人生堂々巡り 外伝

 キスの後の、額に走る鋭い痛みを感じたとき、俺は今回を全力で遊び倒すことに決めた。


 定番のイベントを一通りこなした後、学園の馬を借りて、トリスタニアの市場へと行く。
 ハルケギニアの各地から集められた珍しい物品につられることなく、
 隅っこの小さな小さな露天へ向かう。

 どう見ても偽物だが、やたらキラキラ光っていて、
 馬鹿な田舎者がだまされて買いそうな、ネックレスだの指輪だのに紛れて、見たところ鉄の板のようなものがある。

「おっちゃん、これ、いくら?」

 そう聞いて最初に提示した金額は……別にぼったくりというわけではないが、
 値切ればもっと値が下がることを知っている。
 露天の親父は俺を胡散臭そうに見、やる気なさそうな表情のまま、指を三本立てた。

「おいおい、冗談はよしてくれ」

 そういって、二枚の硬貨を差し出す。
 親父は俺が手に渡した硬貨を見て、若干渋い顔をしたものの、
 俺が鉄の板を手にするのを止めずに、黙ったままそっぽを向いた。

 そりゃあ、この鉄の板は一見すればただの鉄くずみたいに見える。
 今まで聞いたことはないが、あの親父だって、道ばたに落ちていたこれを拾って、
 売れればいいな、みたいな感じであの露天に並べていたのだろう。

 けどこれは、過去の遺産。
 虚無の祈祷書やら、風とか水とか火とか土のルビーとかと同じ系統のマジックアイテムなのだ。
 とはいえ、その使い方は平民はおろか、ただのメイジですらも自分ではわからない。

 しかし、俺はこれを使える。
 額に刻まれたミョズニトニルンの紋章が、俺に知識を与えてくれる。
 魔法を用いることには使えないが、マジックアイテムを用いることには使える魔力が俺にはある。

 『通電式キー』
 それがこれの名称だ。
 名称を見てわかる通り、これは鍵だ。

 全ての錠前を開けることのできる鍵だ。
 物理的、魔法的を問わず、どんな錠前でも、これをかざして、魔力を通すだけで開いてしまう。
 そう、例えば、宝物庫の扉さえも。




 トリステイン魔法学院。
 トリステインのみならず、ゲルマニア、ガリアなどからも貴族の子弟がやってくる、
 ハルケギニア有数の魔法学院だ。
 そのレベルの高さのみならず、学院が所有するマジックアイテムが秘められた宝物庫も、
 また学院の名を高める一つの要因となっている。

 そこに所蔵されているものの中で最も有名なものといえば、

 『破壊の杖』

 学院長の話によれば、ワイバーンをも一撃で屠る威力を持った杖だという。
 その他にも様々なマジックアイテムがあるわけだが、
 中にはその用途が全く解らないものも多い。
 かの破壊の杖ですらも、その使い方は学院長自身も知らない。

 そんな有象無象のマジックアイテムの中に、俺の欲しいものがある。
 何もしないでいたのならば、フーケが宝物庫を襲い、破壊の杖を奪った際に、
 人知れず破損していた名の知れぬマジックアイテム。

 しかし、今回は違う。
 通電式キーに魔力を通し、宝物庫の中にすっと入ると、
 ずんぐりむっくりしたスピードガンのようなものを取り上げる。

 金属で覆われた側面の、ちょうど真ん中辺りを軽く押したまま、
 トリガーを引くと、上部の金属板が外れる。
 このマジックアイテムは非常に強力で、外道であるため、
 これを作った連中が安全装置を組み込んでおいたのだ。

 金属板が外れた後に、適切な順番で中の仕組みをいじり、
 再びこのマジックアイテムが使えるように準備をほどこした。

 金属板をはめ直すと、まずはテスト……とコルベールのところへと向かった。








 端的に言えば、この装置は正常に動いた。
 ミョズニトニルンの力を持っている俺にとっては当たり前の結果ではあるが、
 通常の人間が用いるよりか、遙かに強力で、遙かに精度の高い結果を出してくれた。

 俺の楽しみに邪魔が入るのは、非常に不愉快なので、
 コルベールと学院長、あとミス・ロングビルは既に抑えてある。

 俺は浮き足だっているのを隠さずに、ルイズの部屋に戻った。
 待っていたのは、顔を真っ赤にして怒っているルイズだ。

「あんたッ! お金を持ち出したでしょッ!」

 あの通電式キーを買うためには、少額とはいえお金が必要だった。
 そのうち稼げる当てが出来るとはいえ、それを待つのは意味がない。
 だから、ちょいとルイズの財布から硬貨をいただいた、というわけだ。

「まあまあ、待てよルイズ。
 確かに俺はお前の財布からちょろっと頂いた。
 でも、これはお前のことを思ってのことなんだよ」
「ふざけないで! この薄汚いこそ泥めっ!」

 ルイズが問答無用で手に持っていた馬上鞭を振りかぶってきた。
 予測できる行為だったので、そっと半歩横に動いて鞭をかわす。
 そしてそのままルイズの手首を掴み、鞭を抜き取って放り投げる。

「落ちつけって。
 俺が本当にこそ泥なら、お前の財布全部とってってそのまま帰ってこないだろ?
 でも、俺は、全部硬貨の数を数えなきゃ気づかないくらいの少額を取って、
 尚かつここに戻ってきた。
 それでも怒るってことは理解できるが、まずは俺の話を全部聞いて、
 納得できなかったら、鞭で叩くってことにしてくれないか?」

 ルイズはそれでももがいていたが、力では俺には敵わない。
 しばらくして体力を消耗し、冷静な思考が戻ってきたら、
 ようやく拘束から逃れようとはしなくなった。

 俺もルイズの手を離し、旁らに置いてあったマジックアイテムを持ち上げる。

「トリスタニアの市場に行ってきて、これを手に入れたんだ」

 嘘は言っていない。
 トリスタニアの市場には行ったし、これを手に入れたのは本当だ。
 別にトリスタニアの市場で『買った』なんてことは一言も言っていない。

「……何よ、それ? そんなガラクタが何の役に立つっていうのよ」
「確かに、何にも知らないやつにゃ、こりゃただのガラクタだ。
 ただ、これの使い方を知っているやつが見れば、極めて強力な道具なわけよ」

 ルイズが部屋のちょっとした汚れを取り除くために使っているボロ布を手に取ると、
 手に持ったマジックアイテムの表面に、はぁと息を吹きかけ、キュッキュと音を立てて拭き取る。
 はたきで軽く払っただけだったため、まだ付着していたほこりが落ちて、
 金属の表面が部屋のランプの明かりをより強く反射する。

 マジックアイテムの舳先をルイズの頭に向け、狙いを定めるように片目をつぶる。

「安全装置の解除とか、魔力コードの認証とか、
 やらなきゃならない面倒なことは面倒だが、ひとたび使えるようになったなら、
 その使い方は実に簡単。
 対象の頭部に向けて構えて、トリガーを引く。それで終わり。
 馬鹿でもサルでも出来るお気軽、お手軽なマジックアイテムなわけだ」
「で? それを使ったからどうなるっていうの?」

 ま、確かにこの時代の人間じゃわからないだろう。
 かつて俺がいた世界では、おもちゃの拳銃みたいに見えたんだろうが、
 銃ってのがあまり一般的ではなく、既存の銃とはあまりにもかけ離れたこれを見たってわかるはずがない。

「相手の精神をぶっ壊す」

 ルイズは妙な顔をした。
 鳩が豆鉄砲くらったとかいう表現が適切か。

 ま、そりゃそうだろう。
 そんな突飛な結果にたどり着くとは普通思わない。
 ルイズの想定していた答えは、まあ、せいぜい、この装置の前面が開き、
 中からパイが飛び出て相手の頭にパシャッとひっかかるとかそんなところだろう。

 一体いかなる理由でこれが作られたのか、俺でもいまいち判然としないし、
 どうせろくでもない目的で作られたもんだろうから、調べようとも思っていない。
 ただ、過去にこれと同じマジックアイテムがある程度の数量産されていたというのは確かなことだ。
 今地上に露出しているものは俺の持っているもの一つだが、
 何もしないなら今から五十年後、今からするなら数ヶ月後、
 このアイテムが保管された遺跡が発掘される。

「冗談はやめなさいよ」

 ルイズはおきまりの台詞を吐く。
 人間の精神を壊すアイテム、というのはこれまたあまり一般的でないものだ。
 というか、一般的であるならば、その社会は色々と終わっている。
 エルフの秘薬には人の精神を破壊するものがあるし、
 心身ともにダメージを与える麻薬といった類のものもあるが、両方とも言うまでもなく禁制の品だ。
 しかもこのマジックアイテムは、エルフの秘薬や麻薬なんてものよりもずっと便利で、
 安易に使おうとすれば実に安易に用いることができる。
 『肩こり二つ』とか『生意気なたわし』とか面倒くさいワードも仕込まなくていいし。

「ま、普通は冗談に聞こえるよな。
 そうだと思って、色々と用意してきたよ、色々とな」

 軽く手を二度叩くと、外に待機していた二人が入ってきた。
 赤髪と青髪の女だ。
 彼女らは全身がすっぽり隠れるロングコートを着ている。
 ロングコートの裾からは、歩くたびに足の指先が見え隠れし、裸足であることがわかる。

「つ、ツェルプトーとタバサ? 一体なんでこんなところに」

 ルイズが狼狽の言葉を吐いた。
 キュルケとタバサの様子は明らかに異常ということが一目で察せられる。
 目はどことなく虚ろだし、屋内とはいえ裸足で歩いているのはおかしい。
 それに、何故、ロングコートで過剰なまで体を隠しているのか。

 タバサはともかくキュルケは肌を露出する服装を好む。
 第三者からも、自らも『微熱』と称するだけあり、多少寒い日であってもその肌の露出はやめない。

「精神をぶっ壊すっていっても、本当に完膚無きまでぶっ壊すことしかできないってわけじゃないんだ。
 一部をぶっ壊すことによって、実に広い応用性が産まれたりするんだな、これが。
 んで、これがわかりやすい例として提示できるものだ。
 キュルケ、タバサ、コートの前をはだけろ」

 二人は虚ろな目で微かにうなずき、ためらうことなくコートの前を開いた。
 その光景にルイズは絶句した。

 キュルケはその放漫な体を惜しげもなく披露し、
 タバサは白雪のような肌を開示した。

 まあ、簡単に言えばコートの下には何も来ていなかった、という
 実にわかりやすい変質者スタイルをとっていたというわけだ。
 そしてそのお腹辺りには『私はルイズ様の奴隷です』と標準トリステイン語で宣誓の言葉が書かれていた。

 ルイズは目を白黒させながら、口をぱくぱくと開いていた。

「こいつらの心をほんの少しだけ壊してやったんだよ。
 普通の日常生活を過ごさせることもできるけど、
 俺らの言う命令には絶対に逆らえないようにしてやったんだ」

 より正確に言うならば『俺』の言う命令には絶対に逆らえないようにしたんだがな。
 もっとも、ルイズに従うように、と俺が命令したからそんなに大差ないけれども。

 まだ動転とし、呆然と二人を見つめているルイズにそっと手を伸ばし、
 右足のソックスを優しく脱がした。
 体に与えられた刺激で、ルイズは俺を睨んできたが、お構いなしだ。

「ほら、ツェルプトー家はヴァリエール家の不倶戴天の敵だったろ?
 ツェルプトー家の娘と、その腰巾着を自分の意のままに出来るんだぜ。
 小銭が二、三枚無くなった程度でそれが買えるなら安いもんだろ」

 タバサは別に腰巾着じゃないが、そういっておいた方が簡単でいい。

 もはやルイズは俺が財布から金を抜き取った、なんてことは忘れていたみたいだった。
 ただただ、ルイズの持ち合わせている常識の範疇を大きく外れた出来事にとまどい、
 条件反射的に怒りを見せたりはするものの、ほとんど呆然としているようだ。

 ルイズの白く細い足をベッドの外に出し、キュルケに向かって一言言う。

「舐めろ」

 キュルケは返事をせず、その場に座り込んで、ルイズの足首を掴むと躊躇いもせず舐め始めた。
 個人的な意見を言わせて貰うと、半泣きで許してと言っているところを、
 ダメだ、と断って舐めさせるのがベストなんだが、ルイズに対してのデモンストレーションはこっちの方がいいと思った。

 ルイズの反応は決して好ましいものではなかった。
 確かにツェルプトー家に対して並々ならぬ対抗心を抱いていたルイズだが、
 こんな状況になることは望んでいないはずだ。
 もちろん、俺はそれをわかってやっているので、何ら問題はないが。

「やっ、いやッ! やめなさいよ、ツェルプトー!」
「お? もういいのか? ツェルプトーには散々煮え湯を飲まされてきたんだろ」
「いいっ! もういいからっ、やめさせなさいッ!」

 やめろ、と一声かけると、キュルケはその場で停止した。
 本当に、停止、といった表現が適切な止まり方だった。
 パントマイマーのような、完全な静止をしている。

 ルイズはキュルケに掴まれていた手から自分の足を引っこ抜き、ベッドの上を這うようにして逃げる。
 あまりに勢いをつけて逃げすぎたせいか、ベッドの反対側から転げ落ちそうになったので、
 そっと背中を支えてやる。

「すごいだろ? 俺が手に入れたこのマジックアイテム。
 これさえあれば、世界を手中に収めることもできる」

 はあ、何言っちゃってるの? とか言われそうだが、全く不可能なことではない。
 世界を統一したことは、俺のもはやだいたいの数を数えることすらも億劫になった『前世』でも何度かある。

 大概は、ガンダールヴの力を用いて、適当に抵抗勢力を(時には敵味方無差別に)壊滅させた結果だが、
 このマジックアイテムを用いたときも一度や二度ではない。

 ルイズはまだショックから完全に立ち直ることができないのか、目尻に涙をためていた。

「や……やめなさいよ……」
「ん?」
「つ、ツェルプトーとタバサを元に戻しなさい!」

 ルイズは足の指先から髪の毛一本に至るまで貴族だ。
 しかもただの貴族ではなく、トリステインの名家ヴァリエール家の娘である。
 つまるところ、邪悪、外道と称するに足るこのマジックアイテムに対して抱く感情は、
 恐怖と、更に嫌悪があげられるだろう。

 ツェルプトー家のキュルケはルイズにとって確かにライバルであり、
 憎々しく思う相手ではあるものの、こんな形で決着をつけることは望んでいない。

「ま、戻すことは不可能じゃないけど。それはヤダ」
「戻しなさい!」

 ルイズは今度は素早く杖をとり、その先を俺の鼻先に突きつけた。
 恐怖が引いたためか、激憤が満ちたのだろう。

「今のルイズの心にあるのは、一時的で、つまらない義侠心だろ?
 そんなもの、これから進むハルケギニア統一の道のりで絶対に邪魔になる。
 だから、元に戻さない」
「戻しなさい!」

 ルイズは怒りに震えた手で杖を俺の顔に押しつけてきた。

「どうして……どうしてだよ、ルイズ!
 俺はお前をハルケギニアに君臨する唯一の女王にしたいんだ。
 そのためには、親しい人間ですら利用して踏みつぶすようなことをしなくちゃならないんだぞ!
 今、ここで、ツェルプトー家の人間を壊したままでいられなくちゃ、この先やってなんかいけない!」
「戻しなさいって言ってるのよ! 私はッ!!」

 ルイズは大きく息を呑み込んだ。

「私は、ハルケギニアの女王になんてなりたくないわ。
 そんな、外道なものを使ってなら、尚更にね!」

 それほど長い台詞ではないはずなのに、
 言い終えると肩を上下に動かして息を切らしていた。

 俺は深く息を吐いて肩を落とした。
 落胆しているような仕草を見せ、一歩後ろに下がる。

 ルイズは魔法を放つことをしなかったが、杖の先は相変わらず俺の方に向けている。
 このまま言葉を続ければルイズは魔法を放つだろう。
 魔法は案の定失敗し爆発するが、俺の頭が粉々になることは避けられない。

「わかった、わかったよ、ルイズ。お前の考えはよくわかった。
 多分、どう説得しても、お前の考えは変えられないってのも予想できる。
 でも、残念だ。本当に。
 ただお前のためを思ってやったんだ、だから、その……そこんところは誤解しないでほしい」

 しょんぼりした声色で語りかけたのが功を奏したのか、ほんの少しだけルイズの鋭い緊張が解かれた。
 安堵する気持ちもあったんだろう。
 別にそれが致命的な隙を生んだ、というわけではないが。

 俺が指を鳴らすと、今まで停止していたタバサとキュルケが動き出し、ルイズに飛びかかった。
 不意を打たれたルイズはキュルケに右手を、タバサに左手を取られ、そのまま捻られて動きを封じられた。
 杖はキュルケにもぎ取られ、床に落ちて、更にタバサのつま先でベッドの下に押し込まれた。

「な、何するのよッ!」

 ルイズが俺に向かって憎悪の視線を投げかけてくる。
 俺はそれを受け流し、床を歩きながら、マジックアイテムを握り直した。

「本当、残念だよ、ルイズ。
 きっと、お前なら俺の考えを理解してくれる、と思ったんだけどな。
 理解してくれないなら……どうしようもないよな」

 あてどなく部屋の中を右へ左へと歩き回る。
 軽い冷却期間だ。
 ルイズはさっきまで義憤にかられていた。
 形勢が逆転した……もちろん、仕組まれた形勢逆転だが……今の状況でも、
 ルイズの心には若干の熱が籠もっている。

 だんだんと熱が冷めてくると、自分の置かれている状況がいかに悲惨なものであるか理解できるだろう。

「あんた……まさか」
「別にそんなにおびえることはないさ、ルイズ。
 俺とお前は不幸にも考え方が違うみたいだけど、
 お前が俺の主人であることは否定するようなことじゃないしな。
 まあ、ちょっと他の人よりかは不幸な目を見てもらうが、何も命を取ることまではしやしないさ」

 取り押さえられたルイズの目の前に立った。
 わざとらしく銀色のマジックアイテムを見せつける。

「そうだな、犬がいいかな」

 ふと思いついたように言ってみる。

「ルイズには犬になってもらうか。
 うんうん、ルイズはかわいいから、かわいい犬になるんだろうなあ」

 ルイズの瞳が恐怖の度合いを増したことを確認すると、
 やや声のトーンを上げて言葉を続ける。

「人間の手足じゃちょっと長すぎるな。
 肘と膝の先はいらないから切っちゃうか。
 ああ、心配しなくていいぞ、ルイズ。
 麻酔はちゃんとかけてもらうから、痛いとか感じないはずだ。
 あ、いや、人としての精神が壊れた後だからそもそも心配する必要もないか」
「な、何言ってるのよ……」
「ちゃんとつがいも用意してやるよ。
 そこらの野良犬なんかじゃない、血統書付きの大きな犬なんかがいいな。
 大きい方がルイズも嬉しいだろ? ルイズは小柄だから体が持たないかもしれないけど」

 ルイズはなんだかよくわからない言葉を言った。
 ちょっと錯乱したのか、ほとんどが意味のないうめきだったが、
 ちらほらと「狂ってる」とか「頭おかしい」という単語が混じっていた。

「うん、俺が狂ってたり、頭がおかしいのは確かだよ」

 天井に右手の人差し指を立てて、くるくると回した。

「でもそれは天然だ。
 このマジックアイテム……まあさしずめ『精神破砕機』と名付けておこう。
 この精神破砕機で、こんな風になったんじゃない。元からだってことは断っておく」

 俺の発狂が天然であろうとそうでなかろうと何の意味もないことだが。

「あと、これがルイズにとって幸いなのかどうかわからないが……。
 少なくともルイズという人間の少女がこの世から消えることに対して、
 ほんの少しだけ悲しむだけの正気は持ち合わせてるぞ。
 といっても、ルイズというかわいい犬がこの世から生まれることに対して、
 ほんの少しだけ喜ぶだけの正気を持ち合わせているから、結果的にはトントンかな」

 ルイズが本格的に抵抗を始めたが、拘束はまったくびくともしなかった。
 それも当然のことで、右腕と左腕を完全にロックされ、しかも二人がかりで抑えられているのだ。
 大の男でもまず振り払えないのに、非力なルイズに逃げられるはずがない。

「輝かしいかどうか俺にゃわからないが、とにかくご主人様の死と再生はカウントダウンで行おう。
 月への旅の始まりみたいにな」

 俺は精神破砕機を構え、ルイズの頭に押しつけた。
 ルイズは懸命に頭を動かし、なんとかその舳先から逃れようとするが、
 体の動きを封じられてはただの悪あがきにしかなっていない。

「3」

 俺の声と同時に、ルイズの両脇にいるキュルケとタバサが同じカウントを告げた。

「2」

 じらすようなスピードで数を減らす。

「1」

 ルイズは暴れまくったが、俎上の魚にさえ鼻で笑われるほどだった。

「0」

 絶叫が精神破砕機のトリガーを引く音をかき消した。
 尾を引くように伸び、しだいに細くなった絶叫がやむと、沈黙に満ちかけた部屋にくぐもった水音が響いた。

 俺は精神破砕機をテーブルにのせると、けらけらと腹をおさえて笑い、そのまま椅子に座った。

「やっだなあ、ジョーダンに決まってんだろ、ジョーダンに。
 いくら俺だって自分のご主人様を犬にするわけねーよ」

 そう、犬にするわけがない。
 犬にしてしまうなんて、もったいないことをするわけがない。

 犬にしないことと精神破砕機を使わないこととは全く別のことだが。

「おうおう、漏らすほど怖がるなんて、悪かったなー、ルイズ。
 でもお前にも非がないわけじゃないんだからな。
 お前があんまりにも面白く怖がるもんだから、つい悪のりしてなー」

 ルイズの太ももの付け根から黄色い液体がしたたり落ち、下着とベッドのシーツを汚していた。
 あまりの恐怖に失禁してしまったようだ。

 馬鹿みたいな陽気な声で語りかけるが、ルイズはただ泣きべそをかいているだけだ。

「ほら、キュルケ、タバサ。ルイズのお漏らしの始末をしてやれ」

 二人はルイズの手を離し、下着を脱がし、ベッドのシーツを剥がした。
 タバサはその二つを手に持って部屋を出ていく。

 相変わらず、全裸にコートというあからさまな変質者スタイルであるものの、
 この学園内で見られると困る人間はすでに掌握してある。
 気まぐれに夜の散歩をしている学生がいるかもしれないが、
 そんなのに見られても即大問題に繋がらないため、いくらでももみ消しがきく。

 一方キュルケの方はというと、ルイズの足をひらいて、
 その股ぐらに顔を近づけ、舐め始めた。
 下着やシーツの始末がタバサ、ルイズ自身の始末はキュルケがしているわけだ。

 当然、ルイズは泣きべそをかきながらも、非常にデリケートな部位を舐められることに嫌悪し、
 キュルケをはねのけようと、一瞬だけ動いたが、止まった。

 キュルケの頭を手で引きはがそうと体を起こしたとき、
 自分の額に触れた固くて冷たいものの感触を感じ取ったからだろう。
 そのままばたっと倒れて、キュルケのなすがままにされていた。

 俺は再び精神破砕機をテーブルの上に乗せ、初日の成功にルイズ秘蔵のワインで祝うことにした。















 俺が精神破砕機をトリステイン魔法学院の宝物庫から盗んで、八年ほどが経った。
 それまで、色々なことがあったが、今ではつつがなく暮らすことが出来ている。

「んー、ばっちりだな。ルイズ。いや、ルイズ女王」

 純白のドレスを着て、水晶の杖を片手に持つルイズに対して俺は賞賛の言葉を投げかけた。
 八年の歳月は、ちんちくりん、と馬鹿にされていた少女を立派な女に変化させた。
 胸だって、彼女の姉ほどではないが、豊かになり、
 幼さが排されて、大人っぽい魅力が溢れている。

 ルイズはいまや、ハルケギニアを統一した『神聖ルイズ帝国』の女王……いや女帝として君臨している。
 旧トリステイン地方の豪華なドレスを身にまとい、旧ゲルマニア地方で加工された見事な意匠のティアラをかむり、
 旧ガリア地方で産出された巨大な水晶がついた杖を持っている。
 座している玉座も旧アルビオン地方で取られた木々を現地で組み立て、装飾した一流品だ。

「そう? ありがと」

 ルイズは俺の賞賛の言葉にやや控えめな言葉で答えた。
 対する俺はただの使い魔。
 いつまでも普通の服なんて着られるわけがないので、
 この王宮でも浮かないようにと、執事の服を着ている。



 思えば短いものだった。

 精神破砕機を手に入れたその日、精神破砕機のテスト代わりにコルベールをくぐつし、
 返す刃でオールド・オスマン、フーケを始めとした、学院内で高いレベルのメイジを手中に収めた。
 その後、オールド・オスマン経由でアカデミーの職員を抑え、
 何も知らずにノコノコとルイズの部屋までやってきたアンリエッタを傀儡にする。

 そこから一気に加速する。
 アカデミーを動かして、大量の精神破砕機が埋没している遺跡を発掘させ、
 それらでまず国の上層部を徹底的に洗脳した。

 その後は簡単。
 保健関連の部門により強い権限を与え、『未知の伝染病が発生した』というデマを流したのだ。
 創設した部門は全国規模の健康診断が行った。

 極めて他人に伝染しやすく、危険な病のため国が行う健康診断に国民は全員強制的に参加させる。
 もし、診断を受けないでいれば非常に高い罰金を払わせる、という法律まで制定してまで。

 もちろん、ありもしない伝染病に対する健康診断なんて、本当の健康診断ではない。
 一人一人招き入れられる一室には、奇妙な形状をした金属の装置が一つ。
 検査は一人数秒で終わる。
 奇妙な形状をした金属を、頭に向け、保健官が装置のトリガーをただ引くだけ。

 かくして、極めてシステマティックにマインドコントロールができたのだ。

 国内が終われば次は国外だ。
 残念ながら、トリステインは国土的のみならず軍事的にも小国だった。
 旧体制……当時はまだ実力よりも血統を重視しているため、
 血統主義よりも実力主義的だったゲルマニアに人的資源で遅れを取っているし、
 アルビオンに対しては浮遊戦艦の所有数とクルーの練度に悲惨なまでの差があった。
 ガリアはもうなんていうか、ゲルマニアとアルビオンの優位点を足して更に圧倒的国力を持っていたため、
 真面目に戦ったら勝ち目なんて米粒ほどなかった。

 ロマリアが唯一の例外といえば例外だが、あの国はトリステインと隣接していない。
 というか、ガリアの向こう側にあるため、ガリアを征服しないと侵攻すらできないため論外だ。

 今回はアルビオンから侵略することにした。
 侵略といっても、合併吸収といった方が正しいかもしれない。
 幸いなことに、この世界でのアルビオンは内乱が起こっていなかった。
 そのおかげで、ウェールズ皇太子がアンリエッタ王女に会いに来て、
 それを脇でにやにや見ていた俺たちが、精神破砕機のスイッチを押した。
 あとはトリステインでやったようにトントンとことをすすめ、
 トリステイン主導での国の合併吸収を行った。

 次はゲルマニアを対処することにした。
 実のところゲルマニア攻略に一番時間を費やしたかもしれない。

 トリステインとアルビオンが合併したことにガリアは非常に警戒をしていた。
 大国ガリアといえどトリステインとアルビオンが合併した場合の戦力を無視できないし、
 更にゲルマニアと一緒になった場合、驚異になりうるからだ。
 そのため、ゲルマニア侵攻に際しては、電撃戦が要求された。
 宣戦布告してから首都を占領するまでの間、ガリアに余計な口出しをされて、介入されると色々と厄介だからだ。

 ガリアにはタバサを送り込み、内部分裂を起こす政治的な破壊工作を行いつつ、
 着々とゲルマニアの商人達を洗脳し、ゲルマニアからトリステインに資金を引き上げさせたりする。
 それにより戦時国債を発行しても誰も買う人がいなくなり、戦争能力が落ちるのをじっくり待った。

 もちろんゲルマニアは商人の転居を禁止したり、国外に持ち出す金貨の量の制限をかけたり、
 色々と国内の資金の流出を防ごうとしていたようだけど、歓待、という形で誘い込んだゲルマニアの貴族達を洗脳し、
 妨害の妨害すら行った。

 トリステイン・アルビオンがゲルマニアに宣戦布告をしたのと同時のタイミングで、
 ガリアの国家を政治的に二つに分裂させた。

 ガリアの分裂はガリア侵攻にとって決定打にはなりえなかった。
 失地王ジョゼフとタバサ……シャルロットの王位争いが分裂の理由であり、
 シャルロット側につく勢力の大半は既にジョセフによって粛正されている。
 精神破砕機によって、何人かの貴族を取り込むことはできたが、
 ガリアは王の権力が強い国であり、そううまくはことが進むわけがなかった。
 その上、北花壇騎士団とかいう有能な諜報、暗殺専門組織もあり、あまりおおっぴらに動くことができない。

 俺もほしかった、あれ。

 ただ、ガリアに対しての破壊工作はそれほど期待はしていなかった。
 要はこっちがゲルマニアに戦争をしかけている最中、ガリアには口出しをしてほしくなかっただけなのだ。

 そのおかげで、ゲルマニアとの戦争は実にうまくいった。
 アルビオンで内乱が起こってなかったおかげで、全盛期のアルビオン艦隊がゲルマニア戦線で猛威をふるった。
 質、量ともに抜きんでたアルビオンの艦隊は、あっという間に制空権を獲得し、
 敵地上部隊を鴨撃ちにした後、正確すぎる精度で脆弱な部分にトリステイン地上部隊が突撃する。

 おまけに、資金持ち出しに失敗したゲルマニアの商人達にゲリラまがいの内乱を起こさせたため、
 ゲルマニアはもうしっちゃかめっちゃかになり、戦争開始から一週間経たずに首都が陥落した。

 しかし、その首都陥落にかかった時間は、ガリアで動かしていたタバサの部隊がほぼ壊滅するに足る時間だった。
 幸い、タバサは生きて帰ってきたが、ジョゼフ王は抵抗勢力を全滅させていた。

 おまけに北花壇騎士団のせいで、タバサの裏で糸を引いていたのが俺らだっていうことがバレ、
 そのまま休むことなくガリアと、トリステイン・アルビオン・ゲルマニアとの全面戦争になだれ込んだ。

 非常に高い国力を持つガリアとの戦争は、流石に一ヶ月や二ヶ月で終わるようなものではなかった。
 それでも、国内の四分の一の戦力を先の内乱で皆殺しにしているガリアと、
 破竹の勢いで勝ちをもぎとった俺らとでは、俺らの方が優位に立っていた。

 ゲルマニアの、息のかかっていない貴族がもぞもぞと五月蠅かったが、
 そういった連中はガリアとの戦争の最前線に持って行き、
 足下がお留守になったところから、例の精神破砕機でのマインドコントロールを行った。

 空戦においては、ややこちらの方が優位を持っていた。
 ゲルマニアとの戦争によってやや疲弊していたものの、やはりアルビオン艦隊は強かった。
 ガリアも相当数の戦艦を持っていたはずなのに、アルビオン艦隊はそれを幾度も打ち破った。

 トリステインとゲルマニア連合国がアルビオン艦隊を打ち破ったのは、
 飽くまで虚無という番狂わせがいたおかげだ。
 もし、虚無がなかったら、トリステインとゲルマニアの艦隊なぞぼろくずのようにやられていただろう。

 ガリアのジョゼフも虚無『イリュージョン』を打ってきたが、これはさしたる問題ではなかった。
 というよりか、これを喝破できないのなら、俺のいる意味が全くなくなってしまう。
 空中に無数展開された大規模空中艦隊の幻影に惑わされず、
 逆に艦隊の脆い部分を突破されて、幾多の戦艦と空の男達が空に散っていった。

 空戦においては勝ちを収めているもののネックは地上戦だった。
 平均的な装備などはガリアの方が優れているものを使っているし、
 それになんといってもやはり兵力の差はいかんしもがたいものがあった。

 空中艦隊からの支援砲撃は、ゲルマニアとの戦争ほど期待できなかった。
 広大な国土を持つガリアでは、制空権を握ったとしてもそれの維持が難しいのだ。

 アルビオンの艦隊が強いのは、それなりの理由がある。
 練度の高いクルーがそろっているというのも一つの理由だが、
 戦艦事態の性能が高いというのも重要な理由でもある。

 その性能の高さというのは、構造の違いなどもそうだが、
 使っている燃料……実際には燃やしていないから燃料と言うのはおかしい気がするが、風石の違いがある。

 アルビオン艦隊にはアルビオン産の特別な風石が用いられる。
 この特別な風石というのが厄介者で、アルビオン王家に代々受け継がれる、特別な加工技術でもって生産される。
 アルビオンを手に入れた後だったら、そんな秘密は関係ないようにおもわれるが、
 その加工がアルビオンで行わなければならないのだ。

 アルビオンは風の魔力に満ちた国であり、加工の際にその風の魔力を特別に封入しなければならないからだ。
 トリステインでも風の魔力に満ちた密室なんかを作って加工すれば生産は可能だが、
 現在の魔法技術では不可能に近く、ついでにコストがかかりすぎる。

 要点だけつまめば、特殊な風石は量産が効かず、それ故にアルビオン艦隊を無駄に飛ばすことはできない、ということだ。
 下手して空飛ぶ艦隊の燃料が不足して、地上で停泊中に襲われて全滅した、なんてことになったら笑うこともできない。

 通常の風石と併用して用いる案もあったが、
 残念ながら風石による風の力に差が出てしまうため、
 現在の戦艦の強度では戦艦に傷が出来る……最悪には空中で分解され、何もしないまま撃沈してしまう可能性があった。
 戦争においてはリスクを恐れることはよろしくないが、どうでもいいことで貴重な戦艦を失う必要性はない。

 結果、アルビオン艦隊はもっぱらガリア艦隊との空中戦を行っていた。
 地上への支援はガリアの要塞への砲撃などの、拠点攻略の際に少し行われた程度にとどまった。

 話がそれたが、とどのつまり地上戦力は地上戦力のみで戦闘を行わなければならなかったわけだ。
 素の戦力でさえ劣っていたわけだが、更に悪いことに向こうさんには切り札があった。

 神の左手『ガンダールヴ』だ。

 こいつには相当悩まされた。
 状況によるが、ガンダールヴは文字通り『一騎当千』
 二百の軍勢は鏖殺され、二千の軍勢は蹴散らされ、二万の軍勢は足を止められる。

 真面目に戦わせれば、相当な損害を被ることが明らかだ。
 メイジキラーとも言えるインテリジェンスソード『デルフリンガー』が向こうの手にないことが、
 一つの救いといえば救いだが、当時の俺にとっては慰めにはなっていなかった。

 とにかく、ガンダールヴが動いている、と聞いたら付近の部隊に速攻で撤退命令を出さなければならない。
 ガンダールヴは少数の騎兵を従えているだけの部隊のみで行動し、
 戦場を遊撃してまわっている。
 特に被害は機動力の少ない砲兵が大きくうけた。
 酷いときは砲兵部隊が丸々皆殺しされていたときもある。

 ゲルマニアのお家芸である冶金、練金技術で作られた大砲は、
 ガリアのそれよりも優れていたため、鹵獲されまくった。

 ガンダールヴを撃退するためには相当の数の人間が必要だった。
 もちろん、敵の兵力はガンダールヴだけではないため、そればかりに兵を割くわけにはいかない。
 仮に撃退しようとしたとしても、兵力の一斉集中を試みれば、
 相手のガンダールヴもそれを察し、逃げてしまうだろう。
 更に更に悪いことに、例えガンダールヴを殺したとしても、
 ジョゼフが再びサモン・サーヴァントを行って、新しいガンダールヴを送り込んでくるのが関の山だった。
 いやいや、ミョズニトニルンになって初めてわかるそのうざったさ、だな。

 二重三重の罠を作って、ガンダールヴの動きは封じた。

 基本的に地上戦力の掃討には使わなかったアルビオン艦隊まで出張らせ、反撃の受けない空からの一斉攻撃。
 火竜部隊、風竜部隊の大部分を出してひたすら弾幕の雨を降らせた。
 特に砲火の激しい地域は木々が燃え、歩くだけでも弾丸を踏む荒れ地になりはてた。
 まあ、そこまでやってもガンダールヴは死ななかったんだけれども。

 取り巻きの騎兵は全員蜂の巣かミンチになりつつも、ガンダールヴは立っていた。
 それでも無傷とはいえず、体の各部位は傷つき、大量の血が溢れていた。
 そして何より、武器が破損していた。

 ガンダールヴとはいえ、武器が無ければただの人。
 空中包囲陣を用いての一斉射撃攻撃によって、ガンダールヴのある意味弱点を突いた。
 隠して置いた地上部隊で周囲を囲み、武器を失ったガンダールヴ、つまりただの一般人を確保した。

 殺しはしない。
 精神破砕機によっていつも通りマインドコントロールを完了させる。
 ガンダールヴは手足を厳重に縛り付け、地下牢に放り込んだ。

 ガンダールヴがいれば地上戦力の力の均衡が崩れ、ガリア攻略において大いに助けになっただろうが、
 俺はそれをしなかった。

 ガンダールヴ……に限らず、神のしもべはその主人との絆が非常に強固だ。
 いかに精神破砕機で隷属を強いていても、下手すると再びこちらに牙を剥いてくる可能性がある。
 まあ、あのジョゼフ王とのつながりがそれほど強いのか、といわれると微妙なところだが、
 それでも変なリスクを背負い込むことはやめた。
 万が一でもガリアの王と対面することないよう、地下牢に幽閉し、
 戦争が終わるまで飼い殺しにし続けなければならない。



 ガンダールヴ捕獲作戦は、ここまで聞いたところだと無傷で手にいられたかのように見えるだろうが、
 実際は結構痛手を負っていた。

 アルビオン艦隊と空中部隊を一カ所に集めたせいで、ガリア艦隊が他の地域の地上部隊に攻撃をしたからだ。
 空中支援がないまま戦線を維持した部隊はほとんど壊滅状態に陥ってしまった。
 そのせいで国内の防衛戦を新たに設定しなおさなければならず、色々と手間と資金がかかってしまった。

 犠牲が少なからずあったとはいえ、ガリアとの戦争における最大の懸念事項が消えたことは喜ばしいことだった。
 これでようやく、砲兵の被害数を見て、いらだつことをしなくてよくなったのだから。

 そこからは緩やかに、しかし確実にガリアとの戦線を向こうに押しのけていった。

 とりあえず、現在の魔法、練金技術に即した新兵器をばんばん開発していって、
 それを逐次投入していったからだ。
 トリステインだけでは作れなかったものも、ゲルマニアの練金技術があればできたりする。
 まあ、兵器っていうのはある程度数を揃えなければ意味がないし、
 それを兵が使えなければ、ただのガラクタだ。
 効果が出るまで時間はかかるが、今となっては時間がかかっても問題はない。

 ガンダールヴという最大の障害がなくなり、
 ガリア艦隊をほとんど討ち滅ぼし、実質ガリア上空の制空権を握った状態では、
 それほど急いで戦争を進める必要はなかった。

 ほとんどの国民が精神破砕機によってコントロールされているこちらとしては民が厭戦状態に陥らない分有利だ。
 じっくりゆっくり座して待てば、大規模ではないものの小規模な勝利の知らせが、次々と入ってくる。
 ようやく、ハルケギニア統一までの道が基盤がしっかりしたものになったことを実感した。

 戦争開始から一年が経とうとしていたとき、ガリアの首都は陥落した。



 残るはロマリアだけだが、これは戦争すらせずに終わった。
 ロマリアは基本的に宗教国なので、ハルケギニア中のお布施をストップさせ、
 更に国家間で行われる寄付金も止めた。

 なんか北の方の国家が統一しちゃったけど、うちらには宗教があるから攻められないよねー、
 みたいな雰囲気をしていたロマリアがめちゃくちゃ焦って、使者どころか教皇直々に現れたけれど、全部無視。
 徹底無視をし続けていたら、最後は涙目で戦争するぞ、と脅してきたが、
 戦争する金すらもない国に、金寄こせ、寄こさないと戦争するぞ、と言われても苦笑しか出てこない。

 教皇が何度も何度も変わり、冬に入る直前にロマリアは統一国家に頭を下げた。
 工業や農業よりか芸術方面に優れた国であるため、自活力が低いのだ。

 ハルケギニアの人間領全てを統一した結果、今まで名前が決定していなかった国に名前を付けた。

『神聖ルイズ帝国』

 女王ルイズをトップにした、人間による統一国家である。
 民は皆勤勉でよく働き、犯罪行為など一切起こさない。
 地上の楽園、とはどっかの三文詩人が考えた言葉である。
 そう呼ばれることには、ぞっとさせられるが。



「あとで私の部屋に来てちょうだい」

 ルイズは俺の耳元でそっとつぶやいた。
 このルイズとは最初のころはあまり良い関係を築けたとはいえない。
 精神破砕機で脅した翌日から、俺の一挙一動に脅え、恐怖による癇癪を何度も何度も引き起こした。

 親友であり、かつての主君であったアンリエッタに精神破砕機を向けたとき、
 私にやらせないで、とべそをかいたものの、結局は友情とともにアンリエッタの精神を破壊した。

 その夜、就寝した後こっそり起き出して、俺に向かって精神破砕機を使おうとした。
 が、安全装置をオンにしていたため、トリガーが引けず、相当焦っていたようだった。
 寝たふりをやめて、起き出したとき、ルイズは硬直した。
 俺は別に怒ったそぶりを見せず、ただただ安全装置がかかってるから使えないよ、と言った後、
 ルイズの手から精神破砕機を取り戻した。
 顔を真っ青にして端から見ていて気の毒になるほど震えていたのが記憶に残っている。
 その後、また恐怖のあまり失禁していたため、キュルケとタバサを呼んで始末させ、何も言わずに寝かせた。

 それ以降、精神破砕機を使っていないのに使われたかのように従順に従うようになった。 

 アルビオンを吸収したトリステインがゲルマニアと戦争を始めたとき、
 ルイズは部屋の隅で体育座りをして震えて、眠れぬ夜を何日か過ごしたこととか、
 旧トリステインのお城の玉座の間で、わんわんと吼えながら、
 柱にマーキングしているガンダールヴを見て失神したとか、
 まあ、色々と小さなハプニングはあったものの、今では落ち着いて、神聖ルイズ帝国の女王をやっている。

 虚無の祈祷書と水のルビーを偶然探し出して、
 俺の暗殺計画まで練っているほど、ルイズはクールだ。

 前回……より正確に言うと、前に『ここ』までたどり着いた回は、
 扉ごしに放たれたエクスプロージョンで一瞬で無に返されたため、その先が見られなかった。
 その前はくそガンダールヴのせいでガリアに負けたし、その前の前はルイズに精神破砕機を使われた。
 コルベールに焼き殺されたこともあれば、タバサに貫かれたこともある。
 背後から刺されて死んだことは、もはや数え切れない。
 しかし、今回はその幾多もの試練を乗り越えた。

 これからは初めての世界だ。

 ルイズの部屋の前に立ち、ノックを二度する。
 するとルイズは部屋の中から、ちょっとそこで待ってなさい、と言う。

 素早くその場から足音を立てずに走り去り、階段を下がってルイズの部屋の下の部屋に行く。
 ベランダを出たら、上の部屋から垂れ下がるロープを伝ってルイズの部屋のベランダにあがる。

 音を立てず、気づかれないように部屋の中に入り込む。
 ルイズは水晶のロッドと始祖の祈祷書を床に落とし、へたりこんで泣いていた。
 きっと心の奥底から安堵の気持ちが溢れ、それが涙という形になって流れ出てきたんだろう。
 俺が推測するに、罪悪感なんてものはかけらもないと思われる。

 水晶のロッドを気づかれないように拾い、そっとルイズの方をぽんぽんと叩いた。

「よかったじゃないか。
 今まで魔法を使うたびに失敗していたのに」

 限界まで張りつめられていた弦がはじけるようにルイズは振り返った。
 その顔は酷く歪み、恐怖によって信じられないほど引きつっていた。

「いやいや、素直に喜んでるよ、俺は。
 今じゃ言うやつはいないが、ゼロなんていわれていた汚名を返上できたんだからな。
 いや、ゼロが汚名から名誉ある称号に変化した、ってとこか?」

 一瞬、ルイズはこの世の終わりを迎えたかのような表情を浮かべたが、すぐにそれは消えた。
 まだ赤い目をしながら、舌打ちをし、ゆっくり立ち上がる。

 ある意味、ルイズは俺のことを信頼している。
 ルイズが俺の命を狙ってきたことは、十回や二十回にとどまらない。
 ナイフを後ろから刺そうとしたり、城の上から突き落とそうとする直接的な方法から、
 戦争中嘘の伝令を流したり、俺のまたがった馬の鞍の紐を切り、落馬をさせようとする間接的な方法まで、
 色んな暗殺法を考えてはそれを実行してきた。

 そのたびに俺はしからず、ただただ優しい言葉をかけるだけだ。

 そんなことばかり繰り返していたせいか、
 ルイズは俺の命を狙うことを止めなかったし、
 発覚してもあっけらかんとするような態度を取るようになった。

「今度こそ殺せると思ったのに」

 今回ばかりは前に死んだ経験が無かったら回避できなかった。

 部屋の入り口を見ると、部屋の前は広く欠落している。
 廊下の向かいの壁は穴が開いて、非常によい眺めになっているし、天井も床も抜けて、
 部屋から出られなくなってしまっている。
 もちろん、扉なんて跡形もなく消滅している。

「ま、次頑張れよ」

 俺はそういって廊下の穴から召し使いにホットミルクを用意させた。
 その間ルイズは寝間着に着替えており、豪奢なベッドに寄りかかってぶすっと俺を睨んでいた。

「ほら、これを飲んでもう寝な」

 ホットミルクには蜂蜜をたっぷり溶かしてあり、甘く、そして眠気を誘う味がする。
 ルイズは礼も言わずそれを受け取ると、一気に煽って呑み込んだ。
 幸い、火傷するほどの熱さではなく、止まることなくホットミルクはルイズの喉に落ち込んだ。

 コップを盆の上に戻すと、ルイズはそのままこてりと眠り込んだ。
 催眠薬がよく効いたらしい。
 俺は盆をテーブルの上に置き、ベッドの端に座った。
 ルイズの体が寝息に合わせて上下に揺れる。

 ルイズの桃色の髪をそっと触れ、指先でその感触を楽しんだ。

 中々愉快で、楽しい時間だったが、もうそろそろ様々なことが終わる。
 少しだけ名残惜しかったが、ただ一言だけ寝ているルイズに向かってつぶやいた。

「さよなら、ルイズ」








 神聖ルイズ帝国の首都のど真ん中にそびえる、
 『スーパーウルトラミラクルルイズ城』(命名:俺)の一番高い塔の屋上へと出た。

 今日をもって世界征服が完了した。
 国民全員……ガリアの僻地から、ロマリア近郊の海賊に至るまで、
 精神破砕機……いや、実際に使った用途から名称を考えれば『精神隷属機』か……
 とにかく、マインドコントロールされた人間が、ただ一人を除いていなくなったことになる。

 今ここに真の意味で統一された人間国家が出来がったというわけだ。
 すばらしい、まったくもってすばらしい。

 気がつけば昔流行った歌を口ずさんでいた。
 昔といっても、俺の主観時間による昔であり、
 現在より未来……それも絶対に来ることのない未来に流行った曲だ。

 その回の人生は奇妙な状況だった。
 ルイズがトリステインを半分呑み込んだゲルマニア生まれの貴族で、
 俺は神の左手ではなく神の右手だった。
 そして何故か最初からガリアという国が存在しなかった。
 過去にガリアと呼ばれた国があった土地には大きなクレーターが点在し、
 その付近では苔すら生えない死の大地になっていたのだ。
 ロマリアに至ってはその長靴に似た半島すら存在していなかった。
 過去にはあったが、鳥も住まない無数の細かい島に変化していた。

 その人生では、ゲルマニアの貴族をヴィンダールヴの力によって影から煽動し、
 トリステインとの戦争をさせた。
 それに対してトリステインは同盟国だったアルビオンと連合を組み、ゲルマニアに対抗した。

 その戦争は非常に長引いた。
 空中戦艦が数多くあるアルビオンを相手では、すぐ連合国勝利という結果になるだろう、と誰もが予測していた。
 だが、俺がアルビオンの火竜を暴走させて、戦艦と戦艦の材料である森を焼き払った。
 そのおかげでゲルマニアが圧倒的優位を立ちそうになった。
 なので、俺はサラマンダーの群れを山からおろして、ゲルマニアの工廠を爆破した。

 どちらか一方が不利になるたびに、どちらかの軍事施設、あるいはインフラストラクチャーを潰し、
 戦争を長引かせに長引かせた。
 和平交渉なども全てぶちこわし、休戦しても偽装された破壊工作を行った。、
 そのため双方引くに引けず、ずるずると数十年も戦争を続けていった。

 そのときにゲルマニアの兵達に流行った歌だった。
 平民の男の兵士が、平民の女に別れを告げる内容の歌詞であり、
 長引く戦争に嫌気がさした兵士達にとって、心を慰める歌だった

 口ずさむ歌はやがて俺の手足を動かした。
 相手の足を踏む必要のないステップを踏み、手は吹き付ける強い風を掴んだ。
 この首都を見下ろせる塔の一番上で、俺は一人踊り始めていた。

 ルイズが相手をしてくれたらどんなに嬉しいだろうか。
 この胸の奥底から間欠泉のようにわき上がる悦びを分かち合えたらどんなにすばらしいか。
 いやいやしかし、本当にここにルイズがいたら、きっと興ざめになること間違いない。

 ただ一人踊り続けて、よりにもよって何故この歌を口ずさんでいるのだろう、と考えた。
 それはきっと、この胸の内の大部分を占める無限の荒涼なのだろう、と思う。
 死んでも死ねない、生きても生ききれない運命にある俺は、
 常に呼吸をすることすらもわずらわしく思える倦怠感に襲われている。
 やけになって、その倦怠感に身を任せてみても、その倦怠感が更に増すだけだった。

 だからこうして体を動かし、頭を動かし、
 ありとあらゆる試みを行って、未だ体験したことのないことを行い、心の慰みにしている。

 多分、俺は、歌の中の女性に何か救いを求めているのだと思う。



「ああ、愛しの、リリー……」

 歌が終わった。
 それと同時に体が止まり、これ以上の余興は不要だということがわかった。

 さあ、これからが本番だ。
 これからが、世界を征服してまで真にやりたかったことだ。

 眼下に広がる首都を見下ろす。
 日が沈むか沈まないかというこの時間では、必ず主要な通り付近に明かりがともり、
 人の営みを見ることができるが、今日ばかりは、まるで眠りについたルイズのように静かだ。

 この眠れる都市は何もここだけではない。
 今、現在、世界の全ての人間は、自室に籠もり、そっと息を殺して、そのときを待っている。

「それではみなさん」

 ルイズ以外の全員に向けて送る言葉だ。

「おやすみなさい」

 かすれるような小声だった。
 きっと、1メイルも離れれば聞き取れないほど小さな声だったろう。
 けれど、これは最も長生きし、最も強大な力を持ったドラゴンの吐息すらも、大きな声でもあった。

 背筋がゾクゾクと総毛立った。
 表現しようのない感情が心の奥底からあふれ出し、慢性的に悩まされていた孤独感が一瞬にして吹き飛ぶ。



 今、ハルケギニアの人間の歴史は永遠の終焉を迎えた。



 瞳の奥が熱くなり、鼻の奥がどうしようもなく痛くなった。
 滂沱に流れる涙がこそばゆく、口は奥の方から順々に乾燥していく。
 どうにも止まらなくなり、俺は塔を飛び出した。

 上の方に血が溜まっていくせいで、下ではなく上に引っ張られているような奇妙な感覚の中、
 俺は、俺に残されたほんのわずかな時間でルイズのことを考えた。

 ルイズが目をさましたら、一体どうなるんだろう。
 蝋人形の女王が、自分が廃墟の女王に変化していることに気づいたら、どんなことを思うんだろう。
 次々と泡のように疑問が浮かびあがる。

 自分が世界でただ一人であることを、
 自分の存在を否定するための心の機構が壊れていることを、
 手足がぐにゃぐにゃに折れ曲がり、腹の、頭の中身をぶちまけた俺がいることを、
 知ってしまったら……。



 ぐしゃ



 もはや聞き飽きた、俺の死が響き立てる轢音を耳にして、意識が飛んだ。








 目が覚めると、目が開かなかった。
 ただただ口がおぎゃあおぎゃあ、とわけのわからない声を発している。
 俺が今まで経験したことのない世界だ。

 やたら遠い耳からは、喜ぶ若い男と、疲れ果てた女性の声が聞こえてくる。
 どこかで聞いたことのある声だ。

 必死で手足を動かしていると、ぬるま湯に押し込まれた。
 体についていたべたべたする粘液を擦り取られる。

 段々、何があったのかわかってきた。
 若い男とおぼしき人物は、俺の体を軽々と持ち上げ、何事かを俺に語りかけてくる。

 ああ、そうか、この人はモンモランシーの……