第6話

 麻帆良学園中等部三学年の修学旅行は三日目の朝を迎えていた。
 今日はネギとともに関西呪術協会へと親書を届ける予定なので、横島は早めにホテルを出た。
 橋のふもとの集合地点には誰もおらず、横島が待ち合わせの一番最初に到着した。

 横島達が宿泊しているホテルの付近は、紅葉の名所とされており、シーズンではないとはいえ、いいところだった。
 通りには、お土産屋が何軒か見え、生八つ橋などが売られているのがわかる。

「にしても、何がかなしゅーてガキと中学生の待ち合わせせなあかんのや……。
 もっとズバーンとボイーンとした美女と、遊園地とか映画館とかそーいったところに行く待ち合わせがしたいのに」

 昨日も一昨日もろくにナンパすることができなかった横島は、一人で愚痴をこぼし始める。
 朝早いために通りに出ている人は少ない。
 往来の中でぶつぶつ独り言を言っている人間は、あまり歓迎されないものであるが、元より彼に気付く人は少なく、気付いても朝の忙しさによって、素通りしていく。

「しかし……この仕事が終わったら明日明後日と和服美人をナンパし放題。
 あわよくば旅の思い出として和服美人と熱ぅーい夜を過ごせるかもしれない!」

 横島は掛け値無しのポジティブな性格。
 嫌なことを考えるよりも、楽しいことを考える方が好き。
 思考がそちらの方向に流れていくうちに、独り言の内容もそれ相応のものへと変わっていった。

 そこへ、ネギがやってきた。
 先日、見回りを終えると何故か朝までロビーで正座させられ、やや睡眠不足気味だが顔色はそれほど悪くない。
 生徒に非常に人気があり、昨日の朝もどこの班とともに行動するか、ということで引っ張りだこになるほどだったのだが、今朝は裏口からこっそり出発し、誰にも捕まることはなかった。

「おはよーございます」
「うおっ! ビックリした!」

 不意に背後から声を掛けられ、横島は危うく前に転げそうになった。
 振り返ってネギが立っていることに気が付くと、額に汗を浮かべて、じりじりと後退った。
 走って逃げはしないが、絶対に触りたくないものを見ているような顔になっている。

「どうしたんですか?」
「お前……普通のネギ、だよな?」
「え?」

 ネギの姿をした身代わり紙型に襲われたことが、軽いトラウマになりかけていた横島。
 たとえ飛びかかってきても、すぐに逃げられるくらいの距離を保ちつつ、棒で藪をつつくように恐る恐るネギの様子を見る。

 ネギは、自分の身代わり紙型が横島を襲いかかって、唇を奪ったことを知らなかった。
 昨日カモと朝倉が手を組んで「ラブラブキッス大作戦」なるものを行っていたことは聞かされていたが、身代わり紙型が勝手に動き出し、しっちゃかめっちゃかにかき回してしまったことはいわれていなかった。
 横島に避けられていることに少し戸惑いを覚え、ネギは一歩前に進んだ。

「おわっ! おっ、俺に近寄るなッ!」

 横島はよろめきながら一歩後ろに下がった。

「えっ! どうしてですか?」
「いいか、そこで動かないで俺の質問に答えろ、ネギ」

 完全に警戒されていることに、ネギは寂しく感じる。
 ちょっと変だとはいえ、頼ることのできる年上の男性として横島を見ていた。
 少し情けなく、奇行を演じるとはいえ、割と経験が豊富で、安定した力を持っている。
 「お兄ちゃんと呼べ」こういう風に言われたのも、戸惑いはあったが、嬉しくもあった。
 両親共にいない自分を憐れに思う人は今まで掃いて捨てるほどいたが、憐れに思って一歩引くのではなく、憐れに思って一歩どころか何十歩も近づいてくる人は初めてだったのだ。
 年齢的にも、十七歳と数え年で十歳。同じような立場でそれほど近しい年の人はいない。
 アスナなどもネギに協力をしてくれるが、彼女らはネギの生徒であり、また女性でもある。
 幼いながら英国紳士であろう、と務めているネギには、やはり抵抗感をぬぐい去ることはできなかった。
 そう年の離れていない年上で、男、そして立場は同じ。
 こういう人間はネギの身近では珍しい存在だった。
 ネギには姉がおりそれが『優しい』ものならば、横島は『頼れる』ものである、と見ていた。

 たとえそれが全てネギの誤解だと言えど、ネギの中の認識はそうだった。
 故にその横島に拒絶されることは、ネギの心を痛ませた。
 が、横島がただならぬ緊張を強いられていることを見て、ひょっとしたら何か別に原因があるんじゃないのかと、考えた。

 横島は質問を投げつけた。

「俺とキスしたい、とかそんなことを考えてたりするか?」
「……はい? そんなこと、あるわけないじゃないですか」

 ネギが想像すらできなかった珍妙な質問に、怪訝な顔をして答えた。
 何を言っているのかわからない。
 しかし、どうやら誤解だったみたいだ、とネギはほっとした。

「……本当だな?」
「もちろんですよ」

 横島の確認に、ネギはよどみなく答えた。
 ネギの言葉に偽りはないと感じ取った横島は、警戒を解いた。
 両者ともほっと胸をなで下ろす。

 ネギは安堵のあまり、軽く微笑みを浮かべていた。
 ネギが微笑を浮かべたことを見て、横島は無意識に一瞬身を硬くした。

 よっぽど男とキスしたことが嫌だったのか、ネギの姿をしたものに恐怖心を抱いているのだ。
 その後、ネギと二人っきりという状況で、横島はそわそわしながら落ち着かない状態でアスナを待った。

「ネーギ先生」

 しばらくすると、ネギの背後から声をかけてくる集団が現れた。
 私服に着替え終わった、3−Aの5班。
 一緒に待ち合わせしていたアスナだけではなく、刹那、木乃香、ハルナ、のどか、夕映までいる。
 刹那を除いて全員私服で、中学生らしいかわいらしい格好をしている。

 アスナは片目をつぶり、手を口元に当てて、小声で謝っていた。

「わぁ〜っ、皆さんかわいいお洋服ですねー」

 一目見るなり、ネギは率直な感想を告げる。
 アスナはそっとネギの近くに寄って、小声でネギに謝った。

「なな、何でアスナさん以外の人がいるんですかー」
「ゴメン、パルに見つかっちゃったのよー」

 関西呪術協会の本山へは、アスナと横島とネギで行く予定だった。
 が、アスナと一緒に一般生徒達もやってきてしまった。
 もちろん、そのまま連れて行くことはできないのだが、かと言って追い払うにも本当の理由は言えないし、適当なことを言ったところでこそこそ後を追ってくることは目に見えていた。

 アスナとネギがどうしようかと慌てているところに、夕映がネギに話しかけてきた。

「ネギ先生、さっき話していた男の人は誰なんですか?」

 夕映は遠目でネギと横島が話しているところを見ていた。
 横島は夕映にとって見覚えのない男性であり、何を、何故ネギと話していたか気になっていたのだ。

「……もういないです」

 夕映は辺りを見回したけれど、横島の姿を見つけることはできなかった。

 横島は女子中学生が並んで歩いてくるのを見るや否や全力で走って逃げていた。
 女子中学生達の視界から外れると、物陰に身を潜めて、ネギ達の様子をこっそりうかがっている。

「あ、あはは、道が分からないっていうから、ちょっと地図を見せてたんですよ」

 ちょうどネギは地図を持っていた。
 関西呪術協会の本山の場所を確認するため、ちょっと遠慮がちな横島とともにそれを見ていたのだ。
 故にその言い訳はなんら不自然なものではなかった。

 夕映は一応納得した様子で、ネギは顔には出さなかったけれど、安堵した。
 ネギのクラスメイトは勘の鋭い人が多く、一般人の中では夕映がそういった観察力が一番高いのである。

「ネギ先生、そんな地図持ってどっか行くんでしょー。私たちも連れてってよー」

 ホテルで一人で抜け出そうとしたハルナが言った。
 彼女は5班の中での一番中学生らしい中学生であり、恋愛や他愛のない噂話を好む。
 一歩踏み込む遠慮のなさをも持ち合わせ、アスナを見つけて、他の5班のメンバーを連れて無理矢理付いてきたのだ。
 ハルナの目論見通り、アスナはネギと待ち合わせしており、そのままネギとともに京都を回る気でいる。

「えー、5班は自由行動の予定ないんですか?」
「ないです」
「ネギくん一緒に見て回ろー」

 どうやら振り切ることは無理だったようだ。
 アスナの提案で、一旦は5班に付き合って、途中で抜け出すことにした。

「よーし、んじゃ、レッツゴー」

 一番テンションの高いハルナが号令を掛けた。
 ネギ達はあてどなく、周辺を散策し始める。




「な、何やってんだ……今日は関西呪術協会んとこに行くんじゃなかったんか?」

 京都散策を始めたネギ一行を、横島は遠いところから監視し始めた。
 ネギの事情がわからない横島は、計画通りいかないことに焦りを覚えつつも、尾行を続けている。
 元々三日目は関西呪術協会へと行くことに決めていたため、京都を観光する予定はなかった。
 故に目的地などなく、行き当たりばったりで周囲を歩き回っている。

 もちろん、横島はこの後ネギ達がどうやってか抜け出して、関西呪術協会の本山へと行くことは予想がついていたが、中々そのタイミングは訪れなかった。
 なにやら談笑をしているようだったが、遠くて聞き取ることはできない。

 ネギを連れた中学生一行は、ようやく足を止めた。
 何をしているのかと思いきや、プリクラを撮っていた。
 横島のいた世界ではまだプリクラは存在しておらず、一体何をしているのか気になった。
 カーテンのついた筐体の中に入っては出る。
 何か筐体の中から取り出しているところを見て、スピード写真を思い出し、それに似たものなのだろう、と予測を付ける。

 それで終わりかと思いきや、中学生達はゲームセンターの中へと入っていった。
 横島は京都まで行ってゲームセンターへと行くことに少々呆れつつも、自分も中に入っていく。
 人が多いために、見つかることはないだろう、と。

「うおっ! ハイテク! なんだこの鮮明さは……」

 この世界は横島の世界よりも一般に普及している科学技術は進んでいる。
 とはいえ、五年程度であるが、ゲームセンターに置かれた筐体の映像は見たこともないほど鮮明だった。

 貧乏だった割りにゲームセンターにはよく行っていた横島は、未知のゲームをやりたくなった。
 が、一度やってしまえば周りが見えなくなるほど熱中することをやめられない自信はなかった。
 しかし、ゲームセンターに来てゲームをやらないのも不自然に思われた。
 そこで彼が最も得意とし、且つ熱中しないゲームをやることにした。

 クレーンゲーム。
 コインを投入し、クレーンを動かして、ぬいぐるみなどを取る昔ながらのゲーム。
 横島はこのゲームをかなりやりこんでいる。
 いつしかはナンパして釣った女性とデートしに来たとき、いいところを見せることができる。
 そんな考えもあったが、今までゲームセンターでデートはしたことがなく、腕前が発揮されたことはない。
 仕事でその腕が役に立ったことは一度だけあったが。

「型は違うが……」

 言うまでもなく、クレーンゲームは横島のやったことのない種類のものだった。
 しかし、彼ほど熟達した腕前であれば、そんなことはささいなこと。
 百円を投入し、クレーンを操作する。

 あっという間だった。
 躊躇うことも、角度を変えて見ることもなく、素早いボタン操作によってクレーンがぬいぐるみの袈裟の部分をロックする。
 ぶれることもせず、クレーンがぬいぐるみを運び、すとん、と取り口に落とした。
 ここ数ヶ月忙しくてゲームセンターに行かなかったのに、鈍っていない腕前に横島は思わずフッ、と笑った。

「……って、ぬいぐるみなんて取ってどーするよ、俺」

 取り口に手を入れ、ぬいぐるみを取り出してから我に返った。

 ぬいぐるみはデフォルメした猫のようなキャラクターのもので、どんな名前なのかは横島も知らない。
 つい目に付いたクレーンゲームをやってしまい、ぬいぐるみを取ってしまったが、これから関西呪術協会へと行くのだ。
 ぬいぐるみを持っていくわけにもいかないし、かといって彼の性格上捨てることもできなかった。

「かわええなー」

 背後からの声に横島は凍り付いた。
 ぎぎぎ、と油の切れたようなぎこちない音を立てて、首を後ろに向けると、そこには長い黒髪が綺麗な女の子が立っていた。
 彼女は横島の手に持つぬいぐるみを興味深げに眺めて、しきりに「ええなー、かわええなー」と呟いている。

 横島は視線を彼女から横にずらし、ゲームセンターの柱に寄りかかっている彼女の護衛を見た。

「……」

 常に野太刀を身から話さない少女は、横島が目をむけると、さっと顔を背けた。

 止められなかったんです、すいません。

 声には出していなかったが、横島にはそんな風に言っているように見えた。

「お兄さん、ウチとどっかでおうたことない〜?」

 ぬいぐるみを見ていた女の子は微かに顔を上げて、言った。
 汚れを知らぬ、という表現がぴったりな無垢な瞳で横島の顔を覗いている。

 もちろん、彼女が横島に接近したのは、今聞いたことを確かめるためだ。
 いくらおっとりとした性格とはいえ、全く知らない人間が持っているぬいぐるみを間近で見るような真似はしない。

「い、いやあ、お兄さん、こんな可愛い子にナンパされるのは初めてだな〜」

 横島はなんとかごまかそうとした。
 彼女に正体をバレることはあまり好ましくないのだ。
 少しどもりながらも、咄嗟に機転を利かせた。

 少女は横島の言葉の意味を、一瞬遅れて理解した。
 ほんのりと頬を染めて、照れる。

「や、ややわぁ〜、そういう意味で言うたわけやないんです〜。
 本当にどこかで見たよーな……ん〜、いつやったっけ〜」

 顎に指を当て、考え込み始める。
 横島は焦って、どうにか話を逸らそうとした。

 ちょうど、都合のいいものを持っていた。

「残念だなー、ナンパされたわけじゃないのか。
 そうだ、お嬢ちゃん、これやるよ」

 横島はそういって手に持っていたぬいぐるみを少女に渡した。

「え? ええの〜?」
「ああ、構わない。というか、取ってみたものの、どうしようかもてあましてたから。
 むしろもらってくれた方が助かる」
「おおきに〜」

 少女はぬいぐるみを手に、微笑んだ。
 パァと周囲が明るくなるような笑顔に、横島は思わず胸をどきりとさせる。
 すぐさま心の動悸を振り払った。

「あ、思い出した」

 次は別の意味で心臓がどきんと跳ねた。

「この前見た夢に、お兄さん出てきたんです〜」
「へ、へえ……夢……」
「なんか変なお猿にウチがさらわれたんやけど、ウチの友達とせんせーが助けてくれたんや。
 で、お兄さんも何故か一緒にそのとき助けてくれはったんです〜。
 なんや、手から光る剣みたいのを出して、お猿と戦っとったわ〜」

 横島の全身から冷や汗が吹き出していた。
 少女は相変わらず、相手の気を緩めるような暖かい笑顔を浮かべているが、実はわざと言ってるんじゃないだろうか、と横島に思わせた。

 というか、あんときはネギとアスナちゃんと刹那ちゃんの名前しか言わなかったけど、ちゃんと俺のこともカウントしてたんだ、とも。
 それはそれとして、今はしらを切り続けるしかない。

「ナハハ、光る剣か。そらええな。俺は光の勇者様っつーことで……」

 横島はばっと左の手首を見た。
 腕時計はしていない。

「あーっと、もう時間だ。悪いなお嬢ちゃん、俺はこれで……」
「あ、ぬいぐるみ、ありがとな〜」

 横島は脱兎のごとくゲームセンターから逃げ出した。
 緊張のあまり息が詰まっていたために、短距離を走っただけなのにゼェゼェと息を切らしている。

 ゲームセンターの入り口が見える地点の電信柱の影に隠れて、そのまま背を向けてよりかかる。
 ふと、横島は思い出した。

「……よく考えたら、麻帆良あたりであの子に一度会ってるじゃんか……」

 電信柱に、ごちんと頭を当てた。
 元々正体が割れていたことに気付いて、さっきまでの動揺はなんだったのか、と溜息をつく。
 それと同時に、何故わかっていながら彼女はしらを切ったのか、と疑問に思う。
 考えてみれば、脱衣所でサルに襲われていたときにも助けていた。
 二度会っていて、人の顔など忘れてるということはまさかないだろう。

「……末恐ろしいな、あのタコ人間の孫だものな……」

 本当のところは、木乃香はその二度会っていたことを忘れていただけなのだが、横島は一人でおののいていた。




 しばらくすると、ゲームセンターからネギとアスナが出てきた。
 他に余計な人が付いていないことを確認すると、横島もネギ達に姿を見せる。

「もう大丈夫か? また姿を隠さんといかんようにならんよな?」

 アスナとネギは頷いた。

「刹那さんから横島さんへ伝言を預かったわよ」
「ん? 何?」
「お嬢様に手を出したら、私が許しません、だって……」

 アスナは目を細めて、横島を見た。
 刹那には、横島が木乃香と話しているところに何らか思うところがあったようだ。
 釘を刺す意味合いで、アスナに伝言を託していた。

「違うぞ! 俺はただ単にぬいぐるみが邪魔だったからあげただけで、他意はないぞ!」
「横島さん、まさかとは思うけど、もしこのかに手を出したら……」
「違うっちゅうねん! そらまー、笑顔はかわいいなー、とか思ったけど、中学生に手ぇなんて出さんわ!」
「そーならいいですけど」

 アスナは口とは別に、信用していない目で横島を見ている。
 守備範囲外の女の子相手にナンパはしないが、ほんのちらりと笑顔に魅せられてしまったために、横島はそれ以上強く出られなかった。
 ネギは何の話なのかついて行けなくて、きょとんとした表情でアスナと横島の顔を交互に見ている。

「親書とやらをちゃっちゃと届けるぞ、ネギ!」

 これ以上この話題を伸ばしたくない横島は、ネギに声をかけて走り出した。

「ハイッ」

 ネギは元気いっぱい返事をして、横島の後についていく。
 アスナもまだ納得していないようだったが、それ以上何も言わずに追いかけた。

 と、突然、横島は足を止める。
 何かあったのか、と後続の二人も足を止めた。

「……で、関西呪術協会ってどこにあるんだっけ?」

 ネギとアスナは、すっ転んだ。




 関西呪術協会の本山は、嵐山より少し離れた地点にある。
 徒歩で行くのは遠すぎて、タクシーで行くには金銭的余裕がない。
 そこで電車を利用して、目的地へ目指すことにした。

 時間帯のせいか、乗客はほとんどいなかった。
 ちょうど駅に到着した電車の、誰にも乗っていない車両を選んで、乗り込む。

「でも、スミマセン、アスナさん。こんなとこにまで付き合ってもらっちゃって」

 ネギはアスナに急に切り出した。
 修学旅行という一生の記念に残るものに、関係ないアスナを巻き込んでしまったのだ。
 それにパクティオーをしているものの、アスナはほとんど一般人。
 本来ならば守る立場にいるはずなのに、守られて、助力までしてくれることをネギは有り難く思うと同時に、申し訳なくも思っていた。

「そーいや、アスナちゃんって一般人なのにどーしてこんなに関わってるんだ?
 俺みたいに学園長に雇われてるのか?」
「いえ、フツーに十歳のガキが危険なことしてるのを放っておけないだけですよ」

 一瞬、沈黙した。

「え? それだけ?」

 基本的に自分本位で動く横島には、アスナの動機は理解しがたいものだった。
 アスナはほんの少し照れながら、腕を組んで頭の後ろにもっていき、目をつぶりながら言った。

「一生懸命頑張ってる人は、ガキだろーがなんだろーが嫌いじゃないんですよ」

 横島はアスナの顔を見た。
 そして次に目線を下げて、ネギを見る。
 ネギはアスナに褒められたせいか、ほんの少し頬を染めていた。

 横島に何か感じる物があり、横島はアスナの肩を掴む。

「だっ、ダメだぞ! ネギはまだ十歳じゃないか!
 好きとか、嫌いとか、男女関係とか、そういったものはお父さん認めません!」
「違いますって!」
「嘘付け! 一生懸命頑張るあなたが好き、って、どう見ても青春ラブコメの台詞にしか見えん!
 アスナちゃんは違うと思ったのに、アスナちゃんは違うと思ったのにーッ!」

 その場でおーいおいおいと泣きわめく横島を見て、アスナはパクティオーカードをおもむろに取り出した。

「……アデアット」

 五秒後、アスナは一仕事を終え、アベアットと呟く。
 床には頭からふしゅーと蒸気を上げた横島が倒れていた。




 そんなこんなで、電車は駅に到着し、一行は徒歩で移動する。
 人通りが段々と少なくなってきて、目的地の入り口につくころにはもう辺りには誰もいなくなっていた。

 関西呪術協会の本山の入り口は、いかにも、といった様子だった。
 大きな鳥居があり、それをくぐるととても長い石畳の通路がある。
 通路にはいくつもの小さな鳥居があり、二つの鳥居を越えると石段が一つ上にあがる。

 特徴的なのは通路がとにかく長いことだった。
 入り口からでは、向こう側が遠すぎて全く見ることができない。
 通路は竹林に囲まれており、風が吹くたびにごおごおと不気味な音が辺りに響きわたる。

「ここが関西呪術協会の本山……?」
「うわー、何か出そうねー」

 ネギとアスナはその厳かな光景を前に、足を止め、感想を漏らした。
 横島は既に引け腰である。

「ん?」

 そこへ不意に青白い光が近づいてきた。
 アスナの顔の直ぐ近くまでくると、ポンと音を立て、人型に変化する。

「神楽坂さん、ネギ先生、大丈夫ですか?」

 人の顔ほどの大きさの、三等身の刹那だった。

「分身かなんかか?」
「はい、連絡係の分身のようなものです。心配で見に来ました。
 ちびせつなとお呼びください」

 ちびせつなは刹那本体が送った簡単な式神だった。
 まだまだ日本の陰陽道に疎いネギのために、案内役としての刹那の心遣いだった。

「この奥には確かに関西呪術協会の長がいると思いますが、東からの使者のネギ先生が歓迎されるとは限りません。
 ワナなどに気をつけてください。
 一昨日襲ってきた奴らの動向もわかりませんし……」
「わかってます、ちびせつなさん! 十分気をつけますから」
「役に立つかわかんないけど、私のハリセンも出しとくし、まかせてよ」

 三人は大きな鳥居をくぐり、石段を登った。
 最初の小さな鳥居の柱に身を隠し、おそるおそる中を覗く。

 竹の葉が風に吹かれて立てるさらさらという音以外、何も聞こえない。
 人工的な物音が全く聞こえないせいか、まるで自分の知らない世界に迷い込んでしまったように思えてくる。

「行くよ!」

 アスナがかけ声とともに走りだした。
 ネギと横島は後を追う。

 百メートルほど走ったところで、一旦止まり、再び鳥居の柱に身を隠す。
 何かワナがあるんじゃないかと、三人は緊張していたけれど、今のところ何もない。
 ワナの気配も感じない。

「な、何も出てこないわよ」
「変な魔力も感じられないです」
「俺も、それっぽいのは感じないけど」
「い、行けるんじゃない? これって」

 変に自信を持ったネギとアスナは、再び走り始めた。

 ワナはしかけられていないんだろう、と。
 変に心配するよりも、このまま一気に駆け抜けてしまおう、とネギは思い、行動に移した。

「……よおし、一気に行っちゃいます!」
「OK!!」
「あ、おい、待てって!」

 少し遅れて横島も二人の後についていく。

 それから三十分、三人は休み無しで走り続けた。
 流石にアスナは体力に限界が来て、石段の上に座り込んだ。
 ネギも息を切らして、足下がおぼつかなくなってきている。

「な、なんて長い石段なの……。
 というかなんでそんなに元気なんですか、横島さん」

 二人と対照的に横島は、軽く息を切らしているだけだった。
 足下もしっかりしているし、顔に疲労の色はでていない。
 疲労困憊状態に陥っているアスナには、元気そうな横島が恨めしく思えた。

「毎日朝晩50キロ走らされてたからなあ。まあ、三十キロ地点で走るっていうか、引きずられたけどな」
「ご、ごじゅっきろ……」

 アスナとて毎朝新聞配達で足を鍛えているが、それほど走ってはいない。
 毎日、朝晩フルマラソンをしているなんて、本当であれば尋常ではない。

「マラソンでもしてたんですか?」
「いや……本人曰く『散歩』に付き合ってた」
「さ……さんぽ?」
「超野生児といった方がいいのか……散歩が趣味の女の子がいてな。
 その子に無理矢理付き合わされてた……」
「は、はぁ……」

 いまいち要領が得なかったが、なにやら深い事情があるものと感じて、アスナはそれ以上問いたださなかった。
 渋い顔をして語っているために、あまりつっこんで話を聞いても、いい気分になれそうにもないように思える。

 それはそれとして、三十分ずっと走り詰めで全く目的地が見えないなんておかしすぎた。
 アスナをこれ以上無理させて走らせるのは酷だと判断し、一旦休憩することにした。

 途中から黙り込んでいたちびせつなが、突然口を開いた。

「こ、これはもしや……」
「え!? 何ですか、ちびせつなさん」

 ネギに返事をせず、ちびせつなは思いつきを確かめるために前進した。

「ちょっと先を見てきます、ネギ先生!」
「う、うん! アスナさんは休んでてください!」
「俺も行くぞ」

 何か思い当たることがある様子のちびせつなを先頭とし、ネギと横島も石段を走った。
 相も変わらず光景は全く変わらない。
 いくつもの鳥居、通路の周りを囲む竹林、果てのない石段。

 しばらくすると、ようやく変化が現れた。
 通路上に何かがあるのが見えてくる。

「あ、アスナちゃん!」

 それはへばっていたアスナだった。
 横島の声に反応して、アスナは後ろを見ると、ネギ達の顔を見て驚いた顔をした。
 前にすすんでいたのに、同じ地点へときてしまったことになる。

「な、何!? 横島さん達が後ろから!?」

 ちびせつなは間髪入れず、横に移動する。
 通路から外れ竹林の中へと飛び込んでいった。
 ネギはそれの後を追う。
 しばらくすると反対側の竹林からネギが姿を現した。

「うげ!? 反対側から戻ってきた!?」
「こ、これが噂のトワイライトゾーンって奴か……」
「違います。これは無間方処の呪法です。
 今、私たちがいるのは半径500メートルほどの半球状のループ型結界の内部です」
「……つまりトワイライトゾーンって奴だろ?」
「違……いえ、まあ、それでいいです」

 ちびせつなは淡々と状況を説明していった。
 無間方処の呪法というものにかけられて、半径五百メートルのループ型結界に閉じこめられてしまったのだ。
 結界の端までいくと、反対側に飛ばされてしまうため、通常の方法では出ることができない。

 横島はネギに打開策があるかどうかを尋ねた。

「ネギ、結界を破る魔法とか使えないのか?」
「すいません、僕はちょっとそういうのは……」
「ふぅむ……じゃあ、文珠で破るしかないか」

 ネギに頼れない以上は、横島の領域だった。
 横島は右手の手のひらを広げ、意識を集中させて文珠を出現させた。
 手の上で三つの文珠がふよふよ浮遊している。

「あ、兄貴、あれはこの前兄貴が貰ったマジックアイテムじゃ?」
「本当だ!」

 ネギは文珠を見るや否や懐に手を入れた。
 以前横島から貰っていた文珠を取り出そうとしたのだが、いくら漁っても見つけることができなかった。

「あ、あれ? 無い……確かにここにいれてたはずなのに」
「お前に渡しといた文珠はこの前使っちゃっただろ」
「え?」
「ほら、一昨日、サルのおねーさんを追いかけて、電車の中で水攻めにされかかったとき結界が張られたじゃんか。
 あのときに結界を張ったのが、お前に渡しといた文珠なの。『護』って文字が入ってたろ?
 まあ、その話は後だ、今は文珠でどうにかせな。
 ……ちびせつなちゃん、『脱』『出』の方がいいか? それとも『解』『除』の方がいいか?」
「解除の方がいいでしょう。脱出と文字を篭めても、本山側に出なければ同じワナにかかる可能性があります」
「そか……じゃ、『解』『除』で」

 横島は三つのうち二つの文珠に文字を篭めた。
 文珠は文字を篭められると、淡い光を放つ。

「ふ〜、助かったわね、横島さんがいて。
 横島さんがいなかったらずっと閉じこめられちゃってたかも」

 しかし、文珠の光はみるみる弱まり、突然ぴしと音を立ててヒビが入った。
 ひび割れはどんどん進行し、最後には二つとも砕けてしまった。

 アスナは目を丸くして、その光景を魅入った。

「……え? け、結界は解除されたの?」

 恐る恐る聞くと、横島はばつ悪い表情を浮かべて答える。
 砕けた文珠の破片をさらさらと地面に落とし、手をぱっぱと払った。
 地面に落ちた破片は瞬く間に消え去っていく。

「あー、いや……ダメだった……」
「なんで? いけそうだったじゃない!」

 当てが外れたことにがっくりしたアスナは、ついつい強い口調で横島に迫ってしまう。
 横島のせいじゃない、それはわかっている。
 が、それでもどうしても感情が声や態度に出て行ってしまう。

 横島は、ごまかしのための笑みを浮かべながら弁解した。

「あはは、思いの外結界の力が強くてな……二文字程度の文珠の力じゃ解除できんかった。
 四文字使って『結』『界』『解』『除』だったら流石に破れるだろうけど、四文字同時制御は俺にはまだ出来ないし……。
 ああ、『減』『衰』の二文字を使って結界の力を弱めてから、『解』『除』するっていう手もあるな。
 これなら別に問題ない。文珠があれば、の話だけどな」
「とにかく、今はでられない、っていうことですよね?」
「……そゆこと」

 アスナはがっくりと肩を落とした。
 ワナに嵌められただけならよかったものの、脱出方法がない、というのは流石にショックを受けた。

「まあ、一昨日、どさくさに紛れて一個返してもらった文珠を一個持ってる。
 今日はまだ使ってないから一個作れるし、アスナちゃんが今一個持ってる文珠を合わせれば、三つだ。
 ということは、最低でも今日か明日には脱出できるぞ」
「……うう、ずっとこのままじゃないってことはわかっても、辛いわ……。
 あ、そうだ! 本物の桜咲さんは助けに来れないの? 外からだったら何か方法があるかも!」
「す、すいません。敵が狙っているとわかった以上、お嬢様の側を離れる訳には……」

 八方塞がりだった。
 確かに時間が経てば脱出することはできる。
 が、しかし、竹林の中で延々と続く石段という異様な場所では、いるだけで精神が摩耗していく。
 横島やネギであればそれに耐えられるタフネスを持っているが、一般人であるアスナには少々堪えるものだった。

 横島はまだ一つアスナ達に隠していることがあった。
 実際には、今すぐとは言えないが、自然のペースで文珠を生み出すよりも早く文珠を作り出す裏技があった。
 テンションが上がりきった状況や、死に瀕しているときにはそうでもないのだが、平常時に無理矢理行うと体力と精神力を著しく消耗してしまう。
 それに……あまり十歳や中学生に見せられるものではない。

 『煩悩全開』

 横島はそう呼んでいる。
 横島の霊力の源は、煩悩だ。
 煩悩と言っても、厳密には色欲と限って言ってしまっても間違いではない。
 全裸の女体を想像することによって、無理矢理煩悩を引き上げて、霊力を増幅する。
 もちろん、ないものを無理矢理作り出しているために、かかる負担は大きい。
 別段、この霊力のブーストと呼ばれるようなものは横島だけが使えるというわけではない。
 横島の上司である美神は、金銭欲によって霊力の増幅が出来るし、そのライバルである小笠原エミはピートへの執着心によって上げることができる。

 煩悩全開は最後の手段……というほどでもないのだが、今はそれほど差し迫った状況ではないので使わずに済まそうとした。

「う……」

 アスナは一瞬下腹部に圧力を感じた。
 タイミングが悪いというべきか、ここに来て尿意を催してしまったのだ。
 ネギがアスナの一瞬の変調に気付いて声を掛けた。

「ア……アスナさん?」
「うわーん!」

 アスナは声を掛けられるとほぼ同時にかけだしていた。
 彼女は思春期の女子中学生だ。
 多感な時期のまっただ中にいて、男二人の前でお漏らしをすることなど考えるだけでも怖気がする。
 またこの不気味な竹藪で、用を足すことにも耐えられない。

「ああっ、おち、落ち着いてアスナさーん!」
「おいっ、どこに行くんだよっ!」

 察することのできない鈍い男の二人組はアスナの後を追いかける。
 アスナは二人から逃げようと全力で走る。
 全力で走ると、膀胱に刺激が加わる。

 悪循環だった。
 が、しかしアスナは走らざるを得ない。
 彼女が走らねばならない理由は、メロスが走った理由よりももっと重要なものだからだ。

「うわああ〜ん! 出して、許して!」
「えーん、待ってアスナさーん!」
「兄貴、姐さん、気を確かにー!」
「おいちょっと待てよ! お、俺をこんなところに一人で置いていくなーッ!」

 決壊寸前まであと数秒、といったところで、突然トイレがついた休憩所が現れた。
 アスナは一層加速して、トイレに飛び込み、乙女のピンチをなんとか回避する。

「ひゃー、助かった! トイレ借りますー」

 アスナがトイレに飛び込み、ネギは周辺に誰か人がいないか呼びかけた。
 案の定、返事はなく、無人の休憩所だったようだ。

「なんだトイレに行きたかったのか」

 横島はアスナが突然走り出した理由がわかり、溜息をついて休憩所の椅子に座った。
 ネギは財布を取り出すと、休憩所にあった自動販売機で適当な飲み物を買う。

「はい、どうぞ」
「おっ、サンキュ」

 しばらくするとアスナがすっきりした表情でトイレから出てきて、ネギと横島の正面に座った。
 ネギからおしるこを受け取ると、フタを開けて、一口含み、一息ついた。

「どうせ暇だし、何か確認できることをやっとくか?」
「ええ、今のこちらの戦力を分析しておいた方がいいですね」

 一応年長者で、この場で一番場数を踏んでいる横島が話を進めた。

「まずはネギから、ネギはどのくらい魔法が使えるんだ?」
「えっと、僕は……一応九種類の戦闘用魔法が使えます。
 一番基本なもので、魔法学校で習ったものが『魔法の射手』と『武装解除』です。
 あとは『風精召喚』、『雷の暴風』、『白き雷』くらいですかね。
 他にもあるんですけど、いまいち即効性がないか、ちょっと特殊な事情があって今回のものには向いていない魔法です」
「ふーん、よーわからんが、なんかすごそうだな。んで、アスナちゃんは?」
「え? 私?」

 アスナは首を捻った。
 ここまで付いてきたものの、よくよく考えたらネギや横島のような魔法や霊能力は使えず、刹那のような剣術も習っていない。
 強いて言えば体力と力はあるが、体力においては横島の方が上で、力といってもただの女子中学生のそれが通用する範囲というのもたかが知れてるだろう。

 え、私、もしかしたら役立たず?
 アスナは思った。
 横島にツッコミしていたり、ネギを子ども扱いしているのに、自分が持っている役立ちそうな能力が思い当たらなかった。

 横島はじーっとアスナが話すのを待っている。

 ヤバイ、ヤバイわ、何か言わないと、と思っていたときにオコジョが助け船を出した。

「姐さんは兄貴と仮契約してるからな。
 契約執行で身体能力アップと、式払いの能力がある『ハマノツルギ』が使えるんスよ、兄さん」
「その、契約執行で身体能力アップっつーのは、どのくらい強くなるんだ?」
「実際にやってみた方が早いッス」

 カモはちょろちょろと動いて、椅子から飛び降りた。
 付近にあった岩を指さして、アスナに思いっきり蹴りをするように指示をする。

「て……てぇい!」

 子どもほどある大きさの岩は、アスナに蹴られてもガンと音を立てただけでびくともしなかった。
 逆にアスナが足を抱え、ぴょんぴょんと跳ねて、痛がっている。

「よし兄貴、契約執行やってくれ」

 カモの言うとおり、ネギがアスナに30秒の契約執行を行った。
 アスナの体の周囲に淡い光が現れる。
 契約執行のときにいつも感じる妙な気持ちよさに、アスナは眉をぴくりとさせた。

 そのままもう一度岩を蹴ってみろ、とカモに言われた。
 アスナは先ほど岩を蹴ったときの痛さを思い出して、一瞬躊躇ったが、勇気を出して岩を蹴った。

 岩の上部が完全に砕け散った。

「相手がただの人間ならプロレスラーと戦っても負けねーよ」
「……すごいな、アスナちゃん……。
 っていうか、ちょっと待て! あんた岩を蹴り砕けるようなパワーで俺の頭をハリセンでぶったたいてたってことか!?
 ひどっ! 人間のやるこっちゃねーよ! 俺じゃなかったら、死ぬどころか頭が粉々だぞ!」
「し、知らなかったんです! って、横島さんこそなんで大丈夫なんですか!」
「慣れだ! ……とにかく、もうその契約執行、とやらをやっている間にはドツくのはやめてくれよな。
 じゃ、次は俺か……」

 横島は天に手を構えた。
 意味は特にない。
 ただのかっこつけだ。

「ハンズオブグローリー!」

 横島の手に瞬時に霊波刀が出現した。

「おおっ! 見たことない魔法……ていうか魔法?」
「魔法……じゃないよ、カモくん。魔力を感じない……」
「気でもありません」
「霊力だ」

 横島は座り直し、手を下に持ち直した。

「アスナちゃんと刹那ちゃんにはもう説明してあるんだがな。
 ネギとそこの小動物にはまだ言ってなかった。
 これは魔法でも気でもなく、霊能力っつーもんだ」
「霊能力? 俺っちも聞いたことねーッス」
「俺も霊力がなんなのかは知らん。使い方を知っているだけだ。
 どちらかというと、悪霊とか鬼とか妖怪とか式神とかそんな相手に有効な能力なんだ。
 まあ、見ての通り、このハンズオブグローリーは剣の形状に物質化しているから、ある程度の物理攻撃力はある。
 あとはサイキックソーサー……」

 ハンズオブグローリーを消すと、今度はサイキックソーサーを出現させた。

「ていっ!」

 横島はサイキックソーサーをネギに見せると、竹藪の中に放った。
 それが着弾すると同時に、竹藪の中で爆発する。

「うおっ! びっくりした……」
「結構威力ありますね」

 カモもネギも、いきなり爆発したことに驚いたものの、それ自体のすごさにはそれほど驚かなかった。
 サイキックソーサーが巻き起こした爆発は、魔法使いにとってそれほど強い威力があるものには見えなかった。
 ネギが得意とする魔法の属性は、光、風、雷なので爆発はそれほど見る機会はないが、火系統の魔法の射手数発分あれば再現できる。

 横島は反応の薄さを少し意外に思ったが、何も言わず最後の能力を見せた。

「あとは文珠、かな。これはデモンストレーションできん。
 さっき見せたし、お前に渡しとしたからなんとなくわかってるかもしれないが、一応説明するな。
 理論的に言うのならば、霊力をこの形状に凝縮し一定の方向性を持たせて解凍する能力、らしい。
 方向性を持たせる、っていうのは具体的に言うと、キーワードをいれるっつーこと。
 この珠一つに原則漢字一文字。まあ原則っつーことは例外もあるんだが、それ専用の文珠はもうないから。
 どんな風になるかっつーと、ほら、あれだ、電車の中の結界だよ。
 『護』って字が入ってたろ? 文字通り『護』ったってこと」
「は、反則じゃねえッスか、そんな能力! それじゃ、なんでもありじゃないッスか!」

 カモが横島の話を聞いて驚いた。

「いや、そーゆーわけでもないぞ。
 一回使ったら消耗しちまうし、俺は一日一個ペースくらいでしか作れない。
 第一、何でもありっつっても限界はあるんだぞ?
 さっきやったとおり、もし結界を除去するために『解』『除』っていれても、結界の力の方が強かったら、意味無いしな。
 応用範囲が広いっていうことは否定せんが、万能ではない。
 まあ、俺がもっと修行を積んで、それこそ何十文字同時発動とかそこまでやったら、万能って言っても大差なくなるが」
「どうやったらこの文珠っていうのは作れるんですか?」

 ネギが軽く手を挙げて言った。
 力、というものを渇望している少年には、この能力はとても魅力なものだった。
 文珠を作り出す能力が会得できるのならば、是非会得したい、そういった純粋な好奇心で目を輝かせて横島を見た。

「残念だが、お前には作れないぞ、ネギ。
 これを会得するには、前提条件として特殊な才能が必要になる。
 お前にそれはない。っつーか、俺以外に才能がある奴は他に見たこと無い」
「……そうですか」

 ネギはうなだれて返事をした。
 横島もしょげるネギを見て、気分は良くない。
 励ます意味合いをもって、言葉を続けた。

「まあ、使うだけならお前にもできるぞ。
 とはいっても、二個以上は無理だがな」

 そこでカモが口を挟んできた。

「兄さん、兄さん! それは俺っちにもできるんスか?」
「え? お前? ……え? そ、それはちょっとわかんねーな。
 もっとおっきい犬とか狐とかにはやらせたことあるが、小動物にはやらせたことないしな」
「使えるかどーかはともかく、俺っちにそれくれないッスか? たのんますよ、兄さん」

 カモは横島の前で前足を擦り合わせて、媚びを売るように振る舞った。

「まあ……ここ抜け出して、余裕ができたらくれてやってもいいが……何に使うんだ?」
「どれほど力があるかはまだいまいち理解できてないッスけど。
 そこまで応用範囲が広くて誰にも使えるっていうんなら、結構高く売れそうじゃないッスか」
「あー、それね。売るのはやめとけ」
「どーしてッスか?」
「……一度なあ。どーしても金に困って、知り合いの店に売ったことがあったんだよ。
 そしたら、その店で文珠を買ったやつがよりにもよって犯罪に使いやがった。
 あんときはもう、俺の上司に死ぬほどシバかれた。
 オカGも噛んできちゃったから、裏取引やらもみ消しやらで、美神さんがいくら払ったのか知りたくもない。
 結局、美神さんは隊長から徹底的に不利な条件を飲まされるわ、協会に大量の賄賂するわで、大損してたしな。
 俺は俺で三途の川を何十回も往復して、数ヶ月間、事務所、オカG、派遣GSとして無休で働かされたし。
 まあ、免許取り消しにはなんとかならなかったから幸いだったかもしれんが。
 つーか、厄珍が相手見極めずにホイホイ売りやがったからいけないのに……。
 うん、必要だったら分けてやらんでもないが、売るのはやめろ。多分、災いが俺に戻ってくるから」
「そ、そッスね。なんかよくわかんないスけど、とにかくやめとくッス」

 横島しか知らない人名や用語を交えての過去の失敗談だったために、言っていることは半分ほどしかわからなかった。
 しかし、それだけでもカモを思い留まらせるに足りた。
 カモはそれ以上話を聞くつもりはなかったが、アスナは思うところあって話に参加した。

「売ったとしたら、どのくらいになるんですか?」
「……さあなあ? 俺が売った価格はどうしても緊急時で、足下見られまくってたから二十万ってとこかな」

 アスナは具体的な金額を聞いて、おしるこを吹き出した。

「まあ、売るときは買い手の足下見てただろうから、買値を倍にして円じゃなくてドルってとこじゃねーの?
 厄珍のことだからもっとふっかけてたかもしれんが、俺も具体的な額は知らない。
 つうか、買収できなかったからって、洗脳とかすんじゃねーよ、アホ垂れ野郎め。
 ああ、いや、すまん、最後の愚痴だ。
 文珠を買って犯罪に使った奴、記憶を操作するようなことに平然と使ってたんだよ」

 横島が過去のことを思い出してぶちぶち愚痴をこぼしている反面、アスナは激しくむせていた。
 横島の言ったことが本当ならば、文珠一つで四十万ドル。
 一ドル百円として考えても、四千万円……。
 実際のところ、価値換算すれば四千万円に留まらぬ金額なのだが、貧乏人の金銭感覚を持ったままの横島にはそこまで想像することができなかった。

「あ、ああああ、ご、ごめんなさい、横島さん……そ、そんな高価なものとは知らなくて……」
「ん?」
「私、そんな、お金なんて……横島さんも軽く使ってたから、そんなもんなのかなあ、とか思って……」

 しばしアスナの挙動に理解できないでいた横島だが、わなないているところを見て、それとなく理解した。

「気にしなくていいよ。こんなん、実際に売れるもんじゃないしな。
 無理矢理売ったら、たかだか二十万で死にかけるような目に遭ったし。
 別にアスナちゃんが俺を無理矢理喋らせたときに使った文珠の対価なんて求めないよ」
「あ、あああ、あの、これ、返します」

 横島はほんの少し嫌味を混ぜてアスナを宥めようとしたが、失敗していた。
 アスナは文珠を入れ物代わりに使っていた財布ごと横島に突き出し、頭を下げる。
 微かに手が震えている。

「いいって、いいって。つーか、なんか俺がカツアゲしてるみたいじゃんか。
 文珠っつっても能力の一つなわけで、それがアスナちゃんや刹那ちゃんの命を守れるんならそれでいーんだよ。
 今は金に困ってるわけじゃないしな。
 むしろ女子中学生からお金を巻き上げるだなんて、今まで築き上げていた俺の爽やかなイメージが崩れるからよしてくれ」
「で、でも……」
「どーしても何かしなきゃ気が済まない、っつーなら、もうちょっと大人になったら体で返してくれよな。ナハハ」
「……え? ええっ」
「ジョーダンだよ、ジョーダン」

 顔を赤くしてうろたえるアスナに、横島がフォローをいれる。
 横島は極度の女好きとはいえ、女子中学生に脅迫まがいのことはしない。
 ネギの目もあることだし。

「ま、結界を解除するために必要だから、文珠だけは一時的に返して貰うことにするけど」

 横島はアスナの財布から文珠を抜き出すと、他には一切手を出さずにアスナに返した。
 アスナは財布を受け取ると、財布と横島を交互に見た。

「ま、そもそも、こっちの世界と向こうの世界じゃ文珠の価値だって違うさ。
 向こうはお札一枚五千万、とかそーゆーレベルなんだから。
 魔法使いだって魔鈴さん一人しかいなかったしな」
「向こうの世界? どーゆーことですか兄さん」
「ん? ああ、そーいや、お前らには説明してなかったっけ。実は俺はな……」

 と、そこへ突然、竹藪の中から物音を立てて近づいてくるものがいた。

「おいこら、何呑気にお話しとんねん!」

 ボロボロの学生服を着、穴の開いた帽子を被って、よろよろとした足取りで草をかき分けて近寄ってくる。
 大体ネギと同じくらいの年齢の、男の子だった。

「……何、あいつ、知り合い?」
「アホォ! さっき俺に向かって変なの投げおったやないけえ!」
「……変なの?」

 横島は首を捻った。
 ちびせつなが控えめに言う。

「ひょっとしたらサイキックソーサーというものじゃないでしょうか?」
「ああ、あれか。誰もいないかと思ってたんだが……スマン、ボーズ。わざとじゃないんだ。
 けど、なんでこんなとこにいるんだ?」
「くっ、とことん人をバカにしくさってからに……。
 おいこら、そこのあんちゃんと西洋魔術師! 俺と勝負せんかい!」

 突然現れた少年は、ネギ達の持つ親書を運ぶことをよしとしない勢力の一人だった。
 呪符使いがネギ達を無間方処の呪法で閉じこめて、彼は閉じこめている間の監視役を命じられていた。
 元々戦うことが好きな性格だったために、監視役という役回りに不満を感じていたが、命じられたまま監視を続けていた。

 が、そこで横島がサイキックソーサーを放った。
 運が悪かったというべきか、たまたま着弾地点近くに彼と、呪符使いから借りた式神がいた。
 彼だけならば恐らく回避できたのだろうが、式神が愚鈍だったために足手まといになり、サイキックソーサーが撒き散らした爆風をもろに浴びてしまった。

 超常的なものに大きなダメージを与える霊能力だったために、呪符使いに借りていた護符が全て使い物にならなくなってしまった。
 アスナの式払い能力を警戒して連れてきた、防御力の高い式神もまた送り返されてしまった。
 幸いだったのは、物理的なダメージはそれほど大きくなかったことだ。
 服が一部欠損し、転げ回って頭を打った程度に収まっている。
 決してゼロとはいえないが、なんとか戦闘するくらいの元気はあった。

「何言ってんだ、あいつ?」

 要領を得ない横島。
 あのような子どもが、敵だとは思えなかったのだ。

「気をつけてください、奴は……」

 ちびせつなの警告は間に合わなかった。
 少年は一気に距離をつめ、横島の延髄を狙って蹴りを放つ。

「どぅわぁッ! な、なにすんだ、このガキ!」

 横島は紙一重でその攻撃を回避した。
 が、少年の攻撃はそれだけに留まらず、間髪置かずに攻撃をしかけてくる。

「敵です! 恐らく私たちを無間方処の呪法にかけた者達の一味でしょう!」
「な、なんだってぇー!?」
「気付いとらんかったんかい、このアホッ!
 っていうか、どう見ても人間やない動きして避けんなッ、気色悪い!」

 少年の連続攻撃を、横島はとことん回避していく。
 日頃折檻され慣れている横島にとって、少年の攻撃はそれほど早くはなかった。
 何せ、先端が音速を超えた速度で跳んでくる鞭を相手にしているのだ。
 それに比べれば、少年の攻撃はゆっくりにすら見える。
 横島はそれらを全て回避していた。

 ただ、少年の言うように、普通の人間には到底無理であろう動きをしているのだが。

「アデアット!」
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」
「くっ!? こっちの気色悪いあんちゃんは後や!」

 横島をターゲットから外し、アスナのハマノツルギの攻撃をかわし、少年はネギを狙った。
 詠唱は間に合わず、ネギは頬を殴られて吹き飛ばされ、地面をバウンドして止まる。
 咄嗟に立ち上がるも、その間に少年が近づいて更に殴りかかろうとする。

「デフレクシオー!」

 殴られる寸前にネギは魔法障壁を張った。
 拳は障壁に当たり、本体へとは届かない。
 しかし、少年はそれを折り込み済みだったのか、何度も何度もネギを殴りつける。

「ネギ!」

 アスナはハマノツルギを振り下ろした。
 少年には当たらない。

「ちょ、ちょっと待ってろよ、ネギ! 非殺傷のハンズオブグローリーは一旦溜めをしないと……よし!」

 横島は刃を潰したハンズオブグローリーを出して、アスナに加勢した。
 少年は二人の攻撃を巧みに回避するが、それでもじりじりと押されていく。

「クソッ、二対一なんて卑怯やぞ!」

 ネギに対する攻めは一旦中断して、横島とアスナの攻撃を回避する一方になる少年。
 段々とその場に留まることも難しくなっていく。
 なんだかんだ言って横島は、それなりの経験を積んでいる。
 それに横島を師と仰ぐシロという人狼の少女の方が、少年よりも素早かった。

 その気になればハンズオブグローリーで叩き伏せることもできるのだが、いまいちその気にはなれなかった。
 相手はまだ子どもだ。
 生死を賭けた戦いをいくつもくぐり抜けているとはいえ、いつもの相手は悪霊やら妖怪やらの人間とは似ても似つかないものを普段は相手にしている。
 極希に、人間によく似た妖怪とも相手どったことがあるが、それでも情が移ることは何度もあった。

 ゴルフ場開発によって住み処を追われてそうになり、防衛のために人間に反撃したネコマタの親子などそれの最たるもの。
 横島が最も恐れている美神に反逆してまで、助けてしまった。

 一見して少年は人間ではないが、人間のような姿をしている。
 それが少し横島の決断を鈍らせていた。

「でぇぇいッ!」
「がッ!」

 しかし、今回は状況が状況。
 今は話は全く通じない以上、なんとか説得するにしろ、暴れるのはやめさせなければならない。
 ハンズオブグローリーを少年に肩に命中させた。

「……グッ……なんや、これ……力をごっそり持ってかれた……」

 魔法や気よりも、霊能力は人外に高い威力を示す。
 その分、物理的な破壊力や、身体能力の向上など低い。

 今回は前者の方が役に立った。
 少年に混じる半分の狗族の血の持つ力が、横島のハンズオブグローリーによって大量にそぎ落とされてしまったのだ。
 一気に力を奪われた少年は、片膝を付いた。
 アスナと横島が少年を挟み込み、ハマノツルギとハンズオブグローリーを構えて、行動を制限する。

「ほら、もうお前の負けだ、諦めろよ」
「くっ……まだ負けやない! 少なくとも、そっちの西洋魔術師は!」

 少年は諦めなかった。
 最後の力を振り絞り、地面を蹴る。

「お前一人やったらな……お前一人やったら、負けはせんかったッ!」
「うわっ!」

 少年の渾身の一撃がネギを襲った。
 魔法障壁は限界に近づいていたところで、今までの中で一番強い一撃だった。
 少年のパンチは、障壁を突破し、ネギの頬にぶち当たる。

「へへ……やったで……」

 ネギはそのまま後ろに吹き飛ばされて、竹を何本がぶち折って倒れた。
 それと同時に、少年は背後からハンズオブグローリーで殴られ、力を奪われて気絶してしまった。
 しかし、少年はネギに一撃を見舞ったためか、気絶している顔は満足そうだった。

「ネギ、大丈夫!?」

 アスナは殴り飛ばされたネギのもとへ駆け寄った。
 ネギは殴られたショックで気絶していたが、骨も折れておらず、死に至るような怪我はなかった。

「う、うぉぉ……や、やっぱり……これって児童虐待だよな!?
 児童虐待……折角積み上げてきた俺の爽やかなイメージがッ!」

 ともあれ、竹林での戦いは横島達の勝利で終わったのだった。