぞ、こんな展開。
 だから、万が一呪いがとけても、俺を恨むな超を恨め」

 エヴァンジェリンは、呪印を施した心臓を、生まれた土地の土がしかれた棺桶に収め、そこに肉体の灰を振りかけ、輸血用血液とついでに俺が拷問を受けて流 した血を入れて蓋をしめたら、一時間で復活を遂げた。
 棺桶の蓋が開かれても、俺の首を狩る爪はなく、ただただ射るような視線で俺を睨んでくるだけだった。

 いくら呪いで縛り付けたとはいえ、相手はあのエヴァンジェリンだ。
 もし呪いが解除されたときを考えると、背筋が凍り付く。
 ここは、出来るだけ関わるのをやめて、恨みは超に向けてもらうことが上策だろう。

 こっち見ないでくれ、と心の中で祈っても、エヴァンジェリンは容赦ない。
 つららのような冷たくて痛い視線をこちらに向けて、無言でじーっと睨み付けてくる。
 何も言わず、また俺からも声がかけずらいので、気まずい沈黙に包まれている。

「……トイレ借りるわ」

 それだけ言い残して、俺は席を立った。

 魔法球のゲートのある塔とは別に、居住用スペースとして用意されている別荘にもトイレがある。
 一番手近だった、別荘のトイレのドアを開くと、そこに人形がいた。

「よう、チャッキー、久しぶりだな」
『オレハ、チャチャゼロダ』

 便座に座っていたチャチャゼロの首根っこを持って、床に置く。
 代わりに俺が便座に座り、チャチャゼロを見た。

『シナイノカ? オレヲ気ニセズ、存分ニ出セヨ』
「沈黙が辛くて、離脱しただけだ」
『ケケケ、ソーダロウヨ。全ク、オ見事ナモンダ』
「俺がじゃなく、『超鈴音』がな。
 俺は裁量権も何も持たされず、只単に駒として動いているだけに過ぎない」

 そこがまた癇に障るところだった。
 俺は、自分自身のプライドは、利益とのかねあいではあっさり捨てることが出来る。
 ただ、一方的に利用されるだけ利用されるのは、あまり好きではない。
 逆の立場は、ものすごく好きだけどな。

『ケケケ、ニシテモ、古イ呪イヲ持チ出シテキタナ』
「あの呪いが何の呪いなのか知ってるのか?」

 呪いに関しては俺も知らなかった。
 超はどこからあんな呪いを持ち出してきたんだろうか。

 呪印も初めて見たものばかりで、俺にもわからないところが多い。
 茶々丸から聞いた話などから推測すると、恐らくは行動の制限と束縛系統だと思う。

『マア、心臓ニ直接呪印ヲ刻ムタイプナンテ、ソウソウネエカラナア』

 全く持ってその通りだ。
 そもそも心臓をえぐり出すことが出来た時点で、対象は普通死んでる。
 吸血鬼、それも真祖の吸血鬼を相手と想定した呪術が一般的であってたまるか。

 また、逆に考えれば対吸血鬼用の呪いについて当の吸血鬼が知らないわけがない。

『ニシテモ、妙ナアレンジ加エテイルナ。
 ナンデ、変ニ感情ヲイジルモノモ加エテイルンダ?』
「さあな、考えたのは超だ。俺には到底理解の及ばぬ理由でもあるんだろうよ」
『ヤケニナルナヨ。ダーリン』
「は?」
『ケケケ、ジャアナ』

 チャチャゼロはなんだか薄ら寒くなるような台詞を吐いてドアの隙間から出て行ってしまった。
 一人トイレに残された俺は、なんだか異様に嫌な予感を感じ取っていた。

 

 別荘を出ると、氷山が出来ていた。
 魔法球のゲートがある塔の上部に、大きな氷の塊に覆われている。
 非常に幻想的な光景だが、あそこに氷山が出来たということは、この魔法球から出られないということだ。
 白い肌に流れるような金髪を這わせ、暴力的な魔力を放ったエヴァンジェリンは、こちらに気づいて振り返った。

「タマ、と言ったか、貴様」
「……何?」

 なんかもう、渇いた笑いしか出てこない。
 目の前の吸血鬼は、肉体が復活してからまだ三十分と経っていないのに、圧倒的だった。

 呪いがある、といえど、それがどこまで信頼できるかよくわからない。
 強力な呪いだというのはわかるが、用意したのは超だ。
 ひょんなことから暴発する危険性がないとも言い切れない。

「貴様を鍛えてやる」
「は?」
「不甲斐ない腰抜けの貴様を、この私じきじきに鍛えてやる、と言っているんだ」

 なんでそんな話になったんだ?

「貴様には力が必要だ。
 今では小手先の技に頼っているようだが、戦闘する能力は皆無に等しい」
「そりゃ、俺は元々戦闘員じゃないし」

 皆無と言われても、魔法や気を遣わない相手であればほぼ負けることはない程度に鍛えているつもりだが……。
 とそこまで考えて、考え直した。

 エヴァンジェリンはエヴァンジェリンの基準で話している。
 となると、『一般人に負けない』程度の力というのは要するに『皆無』ということか。

「そもそも、戦闘しようと思ってない。
 俺は飽くまで後方支援に徹するタイプだから、力はいらない」
「駄目だ。貴様には力を付けて貰わねばならない理由がある」
「その理由はなんなのさ?」

 エヴァンジェリンが真っ直ぐこっちを見てきた。
 青く澄んだ瞳に、俺の顔が写っている。

 なんかもの凄く居づらくなって、顔を背けた。

「私を見ろ」

 見ろと言われたら見なければならない。
 目を向けると相も変わらずエヴァンジェリンはこちらを見ている。

 一歩一歩足を進め、こちらに近づいてくる。
 やがて、エヴァンジェリンが目と鼻の先にきた。
 くい、と顎を掴まれた。
 エヴァンジェリンが俺を見上げ、ほほえんでいる。

 ああ、こんなことなら、さっきまでの睨み付けられていたときの方がどんなに良かったか。

「私は寛容さをあまり持ち合わせていないと自覚している。
 ただし、私に出会う前の貴様の失態を糾弾するほど愚かでもない。
 今まで貴様がやってきたことは水に流そう。しかし、これからは許さん。これからは私だけを見ろ」
「何を言っているのかわからない。もっとわかりやすく言ってくれ」

 ふむ、とエヴァンジェリンは言葉を止めた。
 まっすぐと俺のことを見つつ、何か思案にしているようだ。
 何を考えているのか、と思ったとき、不意にエヴァンジェリンがつま先立ちをした。

 俺の顔にエヴァンジェリンの顔が迫り、気がつけば両者の距離がゼロになっていた。

 貧弱な(中身はともかく外見は)肉体と、低い身長に、子供のような顔立ちが相まって実際の年齢とは比較にならないほど幼く見えるエヴァンジェリンは、少 なくとも舌技だけは卓越していた。
 口の中に生暖かい肉が入り込み、俺の口内を存分に犯す。

「……いや、凄く困るんだが」
「駄目だ、貴様は私に屈服するんだ」

 顎の下に掌底をそっと差し入れられ、無理矢理後ろに倒された。
 柔らかい砂に俺の体が倒れ、それをエヴァンジェリンが見下ろしている。
 俺の腰の横に足を置き、前屈して顔を近づける。

「貴様は私の男だ、春原タマ」

 エヴァンジェリンは俺の顔をぺろぺろと舐めてきた。
 微かに残る傷跡に、濃密な魔力を持った舌が入り込んでくる。
 血と肉と、神経を啄まれているような感覚が走る。

 俺は虎にじゃれつかれているような状態で、ふと、超鈴音のあの嫌らしい笑みを思い出していた。