第3話

「と、いうわけで修学旅行中、関西呪術協会からの妨害に対抗する補佐として、横島君についていってもらうことになったのじゃ」

 学園長室へと喚ばれた横島とネギは、正式に任務を共にすることを学園長から伝えられた。

「尚、横島君はちょっとした特殊な事情があってのう、この世界に疎いのじゃ。
 いや、スペシャリストであることは確かなんじゃが、一般常識というものに慣れていないというかなんとゆーか。
 まあ、ネギ君、君は横島君に助けて貰い、また同時に横島君を助けてやって欲しい」
「はい! わかりました、学園長先生!」

 元気一杯で答える子ども先生。
 生き別れた父親の手がかりが京都にあることを知り、数日前から興奮して寝付けないほどこの修学旅行をとても楽しみにしているのだ。
 横島はそんなネギを微笑ましく思いながら、握手をしようと手を差し出した。

「よろしくな、タマ」
「だからネギですって!」

 男の名前を覚えるのはいまいち苦手な横島であった。
 名前の訂正は入れたものの、ネギは嬉々として横島の握手に応じる。
 今のネギは修学旅行に行けるうれしさに、名前を間違えられたことに腹も立たなかった。

「ときに、少し聞きたいことがあるんだが、いいか? ボウズ」
「はい、いいですよ」
「君にお姉さん、もしくは若くて美しいお母さんはいるかね?」
「お母さんはいませんけど、お姉ちゃんならいます」

 横島は眉をぴくりと動かした。

「写真か何か持ってるか?」
「え、あ、はい……」

 ネギは懐から姉の写真をとりだした。
 横島は被写体の女性をじっくりと見定める。

 ネカネ・スプリングフィールド。
 ネギの姉であり、両親共にいないネギにとっての実質的な保護者である。
 容姿端麗で、年齢も横島の守備範囲内に収まっていた。

「……ふっ、ふふふ……はははッ! おい、タマ、今日から俺のことをお義兄さんと呼びなさい」
「だ、だから、タマじゃなくて……ってお、お兄さん!?」
「お義兄ちゃんでもいいぞ! 困ったことがあったら俺にドーンと頼れ。
 で、この美しい人はどこにいるんだ!? お前の家か?」
「え、えっと、ウェールズに……」
「うえるず? どこだ、そこ?」
「グレートブリテン島です」
「へ?」

 横島は呆気にとられた表情を浮かべた。
 きっかり五秒経つと、顔に影がさし、すたすたと部屋の窓のところに行った。

「あ、あの、ど、どうしたんですか? お、お兄ちゃん」

 ネギの呼びかけにも答えず、無言で窓を開け、大きな深呼吸をした。
 吸って、吐いて、もう一度胸一杯空気を吸って、横島は全力で吼えた。

「どうせこんなオチだと思ったよ、コンチクショーッ!!」

 学園長室には盗聴を防ぐ特殊な結界が張っており、横島の魂の叫びは外へと届かない。
 しかし、結界の中では、机の上の茶碗が微かに揺れるほどうるさかった。
 びっくりしてネギとカモと学園長は耳を塞ぐ。

 横島が叫び終わると、その場でよよよと崩れ落ち、涙にくれた。

「あの、横島、お、お兄ちゃんは一体?」
「ネギ先生は気にせんでええ。ちょっとした病気のようなモンじゃ」
「はあ……」

 ネギが呆気にとられ、学園長は茶をすすり、横島が涙をくれる。
 部外者が見たら、何か得体の知れない事態に陥っていると勘違いすること間違いなしの光景だった。

 ただ一人、否、一匹、柱にもたれかかってめそめそ泣いている横島を見て、釣られて男泣きをしている小動物がいた。

「あ、兄さん……やっぱりあんたは俺が見込んだ漢だぁッ」

 ケット・シーと並ぶ由緒正しいオコジョ妖精のアルベール・カモミールは、どこか横島に仲間意識を感じていた。





 その夜、ネギは明日に迫った修学旅行の準備をしていた。
 実に楽しそうに準備をして、リズムよく鼻歌を混じらせて、作業をしている。

「あんた本当に楽しそうね〜」

 ネギと同室で生活をしているアスナが、うきうきしているネギに声をかけた。
 自身も荷物をかばんに詰め込んで、からかうように頭を撫でた。

「え、えへへ、だって五日間ですよ! 五日間も日本の古都、京都・奈良にいけるなんて、なんて素晴らしいんだー」

 幸せに満ち満ちた顔をするネギを見て、アスナは、ネギはまだまだ子どもね、と思った。
 微笑ましい光景を前に、アスナは溜息をつく。

 ネギは作業を続けようとしたとき、ふと横島のことをアスナに言い忘れていたことに気が付いた。

「あ、そうだアスナさん。修学旅行には、よ、横島お兄ちゃんが一緒についてきますから」
「横島お兄ちゃん?」

 アスナの聞いたことのない名前で、アスナは首をかしげた。

「エヴァンジェリンさんを、橋から飛び出して助けてくれたあの人ですよ」
「ああ、あの、バンダナの人ね……って、あの人あんたの兄弟なの?」
「いえ、本当のお兄ちゃんじゃなくて、横島お兄ちゃんがお兄ちゃんって呼べって言ったんです」
「へ?」

 ベッドの上で寝っ転がっていたアルベール・カモミールが横島の名に反応し、二人の間に入っていった。
 同じ部屋で生活している木乃香が不在だということを確認すると、人間の言葉を話した。

「あの兄さんはな、ネギの兄貴の家族のことを聞いたんでぇ。
 母親はいない、唯一保護者といえるネギ兄貴の姉さんは遙か彼方遠くの地……。
 しっかりしてたって兄貴はまだ十歳だ。
 生活様式が全く違う外国で寂しかろうと、兄さんは「俺のことを兄ちゃんと呼べ、悩み事があったら俺に頼れ」って言ったんでさ」

 もちろん、横島はネギの美人の姉と結婚し、義兄になるぞ、という意味で言ったのだが、カモとネギは見事に誤解していた。

「あの兄さんは本当の漢の中の漢だよ……。
 ネギ兄貴の境遇を知るやいなや、窓を開け放って絶叫したんだからな」

 カモはシガレットを吸って、溜息と共に煙を吐いた。
 あの叫びにはそんな意味があったのか、とネギが誤解し、なんていい人なんだ、と目を潤ませた。
 その現場に居合わせていなかったアスナは、半信半疑になりつつも、ぽつりと呟いた。

「へ、へえ……いい人なのね。ちょっと変わってるけど」

 ネギはアスナの言葉に反応し、顔を上げた。

「ちょっと変わってますよね! あれが日本の男性のスタンダードじゃありませんよね!」
「えっ、そ、そっちに反応すんの、あんた?」
「い、いや、確かにいい人だとは思うんですけど、やっぱり僕の目から見てもちょっと変わってるなー、って思ってたんです。
 アスナさんがそういうんなら、間違いないですよね」
「う、うーん……あんたがあの人にどういう評価を持っているのか、いまいちわからなくなってきたわ……」

 やっぱり変なんだー、と嬉々として鼻歌を歌いつつ、修学旅行の準備を再開するネギを見て、アスナは複雑な気持ちになった。

 アスナ自身でも横島に興味がないといえば嘘となる。
 もちろん恋愛対象としての興味ではない。
 横島は親父趣味のアスナにとって、まだ年齢が低すぎていた。
 互いに恋愛対象として見るには年齢が低すぎるというのもまた変なものなのだが。

 出会いはショッキングな形で、シリアスの場面を茶化した。
 パクティオーするときには血涙を流し、緊張した空気をごちゃごちゃにした。
 しかし、それが結果的にエヴァンジェリンと茶々丸という二人のクラスメイトと本気で敵対することなく、事態を終結させることとなる。

 昨日、街で会ったときには、何故か道の中でしゃがみ込んで、草をぶちぶち毟っていた。
 ぶつかる前には聞き取れなかったが何かを呟いていたようだった。
 どちらにせよ、普通じゃないわね、とアスナは思う。
 ネギの話を聞けば、確かに悪い人ではなさそうだった。
 昨日も、最初は変だったが、それ以外には特に変わったところもないただの普通の高校生くらいの男性に見えた。

 話によると彼もまた、魔法使い……いやゴーストスイーパーらしいけど……。
 アスナはそこまで考えて、ふと、ネギの服の中からころころと転がり落ちる珠を見つけた。

「あ、ネギ、なんか落としたわよ」
「え?」

 ネギが足下に目を向け、懐にしまっておいた横島から貰った珠を落としていることに気が付いた。
 カモが細長い体でネギの足の間をすり抜け、床に転がる珠を拾い上げる。

「こ、これは、兄さんから貰ったモンッスね。それにしてもなんなんスかね、コレ」
「そういえばすっかり忘れてた。確か横島、お、お兄ちゃんはこれが僕を守ってくれるって言ってたけど」

 ネギはカモから珠を受け取り、まじまじと観察した。

「なんだろう、これ。魔法の匂いが全然しない……材質も何かわからないし」
「なんか中に文字が入ってるわね。……?」
「これは『護』って言うんですよ。守るって意味です、アスナさん」
「し、知ってるわよ! た、ただちょっとど忘れしてただけで!」
「い、いひゃいです、あ、アシュなさん……」

 バカレンジャーのバカレッドことアスナ。
 外国生まれで年下のネギに、自分が読めなかった漢字を読まれ、悔しまぎれにネギの頬をつねった。

 お約束のやりとりをしている間にマジックアイテムに比較的広い知識を持つカモが推論を出した。

「文字通り『お護り』ってモンじゃねえッスかね、これ。
 日本に災厄よけのアイテムとして、お守りっていうのがあるじゃないッスか。
 持っているだけで、なんらかの運気がアップするマジックアイテムかも知れませんぜ」
「でも魔法の匂いはしないよ? 本当、信じられないほど魔力が感じられない……普通の物体とも違うのはわかるんだけど」
「チッチッ、ちょっと見ててください、兄貴」

 カモはネギの手から文珠を取ると、それを床に転がした。

「……あっ! も、文字がずっとこっちに向いてる!」
「そうでさ。この珠、どの角度から見ても字が同じように見えるんス。
 魔法の匂いはしなくとも、これは絶対マジックアイテムッスよ。
 けど、魔法を用いていないマジックアイテムを持ってるなんて、兄さんは一体何者なんでしょうねえ?
 ゴーストスイーパーって単語をまほネットで検索してみたんスけど、それらしいのは見つからなかったッス。
 兄さんは結構メジャーな職業っぽくに言ってたのに、かすりもしやせんでした」

 アスナとネギとカモは、二人と一匹、うーんと唸って考えた。
 いくら考えても、横島の正体を突き止められるわけがない。
 魔法ありのこの世界でも、異世界からやってきた人間なぞ想像もつかない存在なのだから。

「魔法使いでも気の使い手でもない異能力者……っていうのはわかるんスけど」
「あといい人?」
「ちょっと変わってもいるわね」
「それだけじゃ、兄さんの正体がわからないのも一緒ッスね。
 まあ、とにかく、明日に備えて今日は早く寝ましょうぜ、兄貴、姐さん」
「そうだね、カモ君」

 ネギは時計を見て時刻を確かめると、大きなあくびをした。
 ここ数日、興奮で寝付けずにいたため、今日は眠れそうな気がした。
 また朝方になると起床時間よりもずっと早く起きてしまうだろう、と予想でき、ネギはなるべく多くの睡眠を取るために、今日は早めにベッドに入ることにした。




 一方、横島の方はというと……。

「くっ、くくく……京都、京都かあ! きっと向こうには和服美人がぎょうさんおるんやろうなー!
 ちゃっちゃと仕事を終えたら残り時間はナンパし放題! よっしゃ! やったるでぇえええええ!」

 部屋でにやけながら吼えていた。




 修学旅行初日。

 まだ住んでから数日しか経っていないのに物が散乱している部屋の中で、もっそりと下着姿の横島が体を起こした。
 髪がぼさぼさになった頭を掻きながら、うー、と唸って、目覚まし時計をのぞき見る。

「あ、ね、寝坊してしもたーッ!」

 お約束通り、予定起床時間から大幅に遅れた時間に目が覚めた。
 それもそのはず、京都で和服美人を口説くための台詞を、夜の三時過ぎまで熱心に考えていたのだ。
 あまりに興奮するあまり眠れず、それでは和服美人と過ごす夜に差し支えが出ると文珠『眠』を使ったのが運の尽き。
 目覚まし時計が起きろ起きろと泣こうが喚こうが、決して横島は起きなかったのだ。

 部屋の中に台風が起きたかのように、あらゆるものが飛び散る。
 横島は、意図せずにズボンと上着と靴下を同時に着るという人間離れした技を見せた。
 焼いていない食パンに苺ジャムを塗り、口にくわえて、玄関を飛び出す。
 身だしなみは最悪で、髪はぼさぼさ、衣服はだらしなく、パンは食べながら走っていく。

「マズイ、マズイぞぉッ!
 新幹線に乗り遅れたら学園長に何を言われるか……。
 いや、そんなことより下手をしたら和服美人の鏡子さんと過ごすことができなくなってまう!」

 鏡子とは、極めて都合のいい展開が続く横島煩悩シミュレーター(つまり横島の脳)が作り出した架空の女性である。
 とことん男に都合のいい美女で、非常に恥ずかしがり屋であり、しかしベッドの上では大胆という特徴を持っている。

「鏡子さーんッ! 待っててくださいねーッ!」

 街の中を疾駆する横島。
 まだ寝起きで完全に脳が起きておらず、妄想と現実の差に気付いていない。

「なっ! なんでこんな時にッ!」

 駅までの道の間の道路で、事故が起きていた。
 酔っぱらい運転のトラックが横転し、完全に道を塞いでいる。

「クソッ! 時間がないっちゅうに!
 し、しかし! 俺は負けんぞ! 京都に鏡子さんがいる限りーっ!」

 通れない以上他のルートを通らなければならない。
 もちろんその分時間が多くロスし、それを補うためには更に速く走らなければならない。
 それでも横島は走り続ける。

「ああッ! 牛を運搬していたトラックが横転して、牛が道路を塞いでいるッ!」
「ま、またかーッ!」

 モウモウと大量の牛が道路を封鎖し、回り道をしなければ……。

「鏡子さーんッ! 待っててくださいよーッ! 今、白馬の王子がいきますからねーッ!」
「ああッ! 象を運搬していたトラックが横転して……」
「もうええわ、ボケーッ!!!」

 それでも横島は走り続けた。
 果て無き煩悩に突き動かされ、愛する鏡子さんとの夜のために。

「ま……間に……あ、った……」

 横島は全力で走り続け、閉じようとしていた新幹線のドアに滑りこむことに成功した。
 酷使しすぎてもはや感覚がなくなりかけている足を動かし、指定されていた席へと座り込む

 ようやく一段落したときに、「鏡子」さんが実は現実に存在しない女性と気づいてしまった。
 今まで人間を越えたスピードで長距離を走り続けた横島。
 とっくに限界が来ているのに、それでも間に合ったのは、京都の和服美人、鏡子さんのため。
 寝起きの上に興奮して、想像の産物であるそれが、あたかも実在しているのかと思いこんでしまっていた。

 新幹線のゆったりした座席に座り、ストレスから解放されたと同時に、鏡子さんの幻影は消え去った。

「きょ、鏡子さ……ん……」

 妄想の女性が消え去り、灰になる横島。

 横島はネギが担任する3−Aクラスの乗る一両前の車両の一般席に座っていた。
 事前に横島の座る席を知らされていたネギは、生徒が全て座ったことを確認すると、横島の元へ来た。

 生気の欠片も見えなくなった横島を一目見て、ネギは驚いた。
 とまどいながらも横島に挨拶をした。

「おはようございます、横島、お、お兄ちゃん……」
「お、おぅ……ネギか……」

 まだネギはお兄ちゃんと呼ぶことに慣れていないのか、横島が真っ白な顔をしているにも関わらず、照れて顔を赤らめた。
 横島はネギのことに気が付くと、精力を無くした腕をよろよろと上げて、口を開いた。

「なあ、ネギ……鏡子さんは……鏡子さんはきっといるよなあ?」
「え? きょ、鏡子さん、ですか?」
「いるよなあ!」

 ネギは険しい剣幕に押され、思わず意味もわからないまま頷いた。
 横島はネギの返事に満足そうに笑うと、ネギに向かって礼を言った。

 ネギは出発早々奇行を演じる横島に、一抹の不安を抱かずにはいられないのだった。




 新幹線が出発して十分ほど竜子路には、横島の心の傷は完全にふさがっていた。
 ありもしない想像が消えたことで傷つくような横島だが、本当は実にポジティブで単純な思考回路を持っている。
 この世界にいる美女は何も鏡子さんだけではない。
 新たなる恋人を探せばいいのだ、という結論に達し、早速行動を開始し始めた。

「あ、売り子のおねーさん! 僕と一緒に愛を語らいませんか? お美しいあなたに素敵な一時を提供しますよ」

 横島は気を取り直して新幹線の売り子をナンパしはじめた。
 売り子は黒い髪の長い、京都のなまりのある話し方をする女性だ。
 このところ、とびっきりの美形が何故か中学生ばかりという展開に寂しく思っていたため、それなりの美人を相手に張り切っている。

「仕事ですから……そういうのはちょっと……すんまへんなあ」

 しかし、すげなく断られる。
 いつもはがんがん責める横島だったが、困った様子で断られるとそれ以上強くでることはできない。

 残念に思いつつ、自分の席に戻ろうとしたそのとき。
 新幹線の車両と車両を繋ぐドアがほんの少し開き、その間から何かをくわえたツバメが飛んできた。

「あたっ!」

 ツバメは横島の額に当たった。
 当たると同時に、ツバメはぽんと空気が抜けるような音を立て、紙切れに変化する。

 ツバメに遅れてネギが車両に入ってきた。
 横島に向かってまっすぐに杖を構え、呪文を唱えている。

「お、おわっ! な、何すんだ! ネギ!」
「あっ、す、すいません! 親書を奪われて……」

 ネギは横島の足下に落ちている親書を見つけた。
 親書の傍らには、頭がくしゃりと潰れた鳥の型紙が落ちている。

「よ、横島お兄ちゃんが捕まえてくれたんですか?」
「いや、ここに立ってたら、いきなり突っ込んでぶつかって落ちただけだ」
「ありがとうございます。助かりました! よかった……」

 ネギは親書を拾い、大切に服の内ポケットに入れた。
 ネギの肩に乗っていたカモが、ぴょんと飛び出す。

「横島の兄さん、早速関西呪術協会の妨害が来ましたぜ。
 あいつら、相手が堅気だろうと気にしてねーみたいで……」
「一般人に魔法がばれたらオコジョにされるんじゃないのか? 何をされた?」
「食べ物や飲み物がぜーんぶカエルになっちまったんス」
「……は?」

 カモの言葉通り、ネギがいた車両で突如飲み物や食べ物がカエルに変化していた。
 女教師のしずなはカエルを見て気絶し、女子だらけの車両はパニックが起きていた。
 幸い、カエルが平気な女子によって全てカエルは捕獲され、これ以上騒動が広がるようなことはなかったが、そのとき親書をツバメにかすめ取られてしまったのだ。
 ネギはすぐさまツバメを追跡し、結果、今に至る。

「こらまたなんつー変な妨害なんだ……」

 確かに変な妨害だったが、親書をネギからかすめ取るということは成功している。
 幸いにして、親書を盗んだツバメの式神は横島に追突し、なんとか取り戻すことはできた。
 もし横島にツバメがぶつかっていなければ、どうなっていたことか想像に難くない。

「とにかく、カタギを巻き込むゲスな野郎が相手ッスから、これから慎重にいかないとマズイッスね」
「そうだね、カモ君」

 ネギは親書を大切そうに懐にしまうと、元の車両へと戻ろうとする。
 そのとき反対側のドアから、一人の女子生徒が姿を見せた。

「あ、桜咲さん」

 髪を横に束ね、竹刀と思しき長いものを布にくるんで常に持ち歩いている。
 彼女はネギが担任するクラスの生徒だった。
 桜咲刹那という名前で、京都神鳴流の使い手である。

 カモは刹那を抜け目なく見た。
 カエル騒動のときに車両におらず、親書を奪ったツバメがいる先にいた。
 ただの偶然という可能性も考えられたが、カモは些細なことでも疑いの目を背けたりしない。

「気をつけた方がいいですよ、先生。特に、向こうに着いてからはね……」

 意味深な言葉を残し、ネギを置いて席のある車両へと戻ってゆく刹那。
 ドアが閉まると、すかさずカモはネギに耳打ちした。
 飽くまで推測の域を出ないが、状況から鑑みて、刹那が関西呪術協会である可能性が高い、と。

「ええっ、そんな、刹那さんが僕達の敵……?」
「まだ断言はできねえが、そうである可能性は高いな。兄さんはどう思いやすか?」
「え? 俺?」

 まさか話を振られるかと思っていなかった横島はどう答えたものか、と考えた。
 咄嗟に気の利いた答えが出てくるほど、横島の頭は出来ていない。
 とりあえず、刹那を見て受けた印象を言ってみることにした。

「あの子は……かわいそうな子だと思うぞ」
「かわいそう? あいつは敵かも知れないんですぜ、兄さん」
「敵とか味方とか、そういう問題じゃなくてかわいそうだと思う。
 生まればっかりは誰のせいでもないし、誰にもどうにもできないんだ。
 俺にも……同じような悲しみを何度も何度も味わってきてるからな、よくわかる」
「は、はあ……」

 いまいち横島の言葉を理解できないネギとカモ。
 そこへ、ネギの生徒がやってきた。

「あ……すいません、僕もう戻らなきゃ……」

 しずなが気絶してしまった以上、ネギは事態を収拾しなければならなかった。
 横島はネギのクラスの生徒達とは一部を除いて知り合っていない。
 グズグズして親しげに話をしているところを見られてはマズイので、ネギはすぐさま元の車両へと戻った。

 横島はネギを見送った後、大人しく自分の席に座った。

「しかし、あの刹那って子……」

 目を閉じる。
 瞼の裏に、刹那の姿が見えるようだった。

「胸が薄いッ! 中学三年生には見えないほど薄い!
 きりりとした凛々しい顔、血管が透けて見えそうなほど白い肌。低い背も見ようによってはいいモンだ。
 が、しかし、絶望的なほど胸が薄い!
 あれじゃいくら年を重ねても、大して胸が大きくはならないだろう。
 あれほどいい素材をしているのに、胸がないということだけで、この俺が一瞬とはいえ少年に見間違えたとは……。
 なんともまあ不幸なことと言うべきか。
 胸が小さい遺伝子を受け継いでしまったんだろうなあ、とってもかわいそうな女の子だ……。
 俺もわかるぞ、その悲しみはッ!
 なんで美形の遺伝子を受け継がなかったのか、と何度布団の中で泣きあかしたことかッ!」

 売り子もいつの間にかいなくなってしまい、残りの時間は事件が起こるまでただ待っているだけになってしまった。
 横島は暇をもてあまし、刹那の胸の薄さの悲しさをずっと一人で語り続けたのだった。




 一行はカエル事件以降特に事件に遭うようなことはなく、無事に京都に到着した。
 事前の打ち合わせ通り、横島は少し離れたところでネギを追う。
 一応職業意識というものを横島も持っていたために、和服美人が通りかかっても、仕事は終わるまではナンパをしない、ということで泣く泣くついていった。

 横島が学園長に命じられた仕事はネギが親書を届けるための補佐。
 それ以上のことは指示をされていないし、許可もされていない。
 緊急時には臨機応変に対応することを望まれるが、例えばネギではなくネギの生徒が魔法関連のトラブルに巻き込まれたときに助けることはできない。
 妨害をしてくる魔法使いも一般人に危害を加えるようなことはしないと予測され、それなのに変に助けてしまったら、厄介なことになりかねない。

 この仕事において横島の役割はいわばネギの影だ。
 平時は敵はもちろんのこと、生徒にネギとの関わりを悟られてはいけない。

 横島の知った顔の子が、恋占いの石付近にある落とし穴に落ちても、助けに出ることはできなかった。

「いやがらせにしてはせこいな」

 黒いサングラスにマスクに帽子。
 自らを周囲に不審者であることアピールするかのような怪しい格好だった。
 一般の観光客達は横島から半歩離れて歩いている。
 影どころか目立ちまくっているが、横島はそれに気付かない。

 結局、音羽の滝に酒を流すなどの嫌がらせは受けたが、ネギ本人に対する妨害行為がなかったために手出しは出さなかった。




 清水寺の見学が終わると麻帆良学園3−Aはそのまま初日の宿泊場所へと向かった。
 横島もまた同じ場所に一般の観光客として泊まることになっている。
 生徒達の目につかないためにも、ネギと合流し、二日目の予定をまとめるのは夜の就寝時間を過ぎてから、一階のロビーですることに決めている。
 流石に教師としての職務をしている間にネギの後についていくことは出来ず、合流時間までは実質自由時間だった。

「しっかし、みんな中学生ばっかりやな〜……当たり前だけど」

 部屋に荷物を置いた後、やることがなかったので横島は一階のロビーへとやってきた。
 流石にホテルから出ることは出来ないために、ナンパはホテル内でやるしかないのだが、当然、目に付く女はみな中学生。
 中学生は、横島のストライクゾーンから外れている。

「風呂にでも入ってくるかな……」

 横島はいつも温泉や露天風呂というものの近くに来たら、必ずと言ってもいいほど女湯を覗いている。
 しかし、見る対象が女子中学生だけなので、それも出来ない。
 致し方なく普通に入浴しようと脱衣所に入り、服を脱ぐ。

「ひゃあああ〜ッ」

 ちょうど横島がトランクスとTシャツだけになったとき、絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえてきた。
 長年の習慣が体に染みついていたのか、咄嗟に横島は走り出す。
 合法的に女性用脱衣所に入るために!

「どうしました!? もう僕が来たから大丈夫何の心配もせず指示に従って……て、またか」

 女性用脱衣所にいたのは、横島の顔見知り……アスナと木乃香だった。
 両方とも横島のストライクゾーンから外れているために、しおしおとやる気がしぼんでいく。

 悲鳴の原因は猿だった。
 無数の小猿が二人の周りを取り囲み、服を脱がそうと跳んだり跳ねたりしている。
 猿、といっても、本当に猿ではなく、猿のような形をした何か、だ。
 体の細部がデフォルメされており、絵本か何かに描かれているポップな猿の絵が実体化したような感じである。

「た、助けてくださいッ!」

 アスナは必死に下着を脱がされまいと努力しながら、横島に助けを求めた。
 緊急時とはいえ男性に半裸を見られるのは恥ずかしいのか、顔は真っ赤に染まっている。

「おおっ、君は確かパン……」
「だーかーらー、そんな変な覚え方しないでください!」

 アスナは猿に取りつかれているにもかかわらず、いただけない呼称で呼ぼうとした横島にハイキックをかました。
 額にはさりげなく井桁マークが浮かんでいる。

「い、いいキックだ……このツッコミ、何故か懐かしい……」

 ボケっぱなし状態が続いた横島には、いい刺激であった。
 日頃ドツかれる生活だったために、殴られることのない最近は、どこか体がむずむずしていて気持ち悪かったのだ。
 どこか快感の混じった声を、やや恍惚な表情を浮かべて言った。

 横島の体質はさておき、アスナのハイキックに一匹の子猿が巻き込まれていた。
 ダメージを受けた小猿はそのまま猿の形に切られた紙に変化する。

「いてて……恐らく、低級の式神かなんかだろう。おキヌちゃんの学校で何度か似たようなのを見た記憶がある」

 蹴られた頬をさすりつつ横島は言った。
 アスナは一瞬感心した表情になったが、素早く人差し指を立てて口に当てた。

 つまり、魔法のことをここで言ってはいけない、ということ。
 ここにはアスナだけではなく、木乃香もおり、彼女はまだ魔法が実在することを知らないのだ。
 一瞬呆ける横島だったが、アスナが目で合図を送ったために悟る。

「こらまた面倒な……」

 横島は、手を叩くことで手のひらに微弱に纏わせた霊力を撒き散らす技、「サイキック猫だまし」を放つつもりだった。
 本来は相手の目鼻の先で使う、目くらまし用の技なのだが、少ない魔力で動いている低級の式神はそれで十分な予定だったのだ。

 しかし、それを使ってはいけないことになると面倒だった。
 退治すること自体はそれほど難しくはないが、すばしっこく動く小さなものを一匹一匹倒していくのは難しい作業なのだ。

「ハンズオブグローリー、ほんの少し!」

 右手に霊波を纏わせ、物質化して攻撃力を高める。
 本来ならば籠手となり、伸ばせば剣になる技なのだが、派手に出来ない以上メリケンのような小ささにして、威力を搾った。
 学園長の仕事はネギが親書を届けるための護衛で、その生徒を個人的に助けることはしないつもりだったが、ここまで面と向かって逃げることは出来なかった。

「ていっ、とりゃっ、おりゃっ」

 早速身近にいたアスナの周りの猿を叩いて消していく。
 すばしっこいとはいえ、元々それほど賢くとも強くともない低級の式神である。

「や、やっぱすごいのね、横島さんて」

 低級の式神とはいえ、少し前まで一般人とさほど変わらなかったアスナにとっては横島が強いものだと感じられ、感心した声をあげた。
 あっという間に数は減り、状況不利とみてとったのか、アスナから撤退して木乃香へと群がっていた。

「や〜ん、なんとかして〜」

 一斉に群がられた木乃香は、猿に埋もれ、間延びしつつも悲痛な声を漏らした。
 木乃香は抵抗虚しく子猿たちによってその場で引き倒される。

「サイキック猫だましッ!」

 木乃香の視線が無くなった一瞬のチャンスを横島は逃さなかった。
 パァンと手を弾くと、カメラのフラッシュのような光が手と手の隙間から弾け出て、辺りに飛び散る。
 その光に触れた式神は、依代の紙にしこまれた術式を霊力によって乱され、機能不全に陥り、元の紙へと戻っていった。

 一瞬で小猿を一掃したことにアスナは目を丸くした。

「す、すごいわね……今何をしたんですか? 横島さん」
「ま、手品みたいなもんさ」

 横島は木乃香の前で配慮した答えを返す。

「大丈夫か、お嬢ちゃん」

 横島が倒れている木乃香に手を差し出した。
 木乃香は半裸であるが、横島の守備範囲外であるのでさしたる興味もない。
 数年後は好みの美人になるだろう、と予測できていても、今は手を出すつもりはない。

 そこへ不意に温泉へと繋がる戸が開かれた。

「大丈夫ですか、このかさん!」

 温泉にいたネギと刹那が、このかの悲鳴を聞きつけて、やってきたのだった。

 横島は首だけ二人に向ける。

「……お、お嬢様に何をするかぁ!」

 刹那は野太刀を引き抜き、突然横島に斬りかかった。

「ど、どぅわぁっ!」

 横島は瞬時に反応して、手に展開した霊波刀で野太刀を受け止める。

「な、何すんだいきなり!」
「お嬢様に手を出そうなど、この不埒者めッ!」
「や、やめっ! ちょ、ちょっ、待て! おいこら、人の話くらい聞かんかーい!」

 澄んだ金属音が連続して聞こえるほど、素早い打ち合いだった。
 攻めは刹那、守りは横島、最初の一撃はちゃんと手加減した一撃だったが、打ち合うたびに本気で横島の急所を狙っていくようになる。
 野太刀――夕凪と霊波刀――ハンズオブグローリーは、互いに火花を散らして、力を競い合う。

 刹那は、横島が木乃香を襲う暴漢だと勘違いしていた。
 とはいえ、半裸の美少女が同じく半裸の男に迫られているような光景を見たためにそれもおかしくはない。

 最初の一撃で気絶ないしは戦闘不能にしようと思っていたが、太刀を受けられ、弾かれると次第に手加減が出来なくなってしまう。

「刹那さん、違うんです、その人は!」

 ネギが刹那を止めにはいるが、刹那はそれを振り切った。
 それなりに修練を積んでいた刹那は、目の前の男を一撃で仕留める自信があった。
 しかし、隙だらけだというのに一撃も与えられない。
 まるで心の中を覗いているかのように、攻撃を防がれる。
 腕が鈍ったか、という言葉が脳裏によぎり、それもまた怒りによって押し流された。

 実際に、刹那の腕は鈍っていた。
 半ば怒りに我を忘れていたために、心が曇り、太刀筋が単純になり、それ故横島に受けられていたのだ。

 刹那は野太刀を鞘に戻した。

「なっ!?」

 重心を低くし、膝を落とし、腰元に当てた野太刀に手を当てている。
 目は横島を刺し貫くかと思えるほど鋭い。
 辺りに纏う空気が収縮したように感じられるくらい、殺気が集中する。

 ヤバイ、と横島は思った。
 野生の勘というべきか、次に来る一撃はなんとかして回避しないと自分が死ぬように思えたのだ。
 咄嗟にかかとを使って、後ろに重心を移し、バックステップで回避した。

 銀色の光が刹那の前方に真横の軌道を描く。
 なんとか横島は刀身の長さよりも離れたところに逃げていたために、攻撃は当たらなかった。
 しかし……。

「は、ハンズオブグローリーが折られた? んなバカなッ」

 ハンズオブグローリーは、中程辺りで夕凪で断ち切られていた。
 霊波刀というのは霊波を固めて物質化したもの。
 普通の物体では傷つけることはできない。
 傷つけることができたとしても、瞬時に新しい霊波によって修復される。

 今回は何故かその修復さえもできなかった。

「な、な、ま、まて! は、はなせばわかる!」
「問答無用ッ!」

 防御する手段がなくなった横島は、とにかく回避した。
 刹那が剣を振るうたびに、脱衣所の床や壁に刀傷ができていく。
 どちらかというと防御より回避の方が得意な横島だが、テンションが上がった刹那相手にはそれも限界がある。

「……ッ!」

 刹那が夕凪を大きく上段に構えた。
 このままでは埒があかないと思った横島は、回避をやめて、目を閉じる。

「ちぇぇぃッ!」

 気合一閃、手を叩くと、手と手の間には夕凪の刃が挟まっていた。

「わはははは! これぞ、必殺心眼流真剣白刃取りッ!」

 つまるところ、目を閉じて、半ばやけっぱちになって手を叩くということである。
 実際、夕凪を受け止められたのは運だった。
 横島も笑ってはいるが、全身から冷や汗が吹き出している。

 刹那は夕凪を受け止められたことに舌打ちをした。
 が、それと同時に夕凪の柄から手を離し、しゃがみこむ。

「ぐべっ!」

 白刃を取ったためにがら空きになった腹に、下から蹴りを撃ち込んだ。
 横島は夕凪を取り落とし、床に転げ落ちる。

 刹那は落とされた夕凪を地面スレスレでキャッチして、倒れた横島の腹を踏みつけた。
 テンションが最高潮になった刹那は、夕凪を逆手に構え、倒れている横島の頭を狙う。

「お、俺が何をしたとゆーんじゃーッ! ひどい、あまりにも酷すぎる仕打ちだーッ!
 折角かっこよく女の子を救い出したかと思ったら、デッドエンドってオチかーッ!」

 刹那の顔は何も映してはいなかった。
 怒りも悲しみも何もない、まっさらな無表情。
 今まさに人を殺そうとしているときでも、何もそれからは感じられない。

「せっちゃん、やめてぇ!」

 このままではまるで何かの作業のように横島を殺そうとしていた刹那を止めたのは木乃香だった。




「本ッッッッ当に申し訳ありませんでした!」
「ま、まあまあ、そんなに謝らんでもいいよ」

 脱衣所で危うく殺されかけた横島に、刹那は土下座する勢いで頭を下げる。
 木乃香に声を掛けられて刹那は正気に戻り、横島は一命を取り留めた。
 その後、人が殺されかける現場を見て半泣きになった木乃香を一旦部屋に戻し、残りのメンバーは着替えて一階のロビーに集まった。
 そこで刹那の誤解が解かれ、今に至る。

 横島は、殺されかけたにも関わらず、刹那にほんのり好感を持っていた。
 というのも、横島にとって殺されかけるということは日常茶飯事。
 ほとんどが自業自得とはいえ、殺しかけた相手は何も言わないか、謝っても本当に申し訳なく思っているかどうか怪しい態度をとっている。
 しかし目の前の刹那は、本当に、心の底から申し訳なく思っているように見えた。
 日頃の環境が極めて劣悪だったために、今回の出来事はむしろヌルくすら思えたのだった。

「んで、君はこっちの味方、っつーわけでいいんだよな?」
「はい。私はこのかお嬢様の護衛です」
「ちょっと待ってくれ、あの子ってなんか特別な子なのか?
 わざわざ護衛がついているくらいだからそうなんだろうけど、事情がわからん」
「あ、そうでした。このかさんは、近衛木乃香という名前で、学園長のお孫さんなんですよ」

 ネギが説明すると横島は固まった。

「……え? えっと、インスマス生まれにしてはちょっとかわいいような気が……」
「このかお嬢様は京都生まれです」

 ボケる横島を刹那は無視して語り続ける。

「故あって、一時期私はこのかお嬢様と一緒に暮らしていたときがあります。
 幼い頃から神鳴流の剣術を学び、このかお嬢様が東へ行く際に、私はお嬢様のお父上に護衛を頼まれたのです。
 関西呪術協会の中には私を東に下った『裏切り者』と認識しているものが少なからずいるはずです」
「しんめいりゅーって何ですか?」
「神鳴流は京を護り、魔を討つために組織された掛け値無しの力を持った戦闘集団のことです。
 日本の魔法使いである『呪符使い』は、西洋魔術師の従者のかわりに善鬼、護鬼という鬼を使役しますが、それに神鳴流剣士がつくと非常に厄介な相手になります。
 今回の敵も関西呪術協会の一部勢力……神鳴流剣士がついているかはわかりませんが、呪符使いが相手だと思ってまず間違いはないでしょう」
「じゃ、じゃあ、神鳴流って結局敵じゃないですか」
「私は神鳴流剣士ですが……先ほど言ったようにこのかお嬢様の護衛です。
 関西呪術協会の中には私のことを東に下った『裏切り者』と思う人が多いでしょうが……。
 私はこのかお嬢様を守れればそれで満足なんです」
「……刹那さん」

 横島は学園長と木乃香がどうしても頭の中で繋がらず、うんうんと唸っていた。
 それに対し、ネギとアスナは刹那の言葉に感動していた。

 アスナは不意に立ち上がり、刹那の背中を強くひっぱたいた。

「よーし、わかったわよ。あんたがこのかのことを嫌ってないことがわかれば十分!
 友達の友達は友達だからね! 私も協力するわよ」
「か、神楽坂さん……」

 一般人であるアスナが、協力を惜しまないと申し出てくれたことに刹那は嬉しく思った。
 それと同時に、クラスメイトに馴染んでいない自分を友達と公言したことに、おもはゆく感じる。

「横島さんも協力してくれますよね?」
「ん? ああ……確かにまだ中学生で俺の好みから外れているが、数年したら確実に美女になる子ばっかやからな、このクラス。
 昼間は落とし穴やら酒呑ませるやらセコイ嫌がらせしかしてこんかったから見逃したが、これ以上酷くなるんだったら手を貸すつもりだ。
 数年したらナンパし放題、美女、美少女がよりどりみどりになるはずの青い果実の箱を盗むなんて断じて許せん!
 俺も出来る範囲で協力するぞ!」
「な、なんか……数年後には横島さんから護らなきゃいけないような気がするけど、とにかく、みんなで3−Aを護りましょう」
「3−Aガーディアンエンジェルズ結成ですよ! 関西呪術協会からクラスのみんなから守りましょう!」

 恥ずかしい名前の防衛隊の結成をネギが宣言した。
 相次ぐ敵のいやがらせを防ぐことができず意気消沈していたネギだったが、助力が受けられることに自信を取り戻した。

「敵はまた今夜来るかもしれませんね! 早速僕、外へ見回りに行ってきます!」

 ネギは勇んでホテルの出口に走っていった。

「あ、ちょっと、ネギ……」
「いえ、いいですよ、私たちは班部屋の守りにつきましょう」
「俺は部屋の場所が離れてるからなー。そっちの方の護衛は多分出来ん。
 女子中学生の部屋しかない廊下でうろうろしてたら、不審者かと思われるかもしれん。
 悪いな、役に立たなくて」
「いえ……そういえば、横島さんは魔法使いなんですか? 先ほどのアレは……気でもなく、魔法でもないように見えましたが」

 刹那はついでに、さきほどはすいません、と付け加えた。
 霊波刀はこちらの世界にない技能である。
 能力を特定できないのも無理はなく、使い手にとっては疑問を抱くのは当然と言えた。

「ん、んー、まあ、気でもないし魔法でもないんだが、これまた説明が難しくてなあ。霊能力っつーんだが」

 横島は右手に意識を集中させて、ハンズオブグローリーを出した。
 先ほど折れた後は残っておらず、意識したとおりの長さになっている。

「おおっ、よかった。折れたまんまでなおらなかったらどうしようかと思った」
「剣の実体化……ですか、気でも魔法でも同じようなものを見たことがありますが、両方の力を感じられない……」
「魔力とはまた違って、霊力っていうものを固めて実体化させてるんだ……と思う。
 俺も使い方は知ってても、どういう理論でそうなってるのかは知らないんだよなー。
 これは普通の刀剣くらいの切れ味はあるつもりで、アンデッドとか悪霊とかには更に大きなダメージを与えられると思う」
「他にはどんな能力があるんですか?」
「あとは、サイキックソーサーと、サイキック猫だましと、文珠か」

 文珠と言う言葉にアスナが反応した。

「文珠って、あの、ネギが持ってた『護』って文字が入ってた珠のこと?」
「うん」

 横島はハンズオブグローリーを引っ込めると、文珠を出した。
 手の上でふわふわ浮かぶ文珠を左手で二つ取り、ロビーの机の上に置く。

 翡翠色の珠はころころと平らな机の上を転がっている。

「あ、これは文字が入ってない」
「文珠って言ってな、さっき言った霊力を凝縮したものなんだ。
 このままじゃただの珠だけど、一定のキーワードを篭めて解放すると、色んな効果を現すモンなの」
「キーワード、というのは?」
「一個につき漢字一文字が原則だ。
 アスナちゃんがさっき言っていた『護』という文字が入ってたら結界が出現する。
 治癒の『癒』が入ったら、霊的、物理的な怪我や病気なんかがなおせて、『浄』の文字をいれたら、不浄のものを消し去ることができたりする」
「防御、回復、攻撃の全てをカバーできるんですね……。
 このような技、一体どうやって身につけたんですか?」

 横島は頬を人差し指で掻きながら言った。

「どっちかっつーと、これは技というか能力と言った方がいいんだよ。
 技ってのは修練を積んだり、方法を学んだりしたら誰でも使えるモンだけど、これは才能が無ければどうあがいても習得するのは無理なんだ。
 俺はたまたまその才覚に恵まれてただけさ。ま、死にかけてようやく使えるようになったんだけど。
 あと、こんなこともできるぞ」

 横島は一個文珠を持つと、それに念を込め、発動させた。
 次の瞬間、横島の体格が女性のそれに劇的に変化した。

「こんばんは、私、アスナ、よろしくね」
「わ、わたしぃッ!? な、なに、なんなんですか、これ!」

 横島はアスナの体格、髪型、声色を全てコピーしていた。
 アスナは見慣れたものを目の当たりにし、驚いて突然立ち上がった。

「わはははー、模造の『模』の字を入れた文珠でした。
 身体的特徴をコピーしただけでなく、今何を考えているのか、とかも完璧にコピーできるぞ!
 ふむふむ……って! アスナちゃん、パイパ……」
「わーッわーッ!」

 アスナは不穏な言葉を紡ごうとした横島に飛びかかった。
 自分の体と寸分変わらぬそれを下にし、マウントポジションをとって、顔面を殴りまくる。

「忘れてくださいッ! 忘れてくださいッ!」
「あだっ、ご、ごめ……悪かった……軽率だったから……謝るからッ……。
 おごっ、だふっ……いた……ごめすっ……」

 慌てて刹那が止めに入り、なんとかアスナを横島から引きはがすころには、既に文珠の効果は切れており、元の体に戻っていた。
 いや、厳密には完全に元通りというわけでもない。
 アスナに殴られ過ぎて、顔が原形を留めていなかったのである。

 アスナは未だ涙目で横島を睨み付け、うーうーと唸っている。

「わ、悪かったって、忘れるから……」

 デリカシーがないと評されていた横島でも、流石に女の子に勝手に『模』したのは悪いと思った。
 もう一個あった文珠に『忘』の文字を入れ、自分に押しつけた。
 横島の体を文珠のエフェクト光が包み、すぐに消える。

「で……何の話してたんだっけ? ……って! なんか痛いと思ったら顔が滅茶苦茶になっとる!
 か、関西呪術協会の攻撃かッ!? それとも新手のスタンド攻撃かッ!?
 あーっ、よく見たら、机の上に置いといた文珠が二つとも無くなっとる!」
「すごい……のでしょうか?」
「……事情知らずに見たら、ただの奇人にしか見えないわね……まあいいけど」
「え? え? ちょっと、二人とも何か知ってるのか? なんでこーなってるの? 教えてくれよ」

 アスナと刹那はお互いに顔を見合わせて、渋い表情を作った。
 事情を『忘』れた横島にはそれが何のことだかわからない。

「ま、まあまあ、それより、横島さんは一体何者なんですか?
 この、文珠というもの、聞いたところだとかなり応用範囲の広い強力な能力ではないですか。
 それなのに私は聞いたことがありません」
「そういえば、ネギもエロガモも文珠がなんだったか知らなかったわね」
「俺の正体? ……んー、言っちゃっていいものかね。
 ちょっとした事情があるっつーか、これまたややこしくて説明しにくいというか……。
 ……流れのゴーストスイーパーとでも言っておこうか」

 横島は、フッと本人は不適な笑みだと思いこんでいるものを浮かべた。
 刹那とアスナは、ちょっと引いている。

 が、アスナは何かを思いつき、手を出した。

「横島さん、その文珠っていうの、私にも使えたりする?」
「使えるよ。作るのは無理だけど、使うだけなら誰にでもできる。
 まあ、二つ同時に使ったりするのは霊力を使うから無理だけど」
「じゃあ、私に一個くれない?」
「アスナちゃんは事情を知ってるからいいけど、悪用したりとか売ったりとかしないでくれよ?」
「わかってるわ」

 ほい、と横島は文珠を一つアスナに渡した。
 アスナは興味ぶかげに手の中で文珠を転がした後、人差し指と親指で掴んで目の前に持ってきた。

「念を篭める、念を篭める……あ、文字が浮かび上がってきた」
「ちょ、ちょっと! 今篭めてもキャンセルはできない……」

 アスナは念を込め終わった文珠を横島に放った。
 横島は咄嗟のことで避けることも防ぐこともできずに、文珠を当てられる。

「何をするんだ、アスナちゃん」
「もう一回聞くけど、横島さん。横島さんの正体って何?」
「俺は、異世界からやってきたゴーストスイーパーだ。
 美神所霊事務所に勤める見習い。ついでに、絶賛彼女募集中……。
 って、秘密にしておいた方がかっこいいのに、何故か口が勝手に!」
「異世界ぃ!?」

 突拍子もない単語が出てきたことにアスナは驚いた。
 元々一般人であり、魔法使いの存在を知らなかったアスナだが、これには驚いた。
 自分より年季がありそうな刹那を見るが、刹那も驚いた表情をしてアスナを見ていた。

「何をしたんですか、アスナさん!」
「い、いや、喋ってくれなかったから、文字通り『喋』るの文字を文珠にいれてみたんだけど……。
 すごいわね、異世界なんて本当にあったんだ。
 まあ、魔法使いや神鳴流なんていうものがあるんだから異世界があってもおかしく……」
「そ、そんなことはありません。
 異世界から来た人なんて私でさえ聞いたことも見たこともないんですから!」
「え!?」

 再び二人は横島を見た。
 横島は「ああ、文珠使いの俺が他人に文珠で無理矢理しゃべらされるとは……」などと独り言を『喋』り続けている。

「異世界から来たって本当ですか?」
「本当。普通にバイト終えてアパートの部屋の布団に入って眠ったら、いつの間にか公園のベンチに……もがもが」

 横島は勝手に動いて喋り続ける口を、手で無理矢理塞いだ。
 しゃべることはやめられないが、これで声がくぐもってアスナ達に知られることはない。

 が、アスナ達もそれで諦めることはしない。
 刹那とアスナはちらと目を合わせると、それだけで息を合わせ、横島の手を協力して引きはがした。

「ひぃぃ〜、やめて!
 このままじゃ、頼りがいのあって、かっこよくて、ちょっとミステリアスなお兄さんという俺のイメージを根本から台無しにする発言をしてしまいそうだ!」

 その一言で、既にイメージは台無しになっていた。
 半泣きになりつつも、アスナと刹那から遠慮のない非情な質問をされて、言いたくないことを喋らされる。

 文珠の効力が消えるまで、横島への尋問は続いたのだった。

「信じられないわ……」
「私も、流石に……」
「無理矢理聞き出しといて、結局それかーッ!
 しかも、性格のことまでネチネチ追求しくさりおって……うっ、うっ、もう、お婿に行けない……」

 女子中学生特有の遠慮のなさで、ずばずばエグイ質問にされ、それら全てに答えなければならなかった横島は泣いた。
 既に二人には横島が極度の女好きで、煩悩の塊……そしてその霊力も煩悩を源にされていることを暴かれている。
 アスナは、横島にパイパンということを暴かれた恨みも持っている。
 今はもう『忘』の文珠で忘れているが、それはそれこれはこれ、嘘を言えないことをこれ幸いとして、存分に聞きまくっていた。

「それにしても人生で一番恥ずかしかったときのこととか聞くか、フツー!
 明らかに作為的というか……チクショー! コンチクショーッ!」

 数々の嫌な思い出を白状させられて、恥ずかし悶える横島。

「まあ、とにかく、横島さんの件は置いておいて、関西呪術協会の一部勢力から3−Aを守ることに専念しましょ。
 あ、横島さん、いくつか文珠頂戴」
「も、文珠は今の俺じゃ一日一個くらいしか作れないから、そんなに数がないの。
 しかも今日だけで三つも使っちゃったから……」
「へー、でも、確か煩悩が高くなると一日2、3個くらい作れるんでしょ?」
「ぐっ……」

 アスナはジト目で横島を見た。
 煩悩云々はさきほど横島から無理矢理聞き出した言葉。
 つまり、渡さなかったら、あちらこちらに横島の言葉を言いふらすぞ、と婉曲的に言っているのである。

「わ、わかったよ! で、でも、もう二つしかないからな! 本当に二つしかないから、それ以上出せっつっても無理だから!」

 横島はアスナの迫る手に文珠を恐る恐る二つ渡した。
 アスナはまだ許すつもりはないのか、ぽそりと小さく呟いた。

「小学四年生の頃……」
「わかーった! わかったわかった! わかったから! 死ぬ気でもう一個だすから!
 というか本当に勘弁してください……これ以上出せといわれても、もう鼻血も出ないっすから……」

 幼いころのトラウマに触れられかけて、横島は圧力に屈し、半泣きで文珠を作り出した。
 霊力の使いすぎで疲労し、ふるふると震えた指で、アスナの手のひらに作りたての文珠を落とす。
 ようやくそれで満足したのか、アスナは鷹揚に頷くと手を閉じた。

「じゃあ、刹那さん、この文珠、一個持ってて」
「え? わ、私はいいです……」
「いーのいーの、刹那さん、剣術が使えて結構強いけど、持ってて困るってことはないからさ。
 どれくらい通用するかまだわからないけど、『護』の文字をいれて持ち歩いているだけでも役に立つわよ」
「で、でも……」
「いいの。これは報酬みたいなものよ。……ネギを助けてくれるんでしょ?」

 アスナはそういって無理矢理刹那に文珠を握らせた。
 刹那はそれでもまだ渋った表情を浮かべている。
 ばんばん、とアスナはそんな刹那の背中を叩いた。

「それに私たちもう友達じゃない!」
「……ッ! は、はい! ありがとうございます! 神楽坂さん!」

 刹那は目を潤ませてアスナに頭を下げた。
 出自の負い目と、自分で自分に課した使命によって、他人との付き合いを極力排してきた刹那。
 友人はほとんどいない、そんな中でアスナのこの言葉は胸に深く響き渡った。

「そんなかしこまらなくていいって」
「はいっ! ありがとうございます、神楽坂さん……あ、すいません……」

 刹那とアスナは顔を合わせると二人して笑った。
 それを、どうも面白くないと感じる人が一人。

「とゆーか、文珠は俺の出したもんなのに、どうしてアスナちゃんの手柄みたいになってるんだ?
 なんかものすごーく、不公平というか不条理というか、理不尽というか、釈然といかないな」
「まあまあ、横島さん」

 アスナは椅子に座っていた横島の肩を正面からぽんぽんと叩き、中腰になって目と目の高さを同じにして言った。

「私たち、友達じゃないの」
「……なっ、なぜだろう。
 とっても感動的な同じ台詞を言われたのに、何故か心拍数がいやーな感じにあがってきて、胸が痛み始めてきた」
「さ、刹那さん、もう部屋の見回りしましょ」
「そうですね、それでは横島さん、明日にまた」

 アスナと刹那は階段を上がって立ち去ってしまった。
 横島はその場でただ一人残され、むせび泣いていた。

「なんでだ? なんであんなにアスナちゃんは怒ってるんだ?
 俺は何にもした覚えがないのにこの仕打ち……納得いかーーーーーーんッ!」

 他人のためとはいえ、自分の記憶を消すというのも、考えものである。
 合掌。