第15話

 麻帆良学園地下遺跡には、魔法によって処理された軟禁部屋がある。
 その軟禁部屋は滅多に使われることがないものだ。
 普通の人間であれば、地上のそれに値するものを利用すればいいため、
 わざわざ地下遺跡にあるものを使うのは、それなりの理由がある相手のときのみである。
 主に、魔法使いなどがこの軟禁部屋に使われる相手に相当する。

 言うまでもなく、魔法使いは魔法を用いることが出来る。
 そういった輩に、何の魔法処置をしていない軟禁部屋に閉じこめようと意味がない。
 その気になれば、どんな鍵をつけていようとすぐに出れてしまうからだ。
 そのため、魔法使いでさえ出ることのできないよう、魔法によって処置された軟禁部屋がある。

 表の世界では魔法使いは少ない。
 ここ麻帆良は関東魔法協会の長がいるだけあって、日本有数の魔法使い都市であるが、
 それでも表の世界の人間に比べれば、圧倒的に少ない。
 そのため、この軟禁部屋はそもそも入れる相手がいないという理由で滅多に使われることがない。

 そんな、あまり使われない軟禁部屋が一室だけ、人が閉じこめられていた。

「あー、うー……ナンパぁぁぁ……美女……」

 軟禁部屋の厚い扉を、力無くがりがりと引っ掻くこの男、横島忠夫だった。
 彼自身は何故このような目にあっているのか知らない。
 ただわかっていることは、麻帆良祭が終わるまで、ここまで閉じこめられているであろうことだけだ。

 もう既に閉じこめられてから六時間が経過している。
 ガンドルフィーニが言ったことが本当ならば、この部屋での二時間は外での一日に匹敵するわけだから、
 もう三日が経過したことになる。
 麻帆良祭はあと一日。
 横島の体からはもはや捕獲された際の麻酔は完全に抜けていたが、
 ナンパのための貴重な機会がほとんど無くなってしまったことが横島の力を奪っていった。
 もはや脱出しようとする気力もなくなりかけ、無駄とはわかっているもののただ扉をばんばんと叩くだけだった。

 しかし、その扉が、ぐっと軽く振動を始めた。
 横島が気づいて扉から離れようとすると、すでに扉は微かに持ち上がり、重厚な音を立てて、開き始めていた。

「え? おっ! まさか、天の助けかっ!」

 天の助けといっても、横島の知り合いの某神様のおかげとは、露とも考えていなかった。
 何にせよ、彼女にそんなことができる力があるとは全く信じていないからだ。
 実際、開いた扉の向こうにいたのは見知った赤毛の少女だった。

「アスナちゃん! ありが……どったの?」

 我先にと飛びつこうとした横島だが、目の前の少女がいつもと違った様子でいたため、ためらった。
 とかく彼女ときたら、若いくせに自分の上司に似通った部分があった。
 髪の毛の色などという外見的なものではなく、暴走しがちな自分を抑制する存在であるということが特に。
 今はまだいいが、彼女の性格がこのまま成長したら、
 上司のように理不尽な理由で暴力を振るんじゃないか、と横島はそれなりの心配を抱いている。

 それはそうと今見せている彼女の異変は、横島の心配とはほど遠いものであるように見えた。
 息を切らせ……流石の横島でも彼女の体力がいかに馬鹿げているものなのか、すでに理解している、
 そんな彼女が息を切らせるまで走ったということは、一体どれほど急いで来たというのか……、
 微かに目を潤ませて、荒い呼吸の間に横島の名を紡いでいる。
 邪な目で見れば、激しく妄想をかき立てられる様相だが、横島はとまどわざるを得なかった。

 そのとき、アスナはまるで猫のようなしなやかさで飛びかかった。
 横島ですら、殴られるか、と構える隙すらなかった。

「よかったあああああっ、横島さん、居たぁあああああっ!
 もう本当に、どうしようかと、でもよかった、まだ横島さんがいてくれてっ!」

 がっしりと鯖折りをするような形でアスナは横島に組み付いた。
 腹の底から出るような、力の入った声が、地下遺跡軟禁部屋内に響く。

 組み付かれた横島は、状況が理解できなかった。
 理由を聞かされることなくこの部屋に軟禁、というよりか監禁され、
 扉が開いたかと思うと、興奮したアスナに抱きつかれる。
 挙げ句の果てに、いてくれてよかった、などと言われ、これだけで理解できることこそ無理だった。

 横島はとまどいながらも頬がゆるむのを止めることができなかった。
 横島を完全に満足させるとは決して言えはしないものの、中学生としては発達している体が密着しているのだ。
 非常に柔らかく、それでいて暖かく、重要なこととして実体のある肉体の感触に、
 中学生でもいいかも、などという考えが横島の脳裏によぎった。

 しかし、その考えは最後まで行かず、横島の理性が動き始める。
 いやいや、そんなことはいけない、せいぜい高校生になってから……という考えが持ち上がる。
 とはいえ、体に当たるおっぱいの感触はすばらしい。

 理性と煩悩がぶつかり合った結果、理性が出した答えは煩悩に一歩譲るという妥協案だった。
 強い力で抱きしめてくる彼女の背中に、自分の手を回す、ということだけをするのだ。
 これならば他人に見られたとしても、はたまた自分の勘違いだったとしても、
 抱きつかれたから、なんとなく手を回してみただけ、と答えることが出来るからだった。

 そーっと、怪我をして気を荒げている野良の子猫を包み込むような手つきで、アスナの背中に手を伸ばし、
 その手が接触するか否かのとき、横島ははっと気がついた。
 さっきまではいなかったはずの、刹那がそこに立っていた。
 何故だか知らないが、どこか嘘くさい笑顔を浮かべ、こちらの目をじっとまっすぐ見つめている。

 横島の煩悩は萎えた。
 今まで抱き返そうとしていた手は離れ、アスナの肩を掴み、話が出来る程度の距離を保つため、
 男の横島ですら難儀するほど強い力で抱きついてくるアスナを引きはがした。

「あー、アスナちゃん……一体どういうことなのか、さっぱりわからんのだが、説明してくれないか?」

 心残りが胸から溢れるほどあった横島だが、努めて冷静に言った。
 が、一方のアスナは、横島に顔を向けさせられ、また違った変化を見せた。
 顔の赤みが顎から涙の後が残る頬をあがり、額にまで到達し、
 おまけに耳までもが温度計の珠を思わせるほどむくれた。

「あ、あの、だいじょう……ぶふっ!」

 アスナへの気遣いの言葉は、拳になって返された。
 真っ赤になって、「うわーん、お嫁にいけないー」と走り去る赤毛のツインテールが、
 きりもみ回転中の横島の視界の隅に、ほんの少し映っていた。

 鼻と額からだくだくと血を流して、床を汚しながら、
 横島は淡々と、なぜ自分だけこんな目に遭うのか、ということを考えた。









 一旦逃げ出したアスナは、また戻ってきた。
 しかし、どうにも横島の顔を見るのが耐えられないらしく、
 直接ではなく、壁の隅からちらちらと横島の姿をうかがっていた。
 そこまでしても、まだ無理だったらしく、ギブアップと刹那に告げて、逃げていった。

 残された刹那は、一人で横島に状況の説明をした。
 3−A、つまりネギのクラスの生徒である超 鈴音が、
 全世界の人間に魔法の存在を認識させる、強制認識魔法の発動をもくろんでいること。
 強制認識魔法の発動のため、世界樹が形成する魔力だまりとなる広場を、
 地下に隠した大量のアンドロイドで占拠しようとしていること。
 そのアンドロイド軍団に対して、ネギ側は一般人に簡易なマジックアイテムを渡し、
 イベントの一巻ということで、戦わせようとしていること。

 そして、超 鈴音の計画を阻止するため、
 麻帆良学園の魔法生徒及び魔法先生全てを導入する決定が出されるであろうことを
 時間が無かったため、要点だけおさえて話した。

 こんなところに監禁された理由も聞き、その上で、力を貸せ、と言われ、
 正直なところ横島の腹も立ったものの、刹那相手に怒ってもしかたなく、
 この埋め合わせは絶対、学園長にさせてやる、と心に決めてぐっと我慢した。

「……で、なんで俺があんな目に遭わなきゃならなかったんだ?
 どー考えたって理不尽だろ、いきなり抱きつかれて、殴られるなんて……」

 それはそれとして、先ほどのアスナの奇態について横島は聞いた。
 この質問は刹那としても答えにくかった。
 未来に行ってきた、と言っても、横島は信じてくれるかもしれない。
 しかし、全てを話すとすると時間の浪費以外何物でもないし、
 正直なところ話さずにいた方がおとなしくしてくれそうなのだ。

「それは……横島さんの精神衛生上の問題で、黙っておいた方がよいと思います」

 刹那は口にしてから後悔した。
 この言い方では、何かある、ということを言っているようなものだ。
 「アスナさんに蹴り飛ばされて、未来の横島さんは時空の彼方に消え去りました」と正直に言えようもない。
 「横島さんがアスナさんのパンツ引っ張ったせいです」というのは別の意味で言えない。

 刹那の後悔をよそに、横島は横島でそう言われとまどっていた。
 アスナに抱きつかれて殴られるようなことをした記憶はないけれど、
 心当たりならばたくさんあるのが、この男。
 基本的には反省というものをしない性格なのだが、アスナにあの態度を取られると
 流石に普段の自分の行いを振り返らざるを得なかった。

 そんな折り、刹那は横島が、横島は刹那が自分の顔を見ていたことにはっと気がついた。
 両者が両者、自分の考えに浸っており、互いが互いの顔に注目していたことに今まで気づかなかったのだ。
 自分の顔が見つめられていることを知り、なんと返していいものかとまどった両者は、同じ反応を示した。

「あ、あははは、そっか、そんなら俺も聞かない方がいいかな」
「そ、そうですね。その方がいいかと」

 二人して乾いた笑いを立て、全く同じように引きつった笑顔を浮かべる。
 顔を引いて、安堵のため息をついたタイミングすら一緒だった。







 かくして横島は、麻帆良学園の平和を守るため、
 一般人がマジックアイテムを用いてロボットを撃退するイベントに、「ヒーローユニット」として紛れ込んだのだった。

 その一方、学園側の裏方ではひっくり返したような騒ぎが起きていた。

「学園結界……停止しましたッ!」

 学園の警備システムを動かしているメインコンピュータが、何者かからのハッキングを受けていたのだ。
 状況的に考えて、現在魔法界全体を揺るがしかねないことをしようとしている
 超 鈴音一味からのハッキング攻撃であることが推測されたが、問題はその速度だった。
 幾重もの多層防御プログラムに守られているメインコンピュータに侵入されるまで一切気づかせず、
 新たに防壁を展開してもものの数秒で破られ、防衛システム中枢へのアクセスコードを五分と立たずに解析し、
 ついには学園結界を停止させた。
 その結果、地上では麻帆良の地に封印されていた鬼神を利用した巨大ロボが出現。
 巨大ロボは圧倒的な力を発揮して、防衛拠点を奪おうと歩みを進めていた。

 システムを奪還しようと魔法先生側も電子精霊を放つも、まるで歯が立たない。
 電子世界上での、麻帆良学園側の敗北が事実上決定した、と思われたとき、そこに救世主が現れた。



「話は聞かせてもらったわッ!」

 麻帆良学園『超鈴音臨時対策室』のドアが、勢いよく開いた。
 絶望に浸っていたスタッフ達は、音と声に驚いて、入り口を見た。

 薄暗い対策室からは、光差し込む入り口に立つ人物が誰だか判別できない。
 ただ右手には大きなトランクを持ち、多少奇抜な髪型をしたシルエットのみが見えた。

「あ、あなたはっ!」

 メガネをかけた少女……友人からはナツメグという愛称で親しまれている魔法生徒が思わず声を上げた。
 シルエットの人物は、すっと左手で自分の髪型を正し、余裕のある口調で答えた。

「なんてことのない、ただの通りすがりの神族よ」

 光に目がなれ、シルエットの人物が浮かび上がってきた後、
 大多数の人間が「誰だっけ?」という思いを抱いたことなど露知らず、
 サンジュウロクメはてきぱきと動き始めた。
 オペレーターを務めていたナツメグの元に早足で近づき、自分のトランクを開いて、
 トランクからのびたコードを端末につないでいく。

「まさか、あのハッキングに対抗するんですかっ!」

 現在進行形でハッキングをしかけてくるハッカーの実力は、ナツメグ本人が嫌と言うほど思い知らされている。
 防壁という防壁を破られ、電子精霊の解凍を阻止され、
 手も足も出ない、という表現がこれほどよく当てはまる目に遭わされたのだ。

 目の前の奇抜な格好をした女性が一体なんなのか、ナツメグは知らなかったが、
 あれ相手に勝てるわけがない、と止めようとした。
 しかし、サンジュウロクメはナツメグに向かって、にっこりとほほえみを浮かべた。

「大丈夫、任せて……私がいれば、ハッカーを撃退できるわ」

 ナツメグはそのときようやく気づいたことがあった。
 サンジュウロクメの額にある模様のようなもの……正確には模様ではなく、本物の目だった。
 ナツメグも魔法生徒であり、異形に対してそれなりの知識はあった。
 が、まだ彼女は若く、まだ半人前で経験も浅い。
 突然の人外との接触に、ナツメグは思わず硬直した。

 その硬直を、サンジュウロクメは好意的に取り、作業を再開し、全てのコードをつなぎ終えた後、
 トランクの中から、土偶の頭がくっついたノートパソコンを取り出した。
 ノートパソコンを平らな机の上に置くと、ポケットから一個の珠を取り出して、それを土偶の中に入れる。
 すると、ノートパソコンの電源が入り、モニターにこの世界の人間には読めない文字が次々と浮かび上がった。

「さて、みんな」

 サンジュウロクメは対策室内の全員に聞こえるような声で呼びかけた。
 たたん、とキーボードを打った後、続けた。

「反撃開始よ」

 サンジュウロクメの指が、激しく動く。
 常人では決して目では追えないスピードで画面がスクロールし、パソコンに指示が吸収されていく。
 ナツメグを始め、その場にいた全員は、息を飲んで見守っていた。
 自分たちが戦って、まるで歯が立たなかった相手……それを打ち倒せるとは到底思えなかったが、
 サンジュウロクメの妙に自信ありげな態度に、もしかしたらもしかするかも、と淡い期待を抱いたのだ。

 サンジュウロクメの攻勢は、この場にいる誰もがいかほどなのか理解できない。
 モニターに表示されている字は、今まで見たことのないものだからだ。
 何故、全く違う様式のコンピュータでハッキング対策ができるんだ、とかそういった疑問を抱くものもいた。
 しかし、無言でその成り行きを見守ることを全員が暗黙のうちに了解していた。

「まずは……」

 たたん、とキーボードを叩く音が響く。

「システムの最低限の復旧」

 サンジュウロクメの声の意味に気づき、ナツメグは咄嗟に自分の目の前にあるモニターを見た。
 モニターに浮かび上がる文字を、一瞬信じられずに息を飲んだ。
 しかし、目の前にあるものは真実で……否、真実でなかったとしてもナツメグは叫ばざるを得なかった。

「学園結界、再起動! 再起動しましたッ!」

 室内の人間がどっとナツメグのモニターに釘付けになった。
 彼らもまたナツメグと同じように、そのことを信じられなかったのだ。
 我先にとモニターの前に集まり、そこに映る文字を見て、息を飲んだ。

 落ちた学園結界が再起動した。
 再起動したとはいえ、出力は最低。
 本当に落ちる寸前の状態に戻っただけだった。
 地上で闊歩している鬼神巨大ロボを停止させるほどではなく、
 若干動きが悪くなっている程度だが、それでもここにいた全員の心の中に大きな力がみなぎった。

「みんな聞いて!」

 サンジュウロクメはキーボードを驚異的なスピードで叩きながら言った。

「この超高性能演算装置型兵鬼『土偶羅魔具羅レプリカ』は、
 確かに性能だけで言えば学園側のシステムを完全復旧させることができるわ。
 けど、これの動力は霊力……全盛期の私(つまりヒャクメ)のときなら長時間起動ができたけど、
 今の私(つまりサンジュウロクメ)では、
 横島さんからちょろまかした文珠を使ってようやくほんの短時間の起動ができる程度なの。
 だから、システムの復旧だけしても、土偶羅レプリカが止まったら、またハッキングされるわ」

 室内は再び一瞬にして静まりかえった。
 みな、サンジュウロクメの言う言葉を一字一句聞き逃さぬよう、耳を傾けている。

「となれば、私たちが取れる方法は一つ。
 ハッカーそのものを、討つ!
 侵入経路からたどってハッカーの操作するコンピュータをウィルスに感染させるの。
 そうすれば、ハッカーはハッキングどころじゃなくなるわ」
「で、出来るんですか、そんなこと!」
「出来る、出来るわよ。
 私は神族の調査官『ヒャクメ』
 それの百分の三十六よ。出来ないわけないじゃないの」

 サンジュウロクメはモニターから顔を上げ、笑顔を見せた。
 今度はナツメグだけではなく、室内にいたほぼ全員がその顔を見た。

 こうして、絶望的に思われた麻帆良学園対超鈴音一味の電子戦は転機を迎えた。

 サンジュウロクメが、学園側がやられたのと同じように相手のコンピュータに侵入。
 多層に展開された防壁をまるで何もないかのように瞬殺し、一直線に中枢を狙う。
 ただ違うことといえば、ハッカーの攻撃はハッカー一人のみで行ったものだったが、
 サンジュウロクメの攻撃は、サンジュウロクメと、そして学園側のメインコンピュータからもなされていた。

 サンジュウロクメ参戦によって勝機を見いだした魔法先生と魔法生徒達が、
 それぞれありったけの電子精霊を出して、サンジュウロクメの攻勢に参加したのだ。
 学園側にとっては手も足もでずに敗北させられた、辛酸をなめさせられた敵に対する逆襲であるが故に、
 魔法使い達のテンションは最高潮に達しており、電子精霊の動きも活発だった。

 ハッカー側にとっては電子精霊の相手などは取るに足らないものだった。
 しかし、決して無視をするわけにもいかない。
 そちらの方にも手を取られているうちに、サンジュウロクメの攻撃はどんどん中枢に近づいていっている。



「いけますっ、いけますよ、サンジュウロクメさんっ!」

 ナツメグは目に涙すら浮かべて叫んだ。
 本来ならばオペレーターのはずの彼女も、
 いても立ってもいられずに自分の電子精霊を出して、一大反抗に加わっている。

 他の魔法使い達と同様、ハッカーが防衛プログラムを発動させるたびに、電子精霊が蹴散らされる。
 しかし、この蹴散らす労力を相手に払わせることにより、サンジュウロクメはより障害が少なく先に進める。
 それがナツメグには嬉しく感じられ、
 今では蹴散らされる度に思わず歓喜の声を上げていた。
 ナツメグだけではない、他の魔法使いも似たような状態にあった。

「そうね、ナツメグちゃん……みんな、頑張って、あとちょっとよ」

 サンジュウロクメはまさしく室内の魔法使いにとっての救世主だった。
 彼女が激励の言葉を発する度に、魔法使い達はおおと気合いの声を上げ、
 気力を充実させて、電子精霊を操作する。

 サンジュウロクメは充実していた。
 いまやみんなの目には尊敬が満ち満ちている。
 今までずっと役立たずだのなんだのと、小竜姫や美神に言われていて、
 この世界から来てはあの横島にすらそう言われ……今が人生、いや、神生の春かっ、とときめいていた。

 サンジュウロクメの目はとても鋭い。
 今、一般人には目にもとまらぬスピードでスクロールしている文字も、一文字一文字正確に読み取れる。

 素早い敵に相対したときにも、サンジュウロクメの目はちゃんととらえている。
 しかし、いかんせん目が見えても体が動かない。
 動かないから見えていないのと同じ、ということで全く戦闘はできない。

 今回のようなケースこそが私の本来の戦いの場なのだ、とサンジュウロクメは思った。
 でへへ、と頬がゆるみそうになるのをなんとか食い止めながら、サンジュウロクメはキーボードを打つ。
 持病の腱鞘炎が辛くても、指が今にも攣りそうになりながらも、それでも打つ。

 みんなの期待を一身に背負い、ただ駆け抜けた。

 負ける、という心配はない。
 多数の宇宙と特定の宇宙の構成の一部を交換するために必要な計算をごくごく短時間で行うことのできる『土偶羅魔具羅』
 その本体はじゃんけんに負けて魔族のジークに持って行かれてしまったが、
 性能は劣るとはいえ、非常に高い演算能力を持つこのレプリカなのだ。
 負けるはずがないという確信があった。

 唯一不安材料として残るのは、霊力不足からの時間切れだが、
 感触として、なんとか相手にウィルスを送りこんで、若干の余裕が残るとわかった。

「いくわっ、みんなッ!」

 自分の呼びかけに、室内の仲間達は応じてくれる。
 サンジュウロクメは以前、
 直属ではないものの上司……踊りと破壊が好きな……仮にシーさんと呼ぶ力のある神族の部下とあったことがあった。
 彼は何故だが、人間の用いるネットワークに対する呪術の研究をしており、
 ひょんなことからその呪術をその人から教わったのだ。

 サンジュウロクメがヒャクメだったころ、アシュタロスとの戦いの事後処理のせいで十日貫徹したさい、
 妙にハイテンションになり、イダテンピザが届くまでの暇な空き時間、
 その呪術を自己流にアレンジしたコンピューターウィルスを即席で作り上げていた。

 正気になって再びこのコンピュータウィルスを見直してみたら、
 なんだかすごく凶悪な出来になってしまっており、
 けれども折角作ったんだから消すのももったいないな、と思ってとっておいたものなのだが、
 今こそ活用すべきタイミングだと、サンジュウロクメは行った。

「ヒャクメちゃん謹製、呪術型コンピュータウィルス『ゴーゴン・アイ』、発射!」

 サンジュウロクメは最後のキーを押した。
 その瞬間、室内は息を飲む。

 コンピュータウィルスの送信により、思わぬ霊力を消費したせいか、
 サンジュウロクメのノートパソコンの電源がついに落ちた。

 一瞬、ざわついたが、サンジュウロクメが無言で諭し、ナツメグの覗くモニターを見た。





「……ハッキング、停止しましたッ!」

 次の瞬間、全員が歓声をあげた。
 中には泣き出すものもすらいた。
 全員が全員、勝利を疑わず、地上ではいまだ戦いが続いていることを忘れて、喜んだ。









 ゴーゴン・アイは、呪術型コンピュータウィルスである。
 コンピュータのシステムを破壊することではなく、物理的遮断が主目的に作られている。
 このウィルスに感染したコンピュータのモニターは、特定のサブミナル映像と力ある霊力の波動が放出され、
 モニターの光を浴びた人間は一時的に石化する。
 ハッカーそのものを石化することにより、ハッキングを阻止する、という呪術を用いたコンピュータウィルスだった。

 束の間の勝利にわき、全員でサンジュウロクメの胴上げがされている間、
 こっそりとハッカー側のハッキングが再開され、あっという間に学園結界が再び停止状態にされていることに誰も気づかなかった。








 余談だが、麻帆良学園祭終了後、目から石化光線を発する茶々丸を見た葉加瀬は、
 私の知らない武装があるなんて……と主任のようにつぶやいてから、ゆっくりと石になった。