タバサは、才人が決闘をする前と同じく無口で人を寄せ付けない雰囲気を纏っている。
決闘したことに、責めることも褒めることもしない。
才人はすこしがっかりしたことを否めなかったが、まあこんなところだろうな、とすぐに諦めることができた。
タバサは変わらなかったが、才人の生活は以前よりも少し変わった生活をしていた。
貴族達がしきりに決闘のときの噂をしている。
それ故に、才人は学院内でも注目を集められていた。
とはいえ、貴族が直接才人にコンタクトを取ろうとすることは一切ない。
せいぜい、遠目で才人の様子をうかがい、仲間同士でこそこそと話をするだけだった。
才人はそれに少しわずわらしさを感じていたが、元々貴族達と話す習慣はなかったし、嫌がらせなども何もなかったために直ぐに慣れることができた。
では、何が変わったのか。
貴族達は決闘の一件が原因で、自分たちの使い魔に「才人に近づかないように」と厳命したのだった。
これが才人にとっては大きな生活の変化をもたらした。
このトリステイン魔法学院という、メイジのための教育機関の中で、才人のやることは何もない。
昼間は誰もいない中庭で、他の使い魔達と戯れることだけをしていた。
他の使い魔達との関係は極めて良好で、決闘の前では強い結束で結ばれていた。
使い魔にもそれぞれ土、火、水、風という系統があり、大概、同じ系統同士が集まってコミュニティを築くのだが、どれの系統にも当てはまらぬ才人は、違う系統同士の調停役となり、また友好の架け橋になっていたのだ。
このトリステイン魔法学院創立以来、使い魔達の連合は大きく、結束の強いものになっていた。
しかし、ほとんど全ての使い魔達が主人に才人との接触を禁じられたために、その連合も崩れ、今では例年通り系統別のコミュニティに戻っている。
しばしば、物陰に隠れて寂しげな声を漏らしながら、じっと見つめてくる使い魔も多く見られるが、才人が近寄るとサッと逃げてしまう。
才人の日常は、まず朝起きて、タバサの朝の準備をしてやり、タバサと食堂前で別れ、厨房の横で賄い食を食べ、そして再びタバサと合流し、タバサの教室まで送っていってやる。
そこからはタバサの授業が終わるまで、ずっと中庭で他の使い魔達と戯れて、午後、授業が終わるとタバサを迎えに行き、一緒に部屋に戻る。
夕食を食べるまでの間、再び中庭で使い魔達と戯れ、夕食を食べた後は、タバサが寝るまで、部屋で雑用をこなす。
そのサイクル――タバサか他の使い魔達と遊ぶかで構成されている――のうち、タバサに関わらないところ全てがダメになってしまった。
となると当然、タバサがいないときは暇で暇でしょうがないことになる。
今まさに、才人は一人っきりでぼうっと空を見つめていたのだった。
「……退屈だなあ……」
既に空に浮かぶ雲の数を数える遊びには飽きてしまっており、本格的にやることがなくなってしまった。
芝生の上でごろごろと転がり、なんとかして退屈を紛らわせようとしているも、中々思いつくことはない。
しょうがないから、校舎内を意味もなく徘徊してみようか、と思って立ち上がろうとしたとき、ちょうど厨房の方から大勢のメイドがやってくるのが見えた。
時刻はそろそろ昼頃になり、貴族の昼食の時間となる。
天気のいい日には、中庭にテーブルを出して、そこで食事を取るときがたまにある。
今日がたまたまその日であり、使用人達は忙しそうにあくせくと働いていた。
気持ちのいいほどの青空の下、白いテーブルクロスがあちらこちらでふわりと持ち上がり、テーブルの上に敷かれる。
間髪置かずにワゴンの上から曇り一つないナイフやフォークが並べられ、ナプキンが添えられる。
どのメイドも手慣れた様子で、てきぱきと作業し、滞りが一切無かった。
もうそろそろ昼食時で、お腹を空かせた貴族達がぞろぞろ出てくる時分だ。
才人はその姿を見て、ピン、と来るものがあった。
メイド達は、どう見ても退屈そうには見えない。
彼女らには日々の生活に関する様々な事柄で忙しいからだ。
雲の数を数えていた才人とは、真逆に位置する存在だろう。
才人が彼女らのことを羨ましく思っているのとは逆に、彼女らも毎日ごろごろしている才人のことを羨ましく思っていた。
「……そっか、働けばいいのか」
才人の思いつきは実に単純で、メイド達のように何かしら仕事をすれば、今才人を悩ましている退屈が無くなるということだった。
その上、賃金も貰えるのならば言うことは無しだ。
なんで今までそんなことすら考えつかなかったんだろう、と自分の間抜けさ加減に少し溜息が漏れそうだったが、そんなことよりも厨房へと行くことが、優先順位としては上だった。
「ほほう、ここで働きたい、ってーのか?」
まず最初に才人が当てにしたのは、顔見知りのコック長マルトーだった。
トリステイン魔法学院で最も親しい使用人のシエスタは、今は中庭で昼食の準備をしている。
流石にそれを邪魔するのは気が引けたので、そのまま厨房に来たわけだ。
昼食の準備はもう既に終わっており、あとは配膳するのみにある。
となれば、コック長の仕事は終わりで、夕食の準備まで少しの休憩の時間があった。
「でも、お前さん、使い魔なんじゃなかったか?」
「いえ、使い魔っていっても、実質やることは何にも無くて……。
ただ時間を費やしているより、何か人の役に立つことをやった方がいいかな、と思って」
ふむん、とマルトーは顎に手を当てて唸った。
マルトーはトリステイン魔法学院のコック長であれど、貴族のことは、極一部の例外を除いて嫌いだった。
その貴族の使い魔を雇っていいものか、と少し悩んだが、才人の主人がその極一部の例外であることをすぐに思い出した。
マルトーは、自分の嫌いな貴族の中でもとびっきり嫌いな部類の相手と決闘し、それに打ち勝ったということは知らない。
スクウェアクラスに手が届くとまで言われていたトライアングルクラスのメイジが平民に決闘で負けたということが広まったら、もはやトリステイン魔法学院の中だけの問題ではなくなってしまう。
それこそ、女王に隠し子がいた、というレベルの一大センセーショナルになってもおかしくない。
貴族と平民との差は、例え天と地がひっくり返ったとしても、越えられない、越えてはいけないという風に、トリスティン及び周辺諸国はできている。
学園長であるオールド・オスマンは無意味な混乱を避けるべく、生徒及び才人と才人を看病したシエスタに箝口令を敷き、隠密にことを処理するようにしていた。
もし、マルトーがそのことを知っていたら、今頃才人はマルトーの弟子に無理矢理させられていたところだろう。
そういう意味では、才人は幸運だったのかも、しれない。
「よし、お前さん、俺のところに仕事を求めに来たっていうのなら当然厨房で働きたいってことだよな。
何か料理の経験はあるのか?」
「いや、全然。カップラーメンにお湯を注ぐくらいしか」
「かっぷらーめん? よくわからんが、何もできないんなら、まずは皿洗いをやってもらう」
「はい、親方」
マルトーは、才人の背中をバンバンと叩き、彼流の歓迎の意を表した。
「いいか、厨房で一番大切なのはコンビネーションだ。
みんなで息を合わせ、一丸となって動かないといい料理はできねー。
厨房で働くヤツらはみんな家族だ。お前もその一員になるんだからな、覚悟しとけよ!」
「は、はい、親方!」
マルトーは豪快に腹の底から笑うと、才人を厨房へと案内した。
こうして、才人はトリステイン魔法学院の厨房で働くことになったのだった。
才人が厨房で働くことになった日の夜のこと。
貴族達の夕食が終わり、使用した後の大量の食器が洗い終えられたころに、マルトーがやってきた。
初日の仕事がようやく終わり、まだ心地よいと感じられる疲労を持ったまま、才人は部屋に帰ろうとしているときに声を掛けられた。
「おい新入り、ちょっと来い」
「はい、なんですか、親方?」
「学園長が話したいんだとよ。……学園長室の場所は知ってるか?」
「ええ、知ってます」
才人は雇用条件のことやらなにやら細かいことを教えられるのだろうな、と思った。
マルトーを初め、厨房で働く先輩達に、皿の洗い方その他を指導して貰っていたものの、どこか大雑把だったことが否めなかった。
実際、彼らから教えて貰ったことだけを知っていれば、厨房では困らないだろうが、それ以外のところは不足だった。
例えば、給金がいくら、とか、一日何時間働き、一週間に何日働けばいいのか、とか、そういった労働条件のことは何一つ教えられなかった。
賃金はともかく、労働時間については彼らにとって「必要なときに必要なだけ働く」というスタンスを取っており、地球の日本からやってきた才人との感覚のズレはある。
才人にとっては、初めての労働を目の前にして手探りで進んでいるため、学園長の話はありがたいと思っていたが、マルトーはあまりいい顔をしていなかった。
「厨房を仕切っているのは俺だし、全部任されているはずだ。
だから、一人新しく雇うだけで、なんでわざわざ学園長が……」
職人であるからこそ譲れない誇りというものがある。
この学院に呼ばれたときに、厨房のことには口を出さない、という契約がなされており、それを破られたかのようにマルトーは感じていた。
とはいえ、流石にその不機嫌を何も知らない才人にぶつけるほど思慮を欠いているわけではない。
顔は才人に向けず、声は小さくして、悟られないようにしていた。
もっとも、それでも才人はその呟きを聞いてしまったのであるが。
「じゃ、これで俺はあがります。お疲れ様でした」
「おう、お疲れさん」
しかし、それを聞いて聞かぬ振りをしてやるのが常識。
才人は軽くマルトーに会釈すると、足早に学園長室のある塔へと向かっていった。
学園長室には、当然ながら学園長がいた。
立派な白髭を蓄え、緑色のローブを着たその姿は、まさに物語に出てくる老獪な魔法使い。
ただ中身はというと、少し外見とは違っているのだが。
「失礼します。平賀才人です」
「うむ、入ってよろしい」
マナー通り、ノックをして、名を告げてから才人は学園長室の中に入った。
外はもう暗く、部屋の中には魔法の火が灯されたランプが光源として用いられていた。
先日訪れたときにいた、妙齢の女性はいない。
この時間帯でもあるので、きっと帰ったんだろうな、と才人は思った。
「なあに、そう時間は取らん。君を雇うにあたって、細かい規定を確認するだけじゃからのう」
学園長、オールド・オスマンは才人を落ち着かせるような口調で言った。
才人は学校の校長室にも似た雰囲気の学園長室に入るということに、少し緊張をしていたのだ。
どことなく硬い動作で部屋に入ってきた才人を、学園長は慮った。
「それにしても、泣かせるのう。主人の学費を賄うために、使い魔が働くとはの」
「え?」
「……おや? 知らんかったのかの?
ミス・タバサは、経済上の理由から学院の奨学金で授業を受けとるんじゃよ」
「そ、そうだったんですか? し、知らなかった……」
オールド・オスマンは、ふむ、と頷いて、パイプを口に銜えた。
パイプの先端から、白い煙がもわっと上がり、拡散し、闇の中に溶けるように消えた。
「知らんかったのか。あまり人に言うような話でもないしの。
それに、ミス・タバサは、その……あまりおしゃべりな方ではないからのう」
およそ家族以外で最も近しい存在である使い魔ならば、その事実は知っているはずだ、という背景があっての学園長の発言だった。
主人との関係があまり良好ではない……というよりか一方的に疎遠状態にあることを、慰めているのだ。
もっとも、才人がその慰めで感じたのは、みじめさ、だったのだが。
「まあ、学院側としては奨学金の返済は気長に待つつもりじゃしの。
使い魔である君を働かせて、その賃金を補填に当てる、というようなことはせんよ」
「いや、払いますよ。んなこと、聞かされちゃったら、払うしかないじゃないですか」
オールド・オスマンは、パイプを口から離した。
才人を見る目が、ほんの少しだけ、オールド・オスマンを近くで見ている才人ですら気付かないほどわずかに鋭くなる。
「第一、あいつ、あんまり魔法が得意じゃないみたいだし、人付き合いの良さなんて求める方が間違ってるし。
大人になっていい職業に就けるかどうかもわからない、というか多分就けそうにないから。
今、俺がちょっとでも返しておかなきゃ、苦労するだろうし。
奨学金っていうのは、どのくらいなんですか?」
「ん、ま、今具体的な額を教えろ、と言われても困るんじゃが……。
全額、ということはないのう。
入学金やらその他の手続き料は貰っておるし、普段の授業料も一部は納められておる。
君が明日から働いたとしたなら、卒業時に残っている返済額は、それほど大きな額にはならないはずじゃ。
元々、奨学金というのは経済的な事情から教育を受けられぬ子女を支援するために貸与するものじゃから、
期間や金利はそれほど気にしなくとも問題はないぞい」
「そうですか」
才人は安堵の息を漏らした。
タバサの経済状態のことなど、今まで考えたことがなかったので、今回のことにはショックだった。
貴族、といっているのだから、きっと金持ちなんだろうな、と甘く見ていたからかも知れない。
それなのに、今まで遊びほうけていた自分のことを少し恥じ、
また最初に想像したものよりかはほんの少しマシであることに少しだけ安心した。
「それにしても、君はいいのかの?
いくら使い魔とはいえ、君には君の意思がある。
主人のために厨房で働く、というのは中々辛いものじゃぞ?」
「いや、ま、結局のところ俺はタバサに保護されてなきゃ生きてけないし。
お金を稼いだところで、何に使うか正直考えてなかったし、働くのだって暇だからっていう理由だったし。
その、まあ、理由はないけど、多分、大丈夫じゃないかなーって思います」
才人はどことなく照れくさそうに顔を指で掻いた。
オールド・オスマンは、鷹揚に頷くと、それ以上のことは追及しなかった。
その後、二人は細かい雇用条件を取り決め、両者納得する形に収束した。
才人は再び礼をして退室し、今度こそ本当にタバサの部屋へと向かう。
一人だけになったオールド・オスマンは、深く椅子に腰掛けて、パイプを吸った。
「ガンダールヴの少年は、思ったより優しいようじゃのう……」
見返りが全く望めない、いわば無償の奉仕をする才人の気持ちは、決して才人の本心だけではないだろう。
凶暴な幻獣が、使い魔となれば、主人に献身するようになるのと同じで、彼の左手に刻まれたルーンが、彼に従属を強いている。
オールド・オスマンは、蹴られても必死に擦り寄る犬を見て抱く感情と同じものを才人の姿を見て感じていた。
とはいえ、ルーンのせいだけではないだろう、とオールド・オスマンは思った。
いや、そう『思いたかった』
「あれほど優しい性格の人間であれば、授かった強大な力を、決して誤らずに使うことができるじゃろう」
オールド・オスマンはそう呟いた。
それが間違っている予測であることを知る人間は、現在のハルケギニアには誰一人いなかった。
ふかしたパイプの煙は、夜の闇に溶けるように消えていった。
「おい、サイト。今日はもう上がっていいぞ」
才人が学園の厨房で働くことになって数日が経った。
初日から比べると割る皿の枚数が減り、他の使用人達との仲とも概ね良好な関係を築いている。
「はあ? まだ全部終わってませんけど」
冷たい水の中から手を出し、ふうふうと息を吹きかけて暖めつつ、
才人は積み上げられた皿を見て、声を掛けてきた先輩の皿洗いに目を向けた。
「明日はフリッグの舞踏会っていう宴会が開かれるんだよ。
普段の数倍の皿洗いやらなんやらをやらされるから、新入りのお前じゃ体力が持つかどうかわからん。
役に立たないのならまだしも、足を引っ張られちゃ困るから、今日はもう休め」
そうですか、と才人は納得すると、ぱっぱと手を振り水を切り、渡された前掛けを外して持ち場を離れた。
才人の教育係としてマルトーに指示された先輩は、ややキツイ言葉使いであるものの、面倒見がよかった。
今回も、マルトーから才人を休ませるように、と指示をされていないのに、自主的に才人を休ませる判断を下している。
「あ、そうだ。お前、学生寮のとこで寝泊まりしてるんだろ?
そこにあるサンドイッチの皿を届けてといてくれ」
指さされた先のテーブルには、雑多な調理器具と積み上げられた皿の間にひっそりとサンドイッチの皿が置かれていた。
流石はトリステイン魔法学院だからか、軽食であるのに挟まれた野菜は瑞々しく見え、手抜きは一切ない。
才人は皿の端をつまみ、それをゆっくり持ち上げた。
まだ才人は皿洗いしかさせてもらえず、給仕のように上手く運ぶ技術はない。
配膳とて、皿の上げ下げにすら一定のマナーが存在し、馬鹿に出来るものではないのだ。
とはいえ、才人の先輩も才人にその教養がないことなど百の承知。
ちゃんと皿の上のモノを落とさず、形を崩さずに運べれば十分なものだった。
「じゃあ、お疲れ様です」
声を掛けると、木霊のように厨房から言葉が返ってくる。
才人は、軽く頭を下げ会釈し、手に持った皿の上のサンドイッチが崩れぬよう、ゆっくり歩き出した。
才人が配膳するように指定された場所は、学生寮ではあったが、全く近いところではなかった。
寝泊まりのしているタバサの部屋とは、塔が違う上、階も高い。
二つ返事で了承してしまったものの、これならば皿を洗っていた方が楽だったんじゃないだろうか、と才人は内心溜息をついた。
指示された部屋の前に到着すると、何も言わず、おもむろにドアをノックした。
返答は、ない。
「あのー、すいませーん。厨房に頼まれて夜食運んできたんですけどー」
声を掛けても、返答は無かった。
ひょっとして部屋の中の人は、眠っているんじゃないだろうか、と才人は思った。
果たして、この場合、中の人を起こしてでもサンドイッチを渡すべきか、それとも諦めて引き返した方がいいのか。
心情的には、引き返した方が楽だが、本当にそれでいいのかわからなかった。
皿だけをドアの前に置いておく、という選択肢はない。
いくら掃除がなされているとはいえ、衛生的にあまりよろしくない。
この世界には才人のいた世界とは違い、ラップなどという便利なものはない。
埃が舞い上がれば、それが落ちるのは、サンドイッチの上なのだ。
「すいませーん、夜食、や、しょ、くーッ!」
ノックと共に声をかけるが、これでも返事はない。
かなり大きな音が立っているのに、まだ寝ているなんて、どんな神経の図太いヤツだよ、と才人は心の中で毒づきながら、それでも手と口は止めなかった。
しばらくの間、そのノックは続けられ、才人の忍耐が切れそうになる直前に、一人の女性が現れた。
才人が望んでいる部屋の隣のドアが、ゆっくりと開かれて、隙間からぬぅっと赤い髪の頭が出てきたのだ。
「んもう、うるさいわね。静かにしてよ」
やや乱れた赤い髪をぽりぽり掻きながら、その顔は言った。
しょぼしょぼとした目を擦り、焦点がはっきりした目で、才人を見るや否や、目は大きく見開かれた。
ドアが大きく開かれて、ネグリジェの上にカーディガンを羽織っただけの女性が、廊下に出た。
「あなた、確か、あの、タバサの使い魔……どうしてこんなところにいるの?」
「あ、い、いつぞやはどーも」
才人は突然目の前に現れた、『あられもない格好』という言葉がつく女性にどぎまぎしながら頭を下げた。
才人にとって幸いなのかそうでないのか、彼女はかなり女性的な体つきをしていた。
視線をどこへ持っていけばいいのかわからないのと、才人が健全で年頃の男性であることが、才人の挙動を不審にしていた。
とはいえ、その女性……キュルケもそれを見て動じない。
自分の肢体が異性にどのように見え、どのように魅力的なのか、おおよそ正確に自分で認めているからだ。
「んー……差し入れ? それはやっぱり罪の意識からなのかしら?」
「はい?」
キュルケは才人の顔をまじまじと見つめてきた。
才人の考えていることを表情から読み取ろうとしているのか、しげしげとぱっちりした目を向けてくる。
少し経って、息をつくとキュルケは自分の髪の毛をかき揚げた。
「どうやら知らないみたいね。まあ……いいか、私が鍵を開けてあげるわ」
「はあ……でも、中の人寝てるんじゃ?」
「いえ、起きてるわ。あなたが来るまで、部屋の中で動いている物音がしたもの。
ちょうどよかったわ、うるさいって何度言っても壁を殴るの止めなくて困っていたところなのよ」
キュルケの言葉が理解できず、才人は首をかしげた。
一体どういうことなのか聞く合間も置かず、キュルケは部屋の中から杖を持ってくると、呪文を唱え、軽く振った。
小さい金属音が確かに耳に聞こえた。
錠が降りた音だ。
「じゃ、あたしはそういうことで」
間髪置かずにキュルケは自分の部屋の中に入り戸を閉めた。
かと思うと、すぐさまほんの少しドアを開き、隙間から、才人に向かって口を開いた。
「そうそう、揉め事を起こすならくれぐれも外でやって頂戴ね。
もう何日も徹夜に付き合わされて流石にうんざりしてるのよ」
キュルケはそれだけを言うと、再びドアを閉めた。
今度はまた開くことはなく、人の気配もドアから離れていくのが分かる。
一体何だったんだ、もめ事って一体なんのことなんだ? と才人はぽかんと口を開けたまま考えた。
何かよく理解できないまま……才人は考えるのを止めた。
「ま、どうでもいいわな。貴族の言うことなんて」
才人は、魔法で痛めつけられたことがあり、学生達にさげすまれていることを知っているものの、極端な貴族嫌いではなかった。
とはいえ、貴族という存在を好きであるというわけでもない。
端的に言えば、どんなことをしてようが知ったこっちゃない、と。
要するに無関心なのであった。
もし彼の主人がタバサでないとしたら、今よりかはいささか貴族に対して好奇心を抱いたであろう。
才人にとっての貴族との接点があの無口な少女のみなのだ。
貴族という存在を評価するための情報源が、枯渇状態にあるのだから致し方ないことであった。
才人が目の前のドアに手をかけて、ゆっくりと回す。
かちゃりと音がなり、ドアが微かに開いた途端、部屋の中からどたどたと慌ただしい足音が響いてきた。
「あ、すいませーん。差し入れ……って、うおッ!」
掴んでいたドアノブがぐいと引っ張られる。
「さ、差し入れですって! 夜食のサンドイッチを届けに来たんですッ!」
才人も負けじとドアノブを引っ張った。
ドアを閉めようとする力は存外にも弱く、あっさりとドアは開かれた。
その際に、ドアノブにしがみついていた人が、反動で廊下に転げ出た。
「ああっ! す、すいません、いきなり閉めようとするもんだから、つい力をいれちゃって……って、うん?」
廊下に転げた部屋の住人は、桃色の髪をした少女だった。
ぼさぼさの髪に、よれよれの制服。
背は低く、顔色もあまりよくない。
どこか見たことのある風貌の彼女を見て、才人は記憶の糸を辿った。
「こ、この……ッ」
「あっ、あーッ! お、お前、なんでここに!?」
ぎりぎりと歯を食いしばる音とともに出された少女の声が、才人の脳から一人の人物を引きずり出した。
ルイズ・フランソワーズ・なんとかかんとか。
数日前に決闘をし、ひっぱたいて泣かした相手だった。
ルイズは顔を上げ、間髪入れずに才人を大声で罵った。
「何よ! 平民に負けた貴族を笑いに来たって言うの!?
ふざけないでよ! あんたのせいで外も歩けないっていうのに、これ以上辱めるつもりなのッ!」
才人は、ルイズの顔を見てぎょっとした。
ルイズの目は泣きはらした後なのか真っ赤に充血し、瞼は腫れている。
そのくせ、頬のラインが少し凹み、やつれているように見える。
美しさや健康さが欠けているが故、その憤怒の表情は苛烈に感じられた。
まさしく鬼気迫っている様子で、ルイズは才人の胸ぐらを掴み上げる。
「あんたのせいで……あんたのせいで、私、私はッ……!」