第12話


 老紳士の格好をした悪魔の襲撃から早数日が経つ。
 あれからネギは悩んだりしているのだが、横島の方はさして変わらぬ生活をしている。

 時折、学園長から直接依頼された仕事をこなし、帰宅してはだらだらと過ごす。
 楽して暮らせる収入があるために、怠けると底なしに怠け始める横島を、サンジュウロクメが必死に修行させていく。
 元の世界に戻るために、霊力の底上げの方法を色々と試しているが、効果は中々芳しくない。
 確かに霊力は上がっているのだが上がり幅は小さい。

「つうか、俺の夢は綺麗な嫁さんを貰って退廃的に過ごすことだからなー。
 あとは綺麗な嫁さんがやってくれば、ここで暮らしちゃってもいいかもなー」

 最近はこんなことをのたまう始末。
 そのたびにサンジュウロクメがたしなめるのだが、あまり効果はない。



 そんな中、オコジョ妖精であるアルベール・カモミールが二人の部屋にやってきた。

「と、言うわけで、アニキのクラスで幽霊騒ぎが起こってるんでさ。
 ここは、ゴーストスイーパーなる兄さんの出番かと思いやして……」

 事の顛末は、麻帆良学園祭で、催し物の準備をしていたとき、教室に幽霊が出現とのこと。
 カモはそのときの出来事を記事として乗せている麻帆良スポーツを開いて、写真を見せる。
 両手を上げて驚いている生徒と、黒ずんだ染みのようなところから手招きをするかのようにこちらを伺っている女性が映っている。

「んー、これは確かに心霊写真みたいねー。
 実物の写真じゃなくて、新聞のだから感じにくいけど、微かに霊感が反応するわ」
「まあ、雑魚っぽいけどな」

 確かにその幽霊から横島が感じる波動は弱かった。
 見たところ、没後数十年の歳月を経ていることはわかったが、その割には力は弱い。
 この世界と、横島達の住んでいる世界での幽霊の出現率は、かなりの差がある。
 GSという職業がおおっぴらに存在している世界と、『秘匿することができる』世界との違いだ。

 しかし、その点を鑑みたとしても、生者に悪影響を与えるほどの力を持っているようには見えなかった。

「気にしなくてもいーんじゃないか?
 あのクラスにゃあ、アスナちゃんや刹那ちゃんもいることだし。
 京都で召喚されてた鬼一匹ほどの戦闘力も感じられないしな。
 これ、典型的な地縛霊のタイプだよ。ほっといても何もせんと思うけど」

 こと、こういう地縛霊や浮遊霊の類に関してならば、横島は一般のGSレベルよりも多くの知識を持っている。
 それは身近に三百年も幽霊をやり続けていた子がおり、その子と一緒に、一回数十万ほどのギャラしかできない小者の仕事を数多くこなしていたからだ。
 基本的に、ハンズオブグローリーで問答無用に悪霊を斬り捨てるスタイルの横島を、それではかわいそうだから、と説得し、除霊していく彼女を見ていれば、嫌でも雑霊に関しては知識が深くなっていく。

「へ? そ、そーなんすか。
 いや、でも、これから泊まり込みで学園祭の準備に取りかかるんですよ。
 生徒達が怖がって居残りすることが出来なくなるんで……」

 カモの言葉を聞いて横島は苦笑した。
 元の世界でも、カモのような客は多かった。

 現代社会の基盤を担っているのは飽くまで科学技術。
 日本のような先進国では、オカルトに対して大きな偏見を持っている人間が大部分を占めている。
 無害であろうとなかろうと、未知の存在に恐怖し、駆除を要請する。
 害を及ばさなかったり、逆に益をもたらす霊であった場合には、GSはしばしば人間の方を説得する。

 GSは物質界と霊界とを繋ぐ架け橋のような職業なのだ。
 もちろん、そこにつけこんでがっぽり儲けようとする人も多いのだが。

「兄さん、どちらにせよ、一度教室に来て判断してくれやせんか?
 プロの除霊師の言葉を直接聞いたんなら、ネギ兄貴の生徒達も安心できるでしょうし」
「まあ、仕事のないときなら構わんけど」

 何気なく横島はカモの提案に応じることにした。
 ネギやカモには多少の縁を感じているし、仕事のないときには他にやることもなく、暇だったからだ。
 そのまま、打ち合わせをした後、カモは退室し、ネギの元へと帰って行った。



 翌日、カモから連絡があった横島はネギが担当するクラスへと向かった。
 もう既に太陽は沈み、外は夕闇に包まれている時刻。
 今の時期で居残りで出し物の準備をしているクラスは、3−Aとあと数クラスのみ。

 女子校といえど中等部、中等部といえど女子校。
 横島は色々と複雑な感情と葛藤を胸に女の園へと足を踏み入れる。
 事前に学園長に話を通しておいたので、受け付けで来校者カードを受け取り、それを首にぶら下げての入校。

「うーん……やっぱり、いるのが女子だけとゆーのはこれはまた……どことなくいい匂いがするような……」

 鼻をひくひくさせながら廊下を歩く様は、どうみても変質者だった。
 それを見咎める人がいなかったからいいものの、もし注意を払うものがいたらまず間違いなく、警察が呼ばれていただろう。

 そんな危うげな状況になっているとは露知らず、横島は教えられていた教室へと到着した。

 到着したところで、すぐさま教室に入ったりはしない。
 演出上の関係、とやらで扉の外で待機し、カモが呼んだら中に入るという段取りがある。

 ドアの窓から中を覗くと、中では中学生達がおもちゃの銃のようなものを持って右往左往しているところだった。

「あ、こんばんは」
「うぉッ!」

 不意に背後から声を掛けられて、横島はぎょっとした。
 振り向くと、そこには刹那が立っていた。
 いつもの制服ではなく、裏の仕事のための服を着て、背中に夕凪を吊している。

「び、ビックリしたなーもう。刹那ちゃんもあの小動物に呼ばれたんか?」
「ええ、私以外にも仕事仲間がもう一人……」

 刹那の背後に、もう一人、人が立っていた。
 身長は180センチを超えている。
 肌は浅黒く、横島が出会ったばかりの刹那よりも、人を寄せ付けないような厳しい雰囲気を持っていた。

 特筆すべきは……。

「う、うぉぉッ! な、なんてナイスバディーやッ! ぼ、僕、横島忠夫と言いまーッす!
 同業者ですか! この仕事が終わったら、僕と素敵なレストランでご一緒に……」

 刹那はにじり寄ってきた横島の顔をぺちんと叩いた。

「横島さん、中学生は対象外じゃなかったんですか?」
「は……?」

 刹那の言葉に横島は目を点にする。
 そのまま刹那と、背の高い女性とを交互に見合わせる。

 もしや、と思って顔をしかめると同時に、女性の方が先に口を開いた。

「私は、3−Aの……ネギ先生の生徒だが?」

 横島はその場で硬直し、目から大量の涙を流し始めた。
 目の前の黒い肌をした娘が自分のストライクゾーンから外れている現実に負けた。
 顔を隠すこともせず、その場に立ったまま、ボロボロと涙を垂らしていた。
 もしこの場にカモがいたならば、咄嗟に敬礼を取っていただろう。
 奇妙な尊敬の念を抱いていただろう。

 逆に、刹那達は、そんな横島に素で引いていた。

「……いや、こーなったらもー、中学生でもッ!」

 ぐしぐしと服の袖で涙と鼻水を拭き取った横島は、考えを改めた。
 目の前の浅黒い肌の女性は、この世界に来て、一番のボディを誇っている。
 いくら中学生だといって見逃すのは、むしろ失礼だ、とアプローチをしようとした。
 が、次の瞬間、横島は体をくの字に折り曲げた。

 レバーの位置に夕凪の柄が食い込んでいる。
 刹那が暴走しかけた横島を止めたのだ。
 流石にナンパする以前に、急所に攻撃を食らうとは思っていなかった横島は、たった一撃でKOされ、地面に転がって悶え始める。

「お、おい……」

 浅黒い肌の女性……龍宮は、刹那はこのような性格だったっけ、と頭をかしげた。
 とはいえ、どこかぴりぴりとした雰囲気の刹那に、そのことを言及する気はおきなかった。
 元より、浅黒い肌の女性は、あまり他人の事情に踏み入らない性格であったため、地面に転がっている横島諸共、見なかったことにした。

 そのとき、3−Aの教室から強烈な光がほとばしった。
 中では女子生徒達の叫び声が錯綜し、混乱を極めている。

 3−Aの生徒である超鈴音謹製『除霊銃』が放った閃光だ。
 幽霊の存在が顕現すると、新米兵よろしく、生徒達は動揺し、手に持った除霊銃を乱射しまくっていた。

「そろそろ出番だな」
「ええ」

 龍宮が言うと刹那も軽く首肯した。
 もはや、床に転がってぴくぴく痙攣している男のことなど、二人とも無視する方向に固めたようである。

 龍宮と刹那が教室に踏み入り、中で更なる喧噪が起きる。
 そのときになってようやく横島は立ち上がった。
 脇腹をさすりつつ、壁に手をつき、呟く。

「……ううっ……絶対刹那ちゃん、前よりアグレッシブになったよなー」

 その原因が自分にあることなど露とも思わない横島。
 急所に一撃を入れられたということで、流石の横島も回復には時間がかかっていた。
 まだまだ足許がおぼつかなかったが、よろけながらも横島は教室のドアに手を掛ける。
 戸を開いた直後に、中から人が飛び出してきた。

「きゃっ」

 彼女は横島に体をぶつけ、バランスを失い、その場でよろけてしまう。
 転倒する寸前で、さっと横島が手を伸ばし、彼女の腕を掴んでそのまま支えた。

「え?」

 女生徒は、不思議そうな表情を浮かべ、横島の顔を見上げる。
 横島の動作に不自然なところはない。
 別段セクハラを働こうとも、普段通り奇行に走る様子すらない。
 しかし、ぶつかった生徒はとても不思議そうな表情を浮かべていた。
 まるでぶつかっていること事態が、ありえないことであるかのように。

 実際、ぶつかっていること事態がありえないことだった。
 なぜなら、彼女は幽霊なのだから。

 幽霊である身は、壁であろうが人間であろうがほとんどのものを通過してしまう。
 ぶつかるだけならば、ひょっとしたらあるかもしれないが、幽霊の動きを察して、逆に掴み上げてくることなどありえない。
 彼女が、今、肘あたりに感じているそれは、死してから一度も感じていなかった懐かしい、人のぬくもりだった。

「あ、あの……」

 この人ならば自分の存在に気付いてくれるかも、と彼女は勇気を出して声を掛けようとした。
 しかし、それは適わなかった。

 幽霊の女生徒に寄りかかられていた横島は、ゆっくりと後ろに傾き、最後にはばたんと倒れてしまった。

「へ? へ……?」

 まさか自分が、と思ったけれど、横島の額からはぷしゅうと音を立てて、煙が上がっている。
 一体何が起こったのか、ふと後ろを見てみると、龍宮が、手にした拳銃を頬に当てながら渋い表情を浮かべていた。

「え、エアガンだ……死んではいないだろう……」

 彼女が持っていると本当にエアガンなのかどうか疑わしい結構謎なエアガンだが、撃たれた横島はちゃんと生きていた。





「えーっと、俺が小動……じゃなかった……ネギの知り合いの霊能力者です」

 額に大きな絆創膏を貼った横島が、ようやく平静を取り戻した生徒達の前で自己紹介を始めた。
 龍宮と刹那は視線を合わせようとしていないが、他の生徒達は概ね興味深げに横島を見つめている。
 女子三人寄れば姦しいという言葉があるが、ここにいるのは三人どころではない。
 当然のことながら、あちらこちらでざわざわとおしゃべりがなされ、非常に騒がしい。

 おしゃべりの内容は専ら横島のことだった。
 『なんか若いし、霊能力者というにはなんか俗っぽい』というのが主流。
 『ネギ先生の知り合いだって聞いたから、美形の外人さんだと思ってたのにー』というのが次点。
 どちらにせよ、横島にはほっといてくれ、と言いたくなるような内容である。

 女性には目がない横島とて、流石にこの小鳥の囀りには少し辟易していた。

「で、早速本題に入るんだが……まあ、問題はないぞ。
 ただの地縛霊だし、力も悪意もさしてない。
 人に害を及ぼすようなことはしないと思うから、安全だ」

 横島はさらりと言ってのけたが、生徒達は息を飲んだ。
 様々な怪奇現象を目の前にしたとはいえ、幽霊がいるかどうかなど半信半疑だったのだ。
 壁に浮かび上がった落書きも、浮遊する机と椅子も、幽霊の仕業ではないなんらかの理由があった、と考えている人もいた。

「そ、それってやっぱり、幽霊はいるってコトなんですか?」

 一人の生徒が、手を上げて立ち上がり、横島に言った。
 横島は、幽霊という存在は現実に存在している、という世界に住んでいた。
 この世界の一般人のように、幽霊を畏怖の対象とする価値観はいまいち理解できないもの。
 せいぜい、悪霊は害虫のようなもの、くらいの見方しか出来ない横島に、彼女らの気持ちはわからなかった。

「ん、まあ、今、俺に向かって自己紹介してる」

 生徒達には見えていないし声も聞いていないが、幽霊――相川さよは、頭を何度も下げて横島に話しかけていた。
 横島は、さよにとって自分が幽霊になってから、初めて自分の存在に気付いてくれた人である。
 積極的にコンタクトをとり、出来れば今後も友人としてのお付き合いをしたいと思っていたのだ。

「安全って言うけど、さっき椅子やテーブルが飛んだり、五回殺すって血文字が出たりしたよー?」

 クラスの女子が突然手を挙げたまま起立し、声を上げた。
 実際、どう見てもポルターガイストとしか思えない現象が起きている。
 椅子付きのテーブルが宙を舞い、それが頭に直撃したら……無傷で済むわけがなかった。

「えーっと、なんか誤解されているからどうにかしようとしたら……あんなことをしてしまった?
 いや、悪意はないんだけど、ちょっとお脳方面が弱いみたいだな。
 まあ、幽霊を長くやり続けて自我が壊れちゃって、思考能力が低下するのもままあることだし。
 五回殺すってのも、『誤解です』。誤解してる、って言いたかったんだって」

 正直、横島は罰悪さを感じていた。
 どう考えても苦しすぎる言い訳。
 目の前の幽霊が嘘を言っているようには見えず、実際間が悪く、言っているとおりに何がなんだかわからないうちに騒動を大きくしてしまったのだろうと考えることはできた。
 しかし、その尻ぬぐいを自分でやるのはどこか納得がいかない。
 やっぱり見かけたら速攻で祓っておけばよかったか、などと後悔してみても、もう既に遅い。

 ついでに、さよは「おつむが弱い」と言われ、頬を膨らませて不満を露わにしていたが、それは生徒達には見えておらず、横島も敢えて無視していた。

「まあ、つまり、毎朝誰かがコップ一杯の水とお線香をお供えすればもう何にもしないって……え? 違う?
 友達? 友達が欲しいのか。
 気持ちはわからんでもないが、ろくすっぽ姿が見えない状態で友達ってもな。
 ここはコップ一杯の水とお線香でなんとか我慢をしてくれよ」

 相坂さよは無理を承知で横島を拝み倒した。
 死んでから既に六十余年。
 今までたった一人で麻帆良学園の自縛霊をやってきて、ずっと一人ぼっちだった。
 そんな彼女が望むものは、友達。
 出来れば、同じクラスの友人が欲しかったのだ。

『お願いします! もう頼れる人はあなたしかいないんです!』
「まあ、そらそーだろうけどなあ……その状態で俺にどーしろと?」

 横島はうーん、と唸って考え込んだ。
 幽霊といえど、かわいい女の子に必死で頭を下げられるとやはり少し何か力になってあげたい、という気持ちになってくる。
 が、しかし、あまりやりすぎると、翌日学園長が肩をぽんぽんと叩いてきて「君、オコジョな」と言われるかもしれない。
 肉体のない女の子に、そこまでのリスクを背負っていいものなのか、迷っていた。

 ふと他の生徒達の方を見てみると、大多数が興味深げに横島を見つめていた。
 一体これから何が起こるのか、そういったことを期待している瞳が、何個もキラキラと輝いている。

 中学生といえど女の子に期待されているのだからこれは応えねばなるまい、と横島はすぐさま頭の中からタコ頭の老人を追い出した。

「じゃ、ほんの少しだけ姿を見せれられるようにしてやる。
 その際に、自分で頼むっつー妥協案でどうよ?
 それ以降は、もうお線香とコップ一杯の水で我慢してくれ。
 今ならお線香を一束とガラスのコップは俺のポケットマネーから出してやろう」
『え……』

 さよは突然の提案にためらいを見せた。
 『姿を見せられるようにしてやる』ということが、いまいちピンと来なかったが、それでも一歩勝ち得た結果だ。
 どう考えても無理な要求を、妥協という形でも呑んでくれた横島の好意を感じていた。

『は、はい、それじゃあそれで、お、お願いします』
「ん……」

 さよは深々と頭を下げた。

 早速横島はさよを実体化させるため、文珠を一つ取り出した。
 流石にこれをおおっぴらに見せることはしたくなかったため、教卓の裏側で、生徒達から見えないように作業する。
 文珠を取り出したまではいいものの、何という文字を篭めればいいのか横島は考えた。

 文珠があれば大抵のことは実現できるが、幽霊を実体化させるという試みは初めてである。

「んー……『現』かな? いや、もっと他の文字も……。
 どうだろう? 『視』もなんかちょっとな、第三者が『視』ることができる、っていう解釈はならんだろうし」

 悩みに悩んだあげく、横島は携帯電話を取り出した。
 学園長から連絡用に、と渡された物だ。
 そんなブルジョワジーなものを、最初の頃こそと珍しがっていたが、仕事で嫌でも使うようになり、すっかり慣れてしまった。
 着信履歴から辿って、とある場所へと連絡をとる。

『はいはいー、サンジュウロクメちゃんよー。
 横島さん、何の用? ようやく私の出番が来たのよねッ!?』

 ものすごい勢いで捲し立てるサンジュウロクメに横島は苦笑を浮かべた。
 小声で今までの事情を説明し、文珠に入れる文字が何かよいかを尋ねる。

『なーんだ、そんなこと……そうねえ、『顕』がいいわ。どう書くのかテレパシーでイメージを送信するから』
「ん、わかった……たまには役に立つんだな、お前も」
『一応神族なんだから、もっと重要なコトを頼んで欲しいのねー』
「はいはい、じゃ……」

 通話を切り、携帯を折りたたんでポケットの中に入れる。
 少し間を置いてから、サンジュウロクメの言うとおり、テレパシーが送られてきた。
 最初はぼんやりと、しかし次第に段々とはっきり『顕』という文字が頭の中に浮かび上がる。

「なるほどなー……」

 そのイメージをそのまま文珠に流し込む。
 人差し指と親指で摘んでいたビー玉大の球体に、ぼんやりと文字が浮かび、次の瞬間光を放つ。

 カメラのフラッシュのような強烈な光が、数秒間教室の前半部を照らす。
 生徒達は、大半が驚いて悲鳴を上げた。

 光が消え、強烈な光のせいで目が眩んだ生徒達が、今の明るさに慣れていくと、そこには少女が立っていた。
 白い髪、古い型の制服……何にも増して、全身が半透明で、足が無い。

「……」

 クラスは沈黙に包まれる。
 さよは、あたりをせわしなく見回して、不安そうな表情を浮かべていた。
 自分自身がどうなっているのか、いまいちよくわかっていなさそうで、最終的には困ったように横島を見上げる。

「か、かわいーッ!」

 変人を集めたといわれている、3−Aのクラスの生徒達は、その通り実際に幽霊を目の当たりにしても物怖じしなかった。
 先ほどまで、幽霊だ何だと騒いでいたものの、実体化して目に見え、しかもかわいい子となるとさして気にならないらしい。
 クラスの大部分がわっと教卓に集まり、さよを取り巻いて、わいわいがやがや騒いでいる。

 横島はそれに押し出されるように、輪から外れた。

「横島お兄ちゃん、ありがとうございます」
「何、別に大したことはやってないよ。文珠を一個使っただけでさ」

 文珠一つでも、十分貴重で、あるかないかで生死を分けたりするのだが……それでも横島は特に気にした様子でもなかった。
 最近は文珠を使うほどの仕事がないために、ストックは結構多く蓄えられていたし、それに、横島はこれはこれで適切な使い方をしたなー、と思っていたからだった。

 生徒に群がられ、注目を浴びているさよは、少々戸惑っているようだったが、それでもとても幸せそうな表情をしている。

「さてと、俺はもう帰るわ。後の説明とか、そーゆー細々したことは、ネギ、よろしくな」

 そういった横島は、背の低いネギに対して下にしていた頭を上に戻した。
 ドアを開き、そのまま出て行こうとしたそのときに、横島は見てはいけないものを見てしまった。
 咄嗟に振り向いて、例の物がある方向へと目を向ける。
 一応、見間違え、という微かな可能性を信じて、目をよく擦って、瞼を大きく広げ、見た。

 そこには、ライムグリーンという飛び抜けた色の髪をした、メカメカしい子と、金髪でどう見ても幼女な子が立っていた。
 メカメカしい子は無表情で、それと対照的にどう見ても幼女はにやにやと邪な笑みを浮かべている。
 両方とも、視線はまっすぐ横島の方へと向いている。

「う……あ、あ……」

 そういえば横島は忘れていた。
 ネギのクラスには、横島の天敵がいたことを。
 横島がこの世界に来た初日、たまたま歩いていた橋の上に突然現れ、急に襲ってきた……
 修学旅行時に、もう既に封印作業が終了したリョウメンスクナごと氷漬けにした、あの悪魔が。

 『闇の福音』が。

 横島の脳裏に当時の状況が鮮明に蘇る。
 羽交い締めにされ、向けられたビームの出る手。
 リョウメンスクナを再封印した後、巨大な結界の外側の空に浮かぶ金髪の髪。
 まるで猫がネズミをいたぶるかのような、表情。
 無造作に集めた写真をめくるように、1シーン1シーンが横島の記憶が蘇る。
 それら全てが恐怖の映像で……その中で極めつけであるものが最後にやってきた。
 厳密には、直接エヴァンジェリンの関わった記憶ではない。
 しかし、エヴァンジェリンを見たことがきっかけで、心を守るための封印が解かれてしまった。

 白い布団、眩い朝日、そして傍らにいる、裸のネギと、裸の……近衛詠春。

「う、う、うわああああああ!! で、出たぁあああああああ!!!」

 横島は恥を気にせずに、教室を飛び出した。
 数百メートル先にも届くような大声で叫びながら、とにかく走った。
 何もかも見えていないかのように、ただひたすら走りに走った。
 あの、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルから逃げるために。
 忌まわしき記憶から逃げるために。

 横島が絶叫して逃げていった後の教室では、生徒達が恐慌を来たし、ネギの制止も虚しく、大騒動になったのは言うまでもない。







 ちなみに、どこへともなく走っていった横島は……街の外の公園の茂みの中に隠れていた。
 体育座りで『幼女は嫌だ、男はもっと嫌だ』とぶつぶつ呟き続けていた。
 相当根の深いトラウマを抱え込んでいるように見え、すぐさま保護したのだが、次の日には綺麗さっぱり何もかも忘れていたらしい。