第2話


「……あれ?」

 横島が目を覚ますと、自分が見知らぬ場所にいることに気が付いた。
 大きな椅子に座らされており、手足が拘束されて動かすことができないようになっている。
 目隠しをされ、頭部にごてごてしたものをつけられている。

「ここ、どこ?」

 ふと気絶する前の出来事を思い出した。
 暗黒ビームを放つ全裸の幼女の怒りを買い、敗北したら楽に死ねない事態に陥ってしまった。
 戦いを魔法使いらしい子どもに任せ、運命を共にしようとしたら、よくわからないうちに川に飛び込んでしまった。

 ひょっとして、あの幼女にとらわれてしまったのでは? と横島は考えた。
 全身から嫌な汗が噴き出し、これから起こると予測される未来が脳裏をよぎる。

「や、やめろぉぉおぉぉぉぉ! ぶ、ぶっとばすぞぉぉぉぉ!」

 恐怖に戦き、せめてもの抵抗とばかりに拘束の下で暴れた。
 がちゃがちゃと器具が音を立てるが、当然、拘束から逃れることはできない。

「落ち着くんじゃ。別にお主に危害を加えようとは思っておらん」

 そこへ一人の老人が近づいて言った。
 横島は目隠しをされているために、声の主の姿を見ることはできない。

「だ、誰だ!」
「近衛近右衛門と呼ばれるものじゃ、今器具を外すからの、暴れずに大人しくするんじゃぞ」

 横島は聞こえてきた声がエヴァンジェリンでないものであるとわかると、とりあえず大人しくした。
 抵抗をやめた横島の拘束を、老人はゆっくりとした手つきで一つ一つ外していく。
 最後に頭についていた器具を取り外す。
 目隠しを外された横島は、まぶしそうに目をしばばたかせる。

「ん?」

 段々と明るいところに目が慣れてきて、視界がはっきりしてくる。
 完全に瞳孔が調整し終えて、目の前の人物を改めて見ると、横島は悲鳴を上げた。

「た、タコ人間だああああああああああああああああ!!
 お、俺を改造する気なんだな、貴様ぁあああああああああああ!!」
「だ、誰がタコ人間じゃ! 失礼な!」
「ふっ、ふっ……ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」
「賛歌を唱えるな、バカモン!」

 老人――近右衛門は横島に杖を二言三言呪文を唱える。
 横島はミントの冷たい感じのする香りを嗅ぎ、動揺していた精神が落ち着いていくのを感じた。

「落ち着いたかの?」
「え、ええ……まあ」

 先ほどまで絶叫しているとは思えないほど、横島は冷静さを取り戻している。
 近右衛門が精神を落ち着かせる魔法の結果だった。
 近右衛門は老練の魔法使いであり、そして麻帆良学園の学園長である。

「ま、少し話でもするかの……君は気絶する前の記憶をどこまで覚えているかね?」

 横島は朧気に残る記憶を近右衛門――学園長に話した。
 橋でエヴァンジェリンに襲われたことから、何故か急に橋から飛び出してしまって川に落ちたことまでかいつまみながら説明した。

「君はあの後直ぐに川から引き上げられたのじゃが、高所から落ちたショックで気絶しておった。
 骨を折っていてもおかしくなかったんじゃが、特に外傷はなかった。
 体に異常が見られないことを確認したあと、責任者であるワシの元へ気絶したまま連れてこられた、ということじゃ。
 もう日は変わって、昨日のことになっとるがの」
「そ、それで一体この機械は何なんスか」
「まあ、その話はまた後でするとして……まずはお礼を言っておこう。
 君と橋の上であったメガネの少年というのはネギ・スプリングフィールドといってワシの知り合いじゃ。
 パンツ丸出しで跳び蹴りをかます女子中学生というのは、ワシの孫の親友である神楽坂明日菜という子じゃ。
 二人を助けてくれて感謝するぞい」
「い、いやあ、俺は別に何もしてないッスから」

 本当に何もしていない、というか、ただ場を引っかき回しただけのだが、学園長はネギの報告とエヴァンジェリンの証言を聞き、死人や重傷人が出なかったの は横島のおかげであると信じていた。

 学園長は自分の席に座り、横島にも普通の椅子を勧めた。
 横島は辺りを見回して、部屋の中の物でここが学園長室であることを知った。
 壁に立てかけてある旗、棚に飾られているトロフィー、額縁に入れられた賞状……全てに麻帆良学園、と書かれている。
 横島の聞いたことのない名前だったが、偽物には見えなかった。

「それでな……」

 学園長が話の口火を切ろうとしたそのときだった。
 部屋の扉が勢いよく開けられ、一人の幼女が大声を張りあげながら入ってきた。

「おい、ジジィ! あの男がここにいるんだな!」

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 『闇の福音』『不死の魔法使い』という二つ名を持つ、自称『悪の魔法使い』
 真祖の吸血鬼であり、絶大な魔力を持った、長強力な魔法使いである。
 そして、昨日、自らのドジと勘違いによって、横島達に敗北したその人。

「ひっ、ひぇぇッ! ま、また出たぁああッ!」

 エヴァンジェリンが平時は力を封じられており、今はただの幼女とさほど変わりがないことなど知らない横島は、びっくりして椅子から転げ落ちた。
 日頃の美神の折檻で体の耐久力と回復力が鍛えられているものの、シリアスで暗黒ビームが直撃したら倒されてしまうことはほぼ間違いない。

 エヴァンジェリンは床に転がる横島の元へ行き、胸ぐらを掴み上げると、思いっきり張り手で頬を叩いた。

「貴様! 何故私のことを助けた!」
「た、助けたって、お、俺はなんもしてないぞ!」
「ふざけるなッ!」

 今度は拳で頬を叩いた。
 相手が幼女であるためにそれほど強い攻撃ではないが、精神的に動揺している横島には普通以上に痛く感じた。

「すんまへん、すんまへん! お、俺が悪かったです。か、勘弁してください」
「なんだその態度は! 私をバカにしてるのか!?」
「そっ、そそそそ、そんな滅相もない!」

 エヴァンジェリンは横島を突き飛ばし、倒れたところで腹を全力で踏みつけた。
 轢死したカエルのような声を上げ、あうあう、と唸りながら横島はよろける。

「私は闇の福音だぞ! わかっているのか!?
 その私が、あろうことか敵に情けをかけられ、のうのうと生きるハメになる……屈辱だ!
 何故見捨てなかった!? 勝ったならば私を殲滅しろ!」
「ご、ごめんなさい〜」

 ぐりぐりと足を捻るエヴァンジェリン。
 普段は白い顔が、今は真っ赤になって、怒りをみなぎらせている。

「ま、まあまあ、落ち着くのじゃよ、エヴァちゃん」
「ジジィは黙ってろ!」

 学園長はふむ、と一つ頷いて、白髭を弄る。
 ぴん、と長い毛の一本を抜くと、再び厳かに口を開いた。

「何か勘違いしておるようじゃのう、エヴァちゃん」
「私を軽々しくエヴァちゃんと呼ぶな!」
「まあまあ。さっきはまるでエヴァちゃんが負けたようなことを言っておったが……。
 『闇の福音』が負けるわけないじゃろ」
「な、何を……」
「完膚無きまで敵を殲滅する、血も涙もない真祖の吸血鬼……
 そんなものがサウザンドマスター以外の人間に負けるか?
 ふつーはありえんじゃろう?」

 エヴァンジェリンは学園長を鋭い目で見た。
 確かにエヴァンジェリンは自分の身にかけられた呪いによって、学園長にはあまりよい感情を持っていない。
 囲碁仲間ということをさっ引けば、人間のくせに妙に頭が働くことも気にくわない。
 が、また同時に、自分の思いも寄らないことを考える策士であることを認めている。
 普通の人間ならば、耳を貸さないところを、ついつい学園長の言葉は聞いてしまう。

「第一な。勝った負けたという話をしとるが、最初から勝負なぞしとらんかったではないか?」
「なんだと!? あの坊やの報告書を読んでない……いや、ジジィがあの戦闘に気付かなかったなどとは言わせんぞ!」
「知らんなあ……ネギ先生の報告書にも『今日は何もないいい日でした』と書かれておった」
「ふざけるのはいい加減にしろよ、ジジィ! いくら世話になっているとはいえ、それ以上くだらぬことを言ったら殺すぞ」

 学園長は深く溜息をついた。
 エヴァンジェリンは既に学園長の話に聞き入っている。
 足下にいるはずの横島が、かさかさと体を動かして逃げ出していることすら気付いていない。

「エヴァちゃんはとても優秀な警備員じゃしのう。本当に強くて、本当に素晴らしい人材じゃしのう。
 エヴァちゃんがいなくなったら、ワシ、とっても困っちゃうのう」
「……くっ」

 ようやくエヴァンジェリンにも学園長の言いたいことが見えてきたのか、悔しそうに歯ぎしりした。
 昨日のことは『なかったこと』にする、と言いたいのだ。
 エヴァンジェリンは悪の魔法使いではあるが、学園長の言葉通り非常に優秀な警備員だ。
 また結界にくくられているために、普段は暴走するようなことはない。
 失うと学園にとって痛い損失。

 しかし、結界を破ろうとして人を襲った、という事実があれば、どうしても失わざるを得ない。
 魔法先生の中でも彼女の存在を畏怖しているものもいる。
 一人二人を吸血するならまだしも、魔力を取り戻してネギ・スプリングフィールドを襲ったというのは、いかな学園長でも庇いきれない汚点。

「……それにな、エヴァちゃん。軽々しく負けた、なんて言っちゃいかんぞい。
 君はまだまだ恨まれておるんじゃから……負けた、なんて言うと、またバカが集まってくるわい」
「わかっている……」
「見かけは子どもじゃから、ただでさえ間抜けが集まりやすい。
 まあ、今回は全く反対で、溺れずに済んだようじゃが……」
「う、うるさい!」
「ほっほ、さて、君はまだ授業中じゃろ?
 サボタージュして、学園長室に乗り込むなんて勇気はいらんから、授業に出なさい。
 確か、今はネギ先生の担当する英語の時間じゃしのう」
「黙れ! えぇい、わかった、わかったよ、ジジィ! こいつは預けといてやる!」

 いつの間にか学園長の後ろに隠れていた横島に向かって、エヴァンジェリンは指をさした。
 エヴァンジェリンを徹底的に怖がっている横島は、更に学園長の後ろに隠れて、身を縮こませた。

「いいか、貴様! 私に借りを作ったなどと脳天気なことを考えるなよ!
 むしろ誇りある悪に対しての屈辱を与えられているにも関わらず、尚地獄を見せずに済ませてやった私に貸しを作ったと思え!」

 エヴァンジェリンは言いたいことを言いたいだけ喚くと、そのまま振り向きもせず退室した。
 学園長は振り向くと、横島の肩を軽く叩き慰めた。

「さ、これでゆっくり話ができるの」

 再び横島に椅子を勧める学園長。
 横島は半べそをかきながら、倒れたパイプ椅子を起こし、それに座った。

「言いたいことも色々あるじゃろうが、まずはワシの話を聞いておくれ、横島忠夫君」
「お、俺の名前……」
「君の身分は色々と調べさせてもらったよ。中々変わった経歴を持っとるではないか」
「へ?」
「薄々気が付いているじゃろうが、この世界は君の生まれた世界から見る異世界、ちゅうことになるな」
「は?」
「君の記憶を少し、な。さっきの機械を使って見させてもらったんじゃ」

 横島は頭をかしげた。
 学園長が言っているのは、横島が昨日公園のベンチで必死になって考えた出した答えと同じ物なのだが、様々なことがあってすっかり忘れていた。
 ぽりぽりとこめかみ辺りを人差し指で掻いているうちに、朧気ながらそのことを思い出していく。

「ま、マジっスか?」
「やむにやまれぬ事情があったのでな。
 大丈夫、プライベートなことは覗いておらんから」
「い、いやいやいや、そうじゃなくて、ここが異世界っちゅうことの方ッス」
「いかにも。
 ゴーストスイーパーという職業は似たようなものはあるが、君の世界のようにおおっぴらにやっている者はおらん。
 本当に力のある能力者はその存在を秘匿しとる。
 かくいうワシも、魔法使いで、君が昨日会ったネギ先生もまた魔法使いじゃ」

 ネギ先生、って誰だっけ、と横島は思った。
 すぐにメガネの少年の顔が脳裏に浮かび上がり、その子がネギと呼ばれていたのをなんとなく思い出した。

「その他にもこの世界と君の記憶の世界では相違点が多い。
 そちらの世界に、ワシの知る国がなかったり、こちらの世界には君の知る霊山がなかったり。
 確か、妙神山、だったかの」
「え、ええ……」
「まあ、とにかく、ここは君の知る世界ではない。
 そこんとこをまず理解しとくれ」

 横島は口をつぐんだ。
 流石に横島でもショックは隠しきれない。
 もっとも、一般人のそれは二度と帰れぬやもしれぬ故郷に対する悲しみであるのに対し、横島のそれは「美神さんのあのナイスボディが俺の手の届かないもの にッ! そんなん許してたまるかー!」というものではあるが。

 学園長もその様を見て、痛々しく思っていた。
 故郷を失う悲しみを感じた青年にどう接してやるべきか、と心を痛める。
 もちろん、見当違いの心痛なのだが。

「うむ……まず結論から言おうかの。ワシらには君を元の世界へと戻すことは出来ぬ」
「え? ほ、本当ッスか!? そ、そんな、それじゃ……」

 学園長は息を飲んだ。

「あ、あの美神さんのむちむちバディが俺以外のものにッ!?
 そんなッ! そんなの、認められるかーッ!
 俺がッ! あんなにッ! 苦労してッ! 死ぬ気で尽くしたのにッ!
 結局俺のモンにならんとゆーことかーッ! えぇい! 憎し! 神憎し!」

 咄嗟に懐から「かみ」と書かれた紙を貼ったわら人形を取り出し、五寸釘で壁に打ち付け始めた。
 思わず椅子からずり落ちる学園長。
 ちなみに神を呪ったせいか、その日に夢に横島の知っている神全員が出てきたのだが、それはまた関係のない話。

「ま、まあ、落ち着きなさい……」
「これが落ち着いてられるかーッ! なんのために俺はあんなに何度も三途の川を渡りかける目にあったんやーッ!
 全部無駄かッ!? 無駄なのかッ!?
 美神さんと結ばれる横島なんて横島じゃないと、誰かが手紙を送りつけたんかッ!
 ド畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 五寸釘がコンクリートの壁に完全に埋まり、それでもなお金槌を力一杯ふるわれたために、わら人形のわらが辺りに飛散した。
 流石に見るに見かねた学園長は、杖を振るい、横島に魔法を掛ける。
 横島は途端に手をとめ、金槌を地面に落とし、おもむろにパイプ椅子に腰掛けた。
 部屋は藁が辺りに散らばって、無理矢理五寸釘を打ち付けたせいで壁にヒビが入ると、悲惨な状況になっていたが、とりあえず学園長はそのことは言わなかっ た。

「落ち着いたかね?」
「ええ、落ち着きました。
 けど、なんかこう乱暴というか、無理矢理冷静にさせられたもんだから、ちょっと変な感覚ッス」
「取り乱すのがあまりに過激だったもんでな。それにな、まだ話は終わっとらん。
 確かにワシらでは君を元の世界に戻すことはできない、とは言ったが、全く方法がない、というわけでもない」
「そうなんスか?」
「む、むぅ……」

 学園長は、先ほどまで過激な奇行をしていた人間が今では冷静に話を聞いていることに少々違和感を覚えていた。
 魔法の力で自分がそうさせていたとはいえ、温度差にとまどいを隠せなかった。

 しかし、学園長は老練の魔法使いにして、それなりの策士。
 直ぐに平静を取り戻し、口を開いた。

「『答えは常に自身の中に存在する』 つまり、そういうことじゃ。
 ワシらの世界にも、異次元、異世界という概念はある。
 その存在は今のところ否定されていない。
 しかし、その異次元や異世界を越えられる方法は君の生きている間にはまず見つかることはないじゃろう。
 そういう意味でもって、ワシは『出来ない』と言った。
 じゃがな、その例外は君なんじゃよ、横島忠夫君」
「へ? 俺?」
「君の記憶を見せてもらったとき、君の世界では異次元や異世界を作り出し、または移動する人を見た。
 こちらの世界の人間は個人で、自身か他者を異次元に飛ばすようなことが出来るものはおらん。
 が、しかし、君はこの世界の人間ではない。
 もっと細かく言うのならば、この世界に存在する既存の法則のいくつかから外れている存在。
 ワシらに出来ぬ事を、君なら出来るやもしれぬ。
 君には自分で元の世界へと戻る能力が秘められているかもしれぬ、ということじゃ」
「は、はあ?」

 GSのくせにオカルト音痴の横島には、学園長の話は高度すぎた。

「文珠……というのじゃな。
 今ではその能力をもてあまして、十分に使いこなしていないじゃろ。
 この世界で修練を積み、上限を上げれば、いつかは元の世界へと戻れるかもしれぬ」

 横島は話について行けなかった。
 なんとなく「修行しろ、そうすれば戻れる」と言っていることはわかったが、それ以外はさっぱりだった。
 もっとも、横島にとってそれ以上の理解は必要ないのではあるが。

「で、でも、俺、努力と修行って大嫌いで……」

 とりあえず何かを言おうとして、失敗した。

「……元の世界へと戻れなくなるぞい。
 そうしたら、美神殿にも会えなくなるんじゃぞ?
 いや、それどころじゃなかろう、君がいなくなったことをいいことにあの西条という輩が美神殿を奪ってしまうかも……」
「や、やりますッ! お、俺、絶対に文珠を使いこなして、西条のヤローをぶっとばします!」

 記憶をみたせいか、学園長は横島の扱い方を早くも掴んでいた。
 単純な横島はすぐに食いつき、美神を取られまい、という執念に燃え始める。

「うむ、その意気じゃ。
 で、まあ、もっと近しい話に変わるんじゃが、君の戸籍や住所などは当然こちらの世界にないわけじゃ」
「俺はいないはずの人間ッスからね」
「うむ。それで、ワシはそれらを提供することができる」
「え? 本当ッスか?」
「もちろん、ただではないがの」

 学園長はにやりと口元を歪めて笑った。
 横島は嫌な予感を感じる。
 霊能力がなくとも、察知できる類の『嫌な予感』だった。

「ウチの学園はまあ、年柄年中トラブルに巻き込まれておる。
 時には一般人では解決できなかったり、表沙汰にできないトラブルも多いんじゃ。
 魔法先生・魔法生徒と呼ばれる教師や生徒の魔法使いや、退魔師などを雇ってはいるのじゃが、手が回らないときが多い。
 そこで、霊能力を持つ君を雇いたい、というわけなのじゃよ。
 何、君のゴーストスイーパーとしての仕事とあまり内容はかわらんから、それほど難しくないぞい」
「……え? ちょ、ちょっと待ってください。今、学園って言いましたけど、ここ、学園なんスか?」
「おろ? 言わなかったかの? 麻帆良学園という学園都市なんじゃよ。
 昨日君があったネギ先生も、ここの教師じゃ」
「え? きょ、教師?」

 昨日の言葉はジョークではなく本当のことだったのか、と目を丸くした。
 にわかに信じがたい話だったが、それでも一応納得する。

「いかにも。数え年で十歳にして、オックスフォード大を卒業しておる」
「……労働基準法は?」
「彼には特殊な事情があって、学校教師にならねばならなかったんじゃ。そんな法律無視じゃ、無視」
「んな無茶な……」
「まあ、命の危険が半端ではなく高いのに時給250円という条件でホイホイ雇われるよか、まだマシかと思うがのう」
「ぐ……」

 横島には選択肢などなかった。
 彼は平和主義者というより臆病で、生活か女性絡みが動機でなければ悪霊と格闘したくはなかった。
 これからの生活のために学園長に雇われなければならない。

「……はっ! よ、よく考えてみれば、昨日の幼女みたいにバカみたいな強さの相手と戦わなきゃならんということなのか!?
 い、いくらなんでもあんなの相手に勝てるわけがないッ!」
「ああ、あれは別格じゃよ。こっちの世界でもめちゃんこ強いんじゃ。
 ワシだって、全力で戦って勝てるかどうか微妙なほどな。
 君のレベルはこの世界での一般の魔法使いよりちょい上くらいかのう?
 まあ、霊能力と魔法は異なるものじゃから、一概には言えんのじゃが」
「そーなんスか……ってよく考えたら、あんな乱暴で強い幼女をほっといていいんスか!?」
「普段は呪いによって魔力を封じられている状態だから大丈夫じゃ。ウチの警備員でもあるし」
「じゃ、じゃあ、昨日、大暴れしてたのは何なんスか?」
「昨日はたまたま封印が解ける日じゃってのう……それでちょっとしたお茶目をした、というわけじゃ。
 色々と複雑な事情があるので説明するのが難しいんじゃが、とにかく、あれは大丈夫じゃから、気にせんでええ」

 いまいち釈然としない横島だったが、とりあえず学園長の言うとおり気にすることはやめた。
 エヴァンジェリンが大人の美女であるのならば、もう少し深く考えたのだろうが、恐ろしい幼女には興味はわかなかった。

 横島は学園長の申し出を受け、いくつかの書類にサインを書いた。
 この世界に横島忠夫という『社会的』な人間が、誕生する瞬間だった。
 学園長はサインをした書類を満足そうに眺めると、それを丁重な手つきで机の引き出しの中へと仕舞った。

「そうそう、君がこの学園で働くにおいて……というよりも、この世界で生きていくためのルールを教えるぞい」
「何スか?」
「君の世界では違ったようじゃが、この世界で魔法という存在を一般人にばらしてはいかん。
 もしばらした場合、資格を失い……場合によってはオコジョになってもらう」
「お、オコジョ?」
「そう、オコジョじゃ」
「なんでオコジョ?」
「伝統じゃ。
 とにかく魔法の存在を知っている人間にしか魔法を教えてはいかん。
 君の霊能力も、魔法ではないが教えてはいかん。
 もちろん、一人、二人に教えることはいいが、その場合、その人もこちら側の世界に関わることになる。
 魔法の使えぬ一般人がこちら側の世界に関わることは、当人の危険性が増すためにあまりおすすめしないがの。
 まあ、記憶を消す魔法というのもないわけじゃないんじゃが」

 ふと、横島は昨日のことを思い出した。
 公園のベンチでうっかりハンズオブグローリーを展開し、文珠の数を確認してしまったのだ。

「あ、あの、お、俺、昨日公園のベンチで……」
「そのことも知っておる。大丈夫じゃ、誰にも見られておらん」
「はぁ、よかった……」

 横島は安堵の溜息をついた。
 学園長はそのままこの世界の、魔法使いに関する基本的な情報を横島に教え込んだ。
 もちろん、いっぺんに多くのことは到底覚えられないが、学園長も全てを覚えることを期待していない。
 横島の頭から湯気が出始めたために、一旦説明を止め、魔法使いの常識が書かれた本を渡し、後で読むように指示をした。

「それでじゃな、君の初仕事は来週にやってもらうことになっとる」
「え!? そんなに早くッスか?」
「うむ。内容はネギ先生の補佐じゃ」

 学園長は仕事の内容を簡単に説明した。
 来週の修学旅行で、中等部の3学年は京都へ行く。
 ところが関西に本拠地を置く関西呪術協会が魔法先生の来訪に難色を示してきた。
 学園長は関東魔法協会の理事としては長年のいがみ合いはやめるために、親書を送るという名目でネギを行かせることにした。
 が、道中敵方の妨害に遭う可能性もあるやもしれず、かといって魔法先生を増やすとますます事がこじれてしまう。
 そこで、名前の知られていない、しかも厳密には魔法使いではない横島に、補佐を依頼することにしたのだ。

「き、危険やないでしょうね?」
「大丈夫じゃよ、今回は相手は同じ魔法使い。
 一般人に手は出さんじゃろうし、向こうもバレてはいかんから派手なことはせんじゃろ。
 少なくとも、昨日よりかは数百倍も安全じゃ。
 ネギ先生も、幼いがあれはあれで相当の使い手じゃし……下手したらなんもせんでええかもしれん」

 それを聞いて、ホッと胸をなで下ろす横島。

「まあ、詳しい話はまた後でするからの、案内させるから今日はもう休みなさい」
「うぃっス、いやー、色々ありがとうございました」
「なあに気にすることはない。ウチのネギ先生と生徒を助けてくれたんじゃしな」

 ガンドルフィーニと言う名の魔法先生に案内され、横島は学園長室から出た。
 生活用具一色が揃った教員寮の空き部屋に到着すると、ベッドの上へ倒れ込み、そのまま翌日の朝に迎えがくるまで、ずっと眠り続けた。
 こうして、横島が異世界に来てから二日目は、あっという間に終わったのだった。




 翌日、目が覚めた横島は、夢見の悪さにぼやきながら部屋に置いてあったカップラーメンを食べた。
 いくら生活用具が揃っている部屋とはいえ、着替えや歯ブラシなどのものはない。
 学園長から、支度金を貰っており、今日は買い物に行かなければならなかった。

 付近の地図を片手に、街の中を歩く。

「ちょいとそこゆく美人のおねーさーん! 僕とお茶しなーい!」

 途中何度か目的を忘れつつ……。

「なーにー、あの変なの、おっかしー」
「バカじゃないの?」
「私、彼氏いますから」
「……」

 もちろん、ナンパは成功しなかった。
 実に二十人以上に声をかけたのに、好意的な答えを返してくれた人は皆無。

「く、くそう……やっぱり男は顔なのか!? 美形じゃないと男だとゆーのかッ!
 一人くらい……誘いに乗ってくれたって……いいじゃないか、畜生ッ!
 神様は理不尽だッ! この世は不公平だッ! マルクス主義は死んだーッ!」

 道中で咆哮する横島。
 通行人達は三歩離れて横島を見ないふりをする。
 そこへやってきたのは、青い制服を着た公務員。
 仲間同士で言葉を交わしあい、横島へ迫ってゆく。

 もちろん、のうのうと待っている横島ではない。

「あー、ちょっと君、身分を証明するものを持ってるか……? あ、あれ? 消えた?」

 鍛えに鍛えた逃げ足でもって、瞬時に逃走を始める。
 逃げることには右に出る者がいない横島にとって、官憲ごときに捕らえられるようなことはない。
 あっという間に追跡者をまくことができた。

「ハッハー! 俺は風だッ! 誰にも捕まえることはできやしないッ! なんちて」
「きゃっ!」

 一瞬よそ見をしている間に、通行人にぶつかってしまった。
 軽くて柔らかい相手だったために、横島は微かによろけるだけだった。

「あっ、す、すんまへん、ちょっとよそ見してて……」
「いえいえ、えーですよ、ウチもちょっとぼーっとしとったから」

 横島のぶつかった相手は女の子だった。
 もはや反射反応と呼べる領域となるほどの早さで、横島はその女の子を見定める。
 顔は平均以上、雰囲気も柔らかく好印象、十分美少女と言っても通じる……電撃のような素早さで、データをはじき出していく。

「が、しかし……残念かな、中学生、ストライクゾーンから外れとる」
「どないしたんですか?」
「あ、いやいや、何でもない、ただの独り言」

 横島は手を出して、女の子を引っ張りあげた。
 落ちた帽子を拾い、表面についた汚れを払って、女の子に手渡した。

「あ、おおきに」
「いやいや、俺がぶつかったんだから。こっちこそ悪ぃね。
 ちょっと急いでるもんで。じゃーね」

 横島は女の子に背を向けて、立ち去ろうとした。
 追っ手の姿は見えなかったが、まだどこかに潜んでいる可能性は否めない。
 至急その場から素早く離れて、新たにナンパする場所を探す必要があった。

「このかさーん!」
「ん?」

 そこへ、横島の聞いたことのある声が聞こえてきた。
 そちらの方向を見てみると、一昨日に出会ったメガネの少年がさきほどの女の子のもとへ走っていた。
 ネギも横島のことに気が付いたのか、驚いたような顔をした。

「あ、あなたは!」
「よう、ボウズ」

 そのまま無視するのも変だと思い、軽く手を挙げて挨拶を返した。

「大丈夫だったんですか? あの後、タカミチに運ばれて、どうなったかわからなくて」
「まあな、この通りピンピンしてる。
 ボウズこそ大丈夫だったか? あの暗黒ビームを出す幼女を上手く倒せたのか?」
「エヴァンジェリンさんはあのとき結界によって力を封じられて、普通の女の子と変わらない状態になりましたから。
 そうだった! あ、あの、エヴァンジェリンさんを助けていただいてありがとうございました!」
「へ?」
「ん? ネギ君、この人と知り合いなのん?」

 横島とネギの間に、先ほど横島とぶつかった少女が入ってきた。
 少女の名は近衛木乃香。
 麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門の孫にして、ネギ・スプリングフィールドが受け持つクラスの生徒である。

「ええ、ちょっと仕事の関係で」

 木乃香には魔法の存在を教えてはいけないと学園長から言われていたネギは慌ててごまかした。
 多少のことでは疑いもしない、ちょっと鈍いところのある木乃香だったが、油断は出来ない。
 何にせよ学園長の孫で、魔法の存在を気付かせてはいけないと学園長は言っている。
 それに逆らうことはあまりよくないということは、ネギは幼いながらも理解していた。

 横島は木乃香に向かって笑顔を見せながら、ネギの肩をぽんぽんと叩いて引き寄せた。

「あっ!」

 木乃香に背を向け、ネギに小声で耳打ちする。

「ボウズ、あの子とは一体どういう関係なんだ?」
「こっ、このかさんとですか?」
「おい、もしや彼女とかじゃないだろうな?
 彼女はお前のステディとかじゃないだろうなッ! 彼女とお前はカップルとかじゃないだろうなーッ!」
「ちっ、違いますよ! 僕はこのかさんの担任教師で……」
「本当か? 本当だな! 俺でも恋人や彼女って呼べるよーな子は今までで一人しかおらんかったのだ。
 もしその年で男女交際なぞしておったらなーッ!」
「ち、違いますって! 本当に、このかさんは僕の生徒なんです」

 血なまこで必死に迫る横島に、ネギは少し脅えながら答えた。
 エヴァンジェリンを助けて貰ったことには感謝をしていたが、どうもペースにはついていけないネギであった。

「い、いややわぁ。ウチがネギ君の彼女だなんて……。
 でも、ネギくんだったら別にウチはええで」

 ひょっこり木乃香が横から現れて、ネギと横島は体を離した。
 木乃香は自分の言葉に恥ずかしくなったのか、いやんいやんと体をくねらせ、顔を赤らめている。
 ネギも釣られて赤面するが、横島にキッと睨まれて、顔を逸らした。

「ぼ、僕はこのかさんの担任ですからッ!」

 息を整え、なるべく顔をしゃっきりさせて、胸を張ってネギは言った。

「あ〜ん、ネギくんのいけずぅ〜」
「わぷぷっ」

 木乃香は天然でもって、ネギに抱きつき、ネギの努力を木っ端微塵に粉砕した。
 当然、横島の怒りのボルテージはぐんぐん上がってゆく。
 木乃香は横島の恋愛対象から外れているが、目の前でラブコメを見せられて横島はいい気分をしない。
 むしろ美形の男と同じくらいラブコメを憎んでいる。

 横島の怒りのオーラをネギは敏感に感じ取り、その場から撤退することに決めた。

「ぼ、僕、これから用事がありますので、すいません……このかさん、行きましょう」
「あ、そうやったな〜、アスナの誕生日プレゼントを買いにいくんやった」

 ネギは一歩前に出て、横島に深く頭を下げた。

「一昨日は本当にどうもありがとうございました」
「ん? ああ」

 ネギはエヴァンジェリンを助けて貰ったことにお礼を言っているのだが、横島にはそのことをわかっていない。
 それもそのはず横島はエヴァンジェリンを助けたつもりはこれっぽっちもなかったからだ。

「そういやボウズ……」

 横島はネギの名前を忘れていた。
 のど元まで出かかっているのに、言葉が出ない。
 連想してタマネギという言葉が思い浮かんだが、それほど長い名前でもなかったな、と考え、二文字消した。

「確かタマって名前だっけ?」
「ネギです! そんな猫みたいな名前じゃありません!」
「ああ、そういや猫ってネギを喰わせると中毒起こすらしいしな」

 果てしなくどうでもいいことだった。

「もう知っとるかもしれんが、修学旅行んときお前を補佐することになったから」
「え? えぇっ!? 本当ですか?」
「知らなかったか。まあ、後で学園長を通して顔合わせするときがあるだろうから、そんときはよろしく、な」

 ネギはちょっと複雑な気持ちになっていた。
 確かにエヴァンジェリンを身を挺して助けた人物という印象があったが、ネギの思考ではいまいち横島という人物像が定まっていない。
 アスナとパクティオーしたときや、さっきの木乃香との関係を詰問してきたときには、恐ろしく見える。
 かと思えば、死を恐ろしがってもいる。
 それぞれの判断材料が互いにギャップの激しいものばかりで、ネギには横島の性格が掴めていなかった。

「んもう、また二人でウチを仲間はずれにしてぇ」
「いや、お嬢ちゃん、もう終わったよ」

 横島は木乃香ににこやかに答えた。
 基本的に横島は女・子どもには優しい。
 ラブコメをしていたりした場合、男の子どもにも厳しいが。

 「ほなな〜」と穏やかな声をかけて、手を振って去っていく木乃香を見て、いいなあ、と横島は思った。

「年齢がもうちょっと上なら間違いなく声かけるのにな〜、実に惜しい」

 木乃香の様なタイプの女性は、横島の知り合いにも中々いなかった。
 一人、いることはいるのだが、もっとずっと精神年齢が幼く、ちょっとしたことですぐに泣き出してしまう。
 その上、泣き出すと、彼女の家系に代々受けつがれている十二匹の式神が暴走し、見境なく破壊行為をし始める。
 『一触即発』と言う言葉がぴったりな女性だった。

「うーむ、後数年待てば成長するんだから、いっそ……いやいやしかし、相手はまだ中学生……」

 道の真ん中で独り言を呟いていると、その様子を見ている人達がいた。

「おいっ、いたぞ! あそこだ!」
「また独り言言ってやがる……やっぱり不審者か!」

 横島が巻いた警官達が追いついてきたのだ。
 流石の横島も、捕まってしまったら大変なことになると再び逃げ始める。

「や、やべっ! とっとと逃げなきゃ、捕まっちまう!」

 結局、午前中は警官との鬼ごっこで費やされてしまったのだった。


 警官をまいた横島は今度は大人しく必要なものを買い込んだ。
 途中、昼を食べ、買い物を済ませた横島のすることは一つ。

「そこのお嬢さん! 僕、この街に来たばっかりなんです! 素敵なところへ案内してくださーっい!」

 まだ見ぬ美女を求めてナンパを始めた。
 もちろん、振り向く女性はゼロ。
 とことん振られに振られた。

「ち、畜生……やっぱり男は顔なんかっ! 美形なんか……美形なんかッ!」

 今度はうってかわって鬱モードに突入した横島。
 地面にしゃがみこんで、美形に対する呪詛の言葉を呟きながら草をぶちぶち毟り始める。
 さっきと同じように通行人達は、横島から三歩離れたところを通り、なるべく見ないようにしていた。

 そこへ、女子中学生の二人組が走ってきた。

「ぎゃぶっ!」

 そのうち片方に、横島は思いっきり体当たりされて地面を転がった。
 木乃香とぶつかったときとは逆に、まるで車にはねられたかのように吹っ飛んだ。

「こ、コラー! どこ見て走っとんのじゃーッ!」
「すっ、すいません! ……って、え!?」

 横島に追突した女子中学生は、鈴のついた髪飾りをつけたツインテールの女の子だった。
 この子もまた、横島と面識のある人物。

「おっ、おおぅ! 君は確かパンツ丸出しで跳び蹴りをした子じゃないか!」
「ぱっ、パン……アスナです! 神楽坂明日菜です! へっ、変な覚え方しないでください!」

 変な覚え方をされていたことにショックをうけ、羞恥に顔を染めながら、アスナは倒れている横島に手を出した。
 アスナも十分美少女と呼べる顔立ちとプロポーションを持っているが、木乃香と同じく中学生で、横島のストライクゾーンから外れている。

 アスナの肩からひょいとオコジョのカモが頭を出して、無言で横島に手を振っている。

「アスナさん、お知り合いなのですか?」
「え、ええ、ちょっとね」

 横島はもう一人の女子中学生を見た。
 綺麗な金髪と豊かなプロポーション……この子もまた美少女と横島も認める子であったが、中学生というストライクゾーン外。
 彼女の名は雪広あやか。
 彼女もまたネギ・スプリングフィールドの担任するクラスの生徒。

「それにしても……パンツ丸出しでとび蹴りだなんて、はしたないですわね」
「な、なによぉ。べ、別に私だってしたくてしたわけじゃないわよ」
「では何故したのかしら?」
「そ、それは……」

 アスナは言葉を詰まらせた。
 エヴァンジェリンを蹴っ飛ばしたとは言えない。
 あやかはまだ魔法のことを知らぬ一般人で、蹴ったときのことを言ってしまえば、ばれてしまう可能性がある。

「い、言えないわ……」
「まあいいですわ、今はそんなことよりネギ先生のことが心配ですわッ!」
「ん? ネギ? あのボウズにならさっき会ったけど」
「本当ですか? いつ? どこで? 誰か他に一緒にいませんでした!?」

 あやかは横島に詰め寄って、早口で捲し立てた。
 あまりの勢いに横島も驚いて、押される。

 あやかとアスナは二人とも、友人から「ネギが木乃香と都心でデートをしている」というメールが送られてきて、真偽を確かめるために麻帆良女子寮から出て きたのだ。
 都心まで電車を使うため、駅に向かっていたところで横島とアスナはぶつかった。

「さっき、っつっても午前中だな。ここの近くの駅付近で、黒い髪の可愛い女の子と待ち合わせしてたみたいだけど」
「ほ、本当ですか!? や、やっぱり話は本当でしたのね……」
「なんか、アスナの誕生日プレゼントを買いに行くとか言ってたなぁ……って、ひょっとしたら言っちゃマズかったか?」
「た、誕生日プレゼント?」

 アスナとあやかは両方とも気の抜けた声で同時に言った。
 二人で顔を見合わせると、胸をなで下ろした。

「そ、そういえば明日私の誕生日だったわ……忘れてた」
「な、なぁんだ、ビックリしましたわ。
 ……でも、二人で買いに行くなんて、ちょっと怪しいですわね」
「ああ、大丈夫だ。俺があのボウズに、教師と生徒という間で恋愛感情が芽生えないようにキツく言っておいたからな」
「ほ、本当ですの?」
「もちろん。あの年で男女交際するなんてそんなうらやま……いや、不健全なことをするなんて許せんからな」

 横島忠夫、心の中に棚を作ることが大の得意の男である。

 あやかは横島の手をがっしと握り、涙を滂沱と流した。

「ありがとうございますわ! あなたのようなお方のおかげで、ネギ先生の貞操は守られました」
「お、おう……」

 流石の横島でもあやかの感動ぶりにはちょっと引いた。
 アスナはそんなあやかを見て、やれやれと大きな溜息をついた。

「で、どうするいいんちょ。誤解が解けたんだから帰る?」
「いいえ! 誤解は解けましたが、今なおネギ先生と木乃香さんが一緒に買い物をしているということは事実!
 今は間違いが起きてないといえど、これから起きるやもしれません。私はそれを止めないとッ!」
「あー、わかったわかった。どうせ私もここまで来ちゃったしね、付き合うわ」

 二人はそのまま横島と別れて、走り去っていった。
 あやかは丁寧に「どうもありがとうございました」と去り際に礼をし、アスナもまた同じように礼を言った。
 お嬢様のようなあやかと、元気いっぱいのアスナの背中を見つつ、横島は独り言をぶつぶつと呟いていた。

「うーむ……中学生ということで食指は動かんのだが……今後の成長が実に楽しみなんだよなあ。
 もうちょっと早く生まれてたら、絶対に声をかけるのに……実に惜しい……」

 木乃香と同じ反応をしていたのだった。


 そんな横島を、いつの間にか何者かが取り囲んでいた。
 彼らの目にはもはや殺意が浮かんでおり、横島を睨み付けている。
 そのうちの一人が、一歩前に出て、横島に声を掛けた。

「そこの不審者へ告ぐ! お前はもう完全に包囲されている! 無駄な抵抗はやめて大人しく縛へつけぃ!」
「はっ! し、しまった! また油断して警察に見つかってしもた!
 しかも今回は完全に包囲されて……くっ、逃げ場がない! このままでは本当に逮捕されてしまうっ!」
「わはははー! 何度も何度も人外みたいな足の速さで逃げおって!
 今度こそは国家警察の威信にかけて、貴様に職務質問をしてやるーッ!」
「む、むぅ……ここは……しかし、俺にはまだ秘策があるッ!」

 横島はずびしっと何もない空に指をさした。

「あーッ! トリケラトプスのプービーちゃんがUFOの上でコサックダンス踊ってるーッ!」
「な、何!? どこだ? どこだ!?」
「トリケラトプス? UFO? コサックダンス?」
「おい、何も見えないぞ!」
「あ、ひょっとしてあれか?」
「いや、違うだろ、あれは……」
「おい、お前ら! 嘘だ! あの不審者がいつの間にかいなくなってるぞ!」
「な、なんだってー!?」

 警官達が気付いたときにはもうすでに遅し、取り囲んでいた横島は包囲網から抜けだし、脱兎のごとく逃げていた。

「へっへーんだ、お前らになんか捕まってたまるかーぃ!」
「追え! 追うんだ! 国家警察の威信に賭けて、あいつに職務質問をーッ!」

 警官隊が一斉に横島を追いかける。
 しかし横島の逃げ足の早さは人の追いつけるレベルではない。
 何台ものパトカーが出動したが、地理に疎い癖に野生の勘を発揮して、ついに逃げ切ったという。


「……あれ?」

 横島が目を覚ますと、自分が見知らぬ場所にいることに気が付いた。
 大きな椅子に座らされており、手足が拘束されて動かすことができないようになっている。
 目隠しをされ、頭部にごてごてしたものをつけられている。

「ここ、どこ?」

 ふと気絶する前の出来事を思い出した。
 暗黒ビームを放つ全裸の幼女の怒りを買い、敗北したら楽に死ねない事態に陥ってしまった。
 戦いを魔法使いらしい子どもに任せ、運命を共にしようとしたら、よくわからないうちに川に飛び込んでしまった。

 ひょっとして、あの幼女にとらわれてしまったのでは? と横島は考えた。
 全身から嫌な汗が噴き出し、これから起こると予測される未来が脳裏をよぎる。

「や、やめろぉぉおぉぉぉぉ! ぶ、ぶっとばすぞぉぉぉぉ!」

 恐怖に戦き、せめてもの抵抗とばかりに拘束の下で暴れた。
 がちゃがちゃと器具が音を立てるが、当然、拘束から逃れることはできない。

「落ち着くんじゃ。別にお主に危害を加えようとは思っておらん」

 そこへ一人の老人が近づいて言った。
 横島は目隠しをされているために、声の主の姿を見ることはできない。

「だ、誰だ!」
「近衛近右衛門と呼ばれるものじゃ、今器具を外すからの、暴れずに大人しくするんじゃぞ」

 横島は聞こえてきた声がエヴァンジェリンでないものであるとわかると、とりあえず大人しくした。
 抵抗をやめた横島の拘束を、老人はゆっくりとした手つきで一つ一つ外していく。
 最後に頭についていた器具を取り外す。
 目隠しを外された横島は、まぶしそうに目をしばばたかせる。

「ん?」

 段々と明るいところに目が慣れてきて、視界がはっきりしてくる。
 完全に瞳孔が調整し終えて、目の前の人物を改めて見ると、横島は悲鳴を上げた。

「た、タコ人間だああああああああああああああああ!!
 お、俺を改造する気なんだな、貴様ぁあああああああああああ!!」
「だ、誰がタコ人間じゃ! 失礼な!」
「ふっ、ふっ……ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん」
「賛歌を唱えるな、バカモン!」

 老人――近右衛門は横島に杖を二言三言呪文を唱える。
 横島はミントの冷たい感じのする香りを嗅ぎ、動揺していた精神が落ち着いていくのを感じた。

「落ち着いたかの?」
「え、ええ……まあ」

 先ほどまで絶叫しているとは思えないほど、横島は冷静さを取り戻している。
 近右衛門が精神を落ち着かせる魔法の結果だった。
 近右衛門は老練の魔法使いであり、そして麻帆良学園の学園長である。

「ま、少し話でもするかの……君は気絶する前の記憶をどこまで覚えているかね?」

 横島は朧気に残る記憶を近右衛門――学園長に話した。
 橋でエヴァンジェリンに襲われたことから、何故か急に橋から飛び出してしまって川に落ちたことまでかいつまみながら説明した。

「君はあの後直ぐに川から引き上げられたのじゃが、高所から落ちたショックで気絶しておった。
 骨を折っていてもおかしくなかったんじゃが、特に外傷はなかった。
 体に異常が見られないことを確認したあと、責任者であるワシの元へ気絶したまま連れてこられた、ということじゃ。
 もう日は変わって、昨日のことになっとるがの」
「そ、それで一体この機械は何なんスか」
「まあ、その話はまた後でするとして……まずはお礼を言っておこう。
 君と橋の上であったメガネの少年というのはネギ・スプリングフィールドといってワシの知り合いじゃ。
 パンツ丸出しで跳び蹴りをかます女子中学生というのは、ワシの孫の親友である神楽坂明日菜という子じゃ。
 二人を助けてくれて感謝するぞい」
「い、いやあ、俺は別に何もしてないッスから」

 本当に何もしていない、というか、ただ場を引っかき回しただけのだが、学園長はネギの報告とエヴァンジェリンの証言を聞き、死人や重傷人が出なかったのは横島のおかげであると信じていた。

 学園長は自分の席に座り、横島にも普通の椅子を勧めた。
 横島は辺りを見回して、部屋の中の物でここが学園長室であることを知った。
 壁に立てかけてある旗、棚に飾られているトロフィー、額縁に入れられた賞状……全てに麻帆良学園、と書かれている。
 横島の聞いたことのない名前だったが、偽物には見えなかった。

「それでな……」

 学園長が話の口火を切ろうとしたそのときだった。
 部屋の扉が勢いよく開けられ、一人の幼女が大声を張りあげながら入ってきた。

「おい、ジジィ! あの男がここにいるんだな!」

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 『闇の福音』『不死の魔法使い』という二つ名を持つ、自称『悪の魔法使い』
 真祖の吸血鬼であり、絶大な魔力を持った、長強力な魔法使いである。
 そして、昨日、自らのドジと勘違いによって、横島達に敗北したその人。

「ひっ、ひぇぇッ! ま、また出たぁああッ!」

 エヴァンジェリンが平時は力を封じられており、今はただの幼女とさほど変わりがないことなど知らない横島は、びっくりして椅子から転げ落ちた。
 日頃の美神の折檻で体の耐久力と回復力が鍛えられているものの、シリアスで暗黒ビームが直撃したら倒されてしまうことはほぼ間違いない。

 エヴァンジェリンは床に転がる横島の元へ行き、胸ぐらを掴み上げると、思いっきり張り手で頬を叩いた。

「貴様! 何故私のことを助けた!」
「た、助けたって、お、俺はなんもしてないぞ!」
「ふざけるなッ!」

 今度は拳で頬を叩いた。
 相手が幼女であるためにそれほど強い攻撃ではないが、精神的に動揺している横島には普通以上に痛く感じた。

「すんまへん、すんまへん! お、俺が悪かったです。か、勘弁してください」
「なんだその態度は! 私をバカにしてるのか!?」
「そっ、そそそそ、そんな滅相もない!」

 エヴァンジェリンは横島を突き飛ばし、倒れたところで腹を全力で踏みつけた。
 轢死したカエルのような声を上げ、あうあう、と唸りながら横島はよろける。

「私は闇の福音だぞ! わかっているのか!?
 その私が、あろうことか敵に情けをかけられ、のうのうと生きるハメになる……屈辱だ!
 何故見捨てなかった!? 勝ったならば私を殲滅しろ!」
「ご、ごめんなさい〜」

 ぐりぐりと足を捻るエヴァンジェリン。
 普段は白い顔が、今は真っ赤になって、怒りをみなぎらせている。

「ま、まあまあ、落ち着くのじゃよ、エヴァちゃん」
「ジジィは黙ってろ!」

 学園長はふむ、と一つ頷いて、白髭を弄る。
 ぴん、と長い毛の一本を抜くと、再び厳かに口を開いた。

「何か勘違いしておるようじゃのう、エヴァちゃん」
「私を軽々しくエヴァちゃんと呼ぶな!」
「まあまあ。さっきはまるでエヴァちゃんが負けたようなことを言っておったが……。
 『闇の福音』が負けるわけないじゃろ」
「な、何を……」
「完膚無きまで敵を殲滅する、血も涙もない真祖の吸血鬼……
 そんなものがサウザンドマスター以外の人間に負けるか?
 ふつーはありえんじゃろう?」

 エヴァンジェリンは学園長を鋭い目で見た。
 確かにエヴァンジェリンは自分の身にかけられた呪いによって、学園長にはあまりよい感情を持っていない。
 囲碁仲間ということをさっ引けば、人間のくせに妙に頭が働くことも気にくわない。
 が、また同時に、自分の思いも寄らないことを考える策士であることを認めている。
 普通の人間ならば、耳を貸さないところを、ついつい学園長の言葉は聞いてしまう。

「第一な。勝った負けたという話をしとるが、最初から勝負なぞしとらんかったではないか?」
「なんだと!? あの坊やの報告書を読んでない……いや、ジジィがあの戦闘に気付かなかったなどとは言わせんぞ!」
「知らんなあ……ネギ先生の報告書にも『今日は何もないいい日でした』と書かれておった」
「ふざけるのはいい加減にしろよ、ジジィ! いくら世話になっているとはいえ、それ以上くだらぬことを言ったら殺すぞ」

 学園長は深く溜息をついた。
 エヴァンジェリンは既に学園長の話に聞き入っている。
 足下にいるはずの横島が、かさかさと体を動かして逃げ出していることすら気付いていない。

「エヴァちゃんはとても優秀な警備員じゃしのう。本当に強くて、本当に素晴らしい人材じゃしのう。
 エヴァちゃんがいなくなったら、ワシ、とっても困っちゃうのう」
「……くっ」

 ようやくエヴァンジェリンにも学園長の言いたいことが見えてきたのか、悔しそうに歯ぎしりした。
 昨日のことは『なかったこと』にする、と言いたいのだ。
 エヴァンジェリンは悪の魔法使いではあるが、学園長の言葉通り非常に優秀な警備員だ。
 また結界にくくられているために、普段は暴走するようなことはない。
 失うと学園にとって痛い損失。

 しかし、結界を破ろうとして人を襲った、という事実があれば、どうしても失わざるを得ない。
 魔法先生の中でも彼女の存在を畏怖しているものもいる。
 一人二人を吸血するならまだしも、魔力を取り戻してネギ・スプリングフィールドを襲ったというのは、いかな学園長でも庇いきれない汚点。

「……それにな、エヴァちゃん。軽々しく負けた、なんて言っちゃいかんぞい。
 君はまだまだ恨まれておるんじゃから……負けた、なんて言うと、またバカが集まってくるわい」
「わかっている……」
「見かけは子どもじゃから、ただでさえ間抜けが集まりやすい。
 まあ、今回は全く反対で、溺れずに済んだようじゃが……」
「う、うるさい!」
「ほっほ、さて、君はまだ授業中じゃろ?
 サボタージュして、学園長室に乗り込むなんて勇気はいらんから、授業に出なさい。
 確か、今はネギ先生の担当する英語の時間じゃしのう」
「黙れ! えぇい、わかった、わかったよ、ジジィ! こいつは預けといてやる!」

 いつの間にか学園長の後ろに隠れていた横島に向かって、エヴァンジェリンは指をさした。
 エヴァンジェリンを徹底的に怖がっている横島は、更に学園長の後ろに隠れて、身を縮こませた。

「いいか、貴様! 私に借りを作ったなどと脳天気なことを考えるなよ!
 むしろ誇りある悪に対しての屈辱を与えられているにも関わらず、尚地獄を見せずに済ませてやった私に貸しを作ったと思え!」

 エヴァンジェリンは言いたいことを言いたいだけ喚くと、そのまま振り向きもせず退室した。
 学園長は振り向くと、横島の肩を軽く叩き慰めた。

「さ、これでゆっくり話ができるの」

 再び横島に椅子を勧める学園長。
 横島は半べそをかきながら、倒れたパイプ椅子を起こし、それに座った。

「言いたいことも色々あるじゃろうが、まずはワシの話を聞いておくれ、横島忠夫君」
「お、俺の名前……」
「君の身分は色々と調べさせてもらったよ。中々変わった経歴を持っとるではないか」
「へ?」
「薄々気が付いているじゃろうが、この世界は君の生まれた世界から見る異世界、ちゅうことになるな」
「は?」
「君の記憶を少し、な。さっきの機械を使って見させてもらったんじゃ」

 横島は頭をかしげた。
 学園長が言っているのは、横島が昨日公園のベンチで必死になって考えた出した答えと同じ物なのだが、様々なことがあってすっかり忘れていた。
 ぽりぽりとこめかみ辺りを人差し指で掻いているうちに、朧気ながらそのことを思い出していく。

「ま、マジっスか?」
「やむにやまれぬ事情があったのでな。
 大丈夫、プライベートなことは覗いておらんから」
「い、いやいやいや、そうじゃなくて、ここが異世界っちゅうことの方ッス」
「いかにも。
 ゴーストスイーパーという職業は似たようなものはあるが、君の世界のようにおおっぴらにやっている者はおらん。
 本当に力のある能力者はその存在を秘匿しとる。
 かくいうワシも、魔法使いで、君が昨日会ったネギ先生もまた魔法使いじゃ」

 ネギ先生、って誰だっけ、と横島は思った。
 すぐにメガネの少年の顔が脳裏に浮かび上がり、その子がネギと呼ばれていたのをなんとなく思い出した。

「その他にもこの世界と君の記憶の世界では相違点が多い。
 そちらの世界に、ワシの知る国がなかったり、こちらの世界には君の知る霊山がなかったり。
 確か、妙神山、だったかの」
「え、ええ……」
「まあ、とにかく、ここは君の知る世界ではない。
 そこんとこをまず理解しとくれ」

 横島は口をつぐんだ。
 流石に横島でもショックは隠しきれない。
 もっとも、一般人のそれは二度と帰れぬやもしれぬ故郷に対する悲しみであるのに対し、横島のそれは「美神さんのあのナイスボディが俺の手の届かないものにッ! そんなん許してたまるかー!」というものではあるが。

 学園長もその様を見て、痛々しく思っていた。
 故郷を失う悲しみを感じた青年にどう接してやるべきか、と心を痛める。
 もちろん、見当違いの心痛なのだが。

「うむ……まず結論から言おうかの。ワシらには君を元の世界へと戻すことは出来ぬ」
「え? ほ、本当ッスか!? そ、そんな、それじゃ……」

 学園長は息を飲んだ。

「あ、あの美神さんのむちむちバディが俺以外のものにッ!?
 そんなッ! そんなの、認められるかーッ!
 俺がッ! あんなにッ! 苦労してッ! 死ぬ気で尽くしたのにッ!
 結局俺のモンにならんとゆーことかーッ! えぇい! 憎し! 神憎し!」

 咄嗟に懐から「かみ」と書かれた紙を貼ったわら人形を取り出し、五寸釘で壁に打ち付け始めた。
 思わず椅子からずり落ちる学園長。
 ちなみに神を呪ったせいか、その日に夢に横島の知っている神全員が出てきたのだが、それはまた関係のない話。

「ま、まあ、落ち着きなさい……」
「これが落ち着いてられるかーッ! なんのために俺はあんなに何度も三途の川を渡りかける目にあったんやーッ!
 全部無駄かッ!? 無駄なのかッ!?
 美神さんと結ばれる横島なんて横島じゃないと、誰かが手紙を送りつけたんかッ!
 ド畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 五寸釘がコンクリートの壁に完全に埋まり、それでもなお金槌を力一杯ふるわれたために、わら人形のわらが辺りに飛散した。
 流石に見るに見かねた学園長は、杖を振るい、横島に魔法を掛ける。
 横島は途端に手をとめ、金槌を地面に落とし、おもむろにパイプ椅子に腰掛けた。
 部屋は藁が辺りに散らばって、無理矢理五寸釘を打ち付けたせいで壁にヒビが入ると、悲惨な状況になっていたが、とりあえず学園長はそのことは言わなかった。

「落ち着いたかね?」
「ええ、落ち着きました。
 けど、なんかこう乱暴というか、無理矢理冷静にさせられたもんだから、ちょっと変な感覚ッス」
「取り乱すのがあまりに過激だったもんでな。それにな、まだ話は終わっとらん。
 確かにワシらでは君を元の世界に戻すことはできない、とは言ったが、全く方法がない、というわけでもない」
「そうなんスか?」
「む、むぅ……」

 学園長は、先ほどまで過激な奇行をしていた人間が今では冷静に話を聞いていることに少々違和感を覚えていた。
 魔法の力で自分がそうさせていたとはいえ、温度差にとまどいを隠せなかった。

 しかし、学園長は老練の魔法使いにして、それなりの策士。
 直ぐに平静を取り戻し、口を開いた。

「『答えは常に自身の中に存在する』 つまり、そういうことじゃ。
 ワシらの世界にも、異次元、異世界という概念はある。
 その存在は今のところ否定されていない。
 しかし、その異次元や異世界を越えられる方法は君の生きている間にはまず見つかることはないじゃろう。
 そういう意味でもって、ワシは『出来ない』と言った。
 じゃがな、その例外は君なんじゃよ、横島忠夫君」
「へ? 俺?」
「君の記憶を見せてもらったとき、君の世界では異次元や異世界を作り出し、または移動する人を見た。
 こちらの世界の人間は個人で、自身か他者を異次元に飛ばすようなことが出来るものはおらん。
 が、しかし、君はこの世界の人間ではない。
 もっと細かく言うのならば、この世界に存在する既存の法則のいくつかから外れている存在。
 ワシらに出来ぬ事を、君なら出来るやもしれぬ。
 君には自分で元の世界へと戻る能力が秘められているかもしれぬ、ということじゃ」
「は、はあ?」

 GSのくせにオカルト音痴の横島には、学園長の話は高度すぎた。

「文珠……というのじゃな。
 今ではその能力をもてあまして、十分に使いこなしていないじゃろ。
 この世界で修練を積み、上限を上げれば、いつかは元の世界へと戻れるかもしれぬ」

 横島は話について行けなかった。
 なんとなく「修行しろ、そうすれば戻れる」と言っていることはわかったが、それ以外はさっぱりだった。
 もっとも、横島にとってそれ以上の理解は必要ないのではあるが。

「で、でも、俺、努力と修行って大嫌いで……」

 とりあえず何かを言おうとして、失敗した。

「……元の世界へと戻れなくなるぞい。
 そうしたら、美神殿にも会えなくなるんじゃぞ?
 いや、それどころじゃなかろう、君がいなくなったことをいいことにあの西条という輩が美神殿を奪ってしまうかも……」
「や、やりますッ! お、俺、絶対に文珠を使いこなして、西条のヤローをぶっとばします!」

 記憶をみたせいか、学園長は横島の扱い方を早くも掴んでいた。
 単純な横島はすぐに食いつき、美神を取られまい、という執念に燃え始める。

「うむ、その意気じゃ。
 で、まあ、もっと近しい話に変わるんじゃが、君の戸籍や住所などは当然こちらの世界にないわけじゃ」
「俺はいないはずの人間ッスからね」
「うむ。それで、ワシはそれらを提供することができる」
「え? 本当ッスか?」
「もちろん、ただではないがの」

 学園長はにやりと口元を歪めて笑った。
 横島は嫌な予感を感じる。
 霊能力がなくとも、察知できる類の『嫌な予感』だった。

「ウチの学園はまあ、年柄年中トラブルに巻き込まれておる。
 時には一般人では解決できなかったり、表沙汰にできないトラブルも多いんじゃ。
 魔法先生・魔法生徒と呼ばれる教師や生徒の魔法使いや、退魔師などを雇ってはいるのじゃが、手が回らないときが多い。
 そこで、霊能力を持つ君を雇いたい、というわけなのじゃよ。
 何、君のゴーストスイーパーとしての仕事とあまり内容はかわらんから、それほど難しくないぞい」
「……え? ちょ、ちょっと待ってください。今、学園って言いましたけど、ここ、学園なんスか?」
「おろ? 言わなかったかの? 麻帆良学園という学園都市なんじゃよ。
 昨日君があったネギ先生も、ここの教師じゃ」
「え? きょ、教師?」

 昨日の言葉はジョークではなく本当のことだったのか、と目を丸くした。
 にわかに信じがたい話だったが、それでも一応納得する。

「いかにも。数え年で十歳にして、オックスフォード大を卒業しておる」
「……労働基準法は?」
「彼には特殊な事情があって、学校教師にならねばならなかったんじゃ。そんな法律無視じゃ、無視」
「んな無茶な……」
「まあ、命の危険が半端ではなく高いのに時給250円という条件でホイホイ雇われるよか、まだマシかと思うがのう」
「ぐ……」

 横島には選択肢などなかった。
 彼は平和主義者というより臆病で、生活か女性絡みが動機でなければ悪霊と格闘したくはなかった。
 これからの生活のために学園長に雇われなければならない。

「……はっ! よ、よく考えてみれば、昨日の幼女みたいにバカみたいな強さの相手と戦わなきゃならんということなのか!?
 い、いくらなんでもあんなの相手に勝てるわけがないッ!」
「ああ、あれは別格じゃよ。こっちの世界でもめちゃんこ強いんじゃ。
 ワシだって、全力で戦って勝てるかどうか微妙なほどな。
 君のレベルはこの世界での一般の魔法使いよりちょい上くらいかのう?
 まあ、霊能力と魔法は異なるものじゃから、一概には言えんのじゃが」
「そーなんスか……ってよく考えたら、あんな乱暴で強い幼女をほっといていいんスか!?」
「普段は呪いによって魔力を封じられている状態だから大丈夫じゃ。ウチの警備員でもあるし」
「じゃ、じゃあ、昨日、大暴れしてたのは何なんスか?」
「昨日はたまたま封印が解ける日じゃってのう……それでちょっとしたお茶目をした、というわけじゃ。
 色々と複雑な事情があるので説明するのが難しいんじゃが、とにかく、あれは大丈夫じゃから、気にせんでええ」

 いまいち釈然としない横島だったが、とりあえず学園長の言うとおり気にすることはやめた。
 エヴァンジェリンが大人の美女であるのならば、もう少し深く考えたのだろうが、恐ろしい幼女には興味はわかなかった。

 横島は学園長の申し出を受け、いくつかの書類にサインを書いた。
 この世界に横島忠夫という『社会的』な人間が、誕生する瞬間だった。
 学園長はサインをした書類を満足そうに眺めると、それを丁重な手つきで机の引き出しの中へと仕舞った。

「そうそう、君がこの学園で働くにおいて……というよりも、この世界で生きていくためのルールを教えるぞい」
「何スか?」
「君の世界では違ったようじゃが、この世界で魔法という存在を一般人にばらしてはいかん。
 もしばらした場合、資格を失い……場合によってはオコジョになってもらう」
「お、オコジョ?」
「そう、オコジョじゃ」
「なんでオコジョ?」
「伝統じゃ。
 とにかく魔法の存在を知っている人間にしか魔法を教えてはいかん。
 君の霊能力も、魔法ではないが教えてはいかん。
 もちろん、一人、二人に教えることはいいが、その場合、その人もこちら側の世界に関わることになる。
 魔法の使えぬ一般人がこちら側の世界に関わることは、当人の危険性が増すためにあまりおすすめしないがの。
 まあ、記憶を消す魔法というのもないわけじゃないんじゃが」

 ふと、横島は昨日のことを思い出した。
 公園のベンチでうっかりハンズオブグローリーを展開し、文珠の数を確認してしまったのだ。

「あ、あの、お、俺、昨日公園のベンチで……」
「そのことも知っておる。大丈夫じゃ、誰にも見られておらん」
「はぁ、よかった……」

 横島は安堵の溜息をついた。
 学園長はそのままこの世界の、魔法使いに関する基本的な情報を横島に教え込んだ。
 もちろん、いっぺんに多くのことは到底覚えられないが、学園長も全てを覚えることを期待していない。
 横島の頭から湯気が出始めたために、一旦説明を止め、魔法使いの常識が書かれた本を渡し、後で読むように指示をした。

「それでじゃな、君の初仕事は来週にやってもらうことになっとる」
「え!? そんなに早くッスか?」
「うむ。内容はネギ先生の補佐じゃ」

 学園長は仕事の内容を簡単に説明した。
 来週の修学旅行で、中等部の3学年は京都へ行く。
 ところが関西に本拠地を置く関西呪術協会が魔法先生の来訪に難色を示してきた。
 学園長は関東魔法協会の理事としては長年のいがみ合いはやめるために、親書を送るという名目でネギを行かせることにした。
 が、道中敵方の妨害に遭う可能性もあるやもしれず、かといって魔法先生を増やすとますます事がこじれてしまう。
 そこで、名前の知られていない、しかも厳密には魔法使いではない横島に、補佐を依頼することにしたのだ。

「き、危険やないでしょうね?」
「大丈夫じゃよ、今回は相手は同じ魔法使い。
 一般人に手は出さんじゃろうし、向こうもバレてはいかんから派手なことはせんじゃろ。
 少なくとも、昨日よりかは数百倍も安全じゃ。
 ネギ先生も、幼いがあれはあれで相当の使い手じゃし……下手したらなんもせんでええかもしれん」

 それを聞いて、ホッと胸をなで下ろす横島。

「まあ、詳しい話はまた後でするからの、案内させるから今日はもう休みなさい」
「うぃっス、いやー、色々ありがとうございました」
「なあに気にすることはない。ウチのネギ先生と生徒を助けてくれたんじゃしな」

 ガンドルフィーニと言う名の魔法先生に案内され、横島は学園長室から出た。
 生活用具一色が揃った教員寮の空き部屋に到着すると、ベッドの上へ倒れ込み、そのまま翌日の朝に迎えがくるまで、ずっと眠り続けた。
 こうして、横島が異世界に来てから二日目は、あっという間に終わったのだった。




 翌日、目が覚めた横島は、夢見の悪さにぼやきながら部屋に置いてあったカップラーメンを食べた。
 いくら生活用具が揃っている部屋とはいえ、着替えや歯ブラシなどのものはない。
 学園長から、支度金を貰っており、今日は買い物に行かなければならなかった。

 付近の地図を片手に、街の中を歩く。

「ちょいとそこゆく美人のおねーさーん! 僕とお茶しなーい!」

 途中何度か目的を忘れつつ……。

「なーにー、あの変なの、おっかしー」
「バカじゃないの?」
「私、彼氏いますから」
「……」

 もちろん、ナンパは成功しなかった。
 実に二十人以上に声をかけたのに、好意的な答えを返してくれた人は皆無。

「く、くそう……やっぱり男は顔なのか!? 美形じゃないと男だとゆーのかッ!
 一人くらい……誘いに乗ってくれたって……いいじゃないか、畜生ッ!
 神様は理不尽だッ! この世は不公平だッ! マルクス主義は死んだーッ!」

 道中で咆哮する横島。
 通行人達は三歩離れて横島を見ないふりをする。
 そこへやってきたのは、青い制服を着た公務員。
 仲間同士で言葉を交わしあい、横島へ迫ってゆく。

 もちろん、のうのうと待っている横島ではない。

「あー、ちょっと君、身分を証明するものを持ってるか……? あ、あれ? 消えた?」

 鍛えに鍛えた逃げ足でもって、瞬時に逃走を始める。
 逃げることには右に出る者がいない横島にとって、官憲ごときに捕らえられるようなことはない。
 あっという間に追跡者をまくことができた。

「ハッハー! 俺は風だッ! 誰にも捕まえることはできやしないッ! なんちて」
「きゃっ!」

 一瞬よそ見をしている間に、通行人にぶつかってしまった。
 軽くて柔らかい相手だったために、横島は微かによろけるだけだった。

「あっ、す、すんまへん、ちょっとよそ見してて……」
「いえいえ、えーですよ、ウチもちょっとぼーっとしとったから」

 横島のぶつかった相手は女の子だった。
 もはや反射反応と呼べる領域となるほどの早さで、横島はその女の子を見定める。
 顔は平均以上、雰囲気も柔らかく好印象、十分美少女と言っても通じる……電撃のような素早さで、データをはじき出していく。

「が、しかし……残念かな、中学生、ストライクゾーンから外れとる」
「どないしたんですか?」
「あ、いやいや、何でもない、ただの独り言」

 横島は手を出して、女の子を引っ張りあげた。
 落ちた帽子を拾い、表面についた汚れを払って、女の子に手渡した。

「あ、おおきに」
「いやいや、俺がぶつかったんだから。こっちこそ悪ぃね。
 ちょっと急いでるもんで。じゃーね」

 横島は女の子に背を向けて、立ち去ろうとした。
 追っ手の姿は見えなかったが、まだどこかに潜んでいる可能性は否めない。
 至急その場から素早く離れて、新たにナンパする場所を探す必要があった。

「このかさーん!」
「ん?」

 そこへ、横島の聞いたことのある声が聞こえてきた。
 そちらの方向を見てみると、一昨日に出会ったメガネの少年がさきほどの女の子のもとへ走っていた。
 ネギも横島のことに気が付いたのか、驚いたような顔をした。

「あ、あなたは!」
「よう、ボウズ」

 そのまま無視するのも変だと思い、軽く手を挙げて挨拶を返した。

「大丈夫だったんですか? あの後、タカミチに運ばれて、どうなったかわからなくて」
「まあな、この通りピンピンしてる。
 ボウズこそ大丈夫だったか? あの暗黒ビームを出す幼女を上手く倒せたのか?」
「エヴァンジェリンさんはあのとき結界によって力を封じられて、普通の女の子と変わらない状態になりましたから。
 そうだった! あ、あの、エヴァンジェリンさんを助けていただいてありがとうございました!」
「へ?」
「ん? ネギ君、この人と知り合いなのん?」

 横島とネギの間に、先ほど横島とぶつかった少女が入ってきた。
 少女の名は近衛木乃香。
 麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門の孫にして、ネギ・スプリングフィールドが受け持つクラスの生徒である。

「ええ、ちょっと仕事の関係で」

 木乃香には魔法の存在を教えてはいけないと学園長から言われていたネギは慌ててごまかした。
 多少のことでは疑いもしない、ちょっと鈍いところのある木乃香だったが、油断は出来ない。
 何にせよ学園長の孫で、魔法の存在を気付かせてはいけないと学園長は言っている。
 それに逆らうことはあまりよくないということは、ネギは幼いながらも理解していた。

 横島は木乃香に向かって笑顔を見せながら、ネギの肩をぽんぽんと叩いて引き寄せた。

「あっ!」

 木乃香に背を向け、ネギに小声で耳打ちする。

「ボウズ、あの子とは一体どういう関係なんだ?」
「こっ、このかさんとですか?」
「おい、もしや彼女とかじゃないだろうな?
 彼女はお前のステディとかじゃないだろうなッ! 彼女とお前はカップルとかじゃないだろうなーッ!」
「ちっ、違いますよ! 僕はこのかさんの担任教師で……」
「本当か? 本当だな! 俺でも恋人や彼女って呼べるよーな子は今までで一人しかおらんかったのだ。
 もしその年で男女交際なぞしておったらなーッ!」
「ち、違いますって! 本当に、このかさんは僕の生徒なんです」

 血なまこで必死に迫る横島に、ネギは少し脅えながら答えた。
 エヴァンジェリンを助けて貰ったことには感謝をしていたが、どうもペースにはついていけないネギであった。

「い、いややわぁ。ウチがネギ君の彼女だなんて……。
 でも、ネギくんだったら別にウチはええで」

 ひょっこり木乃香が横から現れて、ネギと横島は体を離した。
 木乃香は自分の言葉に恥ずかしくなったのか、いやんいやんと体をくねらせ、顔を赤らめている。
 ネギも釣られて赤面するが、横島にキッと睨まれて、顔を逸らした。

「ぼ、僕はこのかさんの担任ですからッ!」

 息を整え、なるべく顔をしゃっきりさせて、胸を張ってネギは言った。

「あ〜ん、ネギくんのいけずぅ〜」
「わぷぷっ」

 木乃香は天然でもって、ネギに抱きつき、ネギの努力を木っ端微塵に粉砕した。
 当然、横島の怒りのボルテージはぐんぐん上がってゆく。
 木乃香は横島の恋愛対象から外れているが、目の前でラブコメを見せられて横島はいい気分をしない。
 むしろ美形の男と同じくらいラブコメを憎んでいる。

 横島の怒りのオーラをネギは敏感に感じ取り、その場から撤退することに決めた。

「ぼ、僕、これから用事がありますので、すいません……このかさん、行きましょう」
「あ、そうやったな〜、アスナの誕生日プレゼントを買いにいくんやった」

 ネギは一歩前に出て、横島に深く頭を下げた。

「一昨日は本当にどうもありがとうございました」
「ん? ああ」

 ネギはエヴァンジェリンを助けて貰ったことにお礼を言っているのだが、横島にはそのことをわかっていない。
 それもそのはず横島はエヴァンジェリンを助けたつもりはこれっぽっちもなかったからだ。

「そういやボウズ……」

 横島はネギの名前を忘れていた。
 のど元まで出かかっているのに、言葉が出ない。
 連想してタマネギという言葉が思い浮かんだが、それほど長い名前でもなかったな、と考え、二文字消した。

「確かタマって名前だっけ?」
「ネギです! そんな猫みたいな名前じゃありません!」
「ああ、そういや猫ってネギを喰わせると中毒起こすらしいしな」

 果てしなくどうでもいいことだった。

「もう知っとるかもしれんが、修学旅行んときお前を補佐することになったから」
「え? えぇっ!? 本当ですか?」
「知らなかったか。まあ、後で学園長を通して顔合わせするときがあるだろうから、そんときはよろしく、な」

 ネギはちょっと複雑な気持ちになっていた。
 確かにエヴァンジェリンを身を挺して助けた人物という印象があったが、ネギの思考ではいまいち横島という人物像が定まっていない。
 アスナとパクティオーしたときや、さっきの木乃香との関係を詰問してきたときには、恐ろしく見える。
 かと思えば、死を恐ろしがってもいる。
 それぞれの判断材料が互いにギャップの激しいものばかりで、ネギには横島の性格が掴めていなかった。

「んもう、また二人でウチを仲間はずれにしてぇ」
「いや、お嬢ちゃん、もう終わったよ」

 横島は木乃香ににこやかに答えた。
 基本的に横島は女・子どもには優しい。
 ラブコメをしていたりした場合、男の子どもにも厳しいが。

 「ほなな〜」と穏やかな声をかけて、手を振って去っていく木乃香を見て、いいなあ、と横島は思った。

「年齢がもうちょっと上なら間違いなく声かけるのにな〜、実に惜しい」

 木乃香の様なタイプの女性は、横島の知り合いにも中々いなかった。
 一人、いることはいるのだが、もっとずっと精神年齢が幼く、ちょっとしたことですぐに泣き出してしまう。
 その上、泣き出すと、彼女の家系に代々受けつがれている十二匹の式神が暴走し、見境なく破壊行為をし始める。
 『一触即発』と言う言葉がぴったりな女性だった。

「うーむ、後数年待てば成長するんだから、いっそ……いやいやしかし、相手はまだ中学生……」

 道の真ん中で独り言を呟いていると、その様子を見ている人達がいた。

「おいっ、いたぞ! あそこだ!」
「また独り言言ってやがる……やっぱり不審者か!」

 横島が巻いた警官達が追いついてきたのだ。
 流石の横島も、捕まってしまったら大変なことになると再び逃げ始める。

「や、やべっ! とっとと逃げなきゃ、捕まっちまう!」

 結局、午前中は警官との鬼ごっこで費やされてしまったのだった。


 警官をまいた横島は今度は大人しく必要なものを買い込んだ。
 途中、昼を食べ、買い物を済ませた横島のすることは一つ。

「そこのお嬢さん! 僕、この街に来たばっかりなんです! 素敵なところへ案内してくださーっい!」

 まだ見ぬ美女を求めてナンパを始めた。
 もちろん、振り向く女性はゼロ。
 とことん振られに振られた。

「ち、畜生……やっぱり男は顔なんかっ! 美形なんか……美形なんかッ!」

 今度はうってかわって鬱モードに突入した横島。
 地面にしゃがみこんで、美形に対する呪詛の言葉を呟きながら草をぶちぶち毟り始める。
 さっきと同じように通行人達は、横島から三歩離れたところを通り、なるべく見ないようにしていた。

 そこへ、女子中学生の二人組が走ってきた。

「ぎゃぶっ!」

 そのうち片方に、横島は思いっきり体当たりされて地面を転がった。
 木乃香とぶつかったときとは逆に、まるで車にはねられたかのように吹っ飛んだ。

「こ、コラー! どこ見て走っとんのじゃーッ!」
「すっ、すいません! ……って、え!?」

 横島に追突した女子中学生は、鈴のついた髪飾りをつけたツインテールの女の子だった。
 この子もまた、横島と面識のある人物。

「おっ、おおぅ! 君は確かパンツ丸出しで跳び蹴りをした子じゃないか!」
「ぱっ、パン……アスナです! 神楽坂明日菜です! へっ、変な覚え方しないでください!」

 変な覚え方をされていたことにショックをうけ、羞恥に顔を染めながら、アスナは倒れている横島に手を出した。
 アスナも十分美少女と呼べる顔立ちとプロポーションを持っているが、木乃香と同じく中学生で、横島のストライクゾーンから外れている。

 アスナの肩からひょいとオコジョのカモが頭を出して、無言で横島に手を振っている。

「アスナさん、お知り合いなのですか?」
「え、ええ、ちょっとね」

 横島はもう一人の女子中学生を見た。
 綺麗な金髪と豊かなプロポーション……この子もまた美少女と横島も認める子であったが、中学生というストライクゾーン外。
 彼女の名は雪広あやか。
 彼女もまたネギ・スプリングフィールドの担任するクラスの生徒。

「それにしても……パンツ丸出しでとび蹴りだなんて、はしたないですわね」
「な、なによぉ。べ、別に私だってしたくてしたわけじゃないわよ」
「では何故したのかしら?」
「そ、それは……」

 アスナは言葉を詰まらせた。
 エヴァンジェリンを蹴っ飛ばしたとは言えない。
 あやかはまだ魔法のことを知らぬ一般人で、蹴ったときのことを言ってしまえば、ばれてしまう可能性がある。

「い、言えないわ……」
「まあいいですわ、今はそんなことよりネギ先生のことが心配ですわッ!」
「ん? ネギ? あのボウズにならさっき会ったけど」
「本当ですか? いつ? どこで? 誰か他に一緒にいませんでした!?」

 あやかは横島に詰め寄って、早口で捲し立てた。
 あまりの勢いに横島も驚いて、押される。

 あやかとアスナは二人とも、友人から「ネギが木乃香と都心でデートをしている」というメールが送られてきて、真偽を確かめるために麻帆良女子寮から出てきたのだ。
 都心まで電車を使うため、駅に向かっていたところで横島とアスナはぶつかった。

「さっき、っつっても午前中だな。ここの近くの駅付近で、黒い髪の可愛い女の子と待ち合わせしてたみたいだけど」
「ほ、本当ですか!? や、やっぱり話は本当でしたのね……」
「なんか、アスナの誕生日プレゼントを買いに行くとか言ってたなぁ……って、ひょっとしたら言っちゃマズかったか?」
「た、誕生日プレゼント?」

 アスナとあやかは両方とも気の抜けた声で同時に言った。
 二人で顔を見合わせると、胸をなで下ろした。

「そ、そういえば明日私の誕生日だったわ……忘れてた」
「な、なぁんだ、ビックリしましたわ。
 ……でも、二人で買いに行くなんて、ちょっと怪しいですわね」
「ああ、大丈夫だ。俺があのボウズに、教師と生徒という間で恋愛感情が芽生えないようにキツく言っておいたからな」
「ほ、本当ですの?」
「もちろん。あの年で男女交際するなんてそんなうらやま……いや、不健全なことをするなんて許せんからな」

 横島忠夫、心の中に棚を作ることが大の得意の男である。

 あやかは横島の手をがっしと握り、涙を滂沱と流した。

「ありがとうございますわ! あなたのようなお方のおかげで、ネギ先生の貞操は守られました」
「お、おう……」

 流石の横島でもあやかの感動ぶりにはちょっと引いた。
 アスナはそんなあやかを見て、やれやれと大きな溜息をついた。

「で、どうするいいんちょ。誤解が解けたんだから帰る?」
「いいえ! 誤解は解けましたが、今なおネギ先生と木乃香さんが一緒に買い物をしているということは事実!
 今は間違いが起きてないといえど、これから起きるやもしれません。私はそれを止めないとッ!」
「あー、わかったわかった。どうせ私もここまで来ちゃったしね、付き合うわ」

 二人はそのまま横島と別れて、走り去っていった。
 あやかは丁寧に「どうもありがとうございました」と去り際に礼をし、アスナもまた同じように礼を言った。
 お嬢様のようなあやかと、元気いっぱいのアスナの背中を見つつ、横島は独り言をぶつぶつと呟いていた。

「うーむ……中学生ということで食指は動かんのだが……今後の成長が実に楽しみなんだよなあ。
 もうちょっと早く生まれてたら、絶対に声をかけるのに……実に惜しい……」

 木乃香と同じ反応をしていたのだった。


 そんな横島を、いつの間にか何者かが取り囲んでいた。
 彼らの目にはもはや殺意が浮かんでおり、横島を睨み付けている。
 そのうちの一人が、一歩前に出て、横島に声を掛けた。

「そこの不審者へ告ぐ! お前はもう完全に包囲されている! 無駄な抵抗はやめて大人しく縛へつけぃ!」
「はっ! し、しまった! また油断して警察に見つかってしもた!
 しかも今回は完全に包囲されて……くっ、逃げ場がない! このままでは本当に逮捕されてしまうっ!」
「わはははー! 何度も何度も人外みたいな足の速さで逃げおって!
 今度こそは国家警察の威信にかけて、貴様に職務質問をしてやるーッ!」
「む、むぅ……ここは……しかし、俺にはまだ秘策があるッ!」

 横島はずびしっと何もない空に指をさした。

「あーッ! トリケラトプスのプービーちゃんがUFOの上でコサックダンス踊ってるーッ!」
「な、何!? どこだ? どこだ!?」
「トリケラトプス? UFO? コサックダンス?」
「おい、何も見えないぞ!」
「あ、ひょっとしてあれか?」
「いや、違うだろ、あれは……」
「おい、お前ら! 嘘だ! あの不審者がいつの間にかいなくなってるぞ!」
「な、なんだってー!?」

 警官達が気付いたときにはもうすでに遅し、取り囲んでいた横島は包囲網から抜けだし、脱兎のごとく逃げていた。

「へっへーんだ、お前らになんか捕まってたまるかーぃ!」
「追え! 追うんだ! 国家警察の威信に賭けて、あいつに職務質問をーッ!」

 警官隊が一斉に横島を追いかける。
 しかし横島の逃げ足の早さは人の追いつけるレベルではない。
 何台ものパトカーが出動したが、地理に疎い癖に野生の勘を発揮して、ついに逃げ切ったという。

 横島の異世界での三日目はこうして幕を閉じた。