第8話

「そこまでだ! お嬢様を放せ!」

 関西呪術協会本山裏庭、刹那達は近衛木乃香を誘拐した天ヶ崎千草を主としたグループを発見した。
 川の中の大岩に立つメガネの呪符使い……天ヶ崎千草は、刹那達を見てもさして表情を変えなかった。
 いや、むしろ余裕が見えさえもする。

「……またあんたらか」

 千草の傍らには、例の白い髪の少年と彼が使役している悪魔。
 そして、口を塞がれ、手を縛られている木乃香とその木乃香を抱えている猿鬼がいる。

 刹那達は川の中に足を踏み入れ、各々装備を構えて千草と対峙していた。

「天ヶ崎千草!! 明日の朝にはお前を捕らえに応援が来るぞ!
 無駄な抵抗はやめ、投降するがいい!」
「ふふん、応援がナンボのもんや。あの場所まで行きさえすれば……それよりも……」

 刹那の降服勧告を気にせず、千草は岩を降りた。
 川の水面にそっと足を乗せると、水中に沈み込まない。
 千草は水面の上に立っていた。

「あんたらにもお嬢様の力の一端を見せたるわ。
 本山でガタガタ震えてれば良かったと後悔するで。
 お嬢様、失礼を」

 千草は木乃香の首元に一枚の呪符を貼り付けた。
 これによって木乃香の魔力が、千草の術に行使されることになる。

 札がパァと光を放ち、木乃香は眉を顰める。
 魔力を行使するときの快感が木乃香の体に駆けめぐる。
 刹那はそれを見て、思わず夕凪を強く握りしめた。
 が、千草が何をしてくるのかわからない今、飛び込んで助けようとするのは迂闊な行為。

「オン」

 千草の足下が発光し、その周囲に同じような円形の光が現れる。
higesori 川の底にあるライトが発光しているような、そんな光の中央には梵字が映っていた。

「キリキリヴァジャラウーンハッタ」

 千草が唱えたのは、奉献供養の真言。
 仏菩薩鬼神などの霊格に献げられるお供え物を浄化する呪文。
 千草は、木乃香の持つ魔力を鬼神達に献げ、召喚するためにそれを唱えた。

 梵字の浮かぶ円形の光の周囲に力が収束し、そこから鬼が姿を現した。
 次から次へと光が増えて、そこから鬼のみならず大量の物の怪があふれ出てくる。
 千草が一通り、召喚し終えると再び大岩の上に戻った。
 そのときになると、周囲には無数の妖怪が集まって、刹那達を取り囲んでいた。

「お、うわぁああ! こんなにたくさん妖怪が出てきおったーッ!」
「ちょっとちょっとこんなのありなのー!?」
「やろー、このか姉さんの魔力で手当たり次第召喚しやがったな」
「ひゃ、百体くらい軽くいるよ」

 刹那を除く三人とオコジョ一匹はその数に圧倒され、動揺した。
 特にアスナは……このような状況にあったことが一度もないために、最も酷い。
 ハマノツルギを握る手は震え、顔色は青くなり、目には恐れのあまりか涙が浮いている。
 それでも逃げだそうとしないのは、彼女の正義感の強さと攫われた木乃香を救おうとする友達思いの表れだった。

「あんたらにはその鬼どもと遊んでてもらおか。おとついのおかえし、出血大サービスや。
 ま、ガキやし、殺さんよーに『だけ』は言っとくわ、安心しときぃ。ほな」

 千草たちは大岩から跳躍し、空を飛んでその場から逃げ去った。
 追おうにも無数の鬼が行く手を阻んでいる。

 鬼達は少しずつ刹那達を取り囲む輪を縮めていく。

「何や、何や、久々に呼ばれた思ったら……」
「相手はおぼこい嬢ちゃんや坊ちゃんかいな」

 鬼達の中でも、際だって巨躯の鬼が刹那達に声を掛けた。
 この鬼と比べれば、他の鬼でさえもさして強くは見えない。
 大量に召喚されたものの中で、いくらか存在する別格の一鬼だ。

「悪いな、お嬢ちゃん達。
 呼ばれたからには手加減できんのや。恨まんといてな」

 その声を聞いて、アスナは身震いした。
 歯の根が合わず、がちがちと音を立てる。

「せ……刹那さん、こ、こんなの流石に私……」
「お、俺もこんなに強そうでたくさんいる相手は、ちょっと……」
「アスナさん、落ち着いて……大丈夫です!」
「あ、あれのどこがどー大丈夫なのか、俺にはいまいちわからん」

 鬼達はじりじりと近寄り、接触するかどうかとなったときにネギが呪文を唱えた。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。
 ウェルタートゥル・テンペスタース・ウェールス。
 ノービス・プロテクティオーネ・アエリアーレム。
 フランス・パリエース・ウェンティ・ウェルテンティス!!」

 ネギ達の周りに強い風が回り始め、竜巻となる。
 いくらかの鬼達が竜巻に巻かれて吹き飛び、中への侵入や攻撃が不可能となった。
 2、3分ほど竜巻がもたないが、その間に鬼達は手を出せなくなった。

 カモが先導して、四人に言葉を発する。

「よし! 手短に作戦立てようぜ!? どうする、こいつはかなりまずい状況だ!!」
「……『二手にわかれる』これしかありません」

 一瞬言いよどみ、刹那は他の三人を見た。
 声は落ち着いているが、額に汗が浮かび、緊張していることが見て取れる。

「……私が一人でここに残り、鬼達を引きつけます。
 その間にあなた方はお嬢様を追ってください。
 任せてください、ああいう化け物を退治重複するのが元々の私の仕事ですから」
「で、でも……そんなっ……」

 アスナは息を飲んだ。
 目をつぶり、覚悟を決めて、大声でアスナは言った。

「じゃ、じゃあ私も一緒に残るーッ!」
「ええっ、あ、アスナさん……」
「刹那さんをこんなところに一人でのこしていけないよっ」

 大の大人が逃げ出してもおかしくない状況の中、アスナは勇気を振り絞った。
 半泣きになりつつも、刹那を放っておくわけにはいかない、と石にかじりつく思いで、その場に留まろうとした。
 ネギはアスナを止めようとするが、カモがそこへ割り入った。

「いや……待てよ、案外いい手かも知れねえ!
 どうやら姐さんのハリセンはハタくだけで召喚された化け物を送り返しちまう代物だ!
 あの鬼達を相手にするにゃ、最適だぜ!」
「な、なるほど、しかし……」

 刹那はまだ納得がいかない。
 確かにハマノツルギの威力は絶大で、周りを取り囲んでいる鬼相手には必殺の追加効果が付与されている。
 が、それを扱うのが、ただ運動神経がいいだけの女子中学生。
 魔法障壁はないし、気による防御力の強化もできない。
 リスクが高すぎたのだ。

 カモはそのリスクを解消するための案を模索する。

「兄貴!! 姐さんへの魔力供給を、防御とかの最低限に節約して、最大何分まで延ばせると思う?」
「う……術式が難しいけど、五分……いや十分……ううん、十五分は頑張れる!」
「十五分か、短いが仕方ねえ、手を打とう、っていうかそれで手を打つしかねえ。
 現状、無理にあの白髪の少年と戦う必要はねぇんだ。このか姉さんを取りもどせば十分!
 それに兄貴一人なら杖でぶっ飛んでいけるからな……よし!」

 カモは今までに得た情報を元に立てたプランを話し始めた。
 まず、今辺りにひしめいている鬼達は刹那とアスナが引きつける。
 ネギは一撃離脱で鬼達を杖に乗って越えて、木乃香を取り返す。
 取り返した後は、白髪の少年や千草を相手にせず逃げて、刹那とアスナに合流し、援軍が来るまで徹底的に逃げ続ける。

 もちろん、問題は山積みだった。
 刹那とアスナが鬼を引きつけることの限界はわからない。
 召喚された鬼は少なくとも百体を超え、その中で一対一でも苦戦するような別格の個体が何体か存在している。
 もし、耐えきれたとしても、ネギとともに逃げる余力が残っていないかもしれない。

 更にネギが、あの白髪の少年や千草と木乃香を奪還できる確立も未知数。
 千草はともかく白髪の少年は、不意をついたとはいえ関西呪術協会の長を石化するような強さを持っている。
 本気で戦うつもりがなくても、場合によっては戦わざるを得ない状況になるかもしれない。

 その他様々な、『失敗する要因』が無数に存在しているが、今は代案がない。

「それはそれとして、横島の兄さんはどっちと行動を共にするかだ。
 横島の兄さんの強さは俺っちにもいまいち分からねえ。
 姐さん達と一緒にここで鬼と戦うか、それとも兄貴と一緒に行くか……。
 兄さんの場合は文珠っていう状況に応じて対処できる能力があるからな。
 本人はどちらにいくか、という意見をそのまま採用した方がいい気がするんだ」
「俺か? 俺は……ネギと一緒に行くぞ。
 い、いや、あんな大量のおっかなそうな鬼と戦うのが怖いから、じゃなくてだな。
 ただ純粋にネギだけじゃ辛かろう、と思ってだな……」

 横島には装備が足りなかった。
 サイキックソーサー、ハンズオブグローリー、文珠という三つの霊能アイテムいらずの能力を持っている横島だが、全くアイテムの支援がなければ、その力を 百パーセント生かすことはできない。
 神通棍や霊体ボウガンなどはハンズオブグローリーとサイキックソーサーで代用できる。
 しかし、破魔札、封魔札、吸引札は難しい。
 応用範囲の広い文珠で代用出来るとはいうものの、文珠には個数制限があり、お札のように軽々しく使うのは非効率だった。

 現在手持ちの文珠は四つ。
 後先考えずに全部使えば、それだけでかなりの数を減らせるかもしれない。
 しかしいざというときのために一個二個は取っておきたかった。

「私も横島さんはネギ先生と一緒に行く案に賛成します。
 私たちの目的は飽くまでこのかお嬢様の奪還であり、鬼退治ではありません。
 横島さんがここに残ってより多くの時間を稼ぐより、ネギ先生と共に行って少ない時間で帰ってくる方が理にかなっています」
「そうね……でもネギの足を引っ張るようなことはしちゃダメよ、横島さん」
「わ、わかってるよ」

 刹那とアスナも同意した。
 そこでカモが話題を変えた。

「よし、そうとなったらアレもやっとこうぜ! パクティオーだ、パクティオー。
 刹那の姉さんは気を使えるから、そこに兄貴の魔力を上乗せすれば、一気に倍のスーパーパワーアップってわけさ!」
「おいこらまてこの小動物! パクティオーってあれだろ? キスするやつだろ?
 アスナちゃんやあの本持ってる子だけでは飽きたらず、刹那ちゃんまでネギの餌食にするつもりか?」

 すかさず横島は、カモを捕まえてひねり上げる。

「あ、兄さん、落ち着いて! あのときと一緒ッスよ。みんなの命を救うためッス!
 逆に刹那の姉さんがパクティオーしなかったら、刹那の姐さんの命がピンチッス。
 下手したら、このかの姉さんだって助けられないかも知れなくなるんス。
 もし助けられなかったら、あいつらがこのかの姉さんをどう扱うか……言うまでもなく貞操と生命の危機ですぜ?」
「ぐっ……ぐぐぐ……命と貞操とキス……」

 不意に横島はその場にしゃがみこんだ。
 ネギの魔法によって、足下の水は竜巻に弾き飛ばされ、今は元々水底だった地面が見えている。
 そして、それと同時に川魚が、ぴちぴちと跳ねていた。
 横島は右手で川魚を掴み、いじくり回しはじめた。

「あー、お魚さんだー……」
「な、何しているんですか? 横島さん」
「姐さん! 今は横島の兄さんに話しかけないでやってくだせぇ!
 またあのときと同じく、川魚と戯れて、何も見ない聞かないに徹してるんです!
 ほら、見てみてください、横島の兄さんの左手!
 強く握りすぎて、爪が手に刺さって血がでてやす……。
 くぅ、漢だ! やっぱり横島の兄さんは漢の中の漢だァッ!」

 感動にうちひしがれながらも、パクティオーの魔法陣を地面に描くカモ。
 アスナは、カモの中の「漢の中の漢」に対する基準がどんなものかを想像しようとし、バカらしくて止め。
 本来、胸の一つや二つ高鳴らせる立場にいる、刹那とネギもどこかしらけた雰囲気になっていた。
 魔法陣の力によって、気持ちよさを感じつつも、ネギと刹那はパクティオーを終えた。

「風が止む! 来るわよ!」

 横島の介入により、時間を無駄に使ってしまった。
 風の壁が段々と薄くなり始め、魔法の効果が切れかかってきた。

「僕は魔法で血路を開きます。どのくらい倒せるかわかりませんが、できるだけ多くの鬼を倒します!」
「俺も一個文珠を使って、鬼を倒してく。二人とも、頑張れよー」

 ネギが呪文を詠唱し、横島は文珠を取り出して念を篭める。
 風が止まり、内側から外側が見えるとほぼ同時に、ネギは魔法を行使した。

「ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス!!」

 ネギのかざした右手から、一条の雷が放たれる。
 その雷は群れなす鬼の中を真直線に貫き、道を造る。
 雷の後を追うように、進路の周辺に旋風が巻き起こり、周囲にいる鬼達を巻き込んだ。

「でぇぇぃッ!」

 横島は文珠を投げた。
 ネギが『雷の暴風』によって作った進路から、できるだけ離れ、できるだけ鬼が密集しているところを狙った。

「行きます!」
「おうっ!」

 ネギは杖に跨り、横島も直ぐ後ろに跨る。

「アクケレレット!」

 ネギが杖に命ずると、二人とカモを乗せたまま、『雷の暴風』によって作られた道を突き抜けた。
 あらゆる粉塵が巻き上がる中を一瞬で通り抜けるとほぼ同時に、鬼達がいる中で爆発が起きる。

 『爆』の文字が篭められた文珠が発動し、二十匹近くの鬼を一瞬にして消し去った。
 文珠がもたらした鬼達への損害は、それだけではない。
 爆風によって傷ついたもの、爆風に吹き飛ばされてとんできたもの辺り負傷したものの数は消えた鬼の数よりも多い。
 かなりの被害を鬼達に与え、よりアスナ達がやりやすくした。

 ネギ達は鬼の包囲網を突破した。
 空を高速で滑るように飛び、木乃香をさらった一味を上空から探す。
 すぐにそれは見つかった。

 湖の中に存在する祭壇に、光の柱が天を衝くように現れていた。
 そこを中心として、周囲は魔力に満ちあふれ、カモは千草が何か強力なものを召喚しようとしていることに気が付いた。

「兄貴、急げ、手遅れになる前に!」

 ネギは祭壇を見据える。
 このかが石の段に拘束されたまま寝かされ、千草によって魔力を『何か』に献げさせられている。
 ネギの気力は満ち満ち、杖の加速が最高になった。

「高度を一旦下げますよ、横島さん! 高く飛んでいると、撃ち落とされる危険があります!」

 木と空のすれすれの位置を杖は飛んだ。
 幸い、森の中に伏兵は潜んでおらず、撃ち落とされることはなかった。
 森を抜けると、ネギは更に高度を落とした。
 湖の上を超低空で飛行し、移動したことによって巻き起こった風が湖の水をはじき飛ばしていく。

「ネギ! なんか飛んできたぞ!」

 祭壇の方向から、悪魔が飛んできた。
 比喩ではなく本物の悪魔。
 片方の角が折れ、翼の生えたそれは、手に大きな剣を持ち、まっすぐネギ達の方向に向かってくる。

「来たぜ!」
「シム・イプセパルス・ペル・ウナム・セクンダム。
 『ネギウス・スプリングフィエルデース』!」

 自身への契約執行。
 パートナーへの契約執行とほぼ同じく、自分を対象として身体能力の強化を測る魔法。
 無理矢理術式を組んだために、出力が安定せず、まだ未完成と言えた。
 しかし、これで一秒間の間だけ、ネギは超人的な力を出せる。

「マークシマ・アクケレラティオー!」

 最大加速。
 悪魔も接近し、両者が衝突しようとしたその瞬間。

「ネギパァーンチ!」

 ネギの杖は悪魔の懐を抜けた。
 魔力のこもった拳が、悪魔の腹を突き抜け、一撃で悪魔を即死させた。

「兄貴、い、今のは……」
「横島お兄ちゃんの『ヨコシマパンチ』を参考にして、魔力の篭めた拳で殴っただけだよ!
 ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

 気を抜かず、ネギは次の魔法の詠唱を始めた。

 竜巻を巻き起こし、鬼から身を守り、作戦を立てる時間を稼いだ『風花旋風風障壁』
 周囲を取り囲む鬼の包囲網に血路を開いた『雷の暴風』
 今も鬼達の足止めをして戦っているだろう、アスナと刹那への『契約執行』
 そして、今おこなった自身への『契約執行』
 魔力によって強化した拳で殴りつける『魔力パンチ』

 今までネギの消費した魔力の量はかなりのものになる。
 しかし、ネギはまだまだ魔法を唱えようとしている。

「フレット・ウヌス・ウェンテ! フランス・サルタティオー・プルウェレア!」

 魔法の突風が湖の水を大量に噴き上げた。
 祭壇は風によって霧状になった大量の水によって、視界がゼロとなる。

 ネギはそこを狙った。
 更に水煙の中で遅延魔法を唱え、自身への契約執行を更新する。

「シム・イプセ・パルス・ドゥーレム・アディティオナー・ペル・トレース・セクンダース!
 『ネギウス・スプリングフィエルデース』!」

 更に自身への契約執行を三秒追加した。
 杖の上に立ち上がり、背後に乗っていた横島を足蹴にして跳ね上がった。

「このままじゃ攻撃を食らいます、うまく着地してください!」
「どわっ!? おい、ネギ踏む……なっ!」

 横島はネギに杖の上から後ろに向かって、強烈な蹴りでもって落とされた。
 同時に大きな水音が辺りに響き渡り、大きな水柱が立つ。
 杖はそのまま直進して、少年の脇を通り、ネギは祭壇の脇に立った石灯籠を足場として用い、白髪の少年に向かって飛びかかった。

「わああああああああッ! ネギパァァァァーンチッ!」

 魔力のこもった右手が、白髪の少年を捕らえようとしたその直前で、拳は見えない壁に遮られていた。
 白髪の少年が常に身の回りに張り巡らせていた魔法障壁が、攻撃を防いだのだ。
 白髪の少年は、自分の予想のつかない攻撃をしたことに驚きの色を浮かべたが、すぐに冷たい目をしてネギを見た。

「……だから、止めた方がいいと言ったのに……」

 白髪の少年はネギの手首を取り、呟く。

「つまらないね。明かな実力差のある相手に何故わざわざ慣れない接近戦を選択したの?
 サウザンドマスターの息子が……やはり、ただの子どもか。期待はずれだよ」

 白髪の少年は、ネギの攻撃はこれで終わりだと思っていた。
 が、ネギはもう一段用意をしていた。
 掴まれた手の反対の手を、一歩踏み込んで白髪の少年の腹に押し当てた。
 魔力の伴わない接触であるために、白髪の少年が常に身に張り巡らせている魔法障壁も働かない。

「エーミッタム」

 解放、の言葉と共に、押し当てた手から魔法の射手が撃たれた。

 遅延魔法(ディレイスペル)

 事前に詠唱を済ました魔法の、発動タイミングをずらすテクニック。
 水煙の中であらかじめ、魔法の射手の詠唱を終えておき、白髪の少年とにゼロ距離なったところで解放する。
 魔法障壁の効力も最小となり、魔法の射手は貫通。

 ネギが溜めた魔法の射手の属性は風。
 破壊力は低いが、相手を拘束する力がある。
 瞬時に白髪の少年は、魔法の射手によって拘束される。
 基本呪文であるが、ほとんどといっていいほど魔法障壁が働かない状態で、まともに受けた以上、脱出には数十秒の時間がかかる。

 戦闘時に数十秒も動けない、というのはほとんど致命的なことだ。
 ネギと白髪の少年の実力差はかなり開いているが、それでも数十秒の間自由を拘束されるのはかなりの重荷になる。
 しかし白髪の少年は慌てなかった。

「……なるほど、わずかな実戦経験で驚くほどの成長だね。
 認識を改めるよ、ネギ・スプリングフィールド」

 数十秒の時間を、ネギは白髪の少年を倒すことには使わなかった。
 ネギがすべき最優先事項は、木乃香を取り返すこと。
 取り返しても、相手にせず、援軍が来るまで逃げ切ること。

 ネギは白髪の少年を置いて、木乃香が拘束されていた石の段のもとを目指した。
 が、そこには木乃香も、そして千草すらもいなかった。



「……あ〜、死ぬかと思った……」

 そしてここに、白髪の少年はもちろん、ネギですらその存在を忘れていた男がいた。
 ネギに湖に蹴落とされ、なんとか藻掻きながら祭壇にはい上がるあの男がいた。

「……ぐッ」

 濡れ鼠になった男が、祭壇に上がって一番最初に見たものは……拘束されて身動きがとれない白髪の少年だった。
 ネギ・スプリングフィールドが、自分のことよりもこのかのことを優先することを知っていたために、白髪の少年は余裕を持っていた。
 が、しかし、目の前の男は、興味深そうに自分を見ている。
 ちょっとやそっとの相手では負ける気はしないが、目の前の男の情報は皆無。
 強いのか弱いのかわからない。

 見た目的には、頭悪そう、弱そう、小者そう。
 今も尚、興味深そうにしげしげと自分を見つめている。
 だが、もし強かったら?
 見た目が貧弱な分だけ、こんな状況になっていることが歯がゆくなってくる。

「ナァ〜〜ハッハッハッハ! 俺! こういうオイシイとこ取りな役って、だぁーい好きだぁ〜!」

 男――横島忠夫は、哄笑しつつ、ハンズオブグローリーを出した。

「さぁ〜って、アスナちゃんをもうお嫁に行けないような目に遭わせたり、あのタコ人間の孫のお嬢ちゃんを攫ったりする奴には、例えガキでも容赦……。
 ん? ……お前、人間じゃないな、かといって妖怪でもない……。
 まあいい、なんかよくわからない無機物っぽいものが人間の格好をして人間っぽく振る舞っているだけのモンなら遠慮はいらん!
 このゴーストスイーパー、横島忠夫が……ッ、極楽へ逝かせてやるぜ」

 横島は白髪の少年に向かってハンズオブグローリーを振り下ろした。
 途端に魔法障壁がそれを遮る。
 鈍く鉄が震えるような音が辺りに響き、ハンズオブグローリーは弾かれた。

「ぐっ、中々硬いなッ!」

 横島は魔法障壁の強固さに舌打ちをし、逆に白髪の少年は魔法障壁の消耗度に焦りを感じた。
 白髪の少年は、横島の手に現れた剣が一体何なのか、見定めようとした。
 エクスキューショナーソードのようでもあるが、それとは違う。
 出力、密度のわりには、魔法障壁の摩耗が激し過ぎる。
 ネギの魔力パンチよりも更に激しく削られてしまった。

 横島はハンズオブグローリーで再び白髪の少年を攻撃した。
 パンッ、と音を立てて、魔法障壁が割れる。

「往生せいやぁぁぁぁぁッ!」

 白髪の少年は全身に力を込めて、ネギの放った魔法の射手の拘束を破ろうと試みた。
 だが、遅すぎた。

「ぐ……ッ!」

 ハンズオブグローリーによって袈裟切りされる。
 ほぼ同時にネギの拘束を破ったが、一太刀受けてしまった。
 白髪の少年はかなりの力を持っている上に、ここにいるものは『本体』ではない。
 分身体である。
 故に、切り裂かれた程度では死ななかった。
 しかし、それでも大量の魔力を奪われてしまった。
 攻撃魔法なら数発撃てるが、魔法障壁を再び展開している余裕はなかった。

 咄嗟に後ろに飛び跳ねて、間合いを取った。

「し、しぶとい……ッ、もう一発食らえーッ! サイキックソーサー!」

 横島は咄嗟にサイキックソーサーを投擲する。
 白髪の少年は、まっすぐに飛んでくるそれを回避した。
 祭壇へと繋がる木の橋にサイキックソーサーが命中し、爆発。

「ぐっ!」

 サイキックソーサーの起こした爆発に巻き込まれ、白髪の少年は湖に落ちた。
 横島は白髪の少年が落ちた付近の湖面を見たが、暗くてよく見えなかった。
 もっと目をこらして見ようとした、その瞬間……。

 突然の地響きが横島を襲った。

 祭壇よりも先にある、湖の中に存在する大岩。
 注連縄が巻かれているそれは、太古の大鬼神が封印されているものだった。
 天ヶ崎千草は、木乃香の持つ膨大な魔力を用いて、それの封印を解いたのだった。

 光の塊のような大鬼神

 『リョウメンスクナ』

 二面四手の巨躯の大鬼。
 千六百年前に打ち倒された、飛騨の大鬼神。
 まだ上半身しか大岩から現れていないが、それだけでも高さが三十メートル以上ある。

「な、ななななななな、なんだありゃあッ! ほとんど怪獣じゃねーかッ!」

 横島は驚いて声を上げた。
 過去に推定全長百八十メートルの相手をしたことがあったが、今回はあのときよりも状況は厳しい。
 相手の弱点はわからないし、わかりそうにもない。
 横島の上司も今は不在で、『合』『体』しようにも横島に釣り合う霊力の高さの人間はいない。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

 スクナに向かい、ネギが魔法を唱えようとしていた。
 横島はネギに気付き、近くに寄る。
 文珠が三つしかない状況で、スクナに勝てる気はこれっぽっちもなかったが、ネギなら倒せるかもしれない、と思い、応援に駆けつけたのだ。

「や、やれるのか、ネギ? いや、やれ! あいつを倒せ!
 俺じゃ無理! お前だけが頼りだ、倒せ、ネギーッ!」
「ウェニアント・スピリトゥス・アエリアーレス・フルグリェンテース!
 クム・フルグラティオーニ・フレット・テンペスタース・アウストリーナ!」

 ネギは右手に魔力を集中させた。
 魔法のオンパレードだった今日の中で、一番集中し、一番威力を高めた魔法。
 ネギの習得した最高難易度の最高威力を持つ魔法を除き、今使える最も強力な魔法。

 雷の暴風。

「ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス!!」

 雷と旋風が放たれて、スクナの胸の部分に命中した。
 雷の轟音が空気を揺らし、渦巻く旋風が空気を引き裂く。
 スクナの胸に当たると、雷の暴風は四散した。
 ネギの全力をもってしても、まだ完全に現界すらしていないリョウメンスクナを打ち倒すことはできなかった。

 オーバーワークを続けたために、ネギはその場にくずおれた。
 体力も魔力も限界に近づいている。
 疲労のために全身が震え、立ち上がることすらできなかった。

「おいこらネギーッ! 倒せんかったやないか! あんなもん、一体どーすればえーんや!
 とにかく、あのお嬢ちゃん助けて一目散に逃げるぞ!
 文珠は三つ残ってる! お嬢ちゃん助けた後、『転移』でも『離脱』でもできる!
 あのでっかい化け物のことはいい、お嬢ちゃんを助けるなんかいい方法はないか!?」
「兄貴は無理だ! 杖に乗ってこのかの姉さんを助けられるほど体力が残ってない!
 兄貴、パクティオーカードのまだ使ってない機能がある。
 姐さんと、刹那の姉さんを一旦こっちに喚べ! 刹那の姉さんなら、なんかいい方法があるかもしれねーぜ!
 俺っちがもう向こうには連絡してといた」
「わ、わかったよ、カモ君……。
 エウオケム・ウォース!!! ミニストラエ・ネギィ。
 『カグラザカ・アスナ』!! 『サクラザキ・セトゥナ』!!」

 ネギは二枚のパクティオーカードを取り出すと、従者の召喚の魔法を唱えた。
 すぐさま二つの魔法陣が現れて、そこから刹那とアスナが現れる。
 アスナはこちらに来るなり、目の前のスクナを見て悲鳴を上げた。

「ぎゃああああああ! 何よあれ〜!」
「落ち着け、姐さん!
 刹那の姉さん、すまねえ、今の俺たちじゃあの化け物を倒すことはできねえんだ。
 このかの姉さんをなんとかして助けて、横島の兄さんの文珠で逃げる予定なんだが……。
 兄貴の体力がもう限界で……このかの姉さんを助ける方法は何かねえかい?」

 刹那は一瞬顔を顰めた。
 このかは天ヶ崎千草によって拘束されたまま、現在スクナの顔の横辺りにいる。
 空を飛ばなければ、あそこまでは到底行けそうにない。

 刹那には、空を飛ぶ術があった。
 しかし、それは陰陽術ではない。
 彼女が持って生まれた能力に頼らねばならない。
 そしてそれを使ったが最後、ネギ達に正体を見破られ、掟によって消息を絶たねばならなくなる。

 刹那は震えた。

 ただ折角仲良くなれた、折角友達と言ってくれた人達と別れねばならないことに戸惑って震えた。
 そして次には、自分の感情に目が眩み、このかを救うために正体を見せることを躊躇ったことに後悔して震えた。

 目尻に涙を溜め……それをネギ達に見られないように顔を伏せて、湿った声で言った。

「お嬢様は私が救い出します。お嬢様はあの巨人の肩のところにいます。
 私ならあそこに行けますから……ネギ先生、アスナさん。
 私……二人にも……このかお嬢様にも秘密にしておいたコトがあります。
 横島さんは……多分気付いているでしょうが……。
 この姿を見られたら、もうお別れしなくてはなりません」

 刹那は上半身をかがめて、背中に力を入れた。
 そのときそっと、手で涙を拭いていた。

 刹那の背中に突如羽が現れた。
 刹那の正体は、烏族と人間のハーフ。
 しかも、基本的に黒い羽を持つ烏族との混血であるのにその羽の色は白かった。

「……これが私の正体。奴らと同じ……化け物です」

 刹那は自分の体に流れる血を嫌っていた。
 今見せている羽も、嫌っていた。

「でもっ……誤解しないでください。私の、お嬢様を守りたいという気持ちは本物です!
 ……今まで秘密にしていたのは……この醜い姿をお嬢様に知られて嫌われるのが怖かっただけ……!
 私ッ……」

 刹那は叫んだ。

「宮崎さんのような勇気も持てない……情けない女ですっ……」

 アスナはそんな刹那の叫びを意に介さずに近寄り、羽に触れた。
 顔を埋めてみたり、匂いを嗅いでみたり、とにかくいじくり倒した。
 そして、一歩下がると、手を上げて、刹那の腰を思いっきりひっぱたいた。

「なーに言ってんのよ、刹那さん。
 こんなの背中に生えてくんなんてカッコイイじゃん」
「カッコイイとか言うな、アスナちゃん!」

 横島はアスナの言葉を遮るように叫んだ。
 その形相は、激しく、アスナを糾弾しているように見える。

「あの羽が刹那ちゃんの背中にあるということが一体どういう意味なのかわかっているのか!?」
「な、何よ! 刹那ちゃんが人間じゃないからって、そんな態度をとることないじゃないですか、横島さん!」
「いいんです! アスナさん……これが普通の人の反応なんですから」
「刹那ちゃんの言うとおりだ、アホか、アスナちゃん!」

 刹那は横島の言葉に胸を痛めつつも、それを受け入れた。
 彼女は生まれのコンプレックスから、自らを汚らわしいものととらえている。
 だから、他人に忌み嫌われるのは当然で、それすらも自分のせいだ、と思いこんでいる。

 横島はグッと拳を握り、天に顔を向けて涙を流し始めた。

「人間じゃないってことはとっくに知ってたよ。
 つうか、みんな普通に接してたからそんなもんかな、とか思ってた。
 だけど、あの羽を見てカッコイイとか言っちゃダメだ!
 あの羽はな……いつもはどこにしまってあると思う?」
「は?」
「はあ?」

 予想外の言葉に、目が点になるアスナと刹那。
 横島は更に二人に説き始める。

「当然、あれだけのものが普段見えないということは、刹那ちゃんの体内にしまってあるんだろう。
 では体内の一体どこにいつもしまっているのか!? もちろん、胸だ!
 ああ、刹那ちゃん、かわいそうだ。
 ただでさえ胸が小さくてかわいそうだと思ってたのに、更にその胸もニセモノだったな……」

 途中まで横島の言葉を聞いたアスナは、オチが読めたのでハリセンで横島の頭を思いっきり叩いた。
 いつも通り、ぷしゅうーと蒸気が叩かれた頭からもうもうと上がっている状態で、横島は床とキスをした。

「はいはい、横島さんにシリアスをやらせるなんて私がバカだったわ……。
 とにかく、刹那さん!」
「は、はいっ!」

 アスナは刹那の肩にぽんと手を置いた。
 笑顔を浮かべ、ウィンクして、アスナは刹那を元気づけた。

「このかがこの位で誰かのこと嫌いになったりすると思う?
 ホントにもう……バカなんだから」
「うむ。あのお嬢ちゃんは女の子なんだろ?
 別に胸がおおきかろーがちいさかろーが、嫌いにはならんだろ。
 あ、俺は駄目だぞ。最低でもアスナちゃんくらいは胸がないと俺はダメだ。
 まあ、アスナちゃんは中学生だから、どっちにせよ数年後に期待、ということで……」

 再び横島は床とキスをした。
 今度は一度張り倒すだけに留まらず、地面に倒れた横島にアスナは何度もハマノツルギを振り下ろす。
 早くも横島はアスナのツッコミに順応し、気絶時間を短くしていた。
 それに応じるように、アスナもツッコミを強化していく。

「よ、横島さんは口を挟まないでくださいッ!
 話のレベルがぐーんと下がって、バカらしくなっちゃうじゃないですか!
 ……コホン」

 刹那の呆気にとられた表情に気付いて、アスナはわざとらしく咳をした。
 ツッコミをいれていたときの顔から、再び真剣な顔を浮かべて、刹那に向かい合った。
 ほんの少し頬を染めているのは、あのツッコミを見られたことの恥ずかしさから。

「とにかく、このかを助けてあげて!
 いい? あなたは化け物なんかじゃないわ、私たちの友達よ!」
「はい! 刹那さんは僕の大切な生徒です!」

 そこへまだ完全に復活しきっていない横島が、体を引きずるようにして立ち上がった。
 この会話の流れに、参加しないのはなんとなくもったいないような気がしたのだ。
 気力で言葉を紡ぎ始める。

「お、おう……刹那ちゃんはいい子だ。
 少なくとも俺を殺しかけても、ちゃんと謝ってくれるからな……。
 俺の上司やら、上司の友人やら、俺を何度も殺しかけてるのに謝ることなんか全然しないんだよー。
 胸のちいさ……あ、いや、ごめん、アスナちゃん、もう胸のことは言うのやめるから……。
 と、とにかく、そーゆー人達と比べれば刹那ちゃんはまるで俺のこと好きなんじゃないかと思っちゃうくらい優しいわけで……。
 あっ! ああああッ、あああッ!」

 横島は突然声を上げた。
 今度は一体何か、と全員横島の顔を見た。
 横島は、スクナをどうにかする方法を突如思いついたのだ。
 血まみれだなんていられない、とばかりに復活し、思考をまとめ、思いつきを実行するためのプランを組み立て始める。

 現在所持している文珠の数は三つ。
 スクナを倒すとなれば、三つの文珠だけでは圧倒的に足りない。
 が、搦め手で攻めるのならば、たった一つの文珠で事足りる思いつきだった。

「刹那ちゃん。あの怪獣って、完全形態になったらあの猿のお姉ちゃんの言うとおりに動くんだよな?」
「そ、そうです。あいつはこのかお嬢様の魔力を使って、制御権を得るでしょう。
 そうなったらば、私たちにとっての最悪の状況です」
「よし、ネギ。お前、空は飛んで、あのお嬢ちゃんを運べるか?
 別にあの猿のお姉ちゃんと戦う必要はなく、ただ運ぶだけだ」
「できる……と、思います、いえ、やります! 絶対にやってみせます」

 ネギは息を切らせながらも、力強く答えた。
 横島はネギの様子を見て、与えた任務がこなせるものと判断した。
 更に刹那に指示を出す。

「じゃあ、刹那ちゃん。まず君はあのお猿のお姉ちゃんのところに飛んでいって、お嬢ちゃんを奪還。頼めるな?」
「は、はい!」
「そしてその後、お嬢ちゃんをネギに渡すんだ。ネギは受け取ったらすぐに戻ってきていい。
 それで、刹那ちゃんはあのお姉さんを捕まえて、こっちに連れてきて欲しい。
 殺しちゃダメだ、殺したら、あの巨人が制御できずに好き勝手暴れるかもしれん」

 横島はそういうと、刹那に文珠を一つ持たせた。

「なるべくなら使わずに持ち帰って欲しいが、手間取るようだったら躊躇わずにこれを使って、猿のお姉さんを捕まえてくれ。
 いいか、くれぐれも殺しちゃダメだぞ」
「ですが、あの巨人が完全に現界してしまえば、千草を捕まえていようがいまいが私たちの手に負えるようなことでは……。
 大丈夫だ、大丈夫、俺を信じて、ここは一つやってくれ! 俺だって死にたくない。
 とゆーか、今この状況で、逃げたくてたまらん」

 横島はGジャンの袖をめくりあげた。
 腕は恐怖のために鳥肌が立ち、微かに震えていた。
 足も動揺に、がくがくと震えている。

「とにかく頼むぞ! もし上手くやってくれたら、ご褒美にキスしちゃるぞー」
「……え? あ……それって、ご褒美なんですか?」
「くっ……チクショー、俺のキスは罰ゲームかッ!
 ま、まあいい、本当、頼むぞ! 行ってくれ! 刹那ちゃん、ネギ!」
「はいッ!」

 刹那は背中の羽を羽ばたき空を飛んだ。
 ネギも、少しよろけながらも杖に跨って後を追う。

「何をするんですか、横島さん」

 結局、千草を捕まえて何をするのか言わなかった横島に、アスナが聞いた。
 ネギも刹那もスクナの肩のところにいる千草のところへ飛んでしまい、それを眺めているしかない二人は暇だった。

 アスナの問いに横島は少し渋い顔をして答える。

「あんまり使いたくない使い方するんだよなー、これが。まあ、非常時だからしゃあない。
 『操』とかそういうのは、ああいう魔法使いみたいな相手は精神耐性持ってるだろうから、利きづらいだろうし」
「はあ?」

 横島の断片的な言葉では、アスナは理解できずに頭を傾けた。

「文珠を使ってな、猿のねーちゃんに言うこときかせるようにするんだ。
 『暴れるな』っていう命令を、ねーちゃんを通してあの巨人にするわけ。
 ストレートにそういったことを命じるのは、精神の力で弾かれるから、婉曲的、間接的に命じさせるようにするんだ」
「……よくわからないので簡単に聞きますけど、なんて文字をこめるんですか?」
「う……言いたくない……」

 横島は経験上、これから使うであろう文珠はスクナを封じ込めることに有効であっても、あまり周囲にいい印象を与えないものであることを悟っていた。
 また、同時に自分でも、出来れば使いたくないものでもあった。
 しかし、ここまで至ってしまったら、自分だけの感情で手段を選ぶことはできない。

 横島はスクナの肩辺りを見た。
 結構距離があるために、細かいところは見えないが、刹那と千草が戦っているのが見えた。
 千草はいつぞや見た猿鬼と熊鬼を空中に出して、迎撃しようとする。
 が、完全にスイッチの入った刹那には、さしたる障害ではない。
 一瞬で夕凪で二鬼とも斬り倒し、千草の腕の中のこのかを奪い取った。

「おおっ、やったな、刹那ちゃん!
 あとはあのお猿のねーちゃんを捕まえてくれ……よ?」

 次の瞬間、千草は何かによって拘束された。
 拘束されたことにより、術が使えなくなったのか、そのまま地面に向かって落ちていく。
 そこへ、杖に乗ったネギが機転を利かせて滑り込み、千草を拾って、捕獲した。

「何をしたんですか? 今の……」
「多分、お嬢ちゃんを助けるときに文珠を猿のおねーちゃんの裾かなんかに入れといたんだろう。
 『縛』あたりの字をこめてたんだと思う。
 できれば、あれもストックにしときたかったんだが、予想以上に早い仕事をしてくれたんだ、文句は言わん。
 つーか、刹那ちゃん文珠の使い方上手いなあ」

 ネギは千草を抱えたまま、低空で飛行し、刹那よりも早く横島の元へと戻ってきた。
 刹那は高空の月光の下でゆっくりと飛行している。
 ちょうど向こうでは、羽を見られた刹那が木乃香に嫌われるんじゃないかと脅え、木乃香はそんな刹那の羽を見て、天使みたいだ、と言っていた。

 千草は『縛』られたまま床に転がされる。
 落ちたときには少し顔をしかめたが、横島と向き合うとすぐさま余裕の表情を取り戻した。

「ふふん。もう遅いわ。スクナが完全に現界するのは時間の問題……。
 ウチを捕らえておっても、スクナが現界してしまえばあんたらなんて五秒と経たずにやっつけられるんやで?
 ウチを殺すか? 殺してもええよ。ただ殺したらあのスクナは暴れたい放題や。
 いくらなんでもウチが操るんなら、堅気には手ぇ出さん。
 けど、ウチの制御を外れたスクナが、堅気に手ェ出さんかどーかは知らんなあ」
「猿のねーちゃん、頼むから穏便にアレ……スクナっつーのか? 封印してくれないか?」
「そんなん出来るわけないやろ。
 今すぐ『どうか命ばかりはお助けを〜』ってウチに命乞いした方がええで。
 ま、許すかどーかはウチの気分次第やけどな」
「ちっ……しゃーないな……」

 千草の説得は完全に不可能。
 スクナが完全現界しただけで千草の勝利は確定することになる。
 少なくとも、千草は勝利すると思いこんでいる。
 召喚する手だてを既に終え、あとは大岩からスクナが出てくるのを待つだけ、という段階で、千草が説得に応じるメリットはほとんどなかった。
 そもそも説得を試みようとしたこと自体が、時間の無駄。
 しかし、敢えて横島が話し合いを持とうとしたのは、微かな希望に思いを託したためだった。

 横島は交渉が決裂したため、大きく溜息をつくと横島は残り二つとなった文珠の一つに文字を篭めた。

「何するんや?」
「ちょっとお口を開けて貰うぞっ、と」

 横島は千草の鼻を摘み、口を開けさせるとその中に文字を篭め終わった文珠を放り込んだ。
 急に口内に入ってきた異物に、千草は反応できず、飲み込んでしまう。

「……な、何をしたんや!? もしや、精神操作の類?
 いや、ウチはこれでも呪符使いや……そんなもんにやられるわけが……」
「そーだろーなー……『操』の文珠なんて使って解決できるんなら、そーするんだが。
 俺たちを拒絶する強固な意志を持っている相手に、それが通用するか不安だったからな。
 催眠術やらなんやらで人が嫌がってることやらせよーとしても、中々うまくいかんらしーし。
 まあ、余程強力な催眠術だったら別だろうけど。
 じゃあ無理矢理そのまま言うことを聞かせるようにするんじゃなくて、拒否する気持ちをとっぱらおうって考えたわけだ」

 千草の表情が段々と変わっていく。
 顔が火照り、息が荒くなって、胸が苦しそうに身を捩り始めた。
 横島の使った文珠がうまく利いているという証拠なのだが、横島は何故か浮かばない表情をしている。
 横島はハンズオブグローリーを出して、千草の拘束を斬った。

 文珠『縛』は、対象者がその拘束から抜け出そうと思っても、そう簡単にはほどけないようになっている。
 しかし、対象者ではないものが拘束をほどこうとするのは比較的たやすく出来る。

「よ、横島さん! 自由にしていいんですか!?」
「ああ、気にせんでえーよ、アスナちゃん」

 千草の拘束がほどかれると、千草は横島の顔を見た。
 それと同時に、突然立ち上がり、横島に向かって飛びかかった。

「横島さん! 危ないッ!」
「横島お兄ちゃん!」

 横島は千草の動きはそれほど素早いものではなかったものの、避けようともせずに受け止めた。
 ネギとアスナはそれが横島が襲われたものに見え、慌てて声を上げた。

 が、横島は別段焦っているわけではない。
 かといって余裕でもなく、ただ複雑そうな表情を浮かべていた。

「あんた……」

 千草が呟いた。
 千草は横島の胸あたりに頭を押しつけ、腕を脇の下に回して、背中をぎゅっと締め付けるように抱いていた。

「好き!!」
「お前ってやつはかわいいぞチクショー! わははははは」

 ネギとアスナはすっ転んだ。
 横島はやけになり、大笑いしながら、地面に転がっているネギとアスナに説明した。

「まあ、つまり、『俺が嫌い』だから『俺の言うことを聞きたくない』だから『文珠を使っても言うことを中々聞いてくれない』
 だったら原因をそのまま文珠で書き換えて、『俺が好き』だから『俺の言うことを聞く』とまー、こういうわけで。
 文珠にこめた文字は『恋』だよ、コンチクショー!
 ……んな汚物を見るような目はやめろー! こーするしかなかったんだよ!
 だから使いたくなかったんやーッ! あのときも、帰りのヘリから吊されるよーな目にあって……」

 横島はアスナ達の視線から逃げるように目を逸らした。
 アスナ達の視線がとても痛く感じられた。
 実際のところ、アスナ達は横島のことを見損なった、という感じでは見ていなかったのだが、横島のやましいところを持つ心がそう見せていたのだった。

 アスナ達はアスナ達で惚れ薬を作ったことがあるために、あまり強く言えなかった。

「えっと、お猿のねーちゃん、名前はなんてったっけ?」
「千草です。天ヶ崎千草言ーます。ちぐさ、って呼んでくださいまし。あなたのお名前は?」
「横島だ、横島忠夫。で、千草ちゃんとやら、スクナとかいうアレをまた封印してくれ」
「イ・ヤです」
「ドチクショーッ! 使いたくない文珠使ったのにこれかーッ!」

 横島は夜空に向かって絶叫した。
 色々溜まっていたものがあったらしく、かなりの声量で遙か遠くまで響いた。
 もちろん、上空にいる刹那と木乃香にも聞こえ、いい空気がぶち壊しになっていたのは言うまでもない。

 一通り息が切れるまで叫び続けると、千草はひっしと横島に背後からしがみついた。
 密着度は高く、胸などの部位が横島の背中に押しつけられる。

「あ、ああっ、気持ちいいけど、それを顔に出してはいかんっ!」

 横島の顔は酷くだらしないものになっていた。
 千草はそんな横島の耳元で、そっと何かを呟く。

「なぁっ!? きっ、きききき、キスしたらスクナを戻すだってぇっ!」
「あん、大声で言わんといてーな……」

 千草は恥ずかしそうに体を離すと、顔を赤らめて、もじもじと動いた。
 千草のことを美しい、と思っていた横島だが、挙動は非常にかわいらしく感じた。
 乙女らしいというか、古いというか、文珠の効能かもしれないが、どこか初々しさが見える。

「はっ!」

 横島はアスナ達のことを思い出して、正気に戻った。
 アスナ達は三歩離れた地点で、こちらを見ている。
 ネギに至ってはあんぐり口を開けたまま、呆然としてみている。

 横島は視線をとても痛く感じた。

「おっ、お前ら、パクティオーだかなんだかをするときになったらドキドキしとるくせに、俺がキッスを迫られると何故そんなに汚物を見るよーな目をするん じゃーッ!
 俺だってな、俺だってな、こんな人の心を弄ぶよーな使い方は非常時じゃないと絶対せんぞ!」
「べ、別に私はそんな風に……」
「うっ、嘘だーッ! きっと俺のことを人でなしだとか思ってるんだーッ!
 文珠使って女性を惚れさせてる鬼畜だと思ってるんだーッ!
 んな甘いモンとちゃうぞーッ! 文珠使って精神操作するほど情けなくなることなんてないぞーッ!
 第一、いくら俺でも人の気持ち操作するほどおちぶれちゃいねーッ!
 だ、だから、今は嬉しくない、嬉しくないぞぉぉぉ!
 胸が背中にくっついていても、俺は何もやましいことを考えちゃいないッ!」
「落ち着いてください、横島お兄ちゃ……」

 千草がばっと飛びついて横島とキスをした。
 貪るように唇に吸い付き、舌が横島の口の中に侵入をしてくる。
 口内を柔らかくて、じっとりとした肉がはい回る。

 アスナはネギの目を咄嗟に手で塞ぎ、自分も目を閉じて……うっすら目を開けて千草と横島のキスを見ていた。
 パクティオーのときとは違い、唇と唇が触れるだけのキスではなく、口と口との粘液との接触。
 横島はがっしりと千草に頭を抑えられ、喉をぴくぴくと振るわせている。
 千草にとろとろと注がれた大量の唾液を飲み下しているのだ。

 外国の映画のキスよりも、アスナにはもっと濃密に見えた。
 一種のエグさすら感じる。
 そのエグさが、何故だかアスナの心臓を高鳴らせていた。

「ぷ、はぁッ!」

 横島が千草の唇から解放される。
 千草と横島の口の間には、二人の唾液が混じり合った粘液の糸がつつーっと垂れ下がっていた。
 千草はちろちろと舌を出し、銀色の糸を引き寄せて、自分の口の中にすするようにいれる。
 指で自分の口の周りの唾液を集めて、愛おしそうにしゃぶり、横島の口の周りの唾液は舌でじっとりと舐め取った。

 ようやく千草の腕の中から逃げることのできた横島は夜空に向かって絶叫した。

「チクショー! 気持ちよくなったり、うれしかったりする俺のバカヤローッ!」

 そしてそのまま崩れ落ち、しくしくと泣き始めた。
 千草は千草で幸せそうな表情を浮かべ、手を頬に当てて、もじもじとしながら言った。

「あぁん……ウチ、キスされてもーた……どないしよ……」

 正確にはキスされたのではなく、キスしたのだが、訂正を入れる人はそこにいなかった。

「ど、どうしたんですか? アスナさん、横島お兄ちゃんは一体何をされたんですか?
 なんであんなに叫んだり、泣いたりしたんですか?」
「う、うるさいわねっ! あんたには十年早いわよ!」
「あ、アスナさん、顔すっごく赤いですよ? どうしたんで……」

 スパァンとアスナはネギを叩いた。
 ネギは床に顔をつけ……そのままドクドクと赤い物を流す。

「あ、兄貴ーッ! しっかりしろーッ!
 姐さん! 兄貴は、横島の兄さんじゃないんだぜ!?
 あんなツッコミいれられたら、気絶どころじゃすまねぇぞ!」
「あ、ああっ、ご、ごめん、ネギ! 横島さんとつい同じノリでツッコミを……」

 そんなドタバタしているところへ、ようやく刹那と木乃香が戻ってきた。
 横島は道の隅でしくしくと泣き、千草はいやんいやんと一人身をくねらせている。
 ネギは鈍器で殴られたかのように地面に倒れて、赤い物を流し、その上でアスナとカモが大変だ、大変だぁー、と慌てている。

 正常じゃなかった。
 一体何が起きたのか全く理解できず、混乱を極める刹那。

「い、一体何が起きたんですか!」

 刹那は泣いている横島に聞いた。
 横島は刹那の姿を認めると、ぐしぐしと涙と鼻水を拭き、なるべく平常を装って言った。

「いや、何でもない……何でもないんだよ……。
 刹那ちゃん、俺の与えた任務をこなしてくれてありがとう。
 これであのスクナっつーやつは封印できる」
「はあ……でもどうやって封印するんですか?」

 そこへようやく復活を遂げた千草が口を挟んだ。

「ウチがスクナに命令します」
「あ、天ヶ崎千草……ッ、貴様、何を考えてる!」
「いや、いいんだ、文珠の力だ……。
 いいか、刹那ちゃん、何の文字を篭めたとか、そういうのは絶対に聞くな!
 アスナちゃんにも、ネギにも、あの小動物にも、だ!
 ただわかってほしいのは、今回が非常も非常の非常時だったから仕方なくやったんだ。
 ソコんとこ理解しといてくれ」
「は、はあ……」

 いまいち釈然としない刹那だったが、それ以上追求することはやめた。
 横島がそう言っているのならばそうなのだろう、と無根拠であるが、今は信じる他ない。
 それでこれからどうすればいいのか、と聞こうとしたとき、木乃香が横島に気が付いた。

「あ、やーん、ウチ、裸で……」
「おっと、そうだった。ちぃっと濡れてるけど、これで我慢してくれ」

 横島はGジャンを脱いで木乃香に被せた。
 木乃香は横島の顔を見て、今日の朝に見た顔を思い出した。

 ゲームセンターでぬいぐるみをくれた人……。

「あー、手から光の剣を出す人やんかー。
 ……せっちゃんは天使になったし、お兄さんは光の剣出すし、なんやファンタジーの世界みたいやなあ」
「お嬢様、全ては後に説明します。
 横島さん、それで封印は、一体どのようにするんですか?」
「……ん? そういやどうやってやるんだ?」
「それなら、ウチがスクナの元へ行って、命じるだけで……」

 そこへ、突然、水音がした。

「させないよ……。
 ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト。
 パーシリスケ・ガレオーテ・メタ・コークト・ポドーン・カイ。
 カコイン・オンマトイン・ト・フォース・エメーイ・ケイリ・カティアース」

 白髪の少年が突如湖の中から飛び出し、空中に浮いたまま呪文を唱え始める。
 全員白髪の少年を見、戦わずに逃げ出した。

「横島さんは千草を連れて、あの巨人のところへ行ってください!」
「おう! 文珠ッ! 『飛』」
「ネギ先生とアスナさん! 白髪の少年を足止めしてください!
 私はお嬢様を安全なところへ連れて行きます」
「わかったわ、刹那ちゃん! このかにも、横島さんにも手を出させはしないッ」
「刹那さん、このかさんのことを頼みます!」

 流石は全員修羅場を抜けてきた中なのか、反応は早かった。
 横島は文珠に『飛』の文字を入れ、千草を抱えて、スクナのいる大岩へと飛ぶ。
 刹那は木乃香を抱えたまま、本山の方向へ逃げて、ネギとアスナは白髪の少年への迎撃に備える。

「トーイ・カコーイ・デルグマディ・トクセウサトー。
 カコン・オンマ・ペトローセオース!」

 白髪の少年の指先に魔力が溜まり、詠唱の終了と共に光線が放たれた。
 光線は祭壇を分断し、触れるものみな石にしたが、幸い誰一人直撃することはなかった。
 横島に斬りかかられたことのダメージがまだ残っていたのだ。

 白髪の少年は分身体。
 それも水を使ったものだ。
 落ちたところが湖だったために、湖の底で傷の応急処置をし、必要と思われる魔力を溜めていた。
 横島に斬りかかられたところは思いの外重く、魔力の流出も激しかった。
 完全、とは言わないものの、戦闘し圧倒できる状態になるまでもう少し時間がかかった。
 しかし、湖上の話を伺っているとそれを待っている暇はなかった。
 それで今湖の中から姿を現し、攻撃をしたのだが……ダメージが間引いて魔力の集中が散ってしまった。
 一撃で全員仕留めるとまで、夢を見ていなかったが、それでも一人や二人戦闘不能に持ち込めるとは思っていた。

 白髪の少年は横島を狙おうとした。

「サギタ・マギカ・ウナ・ルークス!」

 そこをネギが魔法の射手で攻撃をした。
 前半部の詠唱を省略し、一本の矢が白髪の少年の手を弾き、邪魔をする。

 さっきの白髪の少年の石化光線を、ネギはかすっていた。
 右手が石化し始めている。
 ネギもまた、アスナのツッコミによって負傷しており、回復が間に合わず、動きが遅くなってかわしきれなかったのだ。
 直撃は受けていないため、一瞬にして全身が石化するようなことはないが、ゆっくりと体をむしばんでいく。

「ね、ネギ、大丈夫なの!?」
「大丈夫です……アスナさん、すいません、こんなことまで巻き込んでしまって」
「バカッ! そんなこと今言うんじゃないわよ!」
「……横島お兄ちゃんがあの巨人を封印してくれるまで、全力であいつを足止めします。
 いえ、足止めではなく、絶対に倒します! アスナさん、協力してください、アスナさんの力が必要なんです!」
「……わかったわ、ネギ、いくわよッ!」

 ネギとアスナは白髪の少年と対峙し、戦闘を開始した。




 一方、横島の方は。

「どわぁああ! ぶ、ぶつかるぅぅぅ!!」

 千草をお姫様だっこして、大岩の付近をあっちへいったりこっちへいったり飛行していた。
 文珠で空を飛ぶのは、初めてのことではないが、一文字での飛行は極めて不安定だった。
 とても空中で姿勢を保つのが難しく、ベクトルもあちらこちらに散って、うまく着地が出来ない。

「しあわせや〜……」

 千草は千草で自分一人で空を飛ぶことができるのだが、横島に密着していることに幸せを感じ、一秒でも多くそうされていたい、という欲求のままに惚けてい た。

「く、くそっ、頑張れ、俺! ネギ達が全員石になるまえに終わらせるんだッ!」

 このまま進んだら大岩にぶつかってしまう……そういった危険性があるにもかかわらず、岩に向かってベクトルを定めた。
 急にスピードが上がり、千草がきゃあと叫んで横島の首にしがみつく。
 横島は額に血管を浮かばせながら精神集中を行い、速度を緩める。
 着地する寸前にスピードが殺され、横島は足で大岩を踏んだ。
 すぐ前には、スクナの腹が見える。

「やった! よし、千草ちゃん。スクナを封印してくれ」
「はい、横島はん」

 千草は横島のほっぺたにキスをして、名残惜しそうに自分の足で立った。
 スクナの腹に触れて、呪文を唱える。
 2、3分もしないうちに唱え終わると、振り返って横島に満面の笑顔を浮かべた。

「終わりましたえ。これでもうスクナはゆっくりと封印されます……!?」

 そのとき、突然異変が起きた。
 スクナの周囲に巨大な結界が出現し、スクナの動きを阻害しはじめたのだ。

「なんだなんだ!? これが封印なのか?」
「ち、違います! スクナはゆっくり岩に戻ってくだけで、この結界はウチのじゃありまへん」
「じゃあ、一体……!」




 時間は少し遡り、ネギとアスナの戦いは……。

「やはり、魔力完全無効果能力か?」

 ケガを負っているとはいえ、白髪の少年との力の差は大きかった。
 圧倒的な速さと体術で、ネギとアスナを攻撃し、打ち倒す。
 二人が尻餅をつき、決定的な隙ができたところで、白髪の少年は再び石化光線を放った。
 咄嗟にアスナがネギを庇い、光線を浴びる。

 が、アスナは石化光線を浴びたにもかかわらず、服のみが石化し、体は無事だった。

「まずは君からだ、カグラザカアスナ!」

 白髪の少年は右手に魔力をためて、ネギではなくアスナを狙った。
 石化光線『石化の邪眼』を直撃しながら、石にならない……。
 この世界で片手の指に足るほどしかいないマジックキャンセルスキルを持つ、アスナに狙いを定めた。

 が、その拳を、ネギが受け止めた。
 尋常な反射神経と筋力ではできない芸当だった。
 魔力で強化された拳の手首を、掴みとるなぞ、相当な執念を持っていないとできない。
 しかし、ネギはやってのけた。
 一回の戦闘で驚くほど成長を見せている。
 ネギは白髪の少年を、怒りに燃える瞳で睨み付ける。

「あ、アスナさん、だっ、大丈夫ですか?」
「うん、ネギ、大丈夫よ……」

 ぺきぱきとアスナの石化した上着にヒビが入る。
 ハマノツルギを握り直し、白髪の少年を打ち据える。

「悪戯の過ぎるガキには……おしおきよっ!」

 白髪の少年はハマノツルギの直撃を受けた。
 魔法障壁すらない生身の状態で殴られて、横島のハンズオブグローリーに斬りつけられたときとは比にならない量の魔力が流出していく。
 もはや、分身体を維持できるのも不可能になりかけている。
 あと数秒で崩壊するところまで迫った。

 しかし白髪の少年は一矢報いようとネギを見た。

「兄貴、今だ!」
「ぅおおおおおおッ! ネーェッギパァァァァンチッ!」

 白髪の少年の攻撃よりもネギの攻撃の方が早かった。
 石化している右手に魔力を篭め、気合のこもった声と共に殴りつける。
 拳は白髪の少年の顔面に命中した。

「くぅぅぅッ!」

 白髪の少年の肉体が、瞬時に水となる。
 度重なるダメージによって耐えきれなくなり、水に返ったのだ。
 アスナはその様子を見て叫んだ。

「逃げられた!?」
「いえ……倒しました。白髪の少年は、元々この水が魔法によってあの形をしていたんですよ。
 ありがとうございます、アスナさん。なんとか横島お兄ちゃんの足を引っ張らないように……」

 アスナはネギを抱きしめた。
 優しく抱擁し、自分の子どもに話しかけるように諭した。

「バカね。あんたは立派にやってのけたのよ。
 そりゃ、横島さんやアタシの力を借りたでしょうけど、あんたがやったの。
 もっと自分に自信を持ちなさい」
「アスナさん……」
「そうだ、ぼーやにしてはよくやった」

 そこへ不意に姿を現すものがいた。
 ネギの影から、ずるりと体を出すハイデイライトウォーカー。

「本当はもう少し前から助けることができたが……あのアホがいたからな。
 何も教えず、じっくり観察することにしたんだよ」
「え、エヴァンジェリンさん! どうしてここに!?」
「何、ジジィに依頼されて、お前らの援護しに来たんだよ。
 あの若造に、お前がどこまでやれるかと思って見ていたんだが……まさか倒すとは思わなかったよ」

 遙か彼方の麻帆良学園で、登校地獄と学園結界に縛られている存在。

 『闇の福音』『不死の魔法使い』『人形遣い』

 様々な二つ名を持つ吸血鬼。
 長い金髪を夜風にたなびかせ、闇に溶けるような黒いマントを羽織り、対照的な白い肌の少女。

 エヴァンジェリン・A・K・マグダウェルは、ネギとアスナの二人を見て、にやりと笑いながら言った。

「今回のことで随分仲良くなったみたいじゃないか、二人とも」
「えっ?」
「あっ!」

 気が付いたら、アスナは半裸。
 その状態でネギを抱きしめていたのだ。
 アスナもネギも顔を真っ赤にして離れる。
 アスナはネギ達に背を向けて立ち、ネギは落ち着かない様子で目を泳がしている。
 エヴァンジェリンは、その様子を楽しそうに眺めていた。
 一通り楽しむと、エヴァンジェリンはおもむろに口を開いた。

「さて、私は私の仕事をすることにしよう」
「仕事?」
「あの鬼を倒す。大規模殲滅魔法で、粉々にする」
「あ、あれは横島さんがなんとか再封印するって言ってました」
「ああ、知っている。まだあそこにいるな。鬼を喚びだした術者が、封印の呪文を唱えている」
「じゃあ、なんで?」
「なんで? じゃないよ、ぼーや。『だから』するんだ」

 エヴァンジェリンはマントの力によって空を飛んだ。
 数メートル上がると止まり、ネギを見る。

「あのアホは私に屈辱を与えた。
 しかし通常の行動を見る限り、本当にアホなのかそれともアホを振る舞っている大物なのかわからん。
 だから『通常』じゃない状態での行動を見て判断してやる。死ねばただのアホ、死ななければそれ以外。
 まあ、いきなりというのもなんだから、警告だけはしてやるよ。
 そこで大人しく見ているんだな、ぼーや。最強の魔法使いの、最高の力をな」

 そのとき空中に浮遊していた茶々丸が、スクナに向かって結界弾を発射した。
 結界弾が命中すると、瞬時にスクナの周りに結界が張られる。
 スクナの動きは封じ込められた。
 スクナほどの質量相手では、結界が持つのはせいぜい十秒程度。
 今回の場合、スクナは抵抗しないだろうから、更にそれに二十秒ほどプラスして考えていい。

 そもそもスクナは、千草によって再封印される運命にあった。
 結界など張らなくても、避けられることも防がれることも、抵抗されることもない。

 エヴァンジェリンは焦らず急がず、空中に漂いながら、これから起きるだろう光景を楽しみに待っていた。
 茶々丸に合図を送り、結界の中で慌てているだろう横島に警告を送った。




 そこで再び、場面は結界に閉じこめられた横島に話は戻る。

「マスターが今から大規模殲滅魔法を唱えます」

 茶々丸が声量一杯にして、スクナの大岩にいる二人に呼びかけた。
 横島はその声を聞きつけると、大声で外へと言葉を返す。

「こいつはもう再封印されることになってるぞー!」
「それでも唱えるそうです。巻き込まれて死なないように頑張ってください。
 150フィート四方を極低温の空間にする魔法ですので、生半可な手段では防げません」
「な、なんだってぇー!?」

 横島はふと気が付いた。
 呼びかけてきた声の主の姿は見えないが、どこかで聞いたことがある気がしたのだ。
 必死に記憶を辿り、その相手を見つけた。

「あ、あんのクソ幼女と一緒にいたアンドロイドかッ!
 クソッ、ヤルっつったら絶対にやりそうだ!
 あああああッ、あんときの恨みをここで晴らそうってのか!?
 勝手に幼女が怒り狂っているだけで、俺はなんもしとらんとゆーのにッ!」

 頭をがしがしとかきむしり、泣きわめく横島。
 千草も、最初声をかけられたときはただの冗談かと思っていたが、横島の様子を見て、本当にそうではないかと思い始める。
 『恋』の文珠によって、横島に惚れているために、横島の言っていることを理由もなく信じ込んでしまった。

 今、何をできるのか、を考えて、その結果、自分よりも横島を優先することに決めた。

「横島はん……ウチの護符があります。これで身が守れますから」

 千草は自分の懐から何枚もの護符を出し、横島に渡した。
 横島は護符を見て目をぱちくりさせ、千草を見た。

「どれくらいの魔法が来るのかわかりまへんけど……もしかしたら助かるかもしれまへん」
「おおっ、ありがとう! で、でも、お前はどーすんだ?」
「ウチ? ウチはえーですねん。元をと言えばウチが元凶ですし……大人しくここで死にますわ」

 どこか悟ったような声で千草は、笑顔を浮かべて呟いた。
 横島に背を向け、自分で自分を抱きしめて、顔を上に向ける。

「あ、アホかッ! そんな軽々しく死ぬとか言うんじゃねぇ! こいつも返す!」

 横島は手に持っていた護符を全て千草に叩き返した。

「……ウチかて死にとぅないわ……。けどな、横島はんはどーしなはるんですか?
 護符も持っとらんし、防御手段があるようには見えへん……」

 千草は返された護符を見ながら、呟くように言った。
 『恋』の文珠によって、横島を慕い、自分よりも横島を優先させる千草。
 そんな千草を見て、横島はより一層深い罪悪感にさいなまれた。

「う、うるさいうるさいッ! お、俺はだな……もうすんごい力があって、どんな魔法にやられても負けないんだッ!
 じっ、自分の身は自分で護れるわいッ! て、敵のお前なんかに情けかけられるほど落ちぶれてないッ!
 お、お前なんて嫌いだーッ、あっち行け!」
「よ、横島はん……」

 空元気を振り絞って、千草から逃げた。
 逃げた、といっても大岩の上、千草の反対側まで走ると止まり、無鉄砲に走ったことを後悔しはじめる。

「だーっ! 出てこい文珠……ッ!」

 しかし、今日は既に三つも文珠を出していた。
 巫女さんパワーで霊力を増幅したのだが、それでも三つも出せば余裕なんて残っていない。
 そこで、横島は奥の手を使うことにした。

「煩・悩・全・開ーッ!」

 横島の纏う霊力が一気に増加する。
 想像力を爆発させて、煩悩を自分で高める。

 文句の付け所のない美神の裸、

「文珠ーッ!」

 五秒と経たずに文珠が一つ出た。

「だ、ダメだ! 普通の文珠じゃあ、あのクソ幼女の攻撃は防げないッ!
 あ、あーっ、なんであいつから護符貰っておかなかったんだ、俺のアホーッ!
 第一、俺のキャラじゃないだろ、あれはッ!
 なんでさして知りもしないし、親しくもしない女を気遣って、遠慮なんてしたんだーッ!
 もっと俺は、地球が滅んでも私だけは生き残るって豪語する美神さんにコバンザメのよーにしがみついてちゃっかり自分も生き残るよーなタイプだったろ!
 だぁーッ、泣いていてもしゃーない! もっと、もっと強い力がッ!」

 横島の霊力は更に増加していく。
 平常時の数倍にも霊力の量はふくれあがり、一種のトランス状態になっていた。
 霊力とは魂の力。生き残りたいと思えば思うほど、その力は強くなる。
 今の横島の生存欲求が大きく、霊力の増加は留まるところを知らない。

 横島の指先に霊力が収束していく。
 文珠がゆっくりと形成されて、実体化していくときに横島は更に力をこめた。

「都合良く目覚めろ、俺の潜在意識とかそんなところにあるだろう新能力や、俺の体のどっかに隠れている秘められし力ーッ!」

 横島の霊的成長期は今。
 まだピークにすら至っていない。
 GSとして既に完成している美神よりも、限界の壁を突破することは簡単。

 スクナの周りを囲っていた結界が消えた。
 それと同時に茶々丸が、横島に呼びかけた。

「マスターが呪文の詠唱を開始しました。あと五秒で詠唱が終了します」
「だーーーーーーーーーーーッ!」

 横島は全力を持って指先に霊力を集中させた。
 すると突然、奇異な文珠が現れた。
 普通の文珠よりも二回り大きく、黒と白が混じり合ったような形状をしている。

 一つに二文字入り、使い捨てではなく数回の使用に耐えうる特殊な文珠だった。
 かつては魔族の力の一部を借りて作ったそれを、横島はただ一人自分だけの霊力と集中力で作り出していた。
 追いつめられたことで殻を破り、理性や抑制をはね除けて、横島は一気に成長を遂げたのだ。

「こ、これを使えば……」

 既に詠唱開始から三秒が経っている。
 結界が解除されているために今すぐ『転』『移』や『離』『脱』を使えば助かるだろう。
 横島はそう考えた。
 そう考えたにもかかわらず、それをしなかった。

 脳裏によぎるのは千草の姿。
 護符だけで『大規模殲滅魔法』をしのげるとは、到底思えなかった。

「チクショーッ!」

 横島は走った。
 あっという間に二秒が経過する。
 大岩付近の湖の湖面がびきびきと音を立てて凍り付く。
 全力で、足下すら見ずに足場の悪い大岩の上を走って、転んだり、落ちたりしなかったのはほとんど奇跡に近いことだった。
 千草の姿が見えてくる。

 大人のくせに体育座りをして、最後の時を待っていた。
 横島の叫び声を聞いて、首を上げ、曇った眼鏡で横島の姿を見た。
 凍結は湖からどんどん岩に迫り、千草に迫ろうとしている。

「横島はん!?」
「でぇぇいッ!」

 『結』『界』

 千草に飛びかかり、ぎりぎりのところで凍結を防いだ。
 二文字篭められた文珠が効力を発揮して、防御結界を張る。
 凍結は結界を避けて、大岩を凍らせ、スクナを巨大な氷に飲み込んだ。

「よ……横島はん」
「これを持っていろ!」

 横島は普通の文珠に『護』をこめて千草に渡した。
 千草は目を丸くして、渡された文珠と横島の顔を交互に見た。

 中に入っている文字を見れば、自ずとその用途は分かる。
 何故、横島がこれを自分に渡したのか、それが疑問だった。

「か、勘違いするなよ! た、ただ、文珠を作りすぎちゃっただけだからな!
 そ、その、す、捨てるのが勿体ないだけで、お前にやっただけだ!
 お前なんてだいっきらいなんだから、誤解するなよ!」

 まるでラブコメのアニメで、幼なじみがお弁当を主人公に渡すときのような嘘を吐く横島。
 恐怖と混乱で、横島は自分で自分が何を言っているのか、わからなくなっている。

「あんのクソ幼女ぉ……! なんで再封印は出来たっつーのに、わざわざこんなことしやがるんだッ!
 つーか、わざとか? スクナなんてどーでもよくて、本当は俺を殺すためにやってるんじゃないか?
 ……うわっ、そーか、そーだな、性格悪そーだと思ってたが、がちで殺しに来やがったのかよクソッ!」

 結界が凍結を防いでくれているとはいえ、周囲を氷が包んでいる状況というのは相当なプレッシャーとなる。
 何しろ出口が全くないのだ。全方位に壁があり、床は岩。
 恐怖心を抱かない方がどうかしており、それを紛らわすために横島は独り言を呟いている。
 千草は、ただ、ほうっと赤くなった顔で横島を見て、この状況を恐怖していないが、ちゃんと『どうかしている』ので例外である。

 ぴしっと音を立てて結界にヒビが入った。
 それに呼応するかのように、『結』『界』の文珠にヒビが入る。

「だ、だあああああ〜ッ! これ普通に文珠二つ使うよりか強力で、何回も使えるすごい文珠なんやぞッ!
 その文珠の結界を破壊しそうだなんて、一体あのクソ幼女はどんだけすげー魔法撃ってきやがったんだーッ!」

 がしがしと頭をかく横島。
 そうこうしているうちにも結界のヒビが大きくなり、数を増やしていく。
 尋常ではない冷気がヒビから内部に侵入し、温度を下げる。

「ど、どどどどどど、どないしょー! も、もう流石に文珠は打ち止め……」
「ウチの護符で!」

 千草が護符を取り出して、結界のヒビに当てた。
 ヒビから侵入してくる冷気が目に見えて減少する。
 しばらくはヒビには護符を当ててしのいでいたが、対処できなくなるほど増えていく。
 『結』『界』の文珠も、乱暴に扱うとそれだけで崩れてしまいそうなほどボロボロになっていた。

「もーダメだーッ、死にとうないー! せめてっ、せめてもう一つ文珠があればッ」

 慌てて泣き叫ぶ横島。
 霊力を集中させようとするが、流石に上手くできないようだった。
 むしろ霊力の使いすぎによって、明らかに顔色が悪くなってきている。

 そんな横島を見て、ふと、千草は一つの方法を思いついた。
 横島から貰った文珠をそっと口に挟んで、横島に迫る。

「んっ、なっ、がーッ!」

 千草は再び横島にキスをした。
 挟んであった文珠を舌で無理矢理押し込み、横島に飲ませる。

「なっ、何すんだ! あれがあればもしかしたらお前は助かったかもしれんのに!」
「フフ……心配せんでええよ。ウチが気を張って守るから……横島はんはウチが絶対守るから……」
「あ、アホかっ! お前の今の感情はな。俺が文珠使って無理矢理持たせたモンなんだぞ!
 ニセモンなんだぞッ! それを自覚しろッ! 人のことより、自分のことを先に考えい!」
「ニセモンの感情でもええ。こんなに思い人に心配してもろて……ウチは幸せや。
 例えニセモンでも、幸せのまま死ねるのなら、悔いはないわ」
「う、うるせーッ! 俺はお前なんて嫌いだー、ばーかばーか! あっちいけ、この!」

 横島は悪口を投げつけても意味がないことを知っている。
 それでも子供じみた悪口を言い続けているのは、『恋』の文珠で巻き込んでしまった千草が、自ら命をなげうってでも助けてくれようとしている姿を見て、胸 が押しつぶされそうなほどの罪悪感にさいなまれていたからである。
 確かに横島は自分の命を守るために人を見捨てたり、裏切ったりする。
 が、人の感情を文珠によって操り、その結果、操作された方が死んでしまうことは耐えられなかった。
 言うなれば横島の文珠が千草を殺す要因の一端を握るのである。

 ふと、横島は悪口を言いながら気が付いた。
 結界のヒビから漏れる冷気が少なくなっている。
 結界のヒビが入る速度も、ぐんと落ちていた。

 もう既に魔法は完成しているのではないか、と横島は思った。
 広範囲を凍らせる魔法は終わって、あと氷が残っているだけなのでは、と。

 それならば結界を消しても、すぐに凍結することはない。
 だが結界を消したら、周囲の氷の冷気によって凍死することはまず免れないだろう。

「……」

 横島は考えた。
 『結』『界』の文珠はボロボロになり、今にも砕けてしまいそうだ。
 手元にある道具はもはやこれしかない。

 横島は二文字篭められる文珠をそっと掴み、中の文字を変えた。

「おい、お前、これをちょっと持て」
「……」

 千草は何も言わず横島に従った。
 文字が変わったことによって、二人を守っていた結界は消失していた。
 代わりに、横島が飲み込んだ『護』の文珠の結界が辺りを包んでいる。
 流石に『結』『界』の文珠よりも、強度は劣り、冷気をあまり防げていない。
 横島の予想は当たっていた。
 エヴァンジェリンが放った魔法は、もう既に終了していたのだ。
 もし、あの魔法が今も続いているのならば、普通の文珠を一つ使っただけの結界なぞ一瞬にして破壊され、二人とも氷付けにされている。

 次の瞬間、千草だけがここから姿を消した。
 横島が篭めた文字は『脱』『出』
 千草はこの氷の牢から『脱』『出』したのだった。

「流石にあのボロボロな文珠じゃ、一人、外に送るだけで精一杯だったか……」

 『護』の文珠だけでは冷気を防ぎきれない。
 ぐんぐん下がっていく気温によって、横島の口数も段々と減っていった。
 体温を出来るだけ保持しようと小さくうずくまって、耐える。

「やっぱ、俺だけ逃げときゃよかった……。
 ネギ、アスナちゃん、刹那ちゃん……早く助けにきてくれ……。
 美神さん、おキヌちゃん、シロ、タマモ、小竜姫様、ワルキューレ、エミさん、冥子ちゃん。
 魔鈴さん、弓さん、一文字さん、隊長、グーラー、美衣さん、朧、神無、迦具夜ひ……め……」

 凍死は最も気持ちのいい死に方である。
 肌を刺すような寒さだったのが、段々と無感覚になってわからなくなっていく。
 意識を必死に保っておくよりも、朦朧とさせる方が楽になってくる。

 次第に幻覚が見え始めた。

 美神とおキヌと一緒に、バカをやりながら除霊をしている光景。
 横島の持つ記憶が、いくつも組み合わさったものだった。
 最後はハンズオブグローリーで美神が苦戦した悪霊を撃退する。
 すると、どこからともなく知り合いの美女美少女が現れて、ちやほやしてくれる……。

 ああ、帰りたい。

 横島はそこで意識を失った。




 そのころ、氷の外では。

「マスター、微弱ながら生命反応が検出されました」

 茶々丸が空中に浮かぶエヴァンジェリンに向かって言った。
 湖の中心は、スクナが凍り付けになっている。
 氷の表面は白くなっており、中の様子は全く見えなかった。

「私も感じていた。面白い奴だ……ほぼ全盛期の私の魔法で死ななかったとはな」
「マスターはもとより殺す気はなかったのではないのですか?
 今回も凍結した対象を粉砕する『おわるせかい』ではなく、そのまま半永久的に閉じこめる『こおるせかい』でした」
「フン、雑魚と女子どもを殺す趣味など私は持っていない。
 私の魔法に耐えきれず直撃を受けるような雑魚ならば凍るだけだ。
 私の魔法に耐えきれるような面白い奴ならば、死にはしない。
 中途半端なやつならば、死んで当然。どう転んでもよかったが……しかし、耐えきったか。
 しかも、足手まといがいる状態で、その足手まといを逃がす芸当までやってのける余裕……面白い」

 満足そうな声で話すエヴァンジェリン。
 地上から、魔法の射手が飛んできた。
 咄嗟に反応して、魔法の射手を弾く。

 エヴァンジェリンはチッと舌打ちした。

「あのアホネギめ。まだあいつが生きているということがわからんのか!」

 地上を見ると、ネギがエヴァンジェリンに向かって次なる魔法の射手を放っているところだった。

「無理はないかと。あれほどの魔法に巻き込まれて、凍らずに済む人間は極少数です」
「……確かに、な。刹那までこちらに来たら面倒だ、本来はここまでする気はなかったが……」

 エヴァンジェリンは指を一度弾いた。
 それとともに巨大な氷の一角にヒビが入り、轟音を立てて崩れ落ちる。
 中からはうずくまる横島が姿を現した。
 結界に守られているものの、意識がないのかぴくりとも動かない。

 何本もの魔法の射手がエヴァンジェリンに向かって飛んでくる。
 エヴァンジェリンはそれを魔法障壁だけで弾く。
 全盛期の力を取り戻した『闇の福音』と十歳のネギとでは、絶望的なまでの力の差があった。

「適当に教えてやれ、茶々丸。あの頭の血の昇りようでは、私が行ったところで何も言うことは聞かないだろう」
「はい、マスター」

 茶々丸はエヴァンジェリンに命じられるまま、ジェットの勢いを下げて、ネギ達の元へと行こうとした。
 途中で、ふと何かを思い出したかのように止まり、振り返ってエヴァンジェリンに言った。

「楽しそうですね、マスター」
「まぁな。面白いかどうかわからんおもちゃで遊んでみたら、予想外に面白かっただけだ」

 また再び飛んできた魔法の射手を魔法障壁で弾きながら、どこから取り出したのか美小年という銘柄の酒を取り出して、エヴァンジェリンはスクナの氷の彫像 を肴にして、楽しみはじめたのだった。




 横島忠夫は、大ピンチに陥っていた。
 昨日、クソ幼女ことエヴァンジェリンに大規模殲滅魔法をかけられて、死にかけた。

 そこまではいい。

 死にかける事自体、あまり珍しくない。
 ちょっと本当に死ぬかな、と思ったが、それでも『いつものこと』と言って済ませられるものだった。
 なんだかんだ言って記憶はないけど、幽霊になっていないから助かったんだろう、と簡単に結論を出した。

 そこまではいい。

 目を覚ましてみれば、関西呪術協会の本山の一室で寝かされていた。
 服を全部脱がされた状態で。
 横には同じく全裸のネギと、長。

「……」

 横島はおもむろに立ち上がった。
 腰にシーツを巻いて、ゆっくり二度深呼吸をする。
 ほとんど無意識でその動作を行っていた。

 意識を取り戻した瞬間、現実にうちひしがれ、錯乱した。
 言い換えると我に返った瞬間、すぐに我を失った。

「男はいやだあああああああああああああああああああ!!!!」

 屋敷全域に響き渡るような大声で絶叫し、横島は走った。
 目の前の障子をぶち破り、廊下から外へ飛び出した。

「男はいやだあああああああああああああああああああ!!!!」

 腰に布を巻いただけ、という野性味溢れる格好で日本庭園を走り抜ける。
 当然、庭と外との境界には塀があり、横島はその塀にぶち当たって、地面に倒れた。

 横島の絶叫を聞いた屋敷の人達が、なんだなんだと集まってくる。
 勇気ある一人の巫女が倒れたまま動かない横島に近づいたそのとき、横島は無言でむくりと起きあがった。
 そして。

「男はいやだあああああああああああああああああああ!!!!」

 ハンズオブグローリーを出して、塀の上にひっかけ、まるで忍者のように駆け上る。
 あっという間に塀を越えると、そのまま大絶叫しながら外へと逃げていった。



 横島が氷の中から救出されたときには、意識がなく、体温も危険なほど下がっていた。
 手足の先の凍傷は、ネギとパクティオーを結んで治癒専用アーティファクトを手に入れた木乃香の力によって、治療された。
 とにかく凍傷で切断するようなことは免れた。
 しかし、治癒魔法だけでは下がりすぎた体温を取り戻すことは難しい。
 ただ暖めればいい、というわけではなく、急に体温を上げるとそれはそれで問題が出てきてしまう。
 そのため、人肌で体温を取り戻す、という方法を取ったのだが横島はそれを色々と誤解した。


「男はいやだあああああああああああああああああああ!!!!」

 誰もいない山の中を、意味もなく叫び続け、走る横島。
 完全に頭がプッツンしており、どこでどう何をどうしているのか、全く分かっていない。

「男はいやだあああああああああああああああああああ!!!!」

 突然何者かが横島の前に立ちふさがり、鳩尾に拳を打ち込んだ。
 ぴぎゃう、という変なうめき声を出して、そのまま横島は気を失った。

「……ふむ、ネギ坊主の味方、と言っていた御仁ではござらぬか。
 何故このような格好をして、わけのわからぬことを叫びながら、走っていたのでござろう?」

 チャイナドレスを着た長身の女性だった。
 ネギのクラスの生徒で、刹那とアスナが鬼達と戦っているときに助っ人として手助けしてやってきた長瀬楓。
 その正体は、甲賀の中忍……忍者だった。
 ドキドキキッス大作戦の最中に、横島の前に現れて、ネギの敵か否かを聞いてきた人も、彼女である。

「反射的に気絶させてしまったが……これは一応屋敷に返しておくほうがよいでござるな」
「アイヤー、誰アルか? コレ」

 そこへ褐色の肌にクリーム色の髪をした女の子がやってきた。
 古菲(クーフェイ)という名前の、中国からの留学生。
 小さな体ながら、麻帆良学園の中国武術研究会の部長を務めている。

「さあ、わからんでござる」

 楓が古菲に向かって首を振って答えたとき、不意に楓が打ち倒したものが動き始めた。

「男はいやだあああああああああああああああああああ!!!!」

 先ほどと同じ内容の奇声を上げて、楓と古菲から逃げ出す。
 いきなりのことで二人とも目を丸くして、逃げていく背中を見つめていたが、そのうち横島に興味を持って追いかけ始めた。

「何アルか! 間抜けな走り方してるのに、なんかすっごく速いアルヨ」
「そうでござるなあ」

 追いかけるうちに、ちょっとやそっとの攻撃では気絶させられないことに二人は気付いた。
 そのうち逃げる獲物を追いつめるような感覚で、横島に攻撃を仕掛ける。

「ほわたぁッ! 男は、嫌だッ!」
「よ、避けたアル!?」
「想像以上にやるでござるな……存在は極めて不可思議でござるが」

 3−A武道四天王に数えられる二人の攻撃を、不思議な動きで避けていく。
 二人はますます興味を持って、奇声を上げて何をするでもなく、ただただ走り続ける横島の後を追っていった。

 それでもことごとく回避する横島。
 どう見ても正気ではなく、正常な判断ができるような状態でないのに、攻撃を避けられる。
 段々と二人は本気になって、横島を捕らえようとした。

「っていうか、人間アルカ!? 一瞬関節があり得ない方向に曲がって避けたように見えたアルよ!」
「細かいことを気にしちゃ捕まえられないでござるよ」

 横島は再び関西呪術協会の本山に戻ってきた。
 今度はちゃんと門を見つけ、例の絶叫とともに中へと飛び込んだ。

「きゃっ!?」

 たまたま出ようとしていた刹那にぶつかる横島。
 刹那は地面に転がり、横島はそれに覆い被さるように倒れた。

 押し倒されるような格好になり、刹那は横島を見た。
 目が正気ではない。
 色々と乙女のピンチを感じたが、何故か抵抗する気力は沸いてこなかった。

「男はいやだあああああああああああああああああああ!!!!」

 何をされるのかと思いきや、横島は何もせず立ち上がり、再び何もなかったかのように走り去ろうとした。
 ホッと胸をなで下ろし、一体何があったのかと横島を見た。
 そういえば先ほども同じ叫び声が聞こえたけれど、あれは横島のものだったのか、と一人納得する。

 横島は庭を途中まで走ると、急に糸が切れたかのようにその場に倒れた。
 つい数時間前まで、低体温と霊力不足で死にかけていたのだ。
 流石の横島も限界が訪れて、ばったりと倒れ、痙攣し始めた。

「横島……さん?」

 次の瞬間、門の外から楓と古菲が現れた。
 二人は倒れた横島の横に立つと、興味深げに観察する。

「アイヤー、動かなくなたアルヨ。電池切れちゃったアルカ?」
「これこれ、おもちゃじゃないんでござるから」

 二人は同時に刹那を見つけた。

「よく倒せたアルね。これ、なんかものすごくタフで速くて、わけのわからない生き物ヨ」
「流石は刹那殿」

 色々と誤解しているらしいのか、古菲と楓は刹那に尊敬のまなざしを送っていた。
 二人とももちろん全力を出して、横島を捕らえようとは思っていなかったのだが、それなりに『本気』を出していた。
 それにも関わらず、捕まえられなかった横島を刹那は何かぶつかったふりをして細工していたのだ、と考えていた。

 刹那は身に覚えのないことで尊敬され、慌てふためく。

「さ、それよりこの御仁を運ばねばな」

 楓は倒れた横島を肩に担ぎ上げた。
 古菲と一緒に屋敷の中へと戻ろうとする。

「あ……」

 不意に足を止めて、刹那に振り返った。
 開いているのかいないのか、いまいち判別のつきがたい糸目を刹那に向ける。

「拙者、事情はわからないでござるが、この御仁のようにもう少しバカに生きてみることをおすすめするでござるよ」

 ニンニン、と謎の言葉を残して、楓は屋敷の中に入っていった。
 刹那は夕凪を持ち直し、しばらくそこに立って、じっと考えをめぐらした。

 刹那は3−Aから姿を消すつもりだった。
 正体がばれてしまったら、そこで会った人達とは別れなければならない。
 それが一族の掟であった。
 一族から捨てられた刹那にとって、その掟を守る義理はないのだが、刹那は自分からそれを望んだ。

 もう少しバカに生きてみる……。

 横島は横島であれはちゃんと一生懸命生きているつもりなのだが。
 それが出来れば一体どんなに楽だろう、と刹那は思った。
 刹那はやはり別れよう、と決断した。

「刹那さーんッ!」

 そこへネギがやってきた。
 立ち去ろうとする刹那を引き留めにやってきたのだ。

 結局、アスナや木乃香とともにネギに引き留められ、刹那はこのまま3−Aの生徒を続けることになったのだった。
 ひとまず、大団円、と言ったところか。


「うるせーッ! 何が大団円だーッ! 俺のナンパーッ!」
「ああ、いけません。今また無理したら、本当に体が持ちませんよ!」
「いやだー、和服美人をナンパするんだー!
 何がかなしゅーて、最後の日なのに熱出して寝込まなあかんのやー! 責任者出せー!」

 合掌。