第14話

 麻帆良学園の外れ。
 エヴァンジェリンとその従者、絡繰 茶々丸の住む家の前で、死闘が行われていた。

「い、いやッ! おかしーだろっ、お前らッ!
 なんでそう、平然と何十メートルもジャンプとかできるんだッ!」

 アスナらに連行され、事情を説明された後、強制的に協力させられるに至った。
 本国に強制送還されるであろうネギを救出する案を考えている最中に、
 ネギ一行を捕獲しようとやってきた学園側の魔法先生が二人現れ、やむなく刹那、楓、横島の三人で迎撃をし、
 残りのメンバーはネギの救出へと向かったのだった。

 横島はもはや全くついていけない領域の戦闘を目の前にして絶叫していた。
 女性の魔法先生が刀を振るえば雷が落ち、男性の魔法先生が指を鳴らせば高速で飛ぶ真空波がいくつも発射される。
 横島の叫び通り、横島以外の四人は数十メートルの跳躍をものともせずに行っている。
 もっともこの世界で言えば、こういう職業の人間ではデフォルトな能力なのだが、
 それを知らない横島には驚嘆の対象でしかない。

「……拙者から言わせれば、縮地すら出来ない横島殿が
 裏の世界における達人レベルの魔法先生らと対等にわたり合っていることの方が不可思議なのでござるが」

 グラサンをかけた魔法先生、神多羅木の真空波を打ち落としながら楓はつぶやいた。
 京都での事件の際に、楓は横島が実際に戦うところを見ていなかった。
 半裸で錯乱状態に陥っている横島と接触し、古菲とともに捕獲しようと追いかけっこのようなものをしたが、
 横島が本気ではなかったため、いまいち力量を計りあぐねていた。

 いくらかに修羅場をくぐった経験のあるな、と見ていた。
 洗練されてはいないし、無駄の多い身のこなしではあるものの、戦闘時の立ち回りは的確にこなしている。
 優位な場所、敵が死角に入らない場所を探しだし、その場所を取る技術は目を見張るものがある。
 意識的にやっているのか、それとも無意識でやっているのかは判断がつかなかったが、
 結構な量の生命のやりとりをこなしている人間でいなければこれは出来ない、と楓は思った。

 それに……、と楓はつぶやく。

 裏の世界の人間にしては表の世界の人間の匂いが強く、本当のところはどうなんだろうか、と思っていた。
 横島の動きを見ていて、改めてこの人間が裏の世界の人間であることを思い知らされた。

 鬼門を防いでいるのだ。

 丑虎の方向、つまり鬼門。
 術士にとっての最大の死角となる鬼門だけは絶対に譲らず、逆に魔法先生相手に幾度か取っている。
 神鳴流の剣士の魔法先生相手には鬼門を取ったとしてもすぐに回避されてしまうが、
 鬼門という概念に疎い西洋魔術師の神多羅木相手には何度か攻撃が成功している。
 魔法先生相手に本気で戦うつもりは流石にないらしく、今のところ上着一枚をボロにしているだけだが……。
 確かに横島は裏の世界でそれなりの経験を積んだ人間である、と楓は認識した。
 その認識に至ると、やはり縮地が使えないことが大きな疑問となった。

「ふむ、拙者も魔法使いという分野においてはあまり詳しくないでござるからな。
 ひょっとしたら、このようなモノもいるのかもしれないでござる」

 楓はつぶやきながら数本の苦無を神多羅木に向かって投げつけた。
 すぐさま苦無は空中で打ち落とされる。
 もちろん、楓は打ち落とされることを承知で投げていた。

「こ、こなくそ! こうなりゃやけじゃあああ!!」

 苦無の牽制に一瞬の気を取られていた神多羅木に、横島がハンズオブグローリーで斬りかかる。
 霊気が収束した剣が、空中をまるでキャンバスのようにして緑色の軌跡を残していく。

 この剣が、魔力で構築された物理障壁に対して多大な威力を持つことを、神多羅木は今までの戦闘で理解していた。
 物理障壁を無視するマジックキャンセルほどではないが、よほど強いモノでない限り紙のように引き裂かれる。
 自分の上着を一枚犠牲にしてその事実を知った彼は、横島の攻撃を読んでいた。

 足下に魔力を集中し、地面に向かって放出するように後ろに跳ねる。
 ハンズオブグローリーの一撃は空を切り、神多羅木は回避を成功させた。
 しかし、縮地は達人レベルの相手の戦いではあまり多用することの出来ない技である。
 特に今回のように複数人を相手にしているときはなおさらに。

「いくでござる」

 縮地の着地地点に先回りしていた楓が神多羅木に向かって、手に持っていた大型の手裏剣を振り下ろす。
 縮地は成功後に一瞬の隙を作る。
 楓はその隙を狙った。

「くっ……」

 神多羅木も、縮地直後に攻撃が来ることを予測していた。
 縮地の弱点を知っているのは何も楓だけでない。
 2、3度指を鳴らし、風系の切断タイプの魔法を楓へ向かって放った。
 楓はその攻撃を避けもせず、魔法が体を貫いてもなお神多羅木へ向かって突撃をしかけていた。
 手にした苦無が落ち、最後に神多羅木に向かって、ニッと笑みを浮かべて、楓は姿を消した。

「……分身か」

 楓の攻撃が終わったとき、神多羅木の腕には苦無が刺さっていた。
 少し離れた木の上に隠れていた楓は、消えた分身が最後に残した笑みを浮かべている。

「よしっ、やったか!」

 神多羅木の腕に苦無が刺さっているのを見た横島はほっと安堵をついた。
 傷はそこそこ深そうに見え、神多羅木はもう攻撃をしかけるとは思わなかったのだ。
 神多羅木は苦無の刺さった腕の反対の腕で、苦無をおもむろに引き抜いた。
 苦無を引き抜いたことにより、血がだくだくと傷口から溢れ出していく。

 神多羅木はぼそぼそと呪文を詠唱し、無傷の手の指をそっと傷口に触れさせた。
 快癒魔法の力であっという間に傷口がふさがっていく。

「なッ! そんなインチキ!」

 横島は思わず後ずさったが、神多羅木はゆっくりと膝を突くと、そのままばったり地面に倒れ込んだ。

「眠り薬を苦無の刃に仕込んでおいたのでござるよ。
 それも数種類混ぜ込んだものでござるから、流石の魔法使いでも眠ったでござるな。
 とはいえ、相手が油断をしてくれていたからこそ効いたでござるよ」

 神多羅木は飽くまで物理障壁と無詠唱魔法のみだけで闘っていた。
 飽くまで神多羅木は超 鈴音とのなんらかの関わりがあったという疑いをもたれている2−Aのメンバーを捕まえに来たのだ。
 下手に本気を出して殺してしまうのはもちろん、数日間何も聞けなくなる状態に追い込むことも望んでいない。
 そのため全力を出せなかったにすぎず、彼が本気を出していればまた別の結末を迎えていたかもしれない。


 ともあれ、一旦勝負は勝ちを収め、横島は大きく息を吐く。
 腕をだらんと脱力させて垂らすが、霊波刀は消さない。
 うろんな瞳を向けた先は、閃光が何度もはじけ飛ぶ剣戟が繰り広げられていた。

「さて、契約はちゃんと履行してもらうぞ」

 横島は軽く息を吸うと懐から黒い機械を取り出した。
 するとたちまち疲労を浮かばせていた表情が消え、覇気の満ちた顔になっている。

 楓はむっ、と声を漏らし、不承不承に頷いた。
 戦闘能力がまだ乏しいクラスメイトを熟練の魔法使いと剣士から逃がすため、
 雇われであるもののプロの魔法使い(と楓は思っている)に協力してもらうために行った契約。
 刹那が提案したその契約は、真っ先に逃げようとしていた横島の協力を得ることができた。

 そして今、西洋魔術師の魔法先生を一人撃退したことによって、今度は楓の方が横島の要求に応えなければならなかった。






 麻帆良学園の魔法先生である葛葉刀子は、心の奥底で怒りという名の感情をくつくつと煮えたたせていた。
 魔法の存在が全世界にバレる、という魔法界全体を揺るがす事態がそれをもたらしていた。
 とはいえ、彼女が裏の世界と表の世界との秩序が徒に乱されることだけを怒っているわけではない。
 それは、人間であるならば誰しもが持つごく個人的な事情からもたらされている。

 ようやく捕まえた一般人の彼氏に逃げられる、という理由だ。
 神鳴流とは京の、もっと言えば関西呪術協会の剣士である。
 今でこそネギ・スプリングフィールドの活躍により和解しているものの、
 関西呪術協会から当時は敵対関係にあった関東魔法協会の総本山の元へと、西洋魔術師の元に彼女は嫁入りした。
 しかし、その関係はうまくいかず、二人は離婚。
 関西に戻るも戻れず、関東でも魔法先生として働くことはできたがやはり多少の居づらさは感じざるを得なかった。
 時というものは残酷で、一歩も休まず前進し、決して後退してくれるものではない。
 まだ若いんだから、とのんきに過ごしているうちに、あっという間にクリスマスを過ぎてしまった。
 これはやばい、と思い、焦りに焦って彼氏を作ると、今度はこの大騒動だ。

 超 鈴音が引き起こしたこの騒動は、もはや止めようがない。
 彼女が発動させた『強制認識魔法』が世界に広がるのを何も出来ず、ただ見ることしかできないのだ。
 その結果もたらされるのは、魔法の国へと強制的に連行され、オコジョにされることだった。
 もちろん、オコジョにされている間、現在つきあっている彼氏が待っていてくれるはずがないと思っているし、
 オコジョの刑を解かれると、そのときにはまた新しい彼氏を作るのがますます困難な年になっているだろう。
 そのことが、刀子は悔しくて悔しくてたまらなかった。

 その行き場のない怒りを発散するかのように、刀子は刀を振るっている。
 もちろん、その怒りは、彼女の心のごく一部しか占めていない。
 動機はストレス解消だが、怒りで刀の一撃を鈍らせるようなことを一切しないのが、プロの剣士なのだ。

 実際、刹那に対してふるう刀は一降りごとに鋭くなっていく。
 元々は刀子は刹那の剣の師であり、実力は明らかに刹那より上だった。
 もはや強制認識魔法が発動してしまった後であり、刀子はなんの気兼ねなく大技を繰り出すことができた。
 それでも刹那が、刀子の太刀を受けられているのは、刀子がほんの少し残した理性が手加減をしているのと、
 刹那の種族的な能力の差……すなわち、ただの人間と烏族のハーフとの差……があるからだった。

 刀子は大技を連発し、刹那はそれを受ける。
 当然刹那は体力と、更に殺意を向け続けられることで精神力を摩耗させ、動きがだんだん鈍くなっていく。
 じりじりと追いつめ、何とか抵抗する刹那を気絶させ、魔法先生らの本部へと連行するつもりだった。



 ぱしゃっ



 シャッターが降りる音が刀子の耳に届いた。
 まさか、一般人の目があったのか? と一瞬ひるみそうになったが、
 よくよく考えてみればもう既に魔法の存在はバレており、隠す必要がないことを思い出して、自分を嘲った。
 ただ、少女を気絶させるところを撮られるのはまずいと思い、刹那に対する攻撃を止めずに、目を走らせた。

 その結果、カメラマンを見つけることができた。

「現役ッ! 美人ッ! 女教師ッ!
 ああッ! なんとすばらしい響きなんだッ!
 フェロモン全開のその姿、俺が後世に伝えなければ誰が伝えるというんだッ!」
「んなッ!」

 刀子は、自分の顎が本当に落ちてしまったのかと思い、手を首もとに持って行ってしまった。
 カメラのシャッター音は自分のすぐ背後。
 より正確に言えば、二メートル後方の地面すれすれから聞こえてきた。

 そしてそのカメラは、ブルーのジージャンとブルーのジーパン、更に赤い鉢巻きを巻いた変態が持っていた。
 カメラのレンズが向く先は、刀子。
 そしてレンズが反射する光景は、スカートの中の黒い下着だった。

「なっ、なななななっ、なななっ、な……」

 顔が血で膨らんだ水風船になったかのように赤くむくんだ。
 刀子は剣士だけあって、裏の仕事では呪術師より直接戦闘を主にしている。
 当然、今回のようにミニスカートで飛んだり跳ねたりしているが、
 しかし、彼女は魔法少女(元)として特別な訓練を受けてきた。
 決して、下着を見せないための立ち回りを厳しくしつけられていた。

 もちろん、そんな余裕を与えないほどの猛者と闘ったときもあった。
 しかし、そのような相手は大抵、刀子のスカートの中を覗こうなどとはしてこなかった。

 今現在、背後でスカートの中を無許可で撮影している狼藉者は、刀子が初めて許した盗撮魔だった。

「こ、このッ!」

 さしもの刀子ですら、怒りに手をふるわせて野太刀を振り下ろす。
 が、その攻撃は面白いようにさっと避けられる。
 二の太刀、三の太刀、連続して剣戟を繰り出すが、
 変態はひらりひらりとMPが吸われそうな不思議な動きでかわされる。

 その動きがまた刀子を挑発し、怒りのボルテージをぐんぐん上げていく。
 怒りは、一撃の速度をあげるが、動きを単調にする。
 動きが単調になれば横島が更に回避しやすくなる。

 空振りが増えれば怒りが溜まり、怒りが溜まれば動きが単調になる。
 動きが単調になれば今度は空振りが増える。
 三つの出来事が延々と繰り返され、まるで三拍子の踊りを踊っているかのよう。
 そう、刀子と横島は当人らが気づかぬうちにエンドレスなワルツを踊っていた。

「うひゃひゃひゃひゃッ! 現役女教師のセクシーショット頂きぃ!」
「し、死になさい! 五回くらい連続で、息もつかずに、いっぺんにまとめて、死ねッ!」

 刀子が攻撃し、横島がそれを避ける。
 ある意味息がぴったり合っているように見える、その逃走劇に突然横槍が入った。
 刀子の死角から一本の苦無が投擲されたのだ。

「なっ!? き、やぁッ!」

 冷静であれば難なく避けられたその苦無は、冷静でいられなかった刀子の胸元を軽くかすめた。

「おおおおおおおッ、黒、予想通り黒ッ! 生きててよかったーッ!」

 刀子をかすめた苦無は、刀子の薄皮一枚も切らなかった。
 しかし、横島にとってこれ以上のないアシストだった。
 刀子の上着の胸元がぱっくりと開き、黒いレースの下着が白昼の下にさらされたのである。
 反射的に腕を当て、大きく裂けた胸元を隠そうとしたが、
 もう既に遅く、横島が神速と呼ぶべき速度でカメラのシャッターを切っていた。

 これこそが楓や刹那が横島に協力を求める対価だった。
 楓はともかく刹那は横島の本性をきっちりと理解している。
 刹那は戦闘以外の駆け引きに関して、あまり得意とはいえなかったが、
 相手がちょっと餌を垂らせばダボハゼのように食いついてくる性格をしていたため、
 心苦しい条件ではあるものの、比較的容易に協力を求めることが出来た。


「とっ、撮るなッ!」

 普段の刀子を知る人間であれば、思わず目を剥くような悲痛な叫びが彼女の口から漏れる。
 しかし、そんな悲鳴を上げたところで、彼女が相対している変態は同情する人種ではない。
 むしろ興奮する人種だった。
 鼻息荒く、ゴキブリのように辺りをサカサカ歩き回り、色々な角度から刀子の姿をカメラにおさめていく。

 刀子は左手で胸元を押さえつつ、右手だけで愛刀を抜き、不埒な男を切り捨てようとした。
 が、そのときちょうど今まで見ていなかった方向を見てしまった。

 ぽかんと口を開けて、自分を見下ろしている刹那だった。
 そして更にその刹那の瞳に映る、涙目でやめろぉ、と叫んでいる自分の姿だった。
 改めて自分で自分の姿を認識し、刀子の心の底から悲しみがわいてきた。

 数週間前までは幸せだった。
 魔法先生としての職務をきちんと果たし、
 生徒たちからは美人教師として……少なくとも美人と呼ばれて悪い気はしなかった……慕われていた。
 唯一の懸念だった男性問題は、四捨五入して三十に達した状態で、
 なんとか一般人の彼氏を捕まえて、それなりにいい仲にまで発展することができていた。

 それと比べて今の自分はどうだろう、と。
 魔法の国へと強制送還とオコジョの刑が決定的になっている上、
 魔法先生としての地位はもちろん彼氏との関係も遠い彼方へワープしてしまっている。
 その上、超 鈴音と関係があっただろう生徒達を連行しようとしたら、
 その中に剣術の教え子が混じっていて、飽くまで抵抗の意を示している。
 その生徒達には出し抜かれ、明らかな時間稼ぎまでされている。

 そしてとどめに、変態にパンチラと胸元が裂かれた瞬間の写真を撮られている。

 今まで貯めていた感情が心の奥底から湧き出て、溢れそうになっていた。

「も、もう許しませんからね……」

 しかし彼女は耐えた。
 プロとしての矜持や理性を総動員させ、吹きこぼれそうになる感情に強引にふたを閉めた。
 右手で堅く愛刀を握りしめ、とりあえず変態は殺し、
 刹那とそのクラスメイトは気絶させて連行したのち、何時間も説教をしてやろうと。
 そう心に決めて、行動に移ろうとしたとき、背中に何かが通過する感覚が走った。

 しまった、と思って左手を背中に触れさせたときにはもう遅かった。
 またあの苦無が背中の上着を十文字で切り裂いていた。

「う、うおおおおおおおおおおおッ!」

 「ぷるん、という音が聞こえた、マジで」と横島は後に語る。
 刀子の授業を受けた男子生徒全てを悩ませた、豊かな胸がついに横島の目の前にその全貌を表した。
 楓の放った二本の苦無によって切られ、内容物の重力に耐えかねて、黒いブラがはらりと落ちたのだ。

 刀子は全てを理解したとき、頭の中でぷっつんという音を聞いた。

「うっ、うっ……うううううぅーっ……」

 なまじ感情を押し込もうとした瞬間の出来事であった分、バックドラフトはすさまじいものだった。
 左手で胸元を隠すと、そのまま地面にしゃがみこんで、あろうことかめそめそと泣き出した。

 鼻から噴水のような血を噴出させていた横島も、この光景を目の前にして立ち止まった。
 ちくちくと罪悪感に襲われ、普段ならまず間違いなく飛びついていたのをぐっと我慢している。

 そして刹那は、常に稟としている刀子が年頃の少女のように泣いているのを見てあっけにとられていた。
 が、横島が飛びかかるか否かを判断するよりかは早く、行動に移した。

「ひでぶっ!」

 まずは横島の鼻がしらを野太刀の柄で思いっきり殴り飛ばす。
 鮮血をまき散らしながら、のけぞる横島を確認するとそのままうずくまっている刀子の首筋に人差し指と中指を当てる。
 無防備になっている刀子の首にそのまま気を打ち込んで気絶させた。

 刹那は、手加減をされていたとはいえ自分より遙かに格上の相手に、なんとか勝ちを収めたことにほっと一息をついた。
 本来ならばちょっと気を抜いただけでも一撃で倒されかねない実力の持ち主だ。
 戦闘中常に浴びせかけられた殺気だけでも多少の疲労を覚えている。

「いてて……」

 そして刹那は起きあがる横島を見てまたどっと疲れを感じた。
 さっきはあれほど噴出していた鼻血がもう止まっている。
 それなりの力で殴りつけたというのに、案外余裕そうな表情を浮かべられるのは何故なんだろうか、
 と考えようとしている自分に気づき、そっと思考を停止した。

「横島さんほど、いちいち考えるのが面倒になる人は初めてです……」

 刹那の本心が口からこぼれ出た。
 何を今更、と思いもあったが、気を取り直すために一つ大きなため息をはく。
 肺に新鮮な空気を充満させ、意識が切り替わると、刹那は崩れかけた表情を正し、横島相手に頭を下げた。

「さて、横島さん。ご協力ありがとうございました。
 私はこれよりネギ先生の元へ向かいます」
「おう、なんだかよくわからんが頑張れよ」

 刹那は自分のパクティオーカードを額に当てて、
 カモから教えられていたカードを仲介したテレポートを使おうとしたそのとき、ふと思い出すことがあった。

「横島さん、この後もひょっとしたら学園側が魔法先生を派遣してくるかもしれません。
 出来れば戦わず、穏便に投降してください。
 特に高畑先生が来た場合、絶対に戦うという選択肢を選ばないでください」
「高畑先生?」

 首をかしげる横島を見て、刹那は意外に思った。
 横島は学生という身分に拘束されず、裏の世界の仕事を行っている人物だ。
 なので、少なからずあれほどの有名人の存在くらいは知っているはずだと思っていた。

 今の状況から鑑みて、一分一秒すら惜しいのだが、
 このまま横島を放っておくのは流石に薄情がすぎると思い、刹那は懐から式神の媒体を一枚取り出した。
 意識を集中させ、頭の中に元担任の姿を思い描く。
 そのイメージは実に鮮明だった。
 体感ではつい数日前……学園祭の武闘大会でネギと戦いを見せたのだから。

 オン、と唸って媒体を投げれば、そこには髭の生えた中年の男の姿が現れた。

 それを見て、横島は腰を抜かした。
 もちろん、人間が急に出現したからではない。
 彼にとってはこんなことは驚くべきことでもなんでもないからだ。

 問題はその姿だった。
 今でも横島の脳裏に強く焼き付いている、その男は、横島を見てニヤッと笑った。
 本物の彼がいつも浮かべている愛想笑いなのだが、バイアスのかかった横島の視点からでは別の意味が見えた。

「う、うわああああッ!」

 勢い余って横島は式神を切り捨てた。
 翡翠色の霊波刀が幻覚を引きちぎり、媒体の紙切れを四散させる。

 刹那は自分の生み出した式神が退魔の力で引き裂かれたことにより、
 体の内側から『気』を引きづり出されるような感覚に襲われていた。
 この世界の『気』や『魔力』よりも、ゴーストやアンデッド、あるいは妖怪に多大な効果を与えるそれは、
 嫌が応にも自分の体に流れる血を意識させる。

 が、しかし、横島自身は、刹那に自虐的な気分に浸らせることを許さなかった。

「こ、こいつが来るのかッ! 本当かッ! 本当なのかッ!」

 横島の手が刹那の肩を強く握り、そのまま前後に揺さぶる。
 首ががくがくとぶれ、危うく意識が飛びそうになったところでようやく止まった。

「え、ええ、多分……絶対とはいえませんが、恐らくは」

 刹那は視界に靄がかかっている状態で、言葉短く答えた。
 確かに、この麻帆良学園の魔法先生の中でも、相当な手練れの二人組を撃退した後であり、
 新たに追撃があるのならば、高畑以外考えにくい状況だった。

 それを聞いた横島は、その場にくずおれた。
 まるでこの世の終わりだ、とでも言うかのようにうなだれ、四つんばいの状態でぶつぶつと何かをつぶやいていた。
 刹那があまりに異様な奇態を見せる横島に声をかけようと、手を伸ばした瞬間、横島はばっと立ち上がった。

「刹那ちゃん、俺も連れて行ってくれ!」
「へ?」

 突然の横島の提案に面食らった刹那。
 今は戦力がいくらあっても足らない状況で、助かるといえば助かるが、なんにしろ輸送手段がない。

 横島は刹那と違いネギとの間に仮契約を結んでいないし、
 楓のように足が速いわけではない(それでも一般人とは言い難い速度で走るが)
 連れて行ってほしい、といわれても手段がなかった。

 なんといって横島の助力を断ろうか、と刹那は考えた。
 しかし、いくら考えてもその言葉が浮かんでこない。
 目の前にはやや錯乱状態に陥りながら、すぐ目の前まで顔を近づけてくる必死さを見たら、
 これはどうやっても説得できないということがわかってしまったからだ。

 刹那に出来ることは、せいぜい、横島に励ましの言葉をかけることだけだった。

「大丈夫です、横島さん。きっと……いえ、必ずネギ先生と歴史を変えてきますから」

 刹那は懐からパクティオーカードを抜き取り、額に当てた。
 すると地面に魔法陣が自動的に描かれ、光が刹那を包む。

「うわーッ! 薄情者ーッ!」

 いくら泣けど叫べど、一度発動した空間転移の魔法は止められない。
 刹那の存在が一瞬で希薄になり、最終的には消えてしまった。

「う、ううっ、来る、来るぞ、あの変態通り魔野郎が……」

 横島は背筋が総毛立ち、ついでに尻の穴がむずがゆくなるような感覚に襲われた。
 どきりとして辺りを見回し、高畑が近くに来ていないか気配を探る。

 まだ、来ていないようだった。
 しかし、まだ来ていないからといって来ないというわけではない。
 やはり、刹那の後を追うべきか、と思って文珠を取り出した。

 本来ならば土壇場の切り札になりうる文珠を、横島が嫌悪する人物が迫ってくるかもしれない状況では温存したかった。
 が、消えてしまった刹那を追いかけるためには文珠の力が不可欠だった。

 横島が取り出したのはスーパー文珠。
 なんの文字をいれるか、一瞬迷ったが、すぐさま思いついて、文珠に念を込めた。

 『牽』『引』

 刹那のテレポートに引っかけて行くように、横島はその場から姿を消した。









「ぎゃああああああああああああああああああああ!!!!」

 耳をつんざく咆哮の気迫に負け、横島は叫び声を上げた。
 刹那のテレポートを追うように文珠によるテレポートをしたまではよかった。
 しかし、テレポート先は中々の修羅場が展開されていたのだ。

「うわ、うわわわわわッ! だ、誰か助けてくれーッ!」

 横島はとにかく助けを求める大声を上げながら、必死に角に捕まって落ちないようにふんばっていた。
 刹那のテレポートに若干のタイムラグを置いてテレポートをしたせいか、ほんの少し座標がずれていたのだ。
 テレポートした先には、『たまたま』麻帆良の地下遺跡を守護するドラゴンがいて、
 そのドラゴンの顔にしがみつくような形で横島は落ちまいと踏ん張っていた。

「なんで俺だけこんな目に遭うんじゃーッ!
 監禁されるわ、変態ホモ野郎に狙われるわッ! 挙げ句の果てにはこんな、こんな目にッ!」

 ドラゴンはぎゃあおう、と咆哮を上げ、顔にへばりついたものを引きはがそうと首を左右に振っていた。
 横島にとって幸いなのは、ドラゴンは今現在地下迷宮に侵入したネギや刹那達を追跡することを優先としており、
 本気で横島を振り落とそうとはしていなかったことだ。
 巨体が収まりきらない地下遺跡の壁を削りながら、ドラゴンは首を左右に振りながら走る。
 強烈な慣性力が襲いかかるが、横島は耐えた。
 ドラゴンの堅い鱗が手に食い込み、皮膚が破けてじくじくと痛むが、
 もし手を離したら、次の瞬間地下遺跡の壁に赤い花が咲くことになってしまう。

「こんなくそぉぉぉ! 死んでたまるか、ちくしょおおおおおッ!」

 地響きを立てながら走るドラゴンは、先に逃げるネギ達を追いかけて広い空間に出た。
 地下遺跡の中にある、球状の広間で、壁には大きな木の根が広がっている。
 ちょうどこの場所の上には、麻帆良の生徒からは『世界樹』と呼ばれ親しまれている大樹が立っていた。
 この木の根はその世界樹の根で、その証拠に二十二年間の間ため込んだ魔力が光という形で放出されている。

 ネギ達は超鈴音に渡された航時機『カシオペア』を、世界樹の放つ魔力を利用して使おうとしていた。
 地上の世界樹はもうすでに発光を止め、放出される魔力量が少なかったため、
 地下に潜ってこの世界樹の根付近にて、カシオペアを発動させようとしていたのだ。

 世界樹の根のすぐ近くの通路に、ネギ及び彼のクラスメイト数名が手をつないで輪になっているところで、
 ドラゴンが広間の入り口にて大きく翼を広げた。

 ドラゴンが床を蹴り、広げた翼を羽ばたかせ、飛び上がる。
 ついでに、中々剥がれないで、顔にへばりついていたものを、この大広間で振り払おうとドラゴンは考えた。
 今まで、通路の壁に自分の頭をぶつけないようにと配慮していたが、ここでは何の心配もいらない。

 大きく、ぶん、と首を振れば、横島は風にたなびく新聞紙のように吹っ飛んだ。

「ぎゃああああああああああああああ!!!! は、ハンズオブグローリー、のびろぉぉぉぉぉぉ!」

 空中できりもみ回転しながら、横島はハンズオブグローリーを思いっきりのばした。
 翡翠色に輝く剣が、横島の回転に任せて広い空間をやたら滅多に切り裂く。

 ハンズオブグローリーの先端にあるかぎ爪が引っかかった場所は、ドラゴンの翼の付け根だった。
 ドラゴンの堅い鱗は、横島の渾身の霊力が込められたハンズオブグローリーと、
 横島の全体重足す遠心力の力によって、貫通し、中の肉を霊力の爪によって傷つけられた。

 ドラゴンの痛みを訴える咆哮が空気をびりびりと揺らし、崩れた体勢を整えるための羽ばたきが風を起こす。
 引っかかったハンズオブグローリーは跳ね上がり、再び横島は宙に投げ出される。
 ただ、今度は軌道が変わり、壁に向かって、ではなく、広間の中央に向かって投げ出されていた。

「わあああああああああああッ!」

 ドラゴンの翼が巻き上げた風が追い風になり、横島はまっすぐ部屋の中央……
 そしてそこで輪をくんでいるネギ達に向かって飛んでいった。

「わ、わわわッ! ひっ、人が飛んでくるよッ!」
「え!? あっ……へぶっ!」

 懐中時計型タイムマシン『カシオペア』の発動スイッチに指をかけていたネギの頭に、横島が飛んできた。
 その衝撃で、カシオペアが発動し、ネギと、そして手をつないでいた彼のクラスメイト達が時間移動する。

 しかし今回の発動は、一週間もの時間を移動する今までとは異なった発動。
 ネギ達は重力の感覚を失い、ふわりと持ち上がったかと思うと、高所から飛び降りているかのような感覚を味わった。

 そして、ネギにつっこんできた男も。

「う、うわわわああああっ! な、なんじゃこりゃあああああ!!」

 手をつないでいたネギ達とは違い、ドラゴンに吹き飛ばされて、偶然、時間移動に巻き込まれた横島は、
 ふわりと宙に浮いたまま、孤立していた。
 いきなり辺りの光景が変貌したことに驚き、ネギ達と合流しようとするも、うまくいかない。
 手足を思いっきりばたつかせても、ほんのわずかな距離しか縮まらず、手が届かない。

「よ、横島さん!? ついてきちゃったんですか!」

 アスナが、パニックに陥って暴れまくる横島を見つけた。
 なんでこんなところに、と考えたが、今はそんなことを気にしている場合ではないと判断した。
 とにかく、横島を助けなければ、と自分の足を突き出して、横島に掴ませようとした。

「あ、アスナちゃんッ!」

 しかし、横島の掴んだものは、アスナの足ではなかった。
 よりにもよってひらひらとたなびく布きれの端を、はっしと掴んでいた。

 俗に『スカート』と呼ばれるその布きれは、残念ながらアスナの足よりも遙かに強度に劣っていた。
 暴れる男一人の力に耐えることなぞ当然出来ず、びっ、びびっ、と不穏な音を立てて、きしみ始め、
 ついでにずれはじめた。

「ちょ、ちょっと、横島さん、どこをつかんでるんで……」

 状況が状況であるといってもアスナはまだ汚れを知らぬ(あるいは忘れている)乙女。
 このままいったら、スカートがアレしてソレになってしまうかもしれず、
 横島に文句をつけようとしたが、すでに遅かった。

 ズルッ、と行ってしまったのだ。

「わぁああああっ、すっぽ抜けたァッ!」
「きっ、きゃああああああああああああッ!」

 今までネギの魔法によって脱がされたり、エッチなことをされたのは数知れない。
 しかし、年頃の男によってスカートを脱がされたのは、初めての出来事だった。
 横島のことを条件反射的に蹴り飛ばしそうになったが、アスナはぐっと我慢した。
 このまま蹴ってしまえば、ネギ達と手をつないでいるアスナはともかく、
 横島はこの空間の中で自分たちとはぐれてしまうかもしれない。
 超 鈴音が渡した怪しい機械によって入ったこの空間で、一人離れてしまったら……。
 アスナには想像ができなかったが、いい結果に終わることだけはまずないことは推測できた。

 だからアスナは我慢が出来た。
 すっぽぬけた反動で一回転した横島が、今度は自分の下着を藁のように掴んできたときも我慢が出来た。
 さりげなくお気に入りだったパンツが引っ張られ、ゴムが伸びきってもう履くことはできないな、とか、
 パンツがのびてるから隙間からのぞけてしまうな、とかそんなことを思ったときも我慢が出来た。
 横島の手が遠慮もなくパンツの中に入り込み、限りなくレッドゾーンに近い部分に触れたとき、
 堪忍袋の緒がみしみし鳴って、ひゃっ、と声を上げてしまった。

 心臓が拍動し、血が頭に上って、皮膚の下が泡立つようなそんな感覚にとらわれたとき、
 横島の手が、致命的な部位に触れると、アスナは頭の中が真っ白になっていくのを感じた。

 気づいたときには、学園祭中の麻帆良学園にいた。
 スカートはなく、ゴムの伸びきったパンツを履き、目からは大量の涙が溢れた状態で、
 刹那やこのかが慰めてくれていた。

 何が起こって、どうなってしまったのか、アスナの混乱した頭では状況の整理が全く出来なかったが、
 綾瀬夕映がやや青ざめた顔で、ネギに対し
「あ、あの横島さんという男性は、時空の彼方へ飛んでいってしまいましたが、一体どうなるのですか?」
 と言っていることだけはなんとか聞き取ることができたのだった。