第11話

「あそこか!?」

 横島とネギは老紳士に指示された地点へと杖に乗って目指していた。
 すぐさま世界樹の麓を見渡す。

 悪天候の中で、横島は扇状に座席が設けられているステージを見つけた。
 ステージの上には人影と、何か大きな物体があることが確認できる。

「行きます!」

 ネギはそのまま高度を下げる。
 段となっている観客席の端に降りて、ステージ中央に向かって杖を構える。
 横島もその横に立ち、ハンズオブグローリーを出現させた。

 地を足で踏んでから、ステージに向かって大声で呼びかける。

「みんなを返してください!」

 ステージの観客席側中央に老紳士は立っていた。
 その背後には、天井から垂れ下がる紐のようなもので両腕を縛られているアスナが。
 アスナの格好はさきほどネギといたときのものとは大きく変わっていた。
 普通の麻帆良学園中等部の制服が、今はコルセットに紐パンツとハイソックス。

「アスナさ……あっ、アスナさんがまたエッチなことに!!」
「ちがぁーうッ!! 違わないけどッ」

 アスナのあられもない姿にネギはショックを受ける。
 ほろりと漏らしたネギの言葉にアスナは、心情的に認められずにツッコミを入れる。

 そして、横島もまた。

「あ、アスナちゃんが大人の女性になってしもたーッ!」
「それは本当にちがぁーうッ!」

 あまりのショックにその場にくずおれる横島。
 そしてそのままぶつぶつと呟き始める。

 一方アスナは、実際にそのような事実がなかったのに、そのように取られているために怒り狂っていた。
 そのまま名誉毀損で、セクシャルハラスメントな発言に訂正を入れようとも、如実な証拠が示せることは出来ない。
 こういうときに一番てっとり早い方法があるのだが、今は両腕を拘束されて、自由を奪われている。
 アスナに今できることは、精一杯大声を張りあげて横島の言葉を否定し続けることだけ。
 それも通じないとみると、アスナは目尻に涙を溜めて、ぐっと横島に向かって睨み付けた。

 アスナばかりに目がいくが、背後には水滴を大きくしたようなものがある。
 中には木乃香、古菲、夕映、のどか、朝倉など魔法の存在を知っている人が閉じこめられている。
 水を材料にして、魔法で作られた『水牢』だ。
 内からでは物理攻撃によって破られることはまずない強度がある。
 これを中から破るには、強力な魔法を用いらねばならない。

 ただ中にいる人間は意識はあるようで、水牢の壁を必死に叩いてネギに助けを呼んでいる。
 木乃香を除く四名は全員全裸なのは、浴場で老紳士の使い魔であるスライムに捕まってしまったためだ。

 大きな水牢から少し離れたところに、中くらいの大きさの水牢がある。
 これは五人を閉じこめている水牢とは違い、中まで水で満たされている。
 神鳴流の使い手である刹那が、意識を奪われてその中に閉じこめられていた。

 ネギはその光景を見て、頭に血を上らせる。

「あなたは一体誰なんです!? こんなことをする目的は!?」

 ネギは老紳士に向かって真意を問いつめる。
 ネギは責任感の強い性分であるために、声に怒りを隠しきれていない。
 老紳士は、そんなネギをたしなめるような口調で言葉を返す。

「いや、手荒なまねをして悪かった、ネギ君。
 ただ、人質でも取らねば君は全力で戦ってはくれないかと思ってね。
 私はただ君の実力が知りたいだけだ、私を倒すことができたら彼女たちは帰す。
 条件はそれだけだ――これ以上話すことはない」

 ネギは、唾のかたまりを飲み込んだ。
 何でもかんでも暴力で解決することを好みはしないが、力を用いなければ状況は打破できないと判断した。

 手に持っていた杖をゆっくりとした動作で背中に担ぎ、拳を構える。
 放出系の魔法を用いてあの老紳士を撃退するには、背後にいる人質達に命中してしまう可能性がある。
 ここ数日中国拳法の使い手である古菲に習った技で、老紳士と決着をつけようとした。

「カントゥス・ベラークス」

 ネギは『戦いの歌』という魔法を発動させた。
 数日習っただけの中国拳法で、明らかに人間ではない老紳士に勝てるとは流石に思っていない。

 『戦いの歌』は、ネギが京都でやった、術者本人への魔力供給を完全な術式で行う魔法である。
 京都でやったことは、本来パートナーへの魔力供給の術式を無理矢理対象を自分にする術式だった。
 当然、強引に組んだものであるから魔力のロスも激しく、効力もイマイチ。

 『戦いの歌』は、術者の身体能力を上げる魔法の中でも完成度の高いものである。
 術者は持続性の高い対物魔法障壁によって保護され、身体能力が飛躍的に増加する。
 筋肉の伸縮力、伸張力ともに高められ、筋の運動を支配する神経系の興奮が適度に高められ、運動における反応速度が極めて高くなる。

 ネギが『戦いの歌』を発動させたとき、横島もまた復活を遂げていた。
 横島は老紳士に向かって、ビシィと音を立てて指をさす。

「このロリコンじじいめ! 何人もの女子ちうがくせいを裸で拉致しやがって!
 しかもアスナちゃんに、あんなことやこんなことまで……許せん! 断じて許せん!!」
「だから、されてませんッ!」
「将来がとても楽しみな女の子達に不埒な行為を働く変質者め!
 この、愛と正義の使者、ゴーストスイーパー横島忠夫が極楽へ……」

 そのときだった。
 横島とネギの足に何かが絡みつく。
 二人はそれが何かを確かめる前に、防御を固める。

 強烈な蹴りを撃ち込まれ、二人はそのままステージの方向へとはじき飛ばされた。

「い、いたた……せっかく、決まってたのに、またか……」

 ネギと横島は蹴りを撃ち込んだ『モノ』を見た。
 半透明の女の子が二人。
 片方が、まず足を掴んで、もう一人が蹴りをいれたらしい。

「なんか来たぞ!」

 見た目からして明らかに人間ではない。
 半透明の二人組は、地面を蹴って跳躍し、ネギと横島に襲いかかってきた。

 相手の正体が不明なため、いささかやりづらく感じながらも、相手にする。

 ツインテールの女の子がネギに貫手を放つ。
 ネギはそれをいなし、続く攻撃を受ける。
 しかし、女の子は自分の腕をネギの腕に巻き付かせた。
 どうやら、肉体はジェル状のもので出来ており、任意にある程度固さを調節することが出来るようだった。
 片腕を絡め取られたネギだったが、女の子が攻撃してくる前に掌底を相手の顔に打ち込む。

「お」

 クリーンヒット。
 確かな衝撃が女の子に伝わる。

「ナンノ」

 が、一瞬よろけたものの、まるで意に介していないかのように残る片方の手でネギに攻撃をしかける。
 ネギは動じず、落ち着いてその攻撃もいなすと、カウンターをしかけた。

 深く踏み込み、掌を広げたまま両手で女の子の腹部に掌底を打ち込む。

「おお! やるネ」

 女の子は流石にネギの腕に巻き付かせていた腕を外し、背後に飛ばされる。
 確かにこれも深く入っていたのだが、女の子は何の問題もないかのように着地して、ネギを睨む。



 ネギがツインテールの女の子と戦っているとき、横島もまた戦っていた。
 どことなく寡黙そうな印象を受ける顔つきの長髪の子が、横島に襲いかかっていた。

「お、女の子!?」

 形は確かに女の子だった。
 とはいえ、見かけは完全に『女の子の形をした何か』

「や、やりにくいな、こら……」

 それがわかってはいても、やりづらく感じていた。
 攻撃はさして早くない。
 今までの経験からして、ちょっと力のある悪霊ほどのものにしか感じない。
 ハンズオブグローリーで一薙ぎしてやれば、相当なダメージを与えることができそうだったけれど、そのまま斬りつけるのは抵抗があった。

 頭部を目掛けて仕掛けてくる攻撃を、ひょいひょいとかわす。
 攻撃を避ける能力においては、横島はこの世界でもかなりのレベルにある。

「サイキック猫だましッ!」

 効くかどうかわからないまま、サイキック猫だましを相手の鼻先に命中させた。
 思ったよりも効果があり、相手の女の子は横島を見失ったかのような動きを見せる。

 ジェル状の拳を出鱈目に振り回し、その多くは命中する以前の方向に向けられている。

「おぉぅ、なんかよーわからんが、効いてるみたいだな」
「打撃はあまり効いていないみたいです、横島お兄ちゃん」

 ネギと横島は互いに背を合わせる。
 といっても、十歳と十七歳の身長差は大きい。
 横島の背中が大きく晒された状態で、なんとも間抜けな格好だった。

「牽制するくらいなら俺だけで十分かもしれん。
 ネギ、お前はアスナちゃんを助けてやれ」
「はいっ!」

 二人の女の子が横島とネギに襲いかかる。

「サイキック猫だましだましだましだましだましだましだましィーッ!」

 しかし横島はその二人に向かって先制攻撃をしかけた。
 拍手をするかのような、サイキック猫だましの連打。
 閃光が続けざまに、横島の手を中心にして弾ける。

「キャッ」

 魔法生物である女の子達は、視覚に頼らない。
 ならば目くらましも通用しないかに思えるが、むしろ逆。
 横島のサイキック猫だましは霊波を散らす技だ。
 エネルギーの流れで対象の動きを察知している魔法生物にとって、サイキック猫だましの起こす波動は閃光以上のものになる。

 激しく感覚を狂わされて、女の子二人は見当違いのところを攻撃する。

「よし、行けッ!」

 その隙をついて、ネギは二人の脇を通り抜ける。
 女の子達はそれに反応するも、横島が間に割り入り、食い止めた。

「ぶん殴るのは抵抗があるけど、文珠ならッ!」

 咄嗟に文珠を取り出して、『蒸』の文字を篭める。

「サイキック猫だましッ!」

 パァンと一際強烈なサイキック猫だましをお見舞いする。
 半透明の女の子達は攻撃主体で、間合いを取ったりしておらず、ただがむしゃらに攻撃をしていたために反撃を受けた。

 物理攻撃は受けない、という驕り。
 逆に遠中距離での魔法攻撃には弱いという事情から接近戦をせざるを得なかった事情。
 それらが積み重なって、半透明の女の子達は致命的なミスを犯した。

「でぇぇいッ!」
「キャッ!」

 彼女らは水を媒介にして存在している魔法生物。
 水は方円の器に従う。
 ただ普通に殴ろうが斬ろうが水は破壊できない。
 だけれども、媒介しているものが水でないのならば。
 もっと言うと、水を『水以外のものに』してしまえば。

 水とは液体の状態でなければ水とは言わない。
 固体の状態であれば氷、気体の状態であれば水蒸気と呼ばれる。

 押しつけられた文珠に篭められた文字は『蒸』
 女の子の体は一瞬にして、形を留められなくなり、水蒸気となり宙に散る。

「すらむぃ!」

 残った女の子が叫ぶ。
 思わず腕を差しのばし、介入しようとするも、文珠の余波を受けて片腕が蒸発する。

 後に残ったのは、魔力の塊。
 擬似的とはいえ魂の役割を果たしていた、ツインテールの女の子の残滓。
 水があればまた復活するだろうが、今のこれだけでは戦闘能力はおろか動くことすらできない。

「ほいっと」

 もはや女の子の形すらしていないそれを、横島はハンズオブグローリーで斬った。
 断末魔の声すらも上げられず、死滅する魔力の塊、ツインテールの女の子の魂。
 驚くほど呆気なく消滅した。
 もちろん、再生などは不可能。

 消されたモノの名前は、すらむぃ、と言った。

「よっしゃ、あと一匹か」

 横島には特になんの感慨もない。
 人に仇なす幽霊や妖怪を消し去ることを仕事にしているためである。

「う……ぁあああああああああッ!」

 消し去られたもう片方は、当然怒り狂った。
 悪魔に作られた使い魔とはいえ、感情がある。
 誕生したときから、片時も離れずに共に過ごしてきた仲間を消滅させられて、絶望や憎悪が心の奥底から吹き出る。

 ただがむしゃらに残された半透明の女の子――ぷりんは横島に攻撃する。

「よっ、はっ、ほっ、っと……」

 しかし、ぷりんは無力だった。
 片腕が『蒸』発させられたままで、まだ修復していない。
 いかに不定形の生き物が人の形をしているだけといえど、片腕が無ければ攻撃力は半減する。
 反動を付けて、遠心力を生み出すことが出来ないからだ。
 それに加えて、ぷりんは冷静さを失っている。
 激情に駆られた状態での攻撃では、回避の技術が高い横島は当たるわけがない。

 ぷりんは怒濤の攻撃を仕掛けているが、全て避けられるか、防御されてしまう。
 ただただその攻撃には間断のないだけ。
 最初の方は横島も体勢を整えるために反撃に移らなかったが、十秒も経てば反撃に移る。

「このッ!」

 ぷりんが渾身の力を込め、全力でもって蹴りを放つ。
 当然ながら避けられる。

 そして、そのまま次の攻撃に移ろうとしたそのときだった。

「あ……れ?」

 世界が傾く。
 奇妙な感覚に驚いている間もなく、ぷりんの本体は地面に叩きつけられた。
 地面に落ちてから、ようやく自分の足が本体から無くなっていることに気が付いた。

 ハンズオブグローリーで斬られていたのだ。
 通常の方法では、ぷりんの体を斬ることは難しい。
 例えば、何の付加能力を持っていない刀では水を斬ることと等しい。

 けれど、ハンズオブグローリーは別。
 霊力で作られた刃はぷりんを作っている魔力そのものを断つことができる。

 魔力の核から分断されたぷりんの足は、瞬く間に普通の水に戻ってしまった。

「あ……ああ……」

 片腕と両足を無くしたぷりん。
 首だけ動かして背後を振り返ると、手から光の剣を出して立つ男の姿が見えた。
 今更ながら、恐怖という感情が吹き出てくる。
 すらむぃがやられたときに気付べきだったことに、今になってようやく気が付いた。

 あの男は、自分を殺す力を持っている。

 残るただ一本の腕で、なんとかして男から逃げようとするぷりん。
 しかし、それは悪あがきに過ぎない。

「し、死にたく……ない……」

 死に対する恐怖にかられ、必死に腕を伸ばし、地面を這いずる。
 二本足がまだ残っていたときに比べると、それこそカタツムリの進むスピードしか出せない。
 それがとてももどかしく、背後に感じる男の気配を嫌にも自覚させる。

「……」

 一方横島は苦悶していた。
 目の前で、一本腕で逃げようとするぷりんを見ながら、苦悶していた。
 頭を抱え、時折苦しそうにうめき声を漏らしながら、苦悶していた。

「こっ、これはッ……どう見ても悪役の絵柄ッ!
 なんでだッ!? かわいい女の子に対しては敵でも基本的優しいというスタイルだったはずだぞ、俺はッ!
 メドーサみたいに無茶苦茶非道で強かったらまだいいのに、こいつ、それほど酷いことしてない上に弱っちい!」

 こういうことに至っては妙に人の目を気にする横島は焦った。
 どう見ても人間ではないぷりんと言えど、女の子っぽいものを切り裂いたという事実は変わらない。

「こらーッ! 横島さん、真面目にやってくださいよーッ!」

 当然、捕らわれのアスナとその他のメンバーは、うろたえている横島に叱責を飛ばす。

 ネギが老紳士と戦っているものの、こちらはこちらであまり戦況はよろしくない。
 ネギの放つ魔法が、かき消されてしまっている。

 ネギと老紳士の戦況はあまり芳しくない。
 下手を打って、ネギが大怪我を負う可能性もある。
 それ故に、アスナは横島が手早く今の相手を片づけて、ネギの手助けをしてくれることを願っていた。

「ま、まあ、戦闘能力はもうないみたいだから、ほっといてもいいか

 横島はその考えが甘いことをわかっていた。
 ぷりんは一見してスライムに近い生き物であると、横島は判断していた。
 実際のところはスライムに近いどころか、スライムそのものであるのだが、そういうものは再生力が高いことを知っている。
 一度、美神とともにスライムを退治する仕事をしたことがあったが、そのときは一片を残してしまい、逆襲されてしまった。
 スライムは徹底的に滅ぼし、最後の一片まで清めなければ、戦闘能力が無くなったとは言えない。

 が、しかし、横島はトドメを刺さなかった。
 女の子の形をしたものに酷いことをする罪悪感に耐えられなかった。

 もし生き残ってまた襲いかかってきたらそのときにトドメを刺してやろう、と思っていた。

「ネギッ、援護す……」

 老紳士の攻撃。
 右腕に魔力を溜め、拳に乗せて打ち出した。
 ネギは咄嗟に回避し、横島もすれすれのところで避ける。

 目標物に当たらなかった老紳士の魔力は、観客席を抉る。

「ま、またビームを出すよーな相手かよ……」

 軽口を叩いているが、余裕はない。
 老紳士は続けざまに何発も魔力を放ち続ける。

 先ほどの一撃がストレートパンチに乗せられたものであるのならば、今の攻撃はジャブのようなものだった。
 威力も、直径も小さいものが、一気に数本まとめて飛ばされる。

「うわわーっ!」
「だぁぁっ!」

 ネギはそれらを障壁で防御し、横島はサイキックソーサーで対処していた。
 が、それでも双方限界があり、何発かもろに受けて、はじき飛ばされる。

 横島達が弾いたものが巻き起こした煙の中で、ネギと横島は体勢を整える。

「どうする、ネギ?」
「ど、どうしましょ、横島お兄ちゃん!」

 横島はまだ切り札を残している。
 極希にプライドが利益に勝ったときのみ美神令子が使う、禁断の反則技の応用技を用いれば、勝つ算段がある。

 しかし、諸々の事情から出来ればその方法は取りたくなかった。

「一般人のはずのカグラザカアスナ嬢……彼女が何故か持つ、魔法無効化能力……。
 極めて希少かつ、極めて危険な能力だ……。今回は我々が逆用させてもらった」

 老紳士は語る。
 ネギはその言葉に衝撃を押し隠せずにいる。
 アスナが魔法無効化能力の持ち主である心当たりは確かにあった。
 けれど、そう易々とそれを信じることは出来ない。

 老紳士はそんな混乱するネギに、思考の時間を与えなかった。

「さて、私に対してはもう放出系の術や技は使えないぞ。男なら……」

 老紳士はボクシングの構えを取り、一気に距離を詰める。
 二人が拳の射程内に入ると、強烈な力で一歩踏み込んだ。

「拳で語りたまえ」

 放たれる一撃。
 二人は咄嗟に回避した。

 純粋な格闘能力においては、老紳士は二人より上だった。
 アドバンテージとなるはずの魔法は使えないとのこと。

 ネギはふとステージに捕らわれている人達を見た。
 アスナを筆頭に、みな心配そうにこちらを見ている。
 持ち前の責任感の強さから、ネギは彼女らのためにも頑張らねば、と思う。

「ハンズオブグローリーッ!」

 横島は手に出した霊波刀で斬りつける。
 老紳士は、それを避けようともしない。

 皮肉にも老紳士は魔法無効化能力を過信していた。

 魔法であろうが気であろうが、放出系の技は全て打ち消せる、とそう考えていた。
 彼の雇い主からは、事前に横島に関する情報は貰っていない。
 教職員寮で生活しているようであったので、ただの魔法先生なのだろう、と横島を侮っていた。
 さして持っている魔力の量も多そうにも見えなかったために、ネギとの同行を許していたのだが、それが完全に仇となる。

「ぐッ!」
「……え?」

 魔法無効化能力が効かないことに気が付いて、咄嗟に腕で防御する。
 致命傷の一撃は受けなかったが、ガードした腕が引き裂かれた。

 あまりにも簡単に決まった一撃に、返って横島の方が呆気に取られてしまう。

「な、なんだ、ただの見かけ倒しなん……ぶばっ!」

 呆気にとられた隙を突かれて、老紳士に殴られる横島。
 もろに顔に拳が直撃し、そのままステージの方へと吹っ飛んでいった。

「くっ……アスナ嬢の魔法無効化能力はやはり不完全なものなのか?
 いや、しかし、それはないはず……では、何故……」

 通常の思考の持ち主であれば、横島の持つ能力がこの世界には本来存在するはずのないものだとは考えない。
 老紳士は、切り裂かれた腕をもう片方の手で持つ。
 傷は神経や腱を断ち切っており、指先を動かそうとしても出来なかった。

 傷口をそっと合わせて、老紳士は目をつぶる。

「治りも遅い……くっ、あの男も何らかの能力者というわけか」

 瞬く間に傷が修復し、腕が繋がった。
 とはいえ、完全にふさがったわけではない。
 残った傷口からは、少なくない量の血があふれ出ているし、腱や神経のつながりも甘いため、通常時より動きが鈍くなっている。

 ただそれでも、ネギ一人相手ならば圧倒的な力を保持している。
 むしろ一対一という条件になり、その上老紳士は手加減することをやめたので、ネギは圧倒的不利。
 拳が何度も何度も命中する。

 『戦いの歌』によって展開された、耐物理魔法障壁があるために直撃はしていないが、それでもダメージは蓄積していく。

 しかし、老紳士は横島のことを見落としていた。
 殴った感触で横島は魔法障壁も、気による防御もしていないことを感じていた。
 その状態で、顔面を殴ったのだから、気絶しているだろう、と。

 確かに横島は魔法障壁も気による防御もしていない。
 というよりかは、霊能力は、魔法や気よりも全身を保護する防御手段が基本的に劣っている。
 意識的に全身から放出する霊波を集中させて、防御力を高めるという、気のような使い方は出来ることは出来るが燃費が極めて悪い。

 気は、防御している気の大部分をそのまま保持し再利用出来る循環型であるとするならば、霊波はそれを出来ない放出型。
 ある程度は循環させることも可能だが、それでは防御力はぐっと下がる。
 霊能力の一つである魔装術は高いスペックをたたき出すが、やはり消耗の度合いは極めて高い。

 全身に標準として纏っている防御霊波を一点集中させ、高い防御力を出す技はサイキック・ソーサーなのだが、それは掌より少し大きいサイズの盾でしかない。

 老紳士の見誤っていたことは、一つ。
 横島という人間の、素の耐久度の高さだった。
 防御障壁などに頼らずに、肉体自体がタフで、頑強。
 横島がまだ霊能力に目覚めていないときでさえ、煩悩のために命を賭ける精神力とともに、美神令子のライバルGSである小笠原エミにそのことは評価されていた。

「い、いてて……」

 常人ならば頭蓋骨を砕かれているような一撃を受けて尚、横島はまだ生きていた。
 それどころか、頭をさすりながら、立ち上がることさえできた。
 戦闘能力も、ほとんど失っていない。

 老紳士が考え違いを起こしたのも無理もないことだった。
 横島の存在は、この世界でも規格外。
 総合的な戦闘能力で言えば、並の魔法使いより少し上ほどだが、パラメーターは驚くほど偏っている。

 メンタルの防御力は極めて低い。
 窮地に追い込まれるとどうにかして助かろうとするよりも、パニックを起こしてしまう。
 ただ、狡猾であるために、相手の隙をつく卑劣な手段で今まで逃げ切ってきた。

 フィジカルの防御力は極めて高い。
 契約執行をしたアスナのハマノツルギの一撃を受けても、ただ気を失うだけで済むほどに。
 もちろん、ギャグキャラとしての特性でもあるが、それを差し引いても尚、常人を超越したものを持っている。

 横島は立ち直ると、すぐさま状況を把握しようとした。
 老紳士は、ネギをたたきのめすのに夢中になっている。
 自分は、ステージの前にいる。

 今することは人質を解放することだ、と横島は判断した。

「アスナちゃんッ!」

 何故だかよくわからないけれど、魔法は無効化されているとのこと。
 そして、それはアスナの能力を逆用したものであること。
 この二点を総合して、横島は考えた。

 アスナの拘束を解放される前に、アスナの首に付けられているものに目が行った。
 アスナが到底つけそうもないペンダント。
 赤い宝石が埋め込まれており、怪しい。

「これかッ!」

 横島がアスナのペンダントに触れようと手を伸ばしたそのときだった。
 横島に衝撃が襲い、伸ばした手がゆっくりと下に落ちる。

 横島はそのままくずおれて、地面で身もだえた。

 あの、横島が。
 老紳士の強烈な一撃を受けても、割と余裕だった横島が。
 地面に倒れ、立ち上がれないでいる。

「あ……すな……ちゃ……なん……でだ……」

 這い蹲って苦悶の表情を浮かべながら、横島はアスナを見上げた。

「ペンダント……取ろうと、した……だけなのに……」
「えっ!? あ、そ、そうだったんですか!? ご、ごめんなさいッ、横島さん」

 ごめんで済むわけねーだろ、と横島は言おうとしたが出来なかった。
 アスナに蹴り上げられた股間が、まだ激痛に襲われており、吐き気すら感じていたからだ。

「でも、横島さんが胸のあたりをちらちら見てたからいけないんですよッ!
 み、身の危険を感じちゃったのも、しょうがないじゃないですか!」

 確かに、アスナは身につける人が身につければ極めて色気を放つ下着を着せられている。
 その上両腕を拘束されて、全く身動きが取れない。
 そこへ、年中盛っているような男が近づいてきて、身の危険を感じるな、という方が無理だろう。

「く、くそう……シリアスのときはいつもこーだ。
 俺は真面目にやってるとゆーのに、みんな勘違いして、ギャグキャラに戻される……。
 あれか? ギャグキャラに生まれたものは一生ギャグキャラとゆーことなんかーッ!」

 両足を震わせて、必死に内股で立ち上がる横島。
 地獄の苦痛に堪え忍び、それでも全力を尽くした。

 震える手がアスナのペンダントを掴む。
 ぐいと力を込めて引っ張ると、ペンダントの鎖は簡単にちぎれた。

「ネギーッ! もう魔法を使っても大丈夫よ! そんなエロジジイなんて倒しちゃいなさいッ!」
「あ、アスナちゃん大声を出さないでくれ……タマに響いて痛くて死にそうになる……」

 アスナの声が通じたのか、ネギは一気に反撃に乗り出していた。
 拳に魔力を乗せたネギパンチ、距離を取ったところでの魔法の射手の連射、白き雷。

 制限を取り払われ、果たすべき責任を見いだしたネギの力はやはり強大だった。
 老紳士もまた、本当の本気の力を出してはいないのだが、段々と押されていく。

 しかしまだ、老紳士はネギの力の深さに納得していなかった。
 サウザンドマスターの息子であるのならば、もっともっと力を持っているだろう。
 その片鱗でもいいから、老紳士は見たかった。

 それのために、老紳士は自分の正体を明かす。

「いいぞ、いいぞネギ君。しかし、まだだ。まだなんだよ、ネギ君。
 魔法を使えない状態でここまで私を追いつめなければならなかった。
 サウザンドマスターの息子なら、もっと使えると思っていたのに、あの程度だったとは。
 仕方ない、ネギ君、私の正体を明かそう」

 老紳士は自分のシルクハットをゆっくりと脱いだ。
 ハットの下にあったのは、悪魔の頭。

 老紳士は、人間の真似をするのをやめて、本性をさらけ出した。

 どこまでも黒い肌。
 境界線があやふやな二つの目。
 醜くねじ曲がった二本の角。
 口の中には、禍々しい光が灯っている。

「私は君の仇だ。六年前のウェールズ。
 あの日召喚された者達の中でも、ごくわずかに召喚された爵位級の上位悪魔の一人だよ」

 悪魔はシルクハットを再び被り直した。
 すると、悪魔の頭は消えて、再び一見温和そうな老紳士の顔に戻る。
 ただその目には、何物よりも冷たく、憎悪にまみれた冷徹な光があった。

「君のおじさんやその仲間を石にして村を壊滅させたのもこの私だ。
 あの老魔法使いには全くしてやられたがね」

 ネギは震えていた。
 心音が上がり、全身から汗が噴き出ている。
 今までずっと、それこそ六年間ずっと押し込めていた感情が、増幅され、理性という殻を破ろうとしていた。

「君は、大方今まで義務感や、仲間を助けるため、といった理由で戦ってきたんだろう。
 しかし、今回は違うぞ。これは君の戦いだ。人質を助けるため、ということは忘れたまえ。
 人が強くなるためには、しっかりとした戦う理由が必要なのだよ。
 そして、その理由は常に他ではなく自分に向けられるものでなければならない。
 『怒り』『憎しみ』『復讐心』などがそれの最たるものだ。
 ネギ君、君は今、それら三つを同時に動機として持っても『よい』戦いの場にいるのだよ。
 何もかも忘れ、ただひたすらに、私を滅するための戦いをしたまえ」

 後半から、悪魔の言葉はネギの耳に入っていなかった。
 高まった感情によって、ネギの中のリミッターが外される。

 サウザンドマスター譲りの膨大な魔力が止めどなくあふれ出て、体に力がみなぎっていく。
 怒りに身を任せ、悪魔の前まで一瞬に距離を詰めて、攻撃を加えようとしたそのとき……

「おいこら、おっさん! 俺は六年前にあの村におったか!? 石にされてたんか!? どーなんだッ!」

 ネギと同じく悪魔に激昂する理由のある男が、一瞬早く飛びついていた。
 そして、ネギは悪魔の代わりにその男を殴り飛ばしていた。

 本来ならば大きく上空に飛ばされている一撃なのだが、悪魔の襟首を掴んでいたこともあり、そのまま前に吹っ飛んだ。
 地面を派手にバウンドして、飛んでいく横島と悪魔。
 ステージの段にぶつかって、ようやく止まった。

 ネギは魔力を暴走させたまま、追撃する。

 横島と悪魔が命中したことにより、ステージの一部は派手に破壊されていた。
 煙がもうもうと上がり、視界もままならない。

「こ、こら、殺す気かーッ!」

 その中から横島が転げ落ちる。
 ネギは横島を邪魔だ、とばかりに突き飛ばし、悪魔を一方的に殴り続けた。

 もはや戦いではなく、リンチ。
 ネギは悪魔を逃げる暇も与えず、ただひたすら暴走にかまけて殴りまくる。
 ネギが拳を打ち付けるたびに、ステージの破損度がますます上がっていく。

「す、すげー……」

 横島はその光景を見て、驚きを通り越し、あきれていた。
 圧倒的な戦闘能力。

 スピード、パワー、双方異常なほど高まっている。
 ここに、今現在欠如している判断力が加わったら、一体どれほど強いのか。
 それを想像するだけでも、背筋に冷たい物を走るのを感じる。

「ふふははは! いいね! すばらしい!!
 これだよ、これが見たかったのだよ。それでこそサウザンドマスターの息子だ!!!」

 しかし、悪魔は案外余裕だった。
 確かにめった打ちにされ、蓄積しているダメージは無視できない相当なものになっている。

 悪魔は、心底惜しい気持ちがした。
 ネギの才能は悪魔の基準から言って、この上なく素晴らしいもの。
 将来、一体どのような『化け物』になるのか、とても見てみたくなる。
 それを潰すことに心底惜しく思っていた。

 そしてまた同時に、とても愉快だった。
 その才能を、まだ開花していない才能を、潰すのも、また楽しく思えるものだったからだ。

 悪魔は老紳士の姿から、再び真の姿に戻る。
 口を開き、中に渦巻く禍々しい光を、ネギに向かって放つ。

「ぐっ!」

 いくら冷静さを欠いているネギとはいえ、それを見逃すことはない。
 顔を殴り、光線を逸らそうとするが、完全回避することはできなかった。
 光線を浴びた右手が一瞬にして石に変化する。

 京都で戦った白い髪の少年の石化光線よりも、もっとずっと強い石化だった。

「お、おいッ!」

 しかしネギは止まらなかった。
 普段我慢強い理性を持っているせいか、それが解放されたときの反動はすさまじい。
 右手が石になろうがお構いなく、悪魔を殴り続ける。

 流石に、横島はネギを止めようとした。
 石になったまま殴ったためか、ぴしり、と右腕が不気味な音を鳴らす。
 我を忘れたネギを止めなければ、本当に右腕がダメになってしまう。

 しかし、ネギを止めようと思えど、すぐにそれは容易ではないことに気が付いた。
 暴走しているネギに下手に手を出そうものならば、逆にその余波を受けることは間違いない。

 まずは、横島は老紳士を撃退することに決めた。

「とりゃあッ!」

 文珠を投げる。
 二人からほんの少し離れたところに落ちたそれに篭められた文字は『浄』

 発動すると、その場一帯が清められ、悪魔に深刻なダメージを与える。
 ネギにはさして影響はない。

「ぐッ……」

 ネギの最後のトドメが入った。
 石と化した右腕が、悪魔の胸板を貫く。

「いいね……素晴らしい……」

 口からは禍々しい光ではなく、血が吹き出た。

 悪魔はこの世界に召喚されたもの。
 この方法では、殺すことはできない。
 ただ、彼らの世界に戻っていくだけ。
 悪魔の体は、下半身から段々と蒸発し、霧のように散っていく。

 ようやくネギも理性を取り戻したのか、息を切らせて、悪魔の体から腕を引き抜いた。

「お、おい、大丈夫か、ネギ! また石になってるぞ!」

 横島は咄嗟に『解』の文珠を使った。
 文珠のエフェクト光に包まれて、腕の石化はほんの少し解除される。

「ふふ、私の石化は強力だぞ。例え腕一本だけだとしても、そう易々と解呪されはしまい」
「うっせーハゲジジイ、黙ってろ」

 続けて、『解』『呪』と『解』、と計三個の文珠を発動させて、ようやく解除された。
 ストックが残っていたことが幸いだった。
 悪魔の石化は、確かに強力なもの。
 六年前襲われたネギの村の住人も、六年の歳月を経た今でも、石化が解除されないままにいる。
 このまま文珠を使われなかったら、ネギもまた永久に右手が石のままになっていたかもしれない。

 悪魔は、石化が解呪されたところを見て、溜息をついた。
 一方的に打ちのめされるだけでなく、折角反撃して、石化したというのに、それすらも解呪されてしまった。

「……君達の勝ちだ。トドメを刺したまえ」

 悪魔は老紳士の姿に戻り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。 
 完全に敗北したことを認め、甘んじて死を受け入れることにしたのだ。

 そんな悪魔の上に、横島は跨った。

「おいこら、おっさん! お前、ネギの村を襲った悪魔なんだってな!
 あんとき、俺はあそこに居たのか? あんたに石にされたんかッ!?」

 ネギの記憶にあった石化した自分。
 サンジュウロクメの話によると、記憶違いではなく、実際にあそこで石になっていた可能性があるという。

「……何を言っているのかね?」
「しらばっくれてるんじゃねーッ! 六年前の話だよ、ろ・く・ね・ん・ま・えッ」

 女の子以外の弱者には容赦のない男、横島忠夫。
 身動きが取れないことをいいことに、襟首を掴んで、ぶんぶん振り回す。

「ろ、六年前? ……ふむ……ああ、そういえば君に似た人間がいたような……」

 悪魔は横島の顔を改めて見た。
 直ぐに目を丸くして、見入る。

「……驚いたな。つい最近解呪されたのか? いや、そんなことは……」

 横島は凍り付いた。
 どう見ても悪魔の反応は『YES』と物語っている。
 悪魔の襟首を離し、五秒間凍り付く。

「いやじゃーッ! 石になんてなりとーない! こんにゃろッ、こんにゃろッ!」

 横島は泣き叫びながら、悪魔の顔に拳を入れる。
 霊力のこもった拳が、何度も何度も悪魔の顔に命中する。

「横島さん、落ち着いてッ!」
「うわーん、放せ、アスナちゃん! こいつはッ、こいつはッ、俺を石にするんやぞッ!
 石になんてなりとーないッ! この場で引導を渡してやらぁッ!」

 確かに悪魔は非道だった。
 六年前にネギの村を襲ったのも、今回ネギの仲間を拉致して、ネギを石にしようとしたのも褒められたことではない。

 しかし、初老くらいの男にマウントポジションを取り、泣き叫びながら殴り続けるという絵柄はマズイ。
 致命的と言ってもいいほど、マズイ。
 確かにネギも同じことをしていたが、今は状況が違う。

 アスナは横島を引きはがし、ネギに前に出るように示唆した。



「このままにすれば私はただ召喚を解かれ、自分の国へと帰るだけだ……。
 しばしの休眠を経て、復活してしまうかも知れないぞ」
「……僕は……」
「君のことは少し調べさせてもらった。
 君が日本に来る前に覚えた9つの戦闘用呪文のウチ、最後に覚えた上位古代語魔法……。
 そのための呪文のハズだぞ?
 本欄、封印することでしか対処できない我々のような高位の魔物を完全に討ち滅ぼし消滅させる超高等呪文。
 君が復讐のために血の滲む思いで覚えた呪文だよ」

 ネギは老紳士の言葉を聞き、ぐっと歯を食いしばった。
 先ほどまでほとばしっていた怒りはなりをひそめている。
 その状態で出した結論を、ネギは力強い口調で告げる。

「……僕、トドメは刺しません。
 六年前……あなたは召喚されただけだし……今日だって人質に……そんなにひどいことはしなかった。
 それにあなたの方こそ、本当の本気で戦っているように見えませんでした。
 僕には……あなたがそれほど酷い人には……」
「何寝ぼけたことを言ってるんだネギ! こいつは俺を石にするヤツなんだぞッ!
 酷い人に決まってるじゃないか! さあ、早くたお……うわ、何をするアスナちゃんやめろ……へぶぅッ!」
「どうかな? やはり私は全くの悪人かも知れぬぞ。何せ悪魔だからねぇ」
「……それでも、トドメは刺しません」

 悪魔は、ほんの少し焦りの表情を顔に出した。
 ネギの意思はとても硬く、自分が何を言ってもこれは覆らないだろう、と見て取った。
 ならば全てを受け入れるつもりで、笑い始めた。

「ふ……ふふははは、ネギ君。君はとんだお人良しだなぁ。やはり戦いには向かんよ」

 悪魔はそっと腕を伸ばし、遠巻きで様子をうかがっている木乃香を指さした。

「コノエコノカ嬢……恐らく極東最強の魔力を持ち……修練次第では世界屈指の治癒術師ともなれるだろう。
 成長した彼女の力をもってすればあるいは……今も治療のあてのないまま静かに眠っている村人達を治すことも可能かもしれぬな。
 まあ、何年先になるかはわからんがね」

 悪魔は最後の一片も残さず霧となった。
 ただ、それでも、どこからともなく声が聞こえてくる。

「ふふ……礼を言っておこうネギ君。いずれまた成長した君を見る日を楽しみとするよ。
 私を失望させてくれるなよ、少年!」

 辺りに高らかに悪魔の笑い声が響き、霧は完全に晴れた。
 その場にいる全員は、とりあえず深く息をついて、お互いの安全を喜んだ。



「真打ちは遅れてやってくるッ! おい、ネギ! そのおっさんはこの瓶で呪文を唱えたら……ってあれ?」

 今更やってくる犬上小太郎。
 手には悪魔を封じ込めていた瓶がある。
 その瓶は確かに先ほどの悪魔を封じる力を持っている。
 切り札とも言っていいだろう。

「……え? も、もう終わってしもうたんか?」

 しかし、何もかもが遅かった。



「ひーん、助けてください、横島さーん!」
「あなたには餌になってもらうだけデスカラ」

 と思いきや、もっと遅い人達が現れた。
 横島が相手にしていた半透明の女の子の最後の一人……あめ子。
 横島と同居していたサンジュウロクメを捕獲して、ようやくやって来た。

「……え? も、もう終わってしまったんデスカ?」
「よ、横島さん、頭から、ち、血がッ! だ、大丈夫ですか!?」

 こっちこそ、何もかも遅かった。



 犬上小太郎は、自分より更に遅れてきた二人を見る。
 どう見ても人間ではない。

 このまま何もしませんでした、ではとても格好がつかない。
 ならば、せめてこの二人を封印してしまおう、と。

「ラゲーナ・シグナートーリア!」

 瓶についていた栓が抜け、あめ子とサンジュウロクメが吸い込まれる。
 二人は逃げることもできずに、一瞬で瓶の中に入ってしまった。

「いやあ〜あん、デスゥー」
「な、なんで私までぇーッ!」



 夜は、まだまだ続きそうだ。